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サイエンス・フィクション 今日の実情を見る目ざめよ! 1995 | 12月8日
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とされています。多くの人は,際物的なそれらの冒険物語について,文学としての価値は,たとえあるとしてもごくわずかであると思っていました。
SFがもっと真剣に受け止められるようになったのは,第二次世界大戦後のことです。同大戦で科学が大きな役割を演じたため,科学はかつてなかった信望を得ました。SF作家たちによる予言は以前よりも現実味を帯びるようになりました。こうしてSF物の漫画や雑誌やペーパーバックの本などが出回り始めたのです。SF物の堅表紙本は,ベストセラーの上位に躍り出ました。しかし,大衆市場の求めにこたえようと奮闘するとき,SFの文学としての質も,科学的正確さもしばしば犠牲にされます。SF作家のロバート・A・ハインラインは,いまや「読みやすいものや適度に楽しめるものであれば見境なく」出版され,「質の悪い空想小説が大量に」出回っていることを嘆きました。作家のウルスラ・K・ル・グインは,「二流の作品」までが活字になっていると言い添えています。
そのような批判にもめげず,SFは強力に後押しされたことで,かつてない人気を博するようになりました。後押しをしたのは科学者たちではなく,映画産業でした。
SFが映画になる
SF映画は,1902年にジョルジュ・メリエスが映画「月世界旅行」を製作して以来,いつの日も存在しています。後の世代の若い映画ファンは,「フラッシュ・ゴードン」に心を奪われました。しかし,人類が月面に着陸する前年の1968年,映画「2001年宇宙の旅」は芸術的評価を得たうえ,商業的にも成功しました。今やハリウッドではSF映画に多額の予算がつぎこまれるようになりました。
1970年代の後半から1980年代の初めにかけて,「エイリアン」,「スター・ウォーズ」,「ブレードランナー」,「E. T.」といった映画は,アメリカにおける全興行収入の半分に当たる収益を上げました。事実,映画史上で群を抜くヒット作となった「ジュラシック・パーク」もSF作品です。この映画に合わせて相次いで発売されたのが,約1,000点を数える「ジュラシック・パーク」グッズです。テレビ業界がこうした人気に便乗したのも不思議ではありません。人気番組「スタートレック」に刺激され,宇宙物の番組が幾つも作られました。
しかし,SFのある程度の価値を保たせていた質を犠牲にして大衆に迎合するSF作家もいる,という意見も数多く聞かれます。ドイツの著述家カルル・ミハエル・アーマーは,『今のSFは,もはや内容によってではなく,宣伝の腕前で他と区別される,受けのよいトレードマークにすぎない』と述べています。また,現代SF映画の本物の“スター”は人間ではなく特撮技術である,という不満を述べる人もいます。ある批評家は,SFには「悪趣味で下劣な場面が多すぎる」とまで言っています。
例えば,多くのいわゆるSF映画で扱われているのは,科学や未来とは実際には全く関係のない題材です。未来の場面は,生々しい暴力を引き立たせる背景にすぎないことがあります。作家のノーマン・スピンラドは,現代の多くのSF物語では,だれかが「撃たれ,刺され,蒸発させられ,レーザー光線を当てられ,引っかかれ,焼き尽くされ,吹き飛ばされる」と述べています。しかも多くの映画では,こうした暴力が,ぞっとするほどつぶさに描かれるのです。
別の懸念材料となるのは,サイエンス・ファンタジー物の一部の本や映画の呼び物となっている,超自然の要素です。そのような物語は,悪と善との寓意的な戦いにすぎないとみなす人たちもいるかもしれませんが,中には寓意の域を超えて,心霊術的な慣行を広めているように思える作品もあります。
釣り合いを保つことが必要
もちろん,聖書は想像力に訴える娯楽そのものを非とはしていません。木に関するヨタムのたとえ話では,意識を持たない植物が互いに話し合い,策略や企てを巡らす様子までもが描かれています。(裁き人 9:7-15)同様に預言者イザヤも想像力に富んだ表現法を用いて,死んで久しい国の支配者たちが墓の中で会話を交わす様子を描いています。(イザヤ 14:9-11)イエスのたとえ話にさえ,文字通りには起こり得ない事柄が含まれているものがあります。(ルカ 16:23-31)想像力に訴えるその種の技巧は,単に人を楽しませるためではなく,諭し,教えるという目的にかないました。
現代の作家たちが未来の場面を用いて,人を教え諭したり楽しませたりすることに異議をさしはさむべき理由はないでしょう。とはいえ,良心的なクリスチャンである読者は,清くて健全な事柄に注意を集中するようにという聖書の訓戒を思いに留めます。(フィリピ 4:8)また聖書は,「全世界が邪悪な者の配下にある」ことに気づかせてくれます。(ヨハネ第一 5:19)SF物の一部の映画や本は,進化論や人間の不滅性や輪廻といった,聖書とは相いれない概念や哲学を広める手段となっています。聖書はわたしたちに,「哲学やむなしい欺き」のえじきにならないようにと警告しています。(コロサイ 2:8)ですから,どんな娯楽でもそうですが,SFについても用心を怠らないのは良いことです。何を読み,何を見るか,よく選択しなければなりません。―エフェソス 5:10。
すでに取り上げたように,人気のある多くの映画には,暴力の場面がよく出てきます。むやみに血が流される場面をいつも見ているなら,エホバに喜んでいただけるでしょうか。エホバについては,「その魂は暴虐を愛する者を必ず憎む」と記されているのです。(詩編 11:5)それに,聖書は心霊術を非としているため,クリスチャンは魔術や呪術といった内容を呼び物にした本や映画について良い判断を下さなければなりません。(申命記 18:10,11)その上,大人は難なく空想と現実とを区別できるとしても,子供がいつもそうできるとは限らないことをわきまえておくべきです。ですから,親はこの面についても,子供が読んだり見たりするものからどんな影響を受けるかに注意し,警戒していなければなりません。b
別の種類の読み物や娯楽を選ぶ人たちもいるでしょう。しかしそのような人たちが,この面について他の人を裁いたり,個人の好みに属する事柄についてとやかく言ったりする必要はありません。―ローマ 14:4。
一方,各種フィクションを気晴らしとして時折楽しむクリスチャンは,ソロモンの次の警告を覚えておくとよいでしょう。「多くの書物を作ることには終わりがなく,それに余りに専念すると体が疲れる」。(伝道の書 12:12)今日の世の中には,明らかにSF物の本や映画に熱中しすぎている人が大勢います。SFのファンクラブや会合の数は急増しています。タイム誌によれば,五つの大陸に散らばる「スタートレック」ファンは,テレビや映画の「スタートレック」に出てくる,架空の“クリンゴン語”の習得に余念がないということです。そのような極端な行動は,ペテロ第一 1章13節の,「あくまでも冷静さを保ちなさい[「平衡を保ち(なさい)」,脚注]」という聖書の助言と調和していません。
SFは,どんなによくできていても,未来に対する人間の好奇心を満足させることはできません。未来について本当に知りたい人は,確かな情報源に目を向けなければなりません。この点は,次の記事で取り上げられます。
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未来は実際にはどうなるか目ざめよ! 1995 | 12月8日
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未来は実際にはどうなるか
多くのSFファンは探求心に富み,人間社会の変化を願い,未来に並々ならぬ関心を寄せています。聖書は未来について多くを述べていますが,人間の運命に関する聖書の見方は,SF作家たちの推測とは似ても似つかぬものです。
SF作品には,ありとあらゆるタイプの未来像が描き出されています。しかし,あなたはそれらのいずれかに自分の命を懸ける気になりますか。何をよりどころとして選択しますか。これらのシナリオ,もしくは予想される事態の進展がどれも正しいということはあり得ません。事実,これらの予想はどれも当て推量,つまりフィクションと結びついているのですから,どれか一つでも真実だと自信をもって言えるでしょうか。どれも真実ではない可能性のほうがはるかに高いのです。
無価値なものになる
多くのSF作品のシナリオは,すでに無価値なものになっています。どうしてそう言えますか。この地上での文明は科学の力によっていっそう高度化してゆくというシナリオが,シナリオだけで終わってしまっているからです。今日の実情からすれば,文明は高度化するどころか,その正反対の方向に進んでいます。ドイツの著述家カルル・ミハエル・アーマーは,「我々は未来を思って途方に暮れている」と述べ,「核による破滅,環境災害,飢え,貧困,エネルギー危機,国家支援テロなど,世界的規模の脅威」について指摘しています。
言い換えれば,現実は,多くのSF物語に描かれている地球と人類の未来の姿に近づいてはいないということです。むしろ地球上の事態の悪化に伴い,人間を取り囲む状況はそれとは逆の方向に進んでいます。科学や技術の面でどんな進歩が見られるとしても,人間社会は世界各地で,犯罪,暴力,貧困,民族的な敵意,家庭の崩壊などをますます経験するようになりました。
科学的な試みが人間の災いを甚だしく増し加えた例もあります。ほんの幾つかの例について考えてみてください。化学物質によって大気や水や食べ物が汚染されています。インドのボパールで起きた災害では,工場での事故によって毒ガスが漏れ,2,000人が死亡,約20万人が負傷しました。ウクライナのチェルノブイリにある原子力発電所が炉心溶融を起こした結果,多数の死者が出,ガンや他の健康上の問題を抱える人が広い地域にわたって増えました。
宇宙に移住?
未来の姿を扱ったかなりの数のSF物語には,人生の苦悩や人間の計画が地球上で演じた失敗からの解放をもたらす,別の方法が示されています。そうした物語は,SFファンを宇宙における想像上のシナリオの世界に連れて行きます。銀河間を結ぶ宇宙船で人間が他の惑星や宇宙の他の場所に移住する,というのが共通のテーマです。ある人はニューヨークの一新聞の編集者宛てに,「人類の未来は宇宙探査にかかっている」と書き送りまし
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