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『あなたの臨在のしるしには何がありますか』ものみの塔 1994 | 2月15日
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『あなたの臨在のしるしには何がありますか』
「そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」― マタイ 24:3。
1,2 人々は将来に関心がありますが,何がそのことを示していますか。
大抵の人は将来に関心があります。あなたもそうですか。アルビン・トフラー教授は「未来の衝撃」という本の中で,「未来の研究を専門とする組織が急増している」と述べ,さらに,『未来志向のシンクタンクが創設され,イギリス,フランス,イタリア,ドイツ,アメリカなどで未来学者の雑誌が登場し,大学では未来の予測に関する科目が流行している』と述べています。しかしトフラーは,「もちろん,完全な意味で将来を『知る』ことはだれにもできない」と結んでいます。
2 「来たるべき事柄の前兆」という本はこう述べています。「手相占い,水晶占い,占星術,トランプ占い,易経……などはすべて,複雑さの程度こそ違うとはいえ,我々個人の将来に控えているかもしれない事柄を示唆するための技法である」。しかし,人間的手法に頼るのではなく,信頼し得る情報源であるエホバに頼るほうが勝っています。
3 将来に関する知識を求めて神に頼るのはどうしてふさわしいことですか。
3 まことの神は,「わたしの図った通りに事は成り,わたしの計った通りのことが実現する」と言明されました。(イザヤ 14:24,27; 42:9)実際,エホバは後に起きる事柄について人類に忠告することができ,多くの場合,人間を代弁者として用いてそうしてこられました。そのような預言者の一人はこう書いています。「エホバは,内密の事柄を自分の僕である預言者たちに啓示してからでなければ何一つ事を行なわない」― アモス 3:7,8。ペテロ第二 1:20,21。
4,5 (イ)イエスの言われたことは将来について知る面でなぜ役に立ちますか。(ロ)イエスの使徒たちはどんな複合的な質問をしましたか。
4 イエス・キリストは神の最も重要な預言者でした。(ヘブライ 1:1,2)では,イエスの主要な預言の一つに注意を向けてみましょう。それは,今わたしたちの周りで起きている事柄について予告している預言です。その預言を調べれば,間もなく現在の邪悪な体制が終わって,その代わりに神が地上の楽園<パラダイス>をもたらされる時に起きる事柄を洞察することができます。
5 イエスは,ご自分が預言者であることを証明されました。(マルコ 6:4。ルカ 13:33; 24:19。ヨハネ 4:19; 6:14; 9:17)ですから,エルサレムを見下ろすオリーブ山上でイエスと一緒に座っていた使徒たちがイエスに将来について,「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねたのももっともなことです。―マタイ 24:3。マルコ 13:4。
6 マタイ 24章,マルコ 13章,およびルカ 21章にはどんな関係がありますか。わたしたちはどんな質問に深い関心を抱くべきでしょうか。
6 使徒たちの質問とイエスの答えは,マタイ 24章,マルコ 13章,およびルカ 21章に記されています。a それらの記述は多くの点で互いに補い合っており,全く同一ではありません。例えば,『そこからここへと疫病がある』と述べているのはルカだけです。(ルカ 21:10,11。マタイ 24:7。マルコ 13:8)したがって,イエスはこの預言を聞いていた人の生きている間に起きる出来事だけを予告しておられたのだろうか,それとも現代のことや,わたしたちの将来に控えている事柄をも含めておられたのだろうか,と問うのは筋の通ったことでしょう。
使徒たちも知りたいと思っていた
7 使徒たちは特に何について尋ねましたか。しかし,イエスの答えはどれほどの規模のものでしたか。
7 イエスは殺される数日前,神がユダヤ人の首都エルサレムを退けられたことを宣言されました。同市とその壮大な神殿は破壊されることになっていたのです。それで使徒たちの幾人かは,『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』を求めました。(マタイ 23:37-24:3)確かに使徒たちは,おもにユダヤ人の体制とエルサレムのことを考えていたに違いありません。なぜなら,前途に控えている事柄の規模を把握してはいなかったからです。しかし,イエスは使徒たちに答える際,ローマ人がエルサレムを滅ぼす西暦70年までに起きる事柄よりもずっと先のことを見越しておられました。―ルカ 19:11。使徒 1:6,7。
8 イエスが予告された出来事を幾つか挙げてください。
8 これら三つの福音書の記述を読めば分かりますが,イエスは,国民が国民に,王国が王国に敵対して立ち上がること,食糧不足,地震,恐ろしい光景や天からのしるしなどについて話されました。イエスがそのしるしのことを話された時(西暦33年)から,エルサレムが荒廃させられた時(西暦66年-70年)までの期間には偽預言者や偽キリストが起こることになっていました。またユダヤ人は,イエスの音信を宣べ伝えるクリスチャンを迫害するはずでした。
9 イエスの預言は西暦1世紀にどのように成就しましたか。
9 歴史家フラビウス・ヨセフスが確証している通り,しるしのそれら特筆すべき事柄は実際に起こりました。ヨセフスは,ローマ人が攻撃を行なうよりも前に偽メシアたちが反乱をあおったと述べています。ユダヤでも,ほかの場所でも,恐ろしい地震がありました。戦争もローマ帝国内の多くの場所で起きました。大飢きんもありましたか。確かにありました。(使徒 11:27-30と比較してください。)王国を宣べ伝える業についてはどうですか。コロサイ人への手紙が書き記された西暦60年ないし61年にはすでに,神の王国の「良いたよりの希望」はアフリカやアジアやヨーロッパに広く伝えられていました。b ―コロサイ 1:23。
「それから」終わりが
10 わたしたちはなぜギリシャ語のトテという言葉に注目すべきですか。その言葉にはどんな意義がありますか。
10 イエスは何か所かで幾つかの出来事を起きる順序どおりに述べておられます。イエスはこう言われました。「王国のこの良いたよりは……宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。英訳聖書では「それから」という言葉は,単に「それで」とか,「しかし」といった意味で用いられることがよくあります。(マルコ 4:15,17; 13:23)しかし,マタイ 24章14節の「それから」という言葉は,ギリシャ語のトテという副詞に基づく訳語です。c ギリシャ語の専門家の説明によれば,トテは「時の指示副詞」で,「時間の点で次に起きることを述べるために」,あるいは「続く出来事を述べるために」用いられます。ですからイエスは,王国が宣べ伝えられ,それから(つまり,『その後』,または『続いて』)「終わり」が来る,と予告されたことになります。それは何の終わりでしょうか。
11 イエスはエルサレムの滅びに直接結びついた種々の出来事にどのように注意を向けられましたか。
11 イエスの預言は,ユダヤ人の体制の終わりに至るまでの種々の出来事のうちに一度成就したことが分かります。イエスの予告された戦争,地震,食糧不足などの出来事は,30年余りの期間に起きました。しかし,マタイ 24章15節,マルコ 13章14節,およびルカ 21章20節以降の箇所には,終わりが目前に近づいた時の切迫した滅びに直接結びついた出来事が記されています。―表の中の破線の付されている部分をご覧ください。
12 ローマの軍隊はマタイ 24章15節の成就にどのようにかかわりましたか。
12 西暦66年に起きたユダヤ人の反乱に対処するため,ケスティウス・ガルスの率いるローマ軍がエルサレムに向かって進撃し,ユダヤ人が神聖視していたその都市を取り囲みました。(マタイ 5:35)ローマ軍はユダヤ人の反撃を受けたにもかかわらず,その都市への侵入を強行しました。こうしてローマ軍は,マタイ 24章15節やマルコ 13章14節のイエスの予告どおり,『聖なる場所に立ち』はじめました。その後,意外な事態が生じました。ローマ軍はその都市を取り囲んでいたにもかかわらず,不意に撤退したのです。クリスチャンはイエスの預言が成就したことをすぐ認めると共に,その撤退を機にユダヤから逃げ,ヨルダン川を渡って山地に入ることができました。歴史はクリスチャンがそうしたことを示しています。
13 クリスチャンは逃げるようにというイエスの警告になぜ留意することができましたか。
13 しかし,ローマ軍がエルサレムの周りから撤退したのであれば,だれにせよ,なぜ逃げる必要があったのでしょうか。イエスの言葉は,起きていた事柄が『エルサレムの荒廃が近づいた』証拠であることを示していました。(ルカ 21:20)そうです,荒廃です。イエスは,『初めから起きたことがなく,二度と起きないような大患難』を予告しておられました。3年半ほど後の西暦70年に確かに,エルサレムはティツス将軍の率いるローマの軍隊のもたらした「大患難」に実際に遭遇しました。(マタイ 24:21。マルコ 13:19)しかし,イエスはこの患難をなぜ空前絶後の大患難と言われたのでしょうか。
14 西暦70年にエルサレムで起きた事柄は,かつて起きたことがなく,それ以後も起きたことのない「大患難」であったと,どうして言えますか。
14 エルサレムは西暦前607年にバビロニア人によって荒廃させられました。また,その都市は今世紀にも恐ろしい戦闘を経験してきました。それでも,西暦70年に起きたのは類まれな大患難でした。ティツスの率いる兵士はおよそ5か月にわたる軍事行動でユダヤ人を撃ち破りました。約110万人を殺し,およそ10万人を捕囚として連れ去ったのです。その上,ローマ軍はエルサレムを破壊しました。このことは,神殿を中心として是認された崇拝が行なわれていたユダヤ人の体制が永久に終わった証拠となりました。(ヘブライ 1:2)そうです,西暦70年のこの出来事を『[その都市やその国民やその体制にとって]世の初めから起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難』とみなすことができたのももっともなことです。―マタイ 24:21。d
預言どおり,その後さらに多くの事が起きる
15 (イ)イエスはエルサレムを襲ったその患難の後にどのような事態が生じることを予告されましたか。(ロ)マタイ 24章23-28節の記述からすると,イエスの預言の成就に関してどんな結論を下さなければなりませんか。
15 しかし,イエスは1世紀のその患難のことだけを予言されたのではありません。聖書の示すところによれば,その患難に続いて多くの事が起きることになっていました。このことはマタイ 24章23節やマルコ 13章21節で使われているトテ,つまり「その時」という言葉に示唆されています。西暦70年以後の時代に事態はどのように展開することになっていたでしょうか。ユダヤ人の体制を襲ったその患難の後,さらに多くの偽キリストや偽預言者が現われることになっていました。(マルコ 13:6を13:21-23と比較してください。)歴史は,西暦70年のエルサレムの滅亡以来,幾世紀もの間にそのような者たちが現われたことを確証しています。もっとも,キリストの「臨在」を待ち望んでいた,鋭敏な霊的視力を持つ人々は惑わされませんでした。(マタイ 24:27,28)いずれにせよ,西暦70年の大患難以後のこうした事態の進展は,イエスがその患難の先を見越しておられたことを示す一つの証拠となっています。その患難は最初の成就にすぎなかったのです。
16 ルカ 21章24節により,イエスの預言にはどんな面が加わりますか。このことにはどんな意義がありますか。
16 マタイ 24章15節から28節とマルコ 13章14節から23節をルカ 21章20節から24節と比較すると,イエスがエルサレムの滅びのもっと先を見越して予言しておられたことを示す2番目の証拠が得られます。疫病に言及したのはルカだけだったことを思い起こしてください。同様に,この箇所を,「エルサレムは,諸国民の定められた時[「異邦人の時」,ジェームズ王欽定訳]が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」というイエスの言葉で結んでいるのもルカだけです。e (ルカ 21:24)西暦前607年にバビロニア人はユダヤ人の最後の王を解任し,それ以後,神の王国を表わすエルサレムは踏みにじられました。(列王第二 25:1-26。歴代第一 29:23。エゼキエル 21:25-27)イエスはルカ 21章24節で,将来,神により王国が再び樹立される時までその状況が続くことを示唆されました。
17 イエスの預言が遠い後代にまで及ぶものであることを示す3番目のどんな証拠がありますか。
17 ここで,イエスが遠い後代における成就をも指し示しておられたことを裏づける3番目の証拠を挙げましょう。聖書によれば,メシアは死んで復活させられることになっており,その結果として,み父から送り出されて敵を従えてゆく時まで神の右に座ることになっていました。(詩編 110:1,2)イエスもご自分がみ父の右に座っていなければならないことを暗に示されました。(マルコ 14:62)使徒パウロも,復活させられたイエスがエホバの右にいて,王ならびに神の刑執行者となる時まで待っておられたことを確証しています。―ローマ 8:34。コロサイ 3:1。ヘブライ 10:12,13。
18,19 啓示 6章2-8節と福音書の類似した預言との間にはどんな関係がありますか。
18 事物の体制の終結に関するイエスの預言が1世紀よりさらに後の時代にも当てはまるものであることを示す4番目の決定的な証拠としては,啓示 6章を引き合いに出すことができます。使徒ヨハネは西暦70年の何年も後にその書を書き記し,注目せずにはいられない活動する騎手たちの情景を描写しています。(啓示 6:2-8)「主の日」― 主の臨在の日 ― のことを示したその預言的な光景は,この20世紀が注目すべき戦争(4節),広範囲にわたる食糧不足(5節と6節),および「死の災厄」(8節)の見られる時代であることを明示しています。これは明らかに,福音書の中でイエスの述べておられる事柄に相当しており,イエスの預言が「主の日」である現代に,より大規模な仕方で成就するものであることを証明しています。―啓示 1:10。
19 事情に通じている人々は,1914年に初めて世界大戦がぼっ発して以来,マタイ 24章7節から14節や啓示 6章2節から8節で予告されていた複合的なしるしが表われていることを認めています。残酷な戦争,壊滅的な地震,悲惨な飢きん,猛威をふるう病気などから明らかなように,イエスの預言が今,より大規模な形で二度目の成就を見ていることを,エホバの証人は全世界で告げ知らせてきました。その猛威をふるう病気について,US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌(1992年7月27日号)はこう述べました。「流行病のエイズは……幾百万人もの犠牲者を死に追いやっており,間もなく史上最も多くの犠牲者を出す悲劇的な大災厄となるであろう。14世紀には黒死病で約2,500万人が苦しみながら死んだ。しかし,エイズを引き起こすHIVの保菌者は現在およそ1,200万人だが,2000年までには3,000万人ないし1億1,000万人に増えるであろう。治療法がないため,保菌者はすべて,避けられない死に直面している」。
20 マタイ 24章4-22節の最初の成就にはどんな事柄が含まれることになっていましたか。しかし,ほかにもどんな成就のあることが明らかですか。
20 では,使徒たちの質問に答えたイエスの言葉に関して,どんな結論を出すべきですか。イエスの預言によれば,エルサレムの滅びに先立って起きた事や同市の滅びが正確に予告されていましたし,西暦70年以後の事柄も幾つか述べられていました。しかしその大半は後代に,現在の邪悪な事物の体制の終わりをもたらす大患難へとつながってゆく,より大規模な二度目の成就を見ることになっていました。これは,マタイ 24章4節から22節とマルコやルカの並行記述にあるイエスの予言が,西暦33年から西暦70年の患難までの期間に成就したことを意味しています。しかし,同じそれらの節は,後代の,より大規模な患難を含む,二度目の成就を見ることになっていました。このいっそう大規模な成就は現在起きています。わたしたちは毎日その成就を見ることができるのです。f
どんな事態へとつながってゆくのか
21,22 その後にも種々の事態が進展するはずであったことを示す預言的な言葉はどこにありますか。
21 イエスは,「諸国民の定められた時が満ちる」までの長い期間に偽預言者たちが人を欺くようなしるしを行なうことについて述べてご自分の預言を終えられたわけではありません。(ルカ 21:24。マタイ 24:23-26。マルコ 13:21-23)イエスはさらに続けて,起きようとしている他の驚くべき事柄,つまり全地で観察される事柄について話されました。それらの事柄は,力と栄光を受けた人の子の到来に関連したものとなるのです。マルコ 13章24節から27節はイエスの預言の続きの典型的な例です。こう記されています。
22 「しかしその日,その患難ののちに,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ちてゆき,天にあるもろもろの力は揺り動かされるでしょう。またその時,人々は,人の子が大いなる力と栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう。そしてその時,彼はみ使いたちを遣わし,四方の風から,地の果てから天の果てまで,自分の,選ばれた者たちを集めるでしょう」。
23 わたしたちはなぜ,マタイ 24章29-31節が西暦1世紀からずっと後の時代に成就することを期待できますか。
23 人の子,つまり復活させられたイエス・キリストは,西暦70年にユダヤ人の体制が壊滅的な終わりを告げた後,そのような目覚ましい仕方で来られたわけではありません。確かに,地上のすべての部族が,マタイ 24章30節にあるように人の子を認めたわけでもありません。また,天のみ使いたちがその後,油そそがれたクリスチャンすべてを全地から集めたわけでもありません。では,イエスの驚嘆すべき預言のこの付加的な部分はいつ成就することになっていたのでしょうか。わたしたちの周りで今起きている事柄のうちに成就しているのでしょうか。それとも,その部分はむしろ,近い将来に起きると期待できる事柄に対する神からの洞察を得させるものなのでしょうか。わたしたちは確かにそのことを知りたいと思うはずです。なぜなら,ルカはイエスの訓戒の言葉をこう記録しているからです。「これらの事が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」― ルカ 21:28。
[脚注]
a これらの章の一部は14,15ページの表に掲載されています。破線で区切られている箇所は並行記述です。
b これらの出来事に関する史料からの引用文については,「ものみの塔」誌,1970年4月15日号,231-233ページをご覧ください。
d 英国の作家マシュー・ヘンリーはこう述べました。「カルデア人によるエルサレムの滅びは非常に恐ろしいものであったが,今回の滅びはそれをしのぐものであった。そのため……ユダヤ人は皆殺しにされるおそれがあったのである」。
e ルカの記述を調べて,ルカ 21章24節の後で視点が変化していることを認める人は少なくありません。レオン・モリス博士はこう述べています。「イエスはさらに『異邦人の時』のことを語っておられるのである。……大抵の学者の考えでは,今や人の子の到来に注意が向けられている」。R・ギンス教授はこう書いています。「人の子の到来 ―(マタイ 24:29-31。マルコ 13:24-27)。『異邦人の時』に言及することにより,この主題が紹介されている。[ルカの]視点は今やエルサレムの荒廃の後の時代に移されているのである」。
f ウォルター・L・リーフェルド教授はこう書いています。「確かに,イエスの予言には次の二つの面が包含されていると考えることができる。つまり,(1)神殿に関連した紀元70年の出来事と,(2)より終末論的な用語を使って述べられている遠い後代の出来事である」。J・R・ダマロウの編集した注解書はこう述べています。「我々の主はこの偉大な講話の中で一つの出来事ではなく,二つの出来事に言及されたこと,またその最初の出来事は二度目の出来事の予型であったことを認識すれば,この講話の最も難解な問題点の多くは解消される。……特に,『異邦人の時』のことが述べられているルカ 21章24節では……エルサレムの陥落と世の終わりとの間に不定の時間的な隔たりが置かれている」。
思い起こせますか
□ マタイ 24章3節の質問に対するイエスの答えは,西暦70年の出来事につながるどんな成就を見ましたか
□ トテという言葉の用法はイエスの預言を理解するのにどのように役立ちますか
□ 1世紀の「大患難」はどんな意味で,以前に起きたことのないような患難でしたか
□ ルカは今日のわたしたちに関連のあるイエスの預言のどんな二つの特異な面に言及していますか
□ マタイ 24章4-22節の預言には二度目の,より大規模な成就があることをどんな証拠が示していますか
[14,15ページの図表]
4 「そこでイエスは答えて言われた,『だれにも惑わされないように気を付けなさい。5 多くの者がわたしの名によってやって来て,「わたしがキリストだ」と言って多くの者を惑わすからです。6 あなた方は戦争のこと,また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。
7 「『というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。8 これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。
9 「『その時,人々はあなた方を患難に渡し,あなた方を殺すでしょう。またあなた方は,わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。10 またその時,多くの者がつまずき,互いに裏切り,互いに憎み合うでしょう。11 そして多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう。12 また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。13 しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。14 そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。
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15 「『それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)16 その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。17 屋上にいる人は,家から物を取り出そうとして下りてはならず,18 野にいる人は,外衣を拾おうとして家に帰ってはなりません。19 その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! 20 あなた方の逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。21 その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。22 実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです。
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23 「『その時,「見よ,ここにキリストがいる」とか,「あそこに!」とか言う者がいても,それを信じてはなりません。24 偽キリストや偽預言者が起こり,できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして,大きなしるしや不思議を行なうからです。25 ご覧なさい,わたしはあなた方にあらかじめ警告しました。26 それゆえ,人々が,「見よ,彼は荒野にいる」と言っても,出て行ってはなりません。「見よ,奥の間にいる」と言っても,それを信じてはなりません。27 稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように,人の子の臨在もそのようだからです。28 どこでも死がいのある所,そこには鷲が集まっているでしょう。
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29 「『それらの日の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。30 またその時,人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。31 そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう』」。
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「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか」ものみの塔 1994 | 2月15日
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「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか」
「わたしは新しいことを告げているのである。それらが起こり始める前に,わたしはあなた方にそれを聞かせる」― イザヤ 42:9。
1,2 (イ)イエスの使徒たちは将来についてどんなことを尋ねましたか。(ロ)複合的なしるしに関するイエスの答えはどのように成就してきましたか。
神の教えは,『終わりのことを初めから告げる者』であられるエホバ神に源を発しています。(イザヤ 46:10)前の記事で示されているように,使徒たちはイエスにそのような教えを求め,こう尋ねました。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」― マルコ 13:4。
2 それに答えてイエスは,ユダヤ人の体制が間もなく終わろうとしている証拠となる複合的なしるしを説明されました。その言葉は西暦70年にエルサレムが滅びることによって成就しました。しかし,イエスの預言は遠い後の時代に,より大規模な成就を見ることになっていました。「諸国民の定められた時」がひとたび1914年に終わると,現在の邪悪な体制が間もなく「大患難」の際に終わる証拠となるしるしが大々的に現われることになっていたのです。a (ルカ 21:24)今日生きている幾百万もの人々は,そのしるしがこの20世紀に起きた世界大戦その他の重大な出来事のうちに成就してきたことを証言できます。こうした出来事はイエスの預言の主要な成就を印づけるものともなっており,西暦33年から70年までに起きた事柄は現代におけるこうした成就の予型だったのです。
3 イエスは別のしるしについて語った際,ほかのどんな事態の進展を予告されましたか。
3 ルカは諸国民の定められた時に言及していますが,そのあとの箇所のマタイ,マルコ,およびルカの並行記述には,「事物の体制の終結の[複合的な]しるし」とは別のしるしを含む,その後の一連の事態の進展が描写されています。(マタイ 24:3)(15ページでは,並行記述のこの点が二重破線で区別されています。)マタイはこう述べています。「それらの日の患難のすぐ後に,太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。またその時,人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう。そして彼は,大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし,彼らは,四方の風から,天の一つの果てから他の果てにまで,その選ばれた者たちを集めるでしょう」― マタイ 24:29-31。
患難と天界の現象
4 イエスの述べておられる天界の現象について,どんな質問が生じますか。
4 それはいつ成就することになっていましたか。三つの福音書のどの記述にも,天界の現象とでも呼べるかもしれない事柄,つまり太陽と月が暗くなったり,星が落ちたりすることが述べられています。イエスはこれらの事柄が「患難」に続いて起きると言われました。イエスは西暦70年に最高潮に達した患難のことを考えておられたのでしょうか。それとも,現代のなお前途に控えている大患難のことを述べておられたのでしょうか。―マタイ 24:29。マルコ 13:24。
5 現代のその患難について,かつてどんな見方がなされていましたか。
5 1914年に諸国民の定められた時が終わって以来ずっと,神の民は「大患難」に深い関心を抱いてきました。(啓示 7:14)神の民は多年,現代の大患難には第一次世界大戦の時期に相当する序幕の部分があり,次いで休止期間があり,そして最後に終幕の部分,つまり「全能者なる神の大いなる日の戦争」があると考えていました。もしそうであるとしたなら,この「体制の終結」の中間の何十年かの期間に何が起きることになっていたのでしょうか。―啓示 16:14。マタイ 13:39; 24:3; 28:20。
6 天界の現象に関するイエスの預言の成就となるのはどんな事柄であると考えられていましたか。
6 そうです,その合間の時期には,集められた神の民によって行なわれる宣べ伝える業を含め,複合的なしるしが見られると考えられていました。また,予告された天界の現象は1914年から1918年までの序幕期の後のその合間の時期に起きるのではないかと思われました。(マタイ 24:29。マルコ 13:24,25。ルカ 21:25)そして,天の文字通りの物事 ― 宇宙探査,ロケット,宇宙線やガンマ線,月面着陸や月面基地 ― に注意が向けられました。
7 大患難に関するどんな調整された理解の仕方が示されましたか。
7 しかし,「ものみの塔」誌,1970年4月15日号の中でイエスの預言,特に来たるべき大患難のことが再検討されました。そして,1世紀に起きた事柄から考えて,現代のその患難には1914年から1918年までの序幕の部分や何十年間かの合間の時期があり,その後その患難が再び始まる,とは言えないことが示されました。同誌はこう結論しています。「二度と起こらないような『大かん難』はまだ先のことです。それは,偽りの宗教の世界帝国(キリスト教世界も含む)の滅びを意味しているからです。それに続いて……ハルマゲドンにおける『全能の神の大いなる日の戦い』が始められるのです」。
8 現代のその患難に関する見解は調整されて,マタイ 24章29節はどのように説明されましたか。
8 しかし,マタイ 24章29節には,その天界の現象が「患難のすぐ後に」起きると述べられています。どうしてそのようなことがあり得るのでしょうか。「ものみの塔」誌,1975年8月1日号では,この「患難」は西暦70年の昔に最高潮に達した患難を指していることが示唆されていました。しかしどんな意味で,現代の天界の現象が西暦70年の出来事の「すぐ」後に起きていると言えるのでしょうか。神の目から見れば,その間の幾世紀もの期間は短いものであると論じられていました。(ローマ 16:20。ペテロ第二 3:8)しかし,特にマタイ 24章29節から31節のこの預言をもっと深く調べてみると,かなり異なった説明のできることが分かります。これは,光がどのように「全き日までますます」輝いてゆくかを示すよい例です。(箴言 4:18,アメリカ標準訳)b では,新たな,もしくは改められた説明の仕方がなぜ適切かを考慮しましょう。
9 ヘブライ語聖書はどのように,天での事態の進展に関するイエスの言葉の背景を示していますか。
9 イエスは4人の使徒たちに対して,『太陽は暗くなり,月は光を放たず,星は天から落ちる』という預言をお与えになりました。ユダヤ人であった使徒たちは,こうした言い回しがヘブライ語聖書から取られたものであることに気づいたことでしょう。その聖書の中の,例えば,ゼパニヤ 1章15節では神の裁きの時が「あらしと荒廃の日,闇と陰うつの日,雲と濃い暗闇の日」と呼ばれています。幾人かのヘブライ人の預言者も,太陽が暗くなり,月が輝かなくなり,星が光を放たなくなることを述べています。そのような言い回しは,バビロン,エドム,エジプト,およびイスラエルの北王国に対する神の音信の中に見られます。―イザヤ 13:9,10; 34:4,5。エレミヤ 4:28。エゼキエル 32:2,6-8。アモス 5:20; 8:2,9。
10,11 (イ)天の物事に関してヨエルはどんなことを預言しましたか。(ロ)西暦33年にヨエルの預言のどの面が成就しましたか。どの面は成就しませんでしたか。
10 ペテロと他の3人はイエスが言われたことを聞いた時,多分,ヨエル 2章28節から31節と3章15節にある次のようなヨエルの預言を思い起こしたことでしょう。「わたしは自分の霊をあらゆる肉なる者の上に注ぐことになる。あなた方の息子や娘たちは必ず預言する。……わたしは天と地に異兆を与える。血と火また煙の柱である。畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日の来る前に,太陽は闇に変わり,月は血になるであろう」。「太陽や月も必ず暗くなり,星さえその輝きをとどめる」。
11 使徒 2章1節から4節と14節から21節にあるように,西暦33年のペンテコステの時,神は120人の弟子たちに,男性の上にも女性の上にも聖霊を注がれました。使徒ペテロは,それがヨエルの予告していた事柄であることを知らせました。しかし,『太陽が闇に変わり,月が血になり,星がその輝きをとどめる』ことに関するヨエルの言葉についてはどうでしょうか。それが西暦33年に,あるいは30年余にわたるユダヤ人の事物の体制の終結の期間中に成就したことを示すものは何もありません。
12,13 ヨエルが予告した天界の現象はどのように成就しましたか。
12 明らかに,ヨエルの予言の後半は,「畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日の来る」こと,つまりエルサレムの滅びと一層密接に関連していました。「ものみの塔」誌,1967年3月15日号は,西暦70年にエルサレムに降り懸かった患難についてこう述べています。「それは確かにエルサレムとその子たちにとって『エホバの日』でした。そしてその日に伴って多くの『血と火と立ちこめる煙』があり,昼の太陽は陰うつさのこもる町を明るくせず,夜の月は流血を暗示して,静かな銀光を投げませんでした」。c
13 そうです,すでに注目した他の預言の場合と同様,ヨエルが予告した天界の現象は,エホバが裁きを執行される時に成就することになっていました。太陽と月と星が暗くなることは,ユダヤ人の体制の終結期間全体にわたって起きたのではなく,刑執行隊がエルサレムに攻めて来た時に起こりました。論理的に言って,ヨエルの預言のその部分は現在の体制に対する神の刑執行が始まる時に,より大規模な仕方で成就すると考えられます。
天界の現象が起きる前の患難とはどの患難か
14,15 ヨエルの預言はマタイ 24章29節に関するわたしたちの理解の仕方にどのような影響を与えますか。
14 ヨエルの預言(同様の言い回しが用いられている他の幾つかの預言と調和した預言)の成就は,マタイ 24章29節の言葉を理解するのに役立ちます。『太陽が暗くなり,月が光を放たなくなり,星が落ちる』ことについてイエスの言われた事柄は,幾十年にも及ぶ現在の体制の終結期間に見られる宇宙ロケット研究や月面着陸などの出来事を指しているのでないことは明らかです。むしろイエスは,「畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日」,すなわちこれから起きる滅びに関連した事柄を指し示しておられたのです。
15 この点は,天界の現象がどのように「患難のすぐ後に」起きるかということに関するわたしたちの理解の仕方と関係があります。イエスは,西暦70年に最高潮に達した患難に言及しておられたのではありません。むしろ,後代にこの世界の体制を襲い,約束されたご自分の“臨在”の最高潮となる大患難の始まりを指し示しておられたのです。(マタイ 24:3)その患難はなおわたしたちの前途に控えています。
16 マルコ 13章24節はどの患難を指していますか。どうしてそう言えますか。
16 マルコ 13章24節の『その日,その患難ののちに,太陽は暗くなり,月は光を放たなくなる』という言葉についてはどうですか。ここで使われている「その」という言葉はどちらも,ギリシャ語のエケイノスという言葉の変化形を訳したものです。これは時間的に離れている事柄を指す指示代名詞です。エケイノスは遠い過去の(もしくは,以前に言及した)事柄,あるいは遠い将来の事柄を指すのに用いられることもあります。(マタイ 3:1; 7:22; 10:19; 24:38。マルコ 13:11,17,32; 14:25。ルカ 10:12。テサロニケ第二 1:10)したがって,マルコ 13章24節は「その患難」,つまりローマ人が引き起こした患難ではなく,現在の体制が終わる時のエホバの力ある働きを指しています。
17,18 啓示の書は,大患難の進展の仕方をどのように明らかにしていますか。
17 啓示 17章から19章は,マタイ 24章29節から31節やマルコ 13章24節から27節やルカ 21章25節から28節に関するこの調整された理解の仕方と合致しており,またその正しさを確証しています。どうしてそう言えるでしょうか。それら福音書の示すところによれば,この大患難は一挙に始まって一挙に終わるのではありません。大患難が始まった後も,不従順な人類の中の一部の人々はなお生きており,「人の子のしるし」を見て反応します。つまり,嘆いて,ルカ 21章26節にあるように,「人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います」。人を圧倒するようなその恐れは,自分たちの差し迫った滅びの前兆となる「しるし」を見るゆえに生じるのです。
18 啓示の書の記述によれば,将来の大患難は国際的な「野獣」の軍備を整えた「角」が「大娼婦」である大いなるバビロンを襲う時に始まることが分かります。d (啓示 17:1,10-16)しかし,その後に残る人々は少なくありません。というのは,王や商人や船長その他の人々が偽りの宗教の終わりを嘆くからです。多分,多くの人は次に自分たちが裁かれることに気づくでしょう。―啓示 18:9-19。
何が起きることになっているか
19 大患難が始まる時に何が起きると考えられますか。
19 マタイ,マルコ,およびルカの福音書の章句と啓示 17章から19章を合わせて考慮すると,間もなく起きる事柄を解明するのに役立ちます。大患難は神の定めておられる時に,偽りの宗教の世界帝国(大いなるバビロン)に対する攻撃をもって始まります。その攻撃は,不忠実なエルサレムに対応するキリスト教世界にとって特に激しいものになるでしょう。患難のこの段階の「すぐ後に」,『太陽と月と星にしるしがあり,地上では諸国民の[空前の]苦もんがあります』。―マタイ 24:29。ルカ 21:25。
20 これから天界にどんな現象が起きると考えられますか。
20 どのような意味で『太陽は暗くなり,月は光を放たなくなり,星は天から落ち,天のもろもろの力は揺り動かされる』のでしょうか。恐らく,大患難の初めの時期に,多くの“光体”― 宗教界の著名な僧職者たち ― が,啓示 17章16節で述べられている「十本の角」によって暴露され,除き去られるでしょう。多分,政治的な勢力も揺り動かされるでしょう。物理的な天でも恐ろしい出来事があるのでしょうか。多分あるでしょう。それは,ユダヤ人の体制の終わりが近づいた時に起きたとヨセフスが述べている事柄よりもはるかに強い畏怖の念を起こさせるものとなるでしょう。わたしたちが知っているように,神は遠い昔にそうした大異変のような影響を生じさせる力を表わされました。神はもう一度そうすることがおできになります。―出エジプト記 10:21-23。ヨシュア 10:12-14。裁き人 5:20。ルカ 23:44,45。
21 将来の「しるし」はどのように生じますか。
21 ここで福音書筆者は3人共,次に進展する事態を紹介するに際し,トテ(その時)という語を用い,「その時,人の子のしるしが天に現われます」と述べました。(マタイ 24:30。マルコ 13:26。ルカ 21:27)第一次世界大戦以来,イエスの真の弟子たちは,イエスの目に見えない臨在の複合的なしるしを見分けてきましたが,ほとんどの人はそれを認めていません。しかしマタイ 24章30節は,将来さらに現われる「しるし」,つまり「人の子」のしるしを指し示しています。すべての国の人々はそれに注目せざるを得なくなります。イエスが,目に見えないことを表わす雲と共に来られる時,全世界の反対する人間は,イエスがそのようにして「来る」(ギリシャ語,エルコメノン)のを認めなければならなくなります。王としてのイエスの力が超自然的な仕方で現わされるからです。―啓示 1:7。
22 マタイ 24章30節の「しるし」を見ることにより,どんな結果が生じますか。
22 マタイ 24章30節では,次に起きる事柄を紹介するために,もう一度トテという語が用いられています。その時,諸国民は自分たちの状況の成り行きに気づき,身を打ちたたいて嘆きます。それは恐らく,自分たちの滅びが差し迫っていることを認めるからでしょう。神の僕たちとは何と異なっているのでしょう。実際,わたしたちは救出が近いことを知り,頭を上げることができるからです。(ルカ 21:28)啓示 19章1節から6節も,真の崇拝者たちが天でも地でも大娼婦の終わりを歓ぶ様子を示しています。
23 (イ)イエスは選ばれた者たちに対してどんな措置を講じられますか。(ロ)残りの者が天に取り去られることについては何と言えるでしょうか。
23 イエスの預言はさらに続き,マルコ 13章27節にはこう記されています。「その時(トテ),彼はみ使いたちを遣わし,四方の風から,地の果てから天の果てまで,自分の,選ばれた者たちを集めるでしょう」。ここでイエスは,14万4,000人の「選ばれた者たち」のうち,まだ地上で生きている残りの者に注意を向けておられます。事物の体制の終結期間の初期に,イエスのそれら油そそがれた弟子たちは神権的に一致した状態に導き入れられました。しかし,ここで述べられている物事の順序からすると,マルコ 13章27節やマタイ 24章31節で描かれているのは別の事柄です。残っている「選ばれた者たち」は,「大きなラッパの音とともに」地の果てから集められます。どのようにして集められるのでしょうか。彼らはエホバにより,「召され,選ばれた忠実な者たち」の一部として「証印を押され」,明らかに見分けられるようになるに違いありません。そして神の指定された時に,王なる祭司となるため天に集められるのです。e これは彼らに,またその忠実な友である「大群衆」にも喜びをもたらします。この「大群衆」も地上の楽園<パラダイス>で数々の祝福を享受するよう「大患難から出て来る」者として印を付けられるのです。―マタイ 24:22。啓示 7:3,4,9-17; 17:14; 20:6。エゼキエル 9:4,6。
24 マタイ 24章29節から31節は,事態がこれからどんな順序で進展してゆくことを明らかにしていますか。
24 使徒たちが,「わたしたちにお話しください。……」と言った時,イエスは使徒たちが把握できる以上のことを答えの中に含められました。とはいえ,使徒たちは生きている間に,その預言の予型的な成就を見て歓びました。わたしたちはイエスの答えについて,近い将来にその預言の成就する部分に焦点を合わせながら研究することができました。(マタイ 24:29-31。マルコ 13:24-27。ルカ 21:25-28)わたしたちは,救出が近づいていることをすでに知っています。また,大患難が始まり,その時,人の子のしるしが現われ,その時,選ばれた者たちを神がお集めになるのを楽しみに待つことができます。最後に,わたしたちの戦士なる王,即位されたイエスは,ハルマゲドンにおけるエホバの刑執行者として「征服を完了」されます。(啓示 6:2)神が復しゅうを行なわれる時であるそのエホバの日は,1914年から主イエスの日を印づけてきた「事物の体制の終結」の壮大なフィナーレとなるのです。
25 わたしたちはどうすれば,なお将来に控えているルカ 21章28節の成就にあずかることができますか。
25 「これらの事が起こり始めたら,あなた方は身をまっすぐに起こし,頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」というイエスの言葉が将来成就する時,その言葉にこたえ応じるため,あなたも引き続き神の教えから益を受けてゆかれますように。(ルカ 21:28)エホバがご自分の聖なるみ名を神聖なものとしてゆかれる時,選ばれた者たちと大群衆の前には何というすばらしい未来が待ち受けているのでしょう。
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