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子供を持つことに伴う責任と報いあなたの家族生活を幸福なものにする
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7章
子供を持つことに伴う責任と報い
1-4 (イ)胎児の発育で驚嘆すべき点を幾つかあげなさい。(ロ)そうした事柄を知っていると,詩篇 127篇3節を理解するのにどのように役立ちますか。
子供が生まれて来ると思うと,胸がはずむと同時に厳粛な気持ちになるものです。子供の誕生は確かに人間の間で日常起きている事柄です。しかし,どの子供の誕生も驚くべき複雑な過程を経た結果です。その過程をいくらかでも理解するなら,霊感を受けた詩篇作者が感動して次のように語った理由がいっそうよくわかります。「見よ! 息子たちはエホバからの相続財産,胎の実は報いである」。(詩 127:3,新)では,その点を考えてみましょう。
2 男子の精子が女子の卵子と結合します。二つの細胞は一つになり,それが分裂を始めて二つの細胞になります。そして二つが四つになり,四つが八つになりして,ついにはこの一つの細胞は,成人で推定60兆個の細胞になります。初め新しい細胞はどれも同じですが,やがて骨の細胞,筋肉の細胞,神経の細胞,肝臓の細胞,目の細胞,皮膚の細胞等々に変化しはじめます。
3 生殖と分化の神秘はいくらか解明されていますが,多くは依然としてなぞに包まれています。最初の細胞に分裂を開始させるのは何でしょうか。分裂が続いているときに,細胞を多くの異なる種類に変化させ始めるのは何でしょうか。それら異なる種類の細胞がいっしょになって特定の形や大きさや機能を有するようになり,肝臓,鼻,小さな足指などになりますが,何がそうさせるのでしょうか。しかも,その変化は前もって調節されている時間に生じ始めます。その時間表をコントロールしているのは何でしょうか。さらに母親の胎内で成長している胎芽は,母親と異なる遺伝的構成を持つ一個の個体です。普通,母親の体は異質の組織を拒否します。他人の皮膚や器官を移植された場合がその例です。それなのに,なぜ母体は,遺伝的に異質な胎芽を拒否せず,約280日間も養うのでしょうか。
4 エホバ神は,精子と卵子が結合してできた一つの細胞の中に活動のプログラムを組み込まれたので,それら驚くべき活動はすべて予定通りに起きます。詩篇作者は次のように述べてそのことを言い表わしています。「あなたの目は胎児のわたしをさえご覧になりました。そしてあなたの書の中にそのすべての部分は書き記されていました。それらが形造られた日々に関して,そしてそれらの中の一つもまだなかった時に」― 詩 139:16,新。
発育と誕生
5-8 妊娠4週間目から出産までの間に,子宮内で起きる事柄をあげなさい。
5 胎芽は急速に発育します。4週間で,脳,神経組織,循環組織が備わり,心臓は,すでにできている血管に血液を送っています。血液は,6週間は卵黄嚢によって作られ,次いで肝臓がその働きを引き継ぎ,最終的に骨髄がそれを引き受けます。5週間目には腕と脚が形成され始め,さらに3週間たつと,手足の指が現われます。7週間目までには,目,耳,鼻,口のほかに,主要な筋肉グループができあがります。
6 詩篇作者は言葉を続けて,「わたしの骨はあなたから隠されてはいませんでした。わたしがひそかに造られた時」とエホバに語っています。(詩 139:15,新)9週間目には,軟骨が硬い骨になって骨格が形成されます。発育途上の赤ちゃんは今や胎芽ではなくて胎児と呼ばれます。『あなた自らがわたしの腎を作り出されました』。(詩 139:13,新)神によって定められた過程を経て腎臓が形成されるのは4か月目で,そのときから腎臓は血液をろ過します。
7 そのころになると,胎児は,手のひらや足の裏がむずむずすると体を動かしたりねじったり,手足の指を曲げたりします。一本の指と親指とで物をつかむとか,親指を吸うようなこともします。そのようにして,後日母親の乳を吸う時に使う筋肉を運動させるのです。胎児はしゃっくりをします。母親はそれをおなかの子供が飛び上がっているように感じます。6か月目までには多くの器官はほぼ完成しています。鼻腔が開き,まゆ毛も現われました。間もなく目が開き,耳も聞こえるようになるでしょう。ですから,子宮の中にいても大きな音にびっくりすることがあるのです。
8 40週間して,陣痛が始まります。母親の子宮の筋肉が収縮し,赤ちゃんはこの世に現われ始めます。分べん中に,赤ちゃんの頭は圧迫されて変形することがよくありますが,頭がい骨はまだ固まっていないので,分べん後に正常な形にもどります。この時まで,母親は赤ちゃんのために一切のことをしてきました。酸素や食物を供給し,保護し,温め,廃せつ物を除くこともしました。これからは赤ちゃんは自力で活動しなければなりません。しかも,すぐにです。でなければ死んでしまいます。
9 赤ちゃんが子宮の外で生きるには,どんな変化が直ちに起きなければなりませんか。
9 肺が酸素を血液に送れるように,赤ちゃんは呼吸を始める必要があります。しかし,それをするには,もう一つの大きな変化が即時に起こらねばなりません。つまり血液の循環経路が変化しなければならないわけです。子宮内にいるあいだ,胎児の心臓の壁には一つの穴がありました。その壁は心房を左右に分け,胎児の血液の多くを肺の方へ行かせないようにしています。肺の方へ行った血液は,大きな血管によって肺には行かないようにされています。子宮内では,血液の約1割ばかりが肺を通ります。ところが,誕生後は全部の血液が,しかも直ちに,肺に行かねばなりません。それで,肺に行かない別の道を通っていた大きな血管は誕生後数秒以内に萎縮し,その中を通っていた血液は肺へ行きます。そのうちに,心臓の壁の穴は閉鎖し,心臓の右側から送り出された血液は全部肺へ行って酸素を受け取ります。赤ちゃんが呼吸をし血液に酸素が取り入れられ劇的な変化が生じて,赤ちゃんは生き続けます。詩篇作者はそれを次のように見事に要約しています。「あなたはわたしをわたしの母の胎の中で仕切られた状態に保たれました。わたしはあなたをほめたたえます。わたしは恐るべく,くすしく造られているからです」― 詩 139:13,14,新。
10 胎児の驚嘆すべき発育を考えると,親は子供たちのことをどのように感じるべきでしょうか。
10 夫と妻は,エホバのこの賜物をどれほど深い感謝を抱いて見ることでしょう。夫婦の一部でありながらどちらとも異なるひとりの子供を生み出す力は,なんとすばらしいのでしょう。確かに子供は「エホバからの相続財産」です!
「相続財産」をはぐくむ
11 子供を持つことを考えている人々は何を自問すべきですか。それはなぜでしょうか。
11 エホバ神が,性関係を夫婦だけに限られるものとする律法を設けられたのは,道徳的な理由からだけではありませんでした。エホバは子供の誕生のことも念頭に置いておられたのです。互いに愛し合い,自分たちの子供をも愛しいつくしむ父親と母親の両方を子供は必要とします。生まれたばかりの子供は,その子供を望んでいて,子供の成長と人格形成に必要な環境を備える両親のいる家庭の,温かさと安全を必要とします。子供を持つことを考えている夫婦は次の点を自問してみなければなりません。自分たちは子供が欲しいと思っているだろうか。子供が身体的に必要とするものだけでなく,感情的に,また霊的に必要とするものを与える力があるだろうか。子供を正しく訓練し,子供が見ならえる正しい模範を示すだろうか。親としての責任を喜んで受け入れ,それに伴う犠牲を払う気持ちがあるだろうか。わたしたちは子供のときには,親に縛りつけられるように感じたかもしれませんが,自分が親になってみると,子供を育てることがどれほど時間のかかる仕事であるかよくわかります。しかし,親の責任には大きな喜びが伴い得るのです。
12-14 妊娠した女性は,赤ちゃんの健康な発育を助けるために,(イ)食事(ロ)酒,たばこ,薬剤(ハ)感情の制御などについてどのように気をつけることができますか。
12 夫婦の意志によってであれ,生物学的状況によってであれ,ともかく決定は下され,妻であるあなたは妊娠しました。「エホバからの相続財産」をはぐくむあなたの仕事は始まりました! 食べなくてはならない食物もあれば,避けたり制限したりしなければならない食物もあります。鉄分aの豊富な食物は重要です。赤ちゃんは子宮の中で,誕生後6か月もつだけの鉄分を蓄えつつあるからです。骨を作るのに必要なカルシウムを赤ちゃんに供給するために,牛乳を普段よりたくさん飲む必要があります。炭水化物bの摂取に平衡を保てば,太り過ぎを防ぐのに役立ちます。子供の分とふたりの分食べていることは確かですが,でも,ひとりの方はまだとても小さいのです。
13 他の点は,あなたの生活の仕方によって,考慮すべき場合もありますし,その必要のない場合もあります。アルコール飲料は胎児にアルコールを運びますから注意を要します。過度のアルコールは精神的また身体的な障害を招くことがあります。母親が大酒家だったために,酔って生まれてきた子供たちもいます。喫煙は胎児の血流中にニコチンを入れます。また,喫煙によって血液中の酸素は一酸化炭素に取って代わられます。こうして,誕生以前にすでに,その子供が健康体を持つ者になる見込みが全くなくなることもあるのです。流産や死産はたばこを吸う女性の間に比較的多く見られます。母親が惑でき性の薬を飲んでいると,子供がその中毒にかかって生まれてくることがあります。病気の治療のために飲んだ,惑でき性のない薬でも危険で,子供を奇形にすることがあります。コーヒーの飲み過ぎでさえ,何らかの悪影響があるのではないかと考えられています。
14 さらに母親に感情的なストレスがあると,母体のホルモンの分泌量が変化して,胎児がひどく活動的になり,生まれたときには落ち着きがなくていらいらした子供になっていることもあります。発育途上の胎児は『母の胎の中で仕切られている』と言えますが,周囲の世界から全くしゃ断されていると考えるのは間違いでしょう。胎児は母親を通して外界の影響を受けます。母親は胎児と外界とを結び付けている唯一のものです。したがって,影響の良し悪しに関していわば“運転席”に置かれているのは主に母親です。母親が自分の体にどのように気をつけるか,また種々の状況にどう反応するかは相違をもたらします。ですからその点で母親が周囲の人々の協力,特に夫の愛と世話を必要とすることはいうまでもありません。―サムエル前書 4章19節と比較してください。
決めなければならない事柄
15,16 お産をする場所や方法について何を決めねばならないことがありますか。
15 あなたは病院でお産をされますか。それとも自宅でされますか。選択の余地がほとんどない場合もあるでしょう。病院さえない所も少なくないかもしれません。また地域によっては自宅でお産をする人がめったにいないために,助産婦などの経験者の助けが得られず,自宅分べんには危険が伴うかもしれません。できることなら,妊娠中に医師の診断を受け,正常な分べんを期待できるか,あるいは合併症の起こる可能性があるかどうか調べておくのはいつの場合でも良いことです。
16 麻酔法による分べんをしますか,それとも自然分べんをしますか。これは長所と短所をよく比較検討してから夫婦が決めなければならない問題です。自然分べんなら,夫はその一大事に直接関与できますし,赤ちゃんは直ちに母親のそばに置かれます。検査して正常に分べんできることがわかれば,それらの点は重視すべき長所である,と考える人々もいます。また,研究者の中には,自然分べんの,より穏やかな状態の下で生まれた赤ちゃんの方が,感情的な問題をかかえたり精神身体症にかかったりすることが少ないと主張する人々もいます。
17-19 誕生後できるだけ早く赤ちゃんを母親のそばに置くのが良いかどうかについて,研究は何を明らかにしていますか。
17 1977年12月号の「サイコロジー・ツデイ」誌は次のように述べています。
「子供の生涯の最初の一年が,その後の精神と身体の発育に永続的な影響を与え得ることは,心理学者たちによって何十年も前から知られていた。しかし現在では生まれた最初の日も ― もしかしたら最初の一時間でさえ ― も同じく,極めて重要な時であるように思われる。母親が子供に対して作り上げる感情的なきずな,そして母親が子供にどんな気遣いを示し始めるかは,分べん後とくに重要である。最初の幾時間かが,子供に対する母親の態度の形成,子供に対する母親の責任感の強さ,母親として尽くす能力などと大きなかかわりを持ち得ることも最近の研究によって明らかにされている」。
18 分べん中に母親が全身麻酔をかけられていなければ,赤ちゃんは機敏で,目を開き,あたりを見回すような動作をし,物が動く方向に目を向け,人の声がする方を向き,とりわけ女性の高い声に敏感です。母親と子供の目の接触はすぐに行なわれるようになります。そのことは大切なことのようです。ある研究調査の際に母親たちは,赤ちゃんが自分を見ると赤ちゃんにいっそう親近感を感じると報告しています。誕生直後の母子の身体的接触,膚と膚のふれ合いは,母子双方に益があると考えられています。
19 研究者たちによれば,医学センターで扱われる子供の問題を調べて行くと,誕生直後の数時間に原因を見つけることが時々あるということです。生まれてから病院の標準的な手当てを受けた子供たちと,すぐ母親のそばに置かれた子供たちを比較したところ,一か月後には自然分べんで生まれた子供たちのほうが発育が良好でした。「さらに顕著な点として,母親と長時間接触した子供は五歳のとき,病院の標準的な手順で手当てを受けた子供よりIQ[知能指数]がきわめて高く,言語能力のテストでも良い成績を収めた」と,「サイコロジー・ツデイ」誌は述べています。
20 こうした事柄について賢明な決定を下すには,ほかにどんなことを念頭に置いていなければなりませんか。
20 しかし,こうした事柄すべてにおいて,種々の事情を慎重に検討する必要があります。わたしたちが見失ってならないことは,人間の最初の両親がわたしたちに不完全さという遺産を残した事実です。そのために,今日の“自然分べん”には必然的にその自然さが幾分欠けていますし,またわたしたちが持っている遺伝的な欠陥がいろいろな問題を引き起こさないとは言えません。(創世 3:16; 35:16-19; 38:27-29)ですからそれが他の人々の望む“理想的な”分べんの方法であっても,あるいはなくても,あなたはあなた個人の事情と,あなたが自分にとって最善と考える事柄とに従って決定することです。
21,22 母乳を与えることにはどんな利点がありますか。
21 あなたは赤ちゃんを母乳で育てるつもりでしょうか。母乳を与えることには母子双方に多くの利点があります。母乳は乳児にとって完全な食物です。消化しやすく,病気の感染や腸の異常,呼吸障害を予防します。最初の数日間は乳房から初乳が出ます。初乳は黄色の液体で次の理由から新生児に特に適しています。(1)脂肪と炭水化物の含有量が少ないので消化しやすい。(2)数日後に出て来る母乳よりも免疫体の含有量が多い。(3)初乳にはいくらか下剤の作用があるので,誕生前に赤ちゃんのおなかにたまっていた細胞や粘液や胆汁を除去する役目を果たす。
22 母乳を与えると母親にも益があります。赤ちゃんがお乳を吸うと,子宮が刺激されて収縮するために出血が少なくなります。また乳房も乳汁をたくさん出すように刺激されます。乳が十分出ないのではないかと心配していた母親はその心配がないことを知ります。母乳を定期的に与えると,排卵と月経の再開が延びる場合があります。ですから母乳を与えることは,その間自然の避妊になることが多いのです。アメリカがん協会は,「母乳を与える母親が乳がんにかかる例は比較的に少ない」と述べています。さらに母乳は家計の助けにもなります。
子供の発育 ― あなたは矢のねらいをどこに定めますか
23 詩篇 127篇4,5節には子供のしつけに関するどんな原則が示唆されていますか。
23 「人の若い時の子供たちは,戦士の手にある矢のようだ。矢筒に矢が満ちている人は幸いである」。(詩 127:4,5,アメリカ訳)矢の価値は,それが弓を離れる前にどれだけうまくねらいを定められているかによって決まります。的を射るには注意深く上手に矢のねらいを定めなければなりません。それと同様に,親が,子供に人生への出発をどのようにさせるかを祈りを込めて賢明に熟考することはたいへん重要です。子供が自分の手もとを離れるとき,他の人々から尊敬される平衡の取れた円熟した大人になり,神に誉れをもたらすでしょうか。
24 (イ)親は子供たちのためにどんな家庭環境を作るように努力すべきですか。(ロ)それはなぜ大切ですか。
24 育児としつけに関しては,子供の誕生以前に決めておくべきです。最初に生まれた子供にとって基本的には両親がその子供の全世界です。ではその世界はどのような世界でしょうか。そこには,親が神のみ言葉の次のような助言を心に留めていることが表われているでしょうか。「すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪とともにあなたがたから除き去りなさい。そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたも互いに惜しみなくゆるし合いなさい」。(エフェソス 4:31,32)家庭生活がどのようなものであれ,それは幼い子供に反映します。ですから赤ちゃんの世界を平和で安全なもの,温かで愛のあるものにするように努力することが必要です。かわいがられる赤ちゃんはそれらの資質を吸収し,それらは赤ちゃんの感情を形成します。赤ちゃんはあなたの感情を感じ取り,あなたの模範に従うのです。創造者がお定めになった遺伝の法則によって,子宮内には赤ちゃんの発育のためのすばらしい備えが設けられます。では,あなたは子宮から出て来た赤ちゃんをどのような者にするでしょうか。それはあなたが作り出す家庭の状態に大きく依存しています。それは遺伝子と同じほど,赤ちゃんがどんな大人に成長するかを決定します。『少年をその道に従って訓練してください。年老いても,彼はそれからそれて行くことはないでしょう』― 箴 22:6,新。
25,26 親が子供たちに多くの時間をかけ,深い注意を払うのは,なぜ道理にかなっていますか。
25 男にしても女にしても,草の葉一枚作ることができません。ところが男女がいっしょになると,きわめて複雑で,地上の他のだれとも異なるもう一人の人間を作ることができます。これは本当に驚嘆すべき偉業です。ですから,今日非常に多くの人がそれに伴う責任の神聖さを認識していないのは信じがたいことです。人々は花を植え,水や肥料をやり,雑草がはびこらないようにします。それは美しい庭を作るためです。では子供たちが美しくなるように,それよりもっと時間をかけ,もっと多くの努力を払うべきではないでしょうか。
26 結婚した男女には子供を持つ権利があります。子供たちには,名ばかりでなくて実質を伴う親を持つ相応の権利があります。神に献身したクリスチャンは一人の弟子を作ることを望んで多くの時間と精力を費やすかもしれませんが,必ずしも成功するとは限りません。ではクリスチャンの親は,『子供をエホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆく』のにさらに多くの時間をかけるべきではないでしょうか。(エフェソス 6:4)もし一人の子供を命の与え主であられるエホバ神のりっぱな僕に育てるなら,それは大いに喜ぶべきことではないでしょうか。そうすればそのような息子あるいは娘をもうけたことは,確かに豊かに報われたことになります。―箴 23:24,25。
27 子供の発育を促す際に,子供自身の個性を考慮すべきなのはなぜですか。
27 詩篇 128篇3節(新)は子供たちをオリーブの木に例えています。「あなたの妻は実を結ぶ,ぶどうの木のようだ,あなたの家の最も内なる所にあって。あなたの息子たちはあなたの食卓の周りにあってオリーブの木のさし枝のようだ」。木は,手を加えるといろいろな形になります。壁にそって平らに生えたり,低く地面をはうような形になったりします。また,盆栽の場合のように,根を切りつめて生長を抑えると,小さな木になります。「苗木を曲げると,その木は曲がった方向に育つ」という古いことわざは,子供の人格形成に幼い時のしつけも大切であることを強調しています。ここで必要なのは平衡の取れた考え方です。正しい基準に従うように子供を導くことは必要ですが,それと同時に,子供はこのような人格を持つべきだと親が考える通りの人間になるように期待すべきではありません。オリーブの木にいちじくの実をならせることはできません。子供は正しくしつけなければなりませんが,あらかじめ決めた型に子供を押し込めてその子供独自の個性を抑え,受け継いでいる賜物をのびのびと発揮できないようにすることはいけません。自分がもうけた子供を時間をかけて知るようにすることが大切です。それから,やわらかい苗木を扱うときと同じように,保護となりまた正しい方向に向ける支えとなるだけの強さと,子供に良い能力を十分に伸ばせるようなやさしさとをもって導いてください。
エホバからの報い
28 創世記 33章5,13,14節にはヤコブが子供に気遣いを示したことが記録されていますが,わたしたちはそれからどんな益を得られますか。
28 昔の人ヤコブは子供たちの世話に心遣いを示しました。旅程のきつい旅をするように提案されたとき,ヤコブは提案した人に次のように言いました。「我が主もお気付きと思いますが,子供たちはか弱く,乳を与えている羊や牛はわたしが世話をしています。一日にあまりに速く進ませるようなことをすれば,きっと群れ全体が死んでしまいます。どうか,我が主は僕より先にお進みくださいますように。そして,わたしの方は,前にいる家畜の歩調で,また子供たちの歩調に合わせてゆっくりと旅を続けられますように」。この前にヤコブは,兄のエサウに会って,「この一緒にいる人たちはだれですか」と聞かれたとき,「神があなたの僕に恵みとして与えてくださった子供たちです」と答えています。(創世 33:5,13,14,新)今日でも親は,ヤコブのように,子供にやさしい思いやりを示すだけでなく,子供をエホバの恵みと見ることも大切です。いうまでもなく,男性は結婚する前に,妻子を養う力があるかどうか真剣に考慮しなければなりません。聖書はこう助言しています。「まず屋外ですべてのものを整え,地であらゆるものを用意せよ。それからあなたの家と家庭を確立せよ」。(箴 24:27,新英訳聖書)この実際的な助言に従い,男性は,結婚して家庭を持つための準備を前もってすべきです。そうすれば,たとえ計画していなかった妊娠であってもそれを喜ぶことができ,経済的な負担になると考えて心配することはないでしょう。
29 子供をもうけるかどうかの問題は,なぜ前もって真剣に考慮すべきですか。
29 子供をもうけるかどうかは,初めての子供の場合に限らずその後の子供たちの場合にも,真剣に考慮する価値のある問題です。親は,すでに生まれている子供たちの養育に困難を感じているでしょうか。もし感じているとすれば,愛の質を考えるだけでなく,創造者に対する敬意からも,家族の増加を遅らせるためにどのように自制するかをよくよく考えるはずです。
30 (イ)子供は実際には神のものだとどうして言えますか(ロ)そのことは親の見方にどう影響するはずですか。
30 実際,子供はだれのものでしょうか。ある意味では,あなたのものです。しかし別の意味では,創造者のものでもあります。あなたが子供のときにご両親がその養育を任されたのと同様に,あなたも子供の養育を任されているのです。あなたは,ご両親が自分たちの好き勝手に扱える所有物ではありませんでした。あなたのお子さんもそのような意味ではあなたのものではないのです。親は受胎の時や胎児の発育を指示することも,制御することもできません。その驚くべき過程を見たり十分に理解したりすることさえできないのです。(詩 139:13,15。伝道 11:5)身体になんらかの欠陥があって流産や死産をしても,親は死んだ子供を生き返らせることができません。したがってわたしたちは,神がわたしたちすべての命の与え主であることを謙そんに認める必要があります。わたしたちすべては神に属しているのです。「地とそれを満たすもの,産出的な地とそこに住む者とはエホバのもの」と書かれている通りです。―詩 24:1,新。
31,32 (イ)親は神のみ前にどんな責任がありますか。(ロ)その責任を正しく果たすなら,どんな結果になりますか。
31 親は,自分が世に生み出した子供たちに責任があり,子供たちの育て方について神に申し開きをしなくてはなりません。神は地球を創造され,人間がそこに住むように意図されました。そして,その目的を果たすための生殖能力を最初の両親に付与されたのです。そのふたりは,神から離反することによって大敵対者の側に立ちました。大敵対者とは,神が天と地の被造物からなる自分の家族に主権を正しく行使していないと神に挑戦した者のことです。ですから創造者に対して忠誠を尽くす大人になるようお子さんを訓練することにより,あなたとあなたのご家族は,大敵対者が偽り者であり,エホバ神が正しいことを証明できるのです。箴言 27章11節(新)に次のように述べられている通りです。「賢くあれ,わが子よ。そしてわたしの心を歓ばせよ。わたしをそしっている者にわたしが返答できるためである」。
32 子供に対する義務と神に対する責任とを果たすなら,人生において物事を真に成し遂げたという気持ちを持つことができます。そして,「胎の実は報いである」という詩篇 127篇3節(新)の言葉に心から和することができるでしょう。
[脚注]
a 肉類,黄色や緑色の野菜など。
b でんぷん質の食品や砂糖を多量に含む食品などがある。
[93ページの図版]
いま親密になっておくなら,後日の世代の断絶を防ぐことができる
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親としてのあなたの役目あなたの家族生活を幸福なものにする
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8章
親としてのあなたの役目
1-3 (イ)赤ちゃんの誕生は両親にどんな影響を与えますか。(ロ)父親と母親の両方がそれぞれ親としての役目を理解するのはなぜ大切ですか。
いろいろな出来事の中には,わたしたちにあまり影響しないものもある一方,後々まで大きな影響を及ぼす出来事もあります。子供の誕生は明らかにその後者の例です。夫婦にとって,子供が誕生した後の生活は必ず変化します。非常に小さいとはいえ,家族のその新しい成員は,声で自分の存在を知らせるので,無視することはできません。
2 両親の生活はいっそう充実した幸福なものになるはずです。しかし対処しなければならない難しい問題も生じてきます。最善の結果を得るには,両親が共にそれらと取り組まねばなりません。ですから誕生後の子供の発育にも二人が大切な役割を果たします。この時ほど,誠実で一致した,そして謙虚な協力が必要な時はありません。
3 父親また母親の役目,およびそれぞれの役目がどのように調和するかを理解することは,子供の必要を満たして良い結果を得るのに大いに役立ちます。平衡を取ることは必要です。頭では理性的であろうとしても,感情に押し流されて平衡を失うことが往々にしてあります。どうかすると過少から過度へ,そしてまた過少へと,両極端に走りがちです。父親が頭の権を行使するのは望ましいことですが,行き過ぎると横柄になります。母親が子供の訓育にあずかるのは良いことですが,父親を押しのけてその仕事を独占するなら,家族の構造は脅かされます。それ自体良いものでも,行き過ぎると悪いものになることがあります。―フィリピ 4:5。
母親の大切な役目
4 赤ちゃんが母親にしてもらう必要のある事柄にはどんなものがありますか。
4 生まれたばかりの赤ちゃんは,当面必要なものをすべて母親から与えてもらわねばなりません。母親がそうした必要物を愛情を込めて与えるなら,赤ちゃんは安心します。(詩 22:9,10)赤ちゃんには乳を十分に与え,いつも清潔に,また暖かさが保てるように気をつけてやらねばなりませんが,体に必要な物を与えるだけでは不十分です。感情面の必要も同様に大切なのです。愛情を示されないと,赤ちゃんは不安になります。子供が親の注意を引こうとするとき,母親はその必要の程度が実際にどれほどのものかすぐにわかるようになります。しかし,泣いても泣いてもほっておかれるなら,赤ちゃんは病気になります。そして感情的に満たされないときが一定期間あると,その子供は感情的にいじけた人間になる恐れがあります。
5-7 最近の研究によると,母親の愛と注意は赤ちゃんにどのように影響しますか。
5 多くの様々な場所における実験は,次の事実を確証しました。つまり赤ちゃんは,話しかけたり,さわったり,さすったり,抱きしめたりして愛情を示してやらないと病気になり,死ぬことさえあるということです。(イザヤ 66:12。テサロニケ第一 2:7と比較してください。)他人がそうすることもできます。しかし,赤ちゃんは母親の胎内で生を受け,人生の最初の数か月間そこではぐくまれたのですから,道理から言っても,そのようにして愛情を示す最適任者が母親であることに疑問の余地はありません。母親と子供の間には自然の相互作用があります。母親は生まれた赤ちゃんを本能的に抱き寄せようとしますし,それに合わせて赤ちゃんは本能的に母親の乳房を捜し求めます。
6 研究によって明らかにされたところによると,赤ちゃんの脳は非常に活動的で,知覚,聴覚,視覚,臭覚が刺激されると,知能の発達が促されます。乳を飲むとき,子供は母親の膚のぬくもりやにおいを感じます。そして,乳を飲ませる母親の顔からほとんど目を離しません。また,自分に話しかけてくれたり,歌ってくれたりする母親の声だけでなく,母親の心臓の鼓動も聞きます。それは赤ちゃんがまだ胎内にいたときに聞いた音です。ノルウェーのある出版物の中で,児童心理学者のアン・マリ・ドゥブは次のように述べています。
「瞳孔の動きは脳の働きの度合いを明示するゆえに,強力な皮膚の刺激,すなわち,強い接触,授乳の際の少なからぬ接触は知的な活動を刺激し,ひいては,大人になってからより優れた知的能力を持つ可能性につながると信じる理由がある」。
7 したがって,母親が赤ちゃんを抱き上げたり,抱き締めたり,おふろに入れたり,体をふいてやったりするときに,赤ちゃんは母親がたびたび自分に触れるのを感じますが,そうした刺激は赤ちゃんの発育に,そして後の人格形成に重要な役割を果たすのです。夜中に起きて,泣く子をあやすのは必ずしも楽しいことではないかもしれませんが,後々どんな益があるかを知るなら,睡眠が妨害されても大いに償われると言えるでしょう。
愛されることによって愛することを学ぶ
8-10 (イ)赤ちゃんは母親の愛からどんなことを学びますか。(ロ)それはなぜ大切ですか。
8 愛されることは,赤ちゃんの感情面の発育にきわめて重要です。赤ちゃんは,愛されること,愛の模範を示されることによって愛することを学ぶのです。神への愛について,ヨハネ第一 4章19節には,「わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです」と述べられています。愛することを最初に教える立場にあるのは主として母親です。母親はベッドの赤ちゃんの上にかがみ込み,手をその胸の上に置いて顔を赤ちゃんの顔にくっつけるようにしながらやさしくゆさぶり,“いた,いた”と言います。むろん,赤ちゃんはその言葉(どうせ,特につじつまのあったことを言うわけではありませんが)がわかりません。でも,からだを動かして,うれしそうにくっくっと言います。おもしろい手の動きや声の調子から,“あなたをとてもとても愛しているのよ”とはっきり言われていることがわかるからです。赤ちゃんは新たに自信を得て安心します。
9 赤ちゃんでも幼児でも愛を示されるとそれを感じ取ります。そして自分もその愛をまねて,母親の首にかわいい腕を回したり,熱烈にキスしたりして愛を実際に行動に表わします。するとまた母親から感情のこもった温かい反応を刈り取る結果になるので,喜びを感じます。こうして子供たちは,愛することは愛されることと同じように幸福であるという,そしてまた,愛を示すなら,自分も愛を示されるという大切な教訓を学び始めます。(使徒 20:35。ルカ 6:38)証拠の示すところによると,幼いときに母親と愛情のきずなで結ばれない子供は,のちになって他の人々を深く愛したり,他の人々のために何かをしてあげることに大きな困難を感じます。
10 子供は生まれるとすぐに物事を学び始めますから,最初の数年間は最も大切な時です。その時期に母親の愛はきわめて重要です。母親が,甘やかすのではなく,愛を示し愛を教えることに成功するなら,その益は永久的なものとなります。一方,それに失敗するなら,その害も永久的なものとなります。良い母親になることは,女性の仕事の中で最も取り組みがいがあり報いのある仕事です。さまざまな苦労や要求が伴いはしても,良い母親になることほど有意義で,永続的な満足の得られる“一生の”仕事が世の中にあるでしょうか。
父親の重要な役目
11 (イ)父親は子供の心に自分の役目をどのようにしっかり意識させますか。(ロ)それはなぜ重要ですか。
11 子供が非常に小さいとき,母親のほうが子供の生活の中で大きな役割を演ずるのは自然です。しかし,生まれたあとは,父親も子供の世界の中に入っていなければなりません。子供がまだ小さくても,父親は,時おりその世話をしたり,遊んでやったり,泣くときにはあやしたりして,子供とのつながりを持てますし,またそうすべきです。そのようにして,父親は自分の存在を子供にしっかり意識させます。時がたつにつれ父親はしだいに大きな役割を果たすようにならなければなりません。もし遅すぎると,それは問題の始まり,つまり懲らしめを与えるのがいっそう難しくなる十代に特によく表面化する問題の始まりとなるかもしれません。十代の男の子はとりわけ父親の助けが必要です。早くから良い関係が築かれていないと,長い間にできたみぞは,数週間で埋まるものではありません。
12,13 (イ)家族の中で父親はどんな役目を持っていますか。(ロ)父親が責任を正しく果たすなら,権威に対する子供の見方にどのように影響しますか。
12 子供が男の子であれ女の子であれ,平衡の取れた丸味のある性格を身につけるのに,父親の男らしい特質は重要な影響を与えます。神のみ言葉は,父親が家の頭であるべきことを教えています。父親は家族を物質的に養う責任があります。(コリント第一 11:3。テモテ第一 5:8)しかし,「ただパンだけによって人(は)生きず,エホバの口から出るすべての言葉によって人(は)生きる」のです。子供に関しては父親は,「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」とも命ぜられています。(申命 8:3,新。エフェソス 6:4)父親が自分に与えられた神聖な使命を果たす動機は,子供への自然の愛情であるべきですが,とりわけ大切なのは,創造者に対する責任感です。
13 母親の温かさ,やさしさ,同情心に加え,父親は,力強さや賢明な指導など,安定性を与える影響力を持っています。父親が神から与えられた役目をどう扱うかは,人間による権威にせよ神によるそれにせよ,権威というものに対して子供が将来どんな態度を示すか,つまり,権威を尊重するようになるかどうか,また,他人の指示の下で腹を立てたり反抗したりせずによく働くようになるかどうかに著しく影響します。
14 父親の良い手本は息子や娘にどんな影響を与えますか。
14 息子がいる場合,父親の模範と物事の扱い方は,その子供が弱々しくて優柔不断な人間に成長するか,それとも,男らしく,しっかりしていて,確固とした勇気を示し,進んで責任を引き受けようとする大人になるかを決める大きな要素になります。その男の子がやがてどんな夫や父親になるかということにも影響します。厳しく,がんこでかこくな人にもなれば,平衡の取れた,分別のあるやさしい人にもなるのです。家族に娘がいるなら,父親の影響や父親との関係はその女の子の男性観を左右しかねず,その子供の将来の結婚生活を成功に導くことも失敗に終わらせることもあり得ます。子供はごく幼い時から,父親のこういう影響を受けはじめます。
15,16 (イ)聖書によれば,父親には教育を施すどんな責任がありますか。(ロ)その責任をどのように果たせますか。
15 教育を施す父親の責任がどの程度のものであるかは,神がご自分の民にお与えになった指示,つまり申命記 6章6,7節(新)の次の言葉に示されています。「わたしが今日命じているこれらの言葉はあなたの心にあらねばならず,あなたはそれを自分の息子に教え諭し,家に座する時も,道を歩く時も,寝る時も,起きる時もそれについて話さねばなりません」。
16 神のみ言葉の語句だけでなく,それに含まれる教訓も,子供が日々しっかりと心に刻みつけるようにしてやらなければなりません。そうする機会はいくらでもあります。庭に咲いている花,空中を飛ぶこん虫,木の間に見える鳥やりす,浜べにころがる貝殻,山で拾うまつかさ,夜空に輝く星,こうしたすべての驚異は創造者について物語っています。したがって,親はそれらが語る言葉の意味を子供たちに説明してやらねばなりません。詩篇記者はこう述べています。「天は神の栄光を告げ知らせ,大空はみ手の業を語り告げる。日は日に次いで言語をほとばしりいだし,夜は夜に次いで知識を示す」。(詩 19:1,2,新)これらのものを用いるのに機敏であるなら,とりわけ日常生活の中の事柄から例を取って正しい原則を強調し,神の助言の持つ知恵と益を示すのに機敏であるなら,父親は,子供の心と思いの中に,将来のための最も重要な基礎,すなわち,神がおられるという確信だけでなく,『神がご自分をせつに求める者に報いてくださる』ことに対する確信をも築くことができます。―ヘブライ 11:6。
17,18 (イ)父親はどのように子供を懲らしめるべきですか。(ロ)多くの規則を作るよりももっと効果的なのは何ですか。
17 懲らしめを与えることも父親の役目の一つです。「父親が懲らしめを与えない子はいったいどんな子でしょうか」という問いがヘブライ 12章7節にあります。しかし父親の務めは,子供をいら立たせたり苦しめたりするほど過度のきょう正を加えるような極端に走らずに懲らしめを与えることです。父親に対して,神の言葉は,「あなたがたの子どもをいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」と述べています。(コロサイ 3:21)制限を課すことは必要ですが,重苦しくなるほど規則を多く作ったり拡大したりして,人を落胆させてしまうこともあり得ます。
18 昔のパリサイ人は規則の好きな人々でした。規則を山ほどもうけて,多くの偽善者を作り出しました。次々と規則を作れば問題が解決すると考えるのは人間の欠点です。実際の経験から明らかなのは,心を動かすことに真の解決策があるということです。ですから,規則を設けることは控え目にし,そのかわりに,神ご自身と同じ方向を目ざして,原則を教えこむことに努めてください。「わたしは,わたしの律法を彼らの思いの中に置き,それを彼らの心の中に書く」― ヘブライ 8:10。
父親と母親はお互いにパートナー
19 家族が心を通じ合わせるようにするためにどんなことができますか。
19 父親はふつう一家の働き手です。仕事を終えて帰宅するときには疲れているかもしれず,ほかにまだしなければならない事があるかもしれません。それでも,父親は妻と子供のために時間を作らなければなりません。家族と心を通じ合わせることに努め,家族がいっしょにする話し合いや仕事,楽しい遊びやピクニックなどのための時間をもうけます。家族の一致と団結はそういうことから生まれるのです。夫婦は子供ができるまではひんぱんに外出したかもしれません。しかし,二人があいかわらずあちこち出歩き,夜ふかしをすることもあるとすれば,それは責任ある親にふさわしい行動とはいえません。それは子供に対してきわめて不公平な行為です。親は,早晩,不規則な生活をし責任をうとんじた代償を払うことになるでしょう。大人と同様に子供も,生活が基本的に安定し規則的であるほうが,うまくやっていけるのです。安定した規則的な生活は精神的,身体的,感情的な健康に寄与します。親が不必要に波風を立てなくても,毎日のきまり決った家族生活に波風は十分にあります。―マタイ 6:34。コロサイ 4:5と比較してください。
20 子供を懲らしめるとき,どうすれば両親は分裂せずにすみますか。
20 子供の扱い方や,子供を教え,子供に制限を課し,子供を懲らしめ,また愛することにおいて,父親と母親は協力しなければなりません。「家が内部で分裂するなら,その家は立ち行け(ません)」。(マルコ 3:25)両親がどんなしつけをするかについて話し合うのはよいことです。そうすれば,しつけについて二人の意見が一致していないところを子供たちに見せないようにすることができます。さもないと,子供たちは,“分裂させて征服”しようとするかもしれません。親が性急に,あるいは腹立ちまぎれに極端な懲らしめを与えたり,すべての事実を考慮すると本当は懲らしめる必要が全くなかったりすることが時としてあるのは確かです。そのようなときには,両親が二人だけでそのことについて話し合ったのち,賢明に行動しなかったほうの親は,自分で子供との問題を正すこともできるでしょう。また,両親が二人だけで話し合えない場合,配偶者を支持することは不公正を支持することになると感じるほうの親は,“あなたが腹を立てる気持ちはわかります。もしわたしがあなたの立場にあったら,やはり同じような気持ちになると思うわ。でも,あなたが気づいていらっしゃらないことがあるのではないかしら。それは……”と言って,次に何でも見過ごされていると思われることをはっきり話します。このようにすれば,懲らしめを受けた子供の前で分裂や不一致を見せずに,子供の気持ちをなだめることができます。霊感による箴言に,「僭越さによって人はただ苦闘を起こすだけである。しかし相談をする者たちには知恵がある」とある通りです。―箴 13:10,新。伝道 7章8節もご覧ください。
21 懲らしめは片方の親にだけ任せておくべきでしょうか。その理由を述べなさい。
21 ヘブライ語聖書は,「聴きなさい,わたしの息子よ,あなたの父の懲らしめを。そしてあなたの母の律法を捨ててはならない」と述べて,懲らしめが共同で行なうべき役目であることを示しています。クリスチャン・ギリシャ語聖書も同様に,「子どもたちよ,主と結ばれたあなたがたの親に従順でありなさい。これは義にかなったことなのです」と教えています。父親は,子供を懲らしめるのは妻の仕事だと考えることがあります。反対に,妻は,“お父さんが帰っていらっしゃったら知りませんよ”と言って,悪いことをした子供を脅すだけのこともあるでしょう。しかし,家族が幸福で,両親がそれぞれ子供の愛と尊敬を受けるには,その義務を分担することが必要です。―箴 1:8,新。エフェソス 6:1。
22 子供が何かを求めて来る場合,何を避けるべきですか。なぜですか。
22 この点で両親が一致協力し,自分の責任を進んで果たそうとする態度を示すのを子供たちが目にするのは大切なことです。子供が父親に何かを頼むと,決まって“お母さんに聞きなさい”と言われるなら,あるいは母親が必ず問題を父親のところにもどして父親に決定させようとするなら,“いけません”と答えねばならない方の親は悪者の役をさせられます。むろん,父親が,“ああ,しばらく外へ行ってもいいよ。でも,夕飯がいつできるかお母さんに聞いてからにしなさい”と言える場合もあります。また母親は,子供の頼みを聞いてやっても別に悪くないように思えても,夫の意見も聞かなければならないと感じることがあるでしょう。しかし二人とも,子供が両親を対立させて自分の目的を遂げるのを助長したり許したりすることが絶対にないように気をつけます。賢明な妻は,自分が分担している権威を夫とはり合う形で行使しないようにも注意します。子供を甘やかし,夫をさしおいて子供の愛情をひとり占めしようとするようなことをしません。
23 家庭において,決定は,すべて父親が下すべきですか。
23 実際,家族に関係した事柄を決める場合,家族の各成員は,特別な考慮に値する決定を下せる領域を持っているかもしれません。父親には,家族の全体的な福祉にかかわる問題に決定を下す責任があります。しかし,家族と話し合い,家族の願いや好みを考慮したうえで決定することが少なくありません。母親は台所やその他多くの家事に関する事柄を決定することができます。(箴 31:11,27)子供たちは大きくなるにつれて,遊びや,服装その他の個人的な事柄を自分で決めるのを許されるかもしれません。しかし,健全な原則が守られていること,子供の安全が脅かされていないこと,そして,他の人たちの権利が侵害されていないことを,親が十分に監督しなければなりません。このようにすれば,子供たちは徐々に決定を下せるようになります。
親を敬うのはやさしいことですか
24 子供たちが父と母を敬わねばならないことから,両親にはどんな責任がありますか。
24 子供たちは,「あなたの父と母を敬いなさい」と命令されています。(エフェソス 6:2。出エジプト 20:12)子供たちが両親を敬うことは神の戒めを敬うことでもあります。あなたは子供たちがそうするのを容易にしているでしょうか。妻は夫を尊敬するように命じられています。しかし,夫が神のみ言葉の要求に従って行動する努力をほとんどしないなら,妻が夫を敬うことは非常に難しいのではないでしょうか。夫は,愛するつれあいとして妻をいつくしみ,妻に誉れを配すべきですが,妻が助けになってくれないなら,そうすることは難しいのではないでしょうか。では親も,親を敬いなさいという神の戒めに子供たちが従いやすいようにしてやらねばなりません。平和な家庭を作り,良い標準を設け,親自身が模範的に振る舞い,健全な教えや訓練を施し,必要に応じて懲らしめを与えるなら親は子供たちの敬意をかち得ます。
25 子供たちのしつけの仕方について両親が一致していないと,どんな問題の起こる可能性がありますか。
25 「二人は一人に勝る。なぜなら,彼らは自分たちの勤労に対して良い報いを得るからである」とソロモン王は述べました。(伝道 4:9,新)二人の人がいっしょに歩いていて,片方の人が倒れたとき,もう一方の人は助け起こすことができます。したがって,家庭でも,夫と妻は互いに支え合い励まし合ってそれぞれの役目を果たせます。親として二人の役目が重なり合っているところは非常にたくさんありますが,それは家族の一致のためによいことです。子供は両親の関係をいっそう緊密にし,しつけという共同作業によって二人を一致させるはずのものです。しかし時には,子供にどんな訓練や懲らしめを与えるかということに関係して,意見の分かれるような問題も起こります。妻が子供に注意を向け過ぎるため,夫はうとんじられているように感じたり,腹を立てたりすることさえあります。それは子供に対する夫の態度に影響しかねません。夫は子供に冷淡になったり,逆に子供を溺愛して妻にあまり注意を払わなくなったりするかもしれません。夫にせよ妻にせよ,平衡を失うと高い代償を払うことになります。
26 母親が,生まれたばかりの赤ちゃんに多くの時間をかけねばならないとき,上の子供にしっと心を抱かせないためにどんなことができるでしょうか。
26 すでに子供がいて,新たに赤ちゃんが生まれる場合にも問題が起こるかもしれません。母親は生まれた子供に多くの時間を用いなければなりません。上の子供が,うとんじられていると感じたり,しっと心を持ったりしないように,父親が上の子供に特別な注意を払うのはよいことです。
27 配偶者の一方が未信者である場合,子供たちを霊的にどのように援助できますか。
27 確かに二人は一人にまさりますが,一人はだれもいないよりもまさっています。事情によっては,父親の援助を受けずに母親が一人で子供たちを育てなければならないかもしれません。あるいは,父親がそれと同様の挑戦に直面することもあるでしょう。片親はエホバ神の僕であるために聖書の助言に全き信仰を置いており,もう一方の親はそうではない,といったぐあいに,宗教的に分裂している家庭は少なくありません。夫のほうが献身したクリスチャンである場合は,家族の頭ですから子供のしつけや懲らしめの仕方に関してかなり自分の思うようになります。それでも夫は非常な辛抱強さと自制と忍耐を示す必要があるでしょう。重大問題のあるときは確固たる態度を保たねばなりませんが,腹の立つようなときでも道理をわきまえ,親切で,事情が許す限り融通を利かせるべきです。妻の方が信者で,夫に服している場合,そのやり方は夫の態度に大きく左右されます。夫は聖書に無関心なだけですか。それとも,妻が信仰を実践することや,自分が信じていることを子供たちに教えようとすることに反対しますか。夫が反対するなら,妻は使徒が述べている方法に頼らねばなりません。妻が自分の務めをりっぱに果たし,うやうやしい態度を示すなら,夫は『ことばによらずに引き寄せられる』かもしれません。さらに,妻は機会を捕らえて,子供たちを聖書の原則に従ってしつけます。―ペテロ第一 3:1-4。
家庭環境
28,29 望ましいのはどんな家庭環境ですか。なぜですか。
28 ふた親の責任は家庭の雰囲気を温かいものにすることです。その温かさを感じると,子供たちは,親に話すのを恐れて不安や失敗を心の中にためたりはしません。話を聞いてもらえ,理解してもらえること,そしてまた問題は親切に関心をもって扱ってもらえることを知っているからです。(ヨハネ第一 4:17-19。ヘブライ 4:15,16と比べてください。)家庭は雨露をしのぐ所であるだけでなく,いこいの場所でもあります。親の愛情によって子供たちは元気はつらつとした子供になります。
29 スポンジを酢につけておきながら,それが水をふくむように期待することはできません。スポンジは周りにあるものを吸収するだけです。ですから,水に浸さなければ水を吸収しません。子供たちも,周りにあるものを吸収します。周囲の人々の態度を感じ取り,周りで行なわれている事柄を観察して,スポンジのようにそれらを吸収するのです。精神的に緊張していようと,あるいはくつろいだ穏やかな気分でいようと,子供たちは親の気持ちを感じ取ります。赤ちゃんでさえ,家庭の雰囲気の特色を吸収しますから,信仰,愛,霊性およびエホバ神への信頼といった特質は非常に大切です。
30 子供たちを立派に導いているかどうか判断するのに,親はどんな事柄を自問できるでしょうか。
30 次のことを自問してみてください。わたしは子供がどんな標準に到達することを期待しているだろうか。両親ともその標準にかなっているだろうか。自分の家族がよりどころとしているものは何だろうか。自分は子供に対してどんな手本になるだろうか。不平を言ったり,あらさがしをしたり,他の人々を批判したり,消極的なことをくよくよと考えたりするだろうか。自分が望んでいるのはそういう子供だろうか。それとも,家族のために高い標準をもうけ,それに従って行動し,子供たちにもそうすることを期待しているだろうか。家族の一員である以上は,幾つかの条件を満たす必要があり,してよいことと,して悪い行ないや態度があることを,子供たちは理解しているだろうか。子供たちは親に属しているという安心感を求めますから,家族の標準に従うときには,認められ受け入れられていることを子供が感じるようにしてやらねばなりません。人は自分にかけられている期待にこたえようとするものです。自分の子をだめな子供だと考えるなら,おそらくその通りになるでしょう。ですから子供に良いものを期待し,その期待にこたえるように励ますことです。
31 親の指導には常にどんな裏付けがなくてはなりませんか。
31 人々は言葉よりも行ないによって判断されます。子供たちも,言葉より行ないのほうをよく注意して見るでしょう。また子供たちは偽善に目ざといものです。多くのことを言い過ぎると,子供たちは混乱するかもしれません。あなたの言う事柄は,必ず行ないによって裏付けられていなければなりません。―ヨハネ第一 3:18。
32 いつもだれの助言に従うべきですか。
32 父親であっても母親であっても,その役目はやさしいものではありません。しかし命の与え主の助言に従ってそれと取り組むなら,喜ばしい結果が得られます。あなたに割り当てられた役目を,命の与え主に対して果たすように,良心的に果たしてください。(コロサイ 3:17)極端を避けて平衡を取り,「あなたが道理をわきまえていることを」,お子さんを含めて『すべての人に知らせてください』。―フィリピ 4:5。
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母親のまなざし,膚の感触,声の調子などから赤ちゃんは愛されていることを感じる
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子供といっしょに行なう事柄を計画しますか
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幼い時から子供を訓練するあなたの家族生活を幸福なものにする
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9章
幼い時から子供を訓練する
1-4 幼い子供が驚くべき学習能力を持っているどんな証拠がありますか。
生まれたばかりの子供の頭は,よく白紙のページに例えられます。しかし実際には,母親の胎内にいるときでさえ,子供の頭には多くの印象が刻まれます。また,遺伝的に受け継がれる性格的な特色も永久的に書き込まれています。しかし,膨大な学習能力が働くのは誕生した瞬間からです。それは一ページだけではなく,まるで書庫の本の全部のページが情報を印刷されるのを待ち受けているかのようなのです。
2 誕生時の赤ちゃんの脳の重さは大人の脳のわずか四分の一です。しかし,脳は急速に発育し,たった二年間で大人の脳の四分の三の重さになります。それに伴って知能も発育します。研究者によれば,生後四年間の知能の発育は,その後の13年間の知能の発育と同じくらいだということです。事実,「五歳の誕生日が来るまでに子供が学ぶ概念は,子供が知るようになる概念の中でも最も難しいものである」と言う人々もいます。
3 大小や軽重の概念のほか,右と左,上と下,満ちている状態とからの状態といった基本的な概念は,わたしたち大人にはごくあたりまえのことに思えます。ところが,子供は,それらや他の多くの概念を学ばねばなりません。言語の概念そのものも赤ちゃんの頭にしっかり植えつけなければなりません。
4 言語は「おそらく,人間が習得することを求められる最も難しい知識」と考える人々もいます。新しい言葉を学ぶ苦労を知っている人なら,うなずけるでしょう。しかし,大人には少なくとも言語の働きを知っているという利点がありますが,子供はそうではありません。にもかかわらず,子供の頭は,言語の概念をは握し,それを用いる能力を持っています。そればかりか,二か国語を話す家庭や地域の幼い子供は,学校へ行かないうちから二つの言語を難なく話すことさえあります。ですからそこには引き出されるのを待っている知性があるのです。
始めるのは今です!
5 子供の訓練はどれほど早くから始めるべきですか。
5 使徒パウロは,同労者テモテにあてた手紙の中で,テモテが「幼い時から」聖なる書物を知っていたと述べました。(テモテ第二 3:15)幼い子供は知識欲に燃えているものだということを悟る親は賢明です。赤ちゃんは,全身を目や耳にしてよく観察しています。親がそれに気づいていてもいなくても,せっせと情報を取り入れて整理収集し,増し加え,結論を下しています。実際,親が注意していないと,子供はちょっとの間に自分の望むとおりに見事に親をあやつる手を知るようになるかもしれません。ですから神のみ言葉聖書にある,「少年をその道に従って訓練しなさい。年老いても,彼はそれからそれて行くことがないであろう」という忠告は,赤ちゃんが生まれた時からあてはまります。(箴 22:6,新)いうまでもなく,最初には愛をこめて十分に世話をし,愛情をそそいで愛について教えます。しかしそれと共に,必要に応じて,悪いところをやさしいなかにもき然とした態度で正すこともしなければなりません。
6 (イ)子供にはどんな言葉で話すのが一番理想的ですか。(ロ)子供は多くの質問をするものですが,それをどうみなすべきですか。
6 幼児に話すときには“赤ちゃん言葉”を使わずにわかりやすい大人の言葉で話します。子供にはそういう言葉を学ばせたいものです。小さな子供は,話せるようになると,あなたを質問攻めにするでしょう。“どうして雨が降るの。ぼくはどこから来たの。星は昼間どこに行っているの。お母さんは何をしているの。あれはどうして。これはどうして”と,ひっきりなしに質問します。質問は子供にとって物事を学ぶ一番良い手段の一つですから,それを聞いてやるようにしましょう。質問を抑えるなら,知能の発育を抑えることにもなりかねません。
7 幼い子供の質問にはどのように答えるのが最善ですか。それはなぜですか。
7 使徒は,『自分がみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていた』ことを思い出していますが,わたしたちもそのことを思い出しましょう。(コリント第一 13:11)子供の質問にはなるべくよく答えてやるようにしましょう。しかしわかりやすく簡潔に。“どうして雨が降るの”という質問なら,複雑で詳しい答えは必要ではありません。“雲が水で重くなって,その水が降って来るんだよ”といった答えで十分でしょう。子供の注意持続時間は短く,すぐに別の事柄に関心が移ります。ですから,固い食物が食べられるようになるまで乳を飲ませるのと同じく,もっと詳しい知識を理解できるようになるまで,簡単な情報を与えます。―ヘブライ 5:13,14と比較してください。
8,9 子供に文字を読むことを進歩的に教えるには,どのようにすることができますか。
8 学習は急激な手段を避け順序を追って行なわれるべきです。先に述べた通り,テモテは幼い時から聖書に親しんでいました。テモテの非常に幼いころの思い出に,聖書から教えられたことも含まれていたことは確かです。今日,父親や母親が文字を読むことを子供に教え始めるときと同じように,それはきっと漸進的に行なわれたに違いありません。子供に本を読んであげましょう。小さい子供ならひざに抱き,気持ちの良い声で読みます。子供はほのぼのとした安心感と喜びを抱きます。内容はほとんど理解できなくても,本を読むことは子供にとって楽しいことになります。そしてやがて「あいうえお」を教えることになりますが,それはクイズのような形で教えることもできるでしょう。それから単語をつづることを教え,やがてその単語をつないで文章を作ることを教えます。できるだけ楽しく学べるようにしてやりましょう。
9 例えば,ある夫婦は三歳の子供といっしょに,子供が朗読についていけるように一つ一つの単語を指差しながら,本を朗読しました。“神”,“イエス”,“人”,あるいは“木”といった語が出ていると親は休止し,子供にその語を読ませるようにしました。子供はしだいに多くの語が読めるようになり,四歳の時には,ほとんどの語を読んでいました。文字が読めるようになると書けるようにもなります。最初は一つ一つの文字を,それから一つの単語全体を書けるようになります。自分の名前でも書けるようになると子供は大喜びです!
10 それぞれの素質を伸ばすように子供を援助することはなぜ賢明ですか。
10 子供は独自の個性を持っていて,ひとりひとり違います。ですから,それぞれが受け継いでいる素質や能力に合った方向に伸びるように助けてやらねばなりません。子供の生まれつきの力や能力を伸ばすように個々の子供を訓練するなら,他の子供のできることをうらやむ必要はありません。どの子供も愛され,それぞれの良さを認められるべきです。子供が悪い性向を克服したり抑制したりするのを助けはしても,子供を決まった型にはめようとすべきではありません。むしろ,持っている良い特質を最大限に生かすように指導します。
11 子供を他の子供と比較して優劣を口にするのはなぜ賢明ではありませんか。
11 親は子供を他の子供と比較して,その子供の優劣をほのめかし,利己的な競争心を育てることがあります。ごく幼い子供は生まれつき持っている利己心を表わすものの,初めのうちは身分の上下の意識や優越感,また尊大な気持ちなどを持っていません。ですからイエスは,弟子たちが野心的な精神を表わし,だれが偉いかということを問題にしたときに,幼子を例えに用いてそうした態度を正されたのです。(マタイ 18:1-4)それで親は,ほかの子と比較して,あの子よりも劣っている,というようなことを子供に言わないようにしなければなりません。それを聞くと子供は突き離されたように感じるかもしれません。不親切な比較は,まず子供の心を傷つけます。そしてもしそれが続くと,子供は反抗的になるかもしれません。他方,ほかの子供より優れていると言われる子供は高慢になって,他の人からきらわれるようになるかもしれません。親は,他の子供と比較してある子をかわいがるとか認めるというようなことを決してすべきではありません。変化があるのは楽しいものです。オーケストラは,音楽に変化と豊かさを持たせるために種々様々な楽器を用いますが,全体が調和しています。家族の成員の様々な個性も家族に趣きとおもしろみを添えます。そして,家族全員が創造者の正しい原則に従って行動するなら,調和が損なわれることはありません。
子供の成長を助けましょう
12 大人に関するどんな事実は,子供に適切な指導の必要なことを示していますか。
12 神のみ言葉は,「自分の歩みを導くことはその人に属さない」,と述べています。(エレミヤ 10:23,新)ところが人々はそれができると言います。ですから神の導きを拒否して人間の導きに従い,次々と困難にぶつかって,結局最後に神の言葉の正しさを証明します。人間には正しい道に思えても,その終わりは死の道となるものがある,とエホバ神は述べておられます。(箴 14:12)人間は長い間,自分たちに正しいと思える道を歩んで来ましたが,その道の行き着くところは戦争,ききん,病気,死でした。人生経験のある大人に正しいと思える道が死に行き着くのであれば,子供に正しいと思える道はそれ以外のどこへ行き着くでしょうか。自分の歩みを導くことがその人に属さないのであれば,どうして自分の生き方を導くことがよちよち歩きの子供に属すると言えるでしょうか。創造者はみ言葉を通して親と子の双方に導きを与えておられるのです。
13,14 申命記 6章6,7節の勧めに一致して,親はどのように子供たちを教えたらよいでしょうか。
13 親に対しては,神は次のように述べておられます。「わたしが今日命じているこれらの言葉はあなたの心にあらねばならず,あなたはそれを自分の息子に教え諭し,家に座する時も,道を歩く時も,寝る時も,起きる時もそれについて話さねばなりません」。(申命 6:6,7,新)適当な機会のあるときにはいつでも子供を教えるべきです。朝は多くの人にとって通勤や通学の支度で忙しいものですが,家族そろって朝食を取るなら,食事に対する感謝の祈りを通して思いを創造者に向けることができます。その祈りの中に,家族の霊的福祉に役立つ他の点をも含められます。時間が許せば,その日の活動や学校のことについて話したり,起こり得る問題にどう対処するか健全な助言を与えることもできます。親に特別の注意を払ってもらえるなら,床に就いて「寝る」ときは幼い子供たちにとって楽しい時間になります。寝るときにお話をして聞かせることは幼い子供たちにとって大きな意味を持ちます。またそれは物事を教える非常に良い方法です。聖書には,親が工夫と温かさを加えるだけで子供たちにとても喜ばれる話がたくさんあります。親自身の人生経験は特に子供たちの胸を打ち,良い教訓となるでしょう。新しいお話をして聞かせるのは難しいことに思えるかもしれませんが,子供たちは同じ話を何度も聞きたがるものなのです。このように普通以上の時間をかけると,子供と心を通じ合わせる道がずっと広くなることがわかるでしょう。寝床で子供といっしょに祈ることも,最大の導きと保護を与えることのできる方と子供たちが早くから話し合えるよう助けるうえで役立ちます。―エフェソス 3:20。フィリピ 4:6,7。
14 『家に座して』いようと,『道を』歩いていようと,ともかくどこにいても,おもしろく効果的な方法で子供をしつける機会はあります。子供たちにとっては,ゲームの形もおもしろく効果的な方法のうちに入るでしょう。ある夫婦は,聖書研究の集会で学んだことを子供たちに思い出させるのにその方法が効果的だったことを次のように語っています。
『ある晩わたしたちは六歳になる男の子をいっしょに連れていきました。その子はいつも集会であまり熱心に聴いていませんでした。会館へ向かう道すがら,わたしはこう言いました。「ゲームをしようよ。つまり,集会でうたった歌や取り上げられた主な点を覚えているかどうか,家に帰るときに言ってみることにしよう」。帰宅の途中,わたしたちはびっくりしました。いつもよく聴いていない一番年下の男の子に最初に機会を与えたところ,たくさんの点を覚えていたのです。それから,うちの子供たちが注解を加え,最後にわたしたちふたりの大人が注解しました。子供たちにとってはそれは勉強というよりも楽しい遊びだったのです』。
15 成し遂げたことをさらに改善するように子供たちをどのように励ませるでしょうか。
15 子供は成長するにつれて,考えを表現したり,いろいろな物を見て絵を描いたり,何かを作ったり,楽器をかなでたりするようになり,物事を成し遂げたという気持ちを味わいます。子供がする事はある意味でその子供の延長であり,子供にとってごく個人的なものです。ですからそれを見て,“よくできたね”と言うなら,子供の心は高まります。子供がした事で心からほめてやれる点を何か捜し出すようにすれば,子供は励まされるでしょう。無神経に批判するなら,がっかりして,元気をなくしてしまうかもしれません。必要なら,ある点を問題として取り上げることもできるでしょう。しかし子供の作品を,へたで話にならない,と考えているような言い方をしないようにすることが大切です。例えば,子供の描いた絵に直接筆を加えるよりも,どうすればもっとよくなるかを別の紙に描いて見せます。そうすれば,子供は直したいと思えば自分で描き直すことができます。努力することを励ますなら,子供の成長を促すことになります。厳しく批判するなら,子供を落胆させたり,何度もやってみようとする意欲を摘み取ることになるかもしれません。確かに,ガラテア書 6章4節の次の原則は子供たちにもあてはまるのです。「その人は自分自身の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば,他の人と比べてではなく,ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」。子供は,特に初めてすることに対して励ましを必要とします。ですから年齢のわりに上手にできたら,ほめてやりましょう。上手にできなかったとしても,その努力をほめて,もう一度やってみるように励ましてやることです。歩くことにしても,子供は結局最初から歩けたわけではないのですから。
性をどう説明するか
16 聖書に述べられていることを考えると,性に関する子供の質問にどう答えるべきですか。
16 子供の質問によく答えて,親と話をするように子供を励ましているうちに,突然,性について尋ねられることがあります。あなたは率直に答えますか。それとも,赤ちゃんは病院からもらって来たといった,間違った考えを持たせるような答えをしますか。正しい知識を与えますか。それとも,大きい子供たちがするおそらくひわいな内容の話からおそまつな誤った答えを得るままにさせておきますか。聖書には,性や生殖器に関する非常に多くの事柄が率直に述べられています。(創世 17:11; 18:11; 30:16,17。レビ 15:2)神はご自分のみ言葉が朗読される集まりに関して人々に次の指示をお与えになりました。「民を,男も,女も,幼い者も,……集合させ,彼らが聴くように,彼らが学ぶようにしなさい」。(申命 31:12,新)したがって,幼い子供たちは,性に関する事柄をすべて,“ちまたの話”の形で聞いたのではなく,まじめな,そして敬意の念に満ちた雰囲気の中で聞きました。
17-19 性のことはどのようにだんだんに説明してゆくことができますか。
17 実際,性の説明は多くの親が考えるように難しくする必要はありません。子供はごく小さい時から,身体のいろいろな部分に気づいて,自分の体を意識するようになります。親は,手,足,鼻,胃,おしり,陰茎,陰門というふうに,それぞれの名前を教えます。生殖器のことになると急に態度を変えて声をひそめるようなことをしなければ,子供はきまりの悪い思いをしないでしょう。子供が性について質問し出したら,全部を説明しなければならないと考えるので,親はどきっとするのです。実際には,質問は子供の発育段階に応じて断片的になされます。親はその段階に応じて,適切な語いとごく簡単で一般的な説明をしてやりさえすればよいのです。
18 例えば,ある日,“赤ちゃんはどこから来るの”と尋ねられたとします。そうしたら“お母さんのおなかの中で大きくなるのよ”というふうに簡単に答えます。当面はそれだけで十分なものです。しばらくすると子供は,“赤ちゃんはどうやって出て来るの”と尋ねるかもしれません。“赤ちゃんが出て来れるように特別の出口があるのよ”。当座はそれだけ答えれば満足するでしょう。
19 またしばらくして,“赤ちゃんはどのようにしてできるの”と尋ねられるでしょう。では,“お父さんとお母さんは赤ちゃんが欲しいと思うのね。そしたらお父さんから種が出て,それがお母さんのおなかの卵子と会うの。すると,地面の中の種が生長して花や木になるように,赤ちゃんが育ち始めるのよ”と答えられるでしょう。ですから,これは,各部分が子供を一時得心させるのに十分な話でなる連続物語というところです。次に子供は,“お父さんの種はどのようにしてお母さんのおなかに入るの”と尋ねるかもしれません。そのときは次のように簡潔に答えることができるでしょう。“あなたは男の子の体の作りを知っているでしょう。男の子には陰茎があるわね。女の子の体にはそれがうまく入るように開いた所があるの。種はそこから植えられるのよ。人間の体は,赤ちゃんがお母さんのおなかにできて育って,ついに生まれて来ることができるように作られているのよ”。
20 性のことを親が子供に説明するのはなぜ良いことですか。
20 このように事実を話す方法を取るほうが,作り話をしたり,性をいまわしいもののように思わせる秘密めいた態度を示したりするよりも良いことは確かです。(テトス 1:15と比較してください。)また,子供は親から事実を聞くほうがよいのです。互いに愛し合っている,また子供を愛し世話をする責任を自覚している既婚者だけが子供をもうけるべきである理由を,親は同時に説明できるからです。このようにすれば,性に関する事柄を健全で霊的な水準に置くことができ,全く不潔なものであるかのように思わせる四囲の状態の中で性について知るようにはならないでしょう。
人生の最も重要な教訓を伝える
21 子供のどんな性向を考えると,親が子供のために良い手本を示すのは大切ですか。
21 あるとき,イエスは同時代の人々についてこう言われました。「幼子たちが市の立つ広場に座り,自分の遊び仲間に大声で叫ぶのに似ています。こう言うのです。『あなたたちのために横笛を吹いたのに,あなたたちは踊らなかった。わたしたちが泣き叫んだのに,あなたたちは身をたたいて悲しまなかった』」。(マタイ 11:16,17)子供たちの遊びは,大人と大人の祭りと葬式をまねたものでした。子供は普通まねをする傾向がありますから,子供の訓練で親の手本はきわめて大きな役割を果たします。
22 親の振る舞いは子供にどんな影響を与えますか。
22 子供は生まれた時から親を見て学んでいます。親が話す話の内容だけでなく,子供自身に,また配偶者や他の人々に話すときの話し方や声の調子も学んでいるのです。子供は両親のお互いに対する態度,また家族の他の成員や客人に対する両親の態度を観察します。こうした事柄において親が示す手本を見て,子供は,歩くこと,数をかぞえること,あるいは「あいうえお」の文字を学ぶことよりもはるかに重要な教訓を学び始めます。親の手本は,真に幸せな生活につながる知識と理解を得るための土台となり得ます。そうした手本を見ている子供は,言葉や文字から学べる年齢になると,義の標準を受け入れやすい子供になっています。
23,24 子供がある標準に達することを願うなら,親自身が進んで何をしなければなりませんか。
23 『愛される子どもとして,神を見倣う者となりなさい。そして,愛のうちに歩んでゆきなさい』と使徒はクリスチャンたちに勧めました。そしてそのすぐ前で,神に見倣うために必要な事柄を次のように教えています。「すべて悪意のある苦々しさ,怒り,憤り,わめき,ののしりのことばを,あらゆる悪とともにあなたがたから除き去りなさい。そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなくゆるしてくださったように,あなたがたも互いに惜しみなくゆるし合いなさい。それゆえ,愛される子どもとして,神を見倣う者となりなさい。……」。(エフェソス 4:31,32; 5:1,2)大きくてかん高い話し声,めそめそしたぐち,尊大さや爆発的な怒りなど,子供の耳にする声や目にする態度がいら立ちを表わすものであれば,それは子供の心に刻み込まれて消えがたいものになります。もし親がすべての人に親切で思いやりがあり,道徳水準が高く,良い行動基準を持っているなら,子供はその点で親に見倣うようになります。ですから親は,子供に望むとおりに自ら振る舞い,子供にこうあって欲しいと思うなら,自分もそのようでなくてはなりません。
24 親は二種類の行動基準,つまり子供のための基準と自分たちのための基準を持つべきではなく,教えることと行なうこととが違っていてはなりません。自分がうそをつくなら,子供にうそをついてはいけないと教えても,それが何の役に立つでしょうか。子供たちとの約束を破るなら,子供たちがあなたとの約束を守るのを期待できるでしょうか。両親が互いに尊敬し合っていないなら,子供たちが敬うことを学ぶのをどうして期待できるでしょうか。もし父母が謙そんさを示す言葉を口にするのを聞くことがなければ,謙そんさはどうして子供の行動基準となり得るでしょうか。父親か母親が,自分は常に正しいというような言い方をするのは非常に危険です。なぜなら,そう言うほうの親が実際に間違いをして不完全な罪深い性向を表わすときでさえ,子供はその親が行なうことなら何でも正しいと思うおそれがあるからです。口で言いながら行なわないなら,偽善的なパリサイ人のようです。彼らについてイエスはこう言われました。「彼らがあなたがたに告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないにならってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」。ですから,親のみなさん,あなたの家族の中に小さなパリサイ人がいることを望まないなら,あなたも大きなパリサイ人にならないでください。―マタイ 23:3。
25 子供は愛をどのように教えられるべきですか。
25 子供はまず愛の行為を見ることによって愛を学び,愛されることによって愛することを学びます。愛はお金で買えるものではありません。親は子供たちに次から次へと贈り物を与えるかもしれません。しかし,愛は主として霊的な事柄,心の問題であって,財布の問題ではありません。贈り物だけをもって真の愛に代えることは決してできません。愛をお金で買おうとすると愛は安っぽいものになります。物質的な贈り物以上に,あなた自身,あなたの時間,あなたの体力,あなたの愛を与えてください。そうすればあなたは同じような量りで量り返されるでしょう。(ルカ 6:38)それは,神に対するわたしたちの愛について述べているヨハネ第一 4章19節にあるとおりです。「わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです」。
26,27 与える喜びを子供にどのように教えることができますか。
26 子供は,受けることによって与えることを学べます。ですから与えること,仕えること,分かち合うことの喜びを学ぶように子供を援助することができます。親自身に,そして他の子供や大人に与えることには喜びがあることを悟るように,子供を助けるのです。子供があげるという物を受け取ろうとせず,それを自分のためにとっておかせるほうが子供への愛だという間違った考え方をする大人が時々います。ある人は次のように語っています。
「子供があめをあげると言っても,わたしはいつも受け取りませんでした。子供の好物であることがわかっているものを受け取らないのは親切だと思っていました。ところが,あめを受け取らないで,自分のために全部をとっておかせると,意外なことに,子供は喜びませんでした。それでわたしは,子供の寛大さを,子供の贈り物を,そして子供自身を拒絶していたことを悟りました。それ以後,わたしはそうした贈り物を必ず受け取って,与える喜びを子供に味わわせています」。
27 ある親は,聖書のテモテ第一 6章18節に書かれているような,『惜しみなく施し,すすんで分け合う』人になるように幼い息子を助けたいと考えていました。それで,聖書研究の集会に出席するとき,寄付するお金を持って行って息子に渡し,それを寄付箱に入れさせました。こうして,霊的な事柄を支持することの価値や,霊的な事柄に関して生じるあらゆる物質的な必要の一端を担うことの価値をその子供に教えるのに役立ちました。
28,29 間違いをあやまることの大切さを子供たちにどのように教えられますか。
28 子供たちは,正しく教えられそれと共に立派な手本が示されるなら,愛することや寛大であることを学びますが,それと同様に,必要なときにあやまることも学べます。ある親は,「子供に悪いことをしてしまったとき,わたしは子供の前でそのことを認めます。間違いをした理由と,自分が思い違いをしていたことを子供たちにごく簡単に話します。そうすると,子供たちは,お父さんも不完全だから自分たちのことをわかってくれると考えるので,わたしに対して自分の間違いを認めやすくなります」。この考え方が正しいことは次の例に示されています。ある家に初めての客が来ました。父親はその客に家族をひとりひとり紹介しました。次にかかげるのはその客の話です。
「そこにいた者はみんな紹介されました。するとまた,小さな男の子がにこにこしながら部屋に入って来ました。父親は,『そして,これが,シャツにジャムを付けている,うちの末っ子です』と言いました。男の子の笑顔は消え,かなしそうな表情になりました。子供が恥ずかしくて今にも泣き出しそうなのを見て,父親は急いでその子を抱き寄せ,『あんなことを言って,お父さんは悪かったね。ごめんね』と言いました。男の子はしばらく泣きじゃくっていましたが,それから部屋を出て行き,すぐに前よりももっとにこにこしながらもどって来ました。こんどは新しいきれいなシャツを着ていました」。
29 そうした謙そんさは確かに愛のきずなを強めます。むろん,後ほど親は,大小を問わず生活上の問題に対してどのように平衡の取れた見方をすべきかを子供に説明してやれます。ささいな事柄を深刻に考え過ぎないように,自分を笑えるように,そして,自分が完全さを期待されることを望まないのと同様に他の人々にも完全さを決して期待しないように,子供たちを援助できます。
真の価値基準を持たせる
30-32 人生における真の価値基準を認めるように,親が子供をごく幼い時から援助するのはなぜ大切ですか。
30 今日,人生における真の価値基準について混乱している親は少なくありません。その結果,多くの子供は一連の価値基準というものを全く与えられていません。中には,子供たちの心の態度を方向づける権利が親にあるだろうかと疑ってさえいる親もいます。親がそれをしなければ,他の子供や近所の人々,映画,テレビなどがそれをするでしょう。世代の断絶,若者の反抗,麻薬,新しい道徳,性革命,こうしたものに親はおびえています。しかし実際には,子供の人格は,それらの問題が子供の生活に生じはじめる以前にすでに大方形成されているのです。
31 ある科学雑誌に掲載された研究報告によれば,「人の人格の大部分は就学前に確立される。いうまでもなく,学校に上がる前の子供たちがきわめて感受性が強く,順応性があるということは,普通に知られている。……しかし,われわれは,幼い時に出会った態度と経験が多くの場合永続的で,時には変わらない行動のパターンを確立することを発見した」。
32 良くないパターンは変えることができます。しかし,別の研究者は,貴重な数年をみすみす無為に過ごすならどんなことになるかを次のように述べています。「子供は七歳までは順応性がある。しかし,親の指導が遅れるならそれだけ子供の境遇を急激に変えねばならない。しかも,変化させられる可能性は年を経るごとに小さくなる」。
33 子供に教えねばならない最も重要な概念は何ですか。
33 小さな子供たちは多くの基本的な概念を学ばねばなりませんが,とりわけ大切なのは,真偽,正邪の概念です。使徒パウロはエフェソスのクリスチャンにあてた手紙の中で,正確な知識を得ることを勧めてこう書きました。『わたしたちはもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振りまわされたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりするべきではありません。そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう』。(エフェソス 4:13-15)幼い子供が,真実さと正直さに対する愛,正しいことと良いことに対する愛を強めるのを助ける点で親がぐずぐずしているなら,子供は誤りと悪の圧力をまともに受けなければなりません。学齢前の年月は,親が気づかないうちに過ぎ去ると言ってもいいほどです。その時期を無為に過ごしてはなりません。生まれてから数年の,親子がいっしょに過ごせる大切な発育期を,子供に一連の真の価値基準を持たせるために用いてください。そうすれば,後になってあなたが頭を痛めずにすむことでしょう。―箴 29:15,17。
34 強固な基準はなぜ大切ですか。そうした基準を最もよく教えているのは何ですか。
34 「この世のありさまは変わりつつある」と,使徒は霊感を受けて書きましたが,その言葉は世の物質的,感情的,道徳的基準についても確かにあてはまります。(コリント第一 7:31)この世は全く不安定です。親は,人間である以上自分たちもその点で失敗することがあることを認めねばなりません。子供の最善の福祉を心に掛け,子供の将来の幸福をほんとうに気遣うなら,親は真に強固な一連の基準を子供たちに教えるでしょう。幼い時から子供たちに次のことを銘記させるならそうすることができます。すなわち,どんな疑問が起こり,どんな問題を解決しなければならないとしても,神のみ言葉である聖書を調べさえすれば,明確で非常に役立つ答えが得られるということです。状況によって人生がどれほど混乱した,不遇なものに見えても,神のみ言葉は常に,『子供たちの足のともしび,子供たちの小路の光』となります。―詩 119:105,新。
35 子供の訓練はどれほど大切ですか。
35 そうです,学齢前の時期は,生がいにわたって支えとなる一連の価値基準を子供たちに植え付けることを始める絶好の機会です。子供を訓練することはどんな職業よりも尊く,どんな仕事よりも重要です。そしてそれを始める時は,子供の誕生直後,その幼い時です。
[117ページの図版]
勉強を楽しいものにしましょう
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