「真実なことばを書く」
「召集者は喜ばしいことばを見いだすこと,また,真実なことばを書くことに努めた」― 伝道 12:10,新。
1 どのように話されれば,話はほんとうに価値があり,かつ有益ですか。
楽しい話を聞いたり本で読んだりするのは喜びです。しかも適切なことばと正確な表現に富む話は,聞く人の喜びを増し加えます。それが真実の物語であって,内容をゆがめたり,誇張したりせず,「真実なことば」をもって公正かつ正確に語られるなら,それを聞く人は大きな益を受けます。こうして人はほんとうに価値のある,かつ永続する有意義な真理を学びます。
2 話をする人にとって,どんなことばを用いるのは喜ばしいことですか。受け入れる人々にとこしえの命をもたらす音信を書きしるす場合はどうあるべきですか。
2 話をする人にとっても,自分にとって喜ばしいことばを用いて話すのは楽しいことです。そして,真理を愛し,また自分の話に一心に耳を傾ける人々の徳を高めたいと願う人は,「真理のことば」をもって正確に話そうといつも良心的に努力します。人はみなそうした「真実なことば」を語るべきでしょう。普通の話でさえそうなのですから,受け入れる人々にとこしえの命をもたらす音信を書きしるす場合はなおのことです。
3 ソロモンはなぜそうした誠実な話し手と言えますか。
3 古代エルサレムの最も賢明な王ソロモンはまさにそうした誠実な話し手,また音信のにない手でした。あなたはソロモンの著わした聖書の本,箴言にある数々の金言をお読みになったことがありますか。聖書の雅歌に収められているうるわしい恋物語はいかがですか。一般に苦悩に満ちたむなしいものとされている人生の目的を知りたいと願う人のためにしるされた,聖書の伝道之書に見られるソロモンの知恵をご存じですか。聖書中のこれらの本をお読みになれば,傑出した考えを著わすためにソロモンの用いたことばがいかにすぐれたものであるかがわかるでしょう。その数々の箴言はなんと美しく,また真実であり,その助言はなんとすぐれているのでしょう!
4 ソロモンは霊感を受けながらも,どんな態度をもち,また何を行なわねばなりませんでしたか。このことをどこで述べていますか。
4 確かにソロモンは神の霊の働き,つまり霊感を受けて聖書のその部分を書きました。しかし彼自身も真理を愛し,適切なことばを用いて,人の心にふれるような仕方で真理を書きしるすために心を砕かねばなりませんでした。いろいろな事柄が自動的に,つまりひとりでに脳裏に浮かんだわけではありません。語るべき,また書き著わすべき真実な事柄をさがし求め,かつそれを適切に表現することばを求めねばなりませんでした。そして,自ら努力しなければならなかったことを,霊感の作である伝道之書の巻末にしるし,また自分自身をさしてこう述べています。「召集者は喜ばしいことばを見いだすこと,また,真実なことばを書くことに努めた」― 伝道 12:10,新。
5 (イ)ソロモンは自らをなんと呼びましたか。そのためどんな責任を負うことになりましたか。(ロ)どんな点でソロモンはわたしたちの手本と言えますか。
5 ソロモンが自らを単に「伝道者」とは呼ばず,「召集者」と呼んでいることに注目してください。ソロモンはだれの召集者でしたか。神ご自身の会衆,ソロモンの民の会衆,つまり神がむかし選ばれた国民の召集者でした。このゆえにソロモンはいっそう重い責任を負うことになりました。その会衆こそ自分たちに告げられ,かつ自分たちのために書きしるされた真理を持つにふさわしいものだったからです。自らをヘブル語で「コーヘレス」,つまり「召集者」と呼んだことと一致して,ソロモンはその民が一つに結び合わされることに心を用いました。つまり王として治めた彼は,生ける唯一まことの神の崇拝者であるその民の一致を保てるように物事を語り,書き著わし,かつ教えねばならなかったのです。ソロモンはその神をエホバと呼びました。ソロモンはことばの重要性,つまりことばのもつ力を知っていました。ゆえに語ったり,書いたり,教えたりする事柄のために,「喜ばしいことば」また「真実なことば」をさがすことに努めたのです。このことでみごとに成功したソロモンはわたしたちの手本となっています。
6,7 (イ)物事を考えるのにことばはどれほど大切ですか。人間は思考能力をどこから得ましたか。(ロ)それが人間の想像に基づくただの伝説でないことを示すどんな記録が聖書に収められていますか。
6 ことばを用いずに物事を考えることができますか。できません。獣,鳥,魚,こん虫など,下等動物は物事を考えません。ただ本能に従って生き,視覚や聴覚また触覚に応じて動くのです。考えるためにはことばが必要です。また,ことばで表現するには,単語を文法に従って組み合わせ,一定の考え,つまり概念をまとめねばなりません。人間は考えることができます。この考える能力をどこから得ましたか。化学的な仕組みをもつものとして創造され,ひとりでに成長しつつ生物進化の段階をのぼって人間男女になったとされる,頭脳も思考力もない1個の細胞から得たのではありません。それは外部から人間に付与されたものに違いありません。それは,思考とその働きを知り,かつ頭脳を創造した,思考能力を有する者から来なければなりません。人間の思考能力は付与されたものなのです。それは賜物です。どこから,あるいはだれからの賜物ですか。創造者なる神からの賜物です。これは人間の想像の所産であるただの伝説ではありません。このことを文字にしるした記録があるのです。それは現代の日本語にこう翻訳されています。
7 「そして神は言われた。『わたしたちにかたどり,わたしたちのかたちにしたがって人間を造り,海の魚と天の飛ぶ生き物,また家畜と全地と地の上を動いているあらゆる動物を彼らに従わせよう。そして神はご自分にかたどって人間を創造し,神にかたどって人間を創造された。神はそれを男と女に創造された。さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた。『ふえて,多くなって,地を満たし,それを従えなさい。そして海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動いているあらゆる生き物を従わせなさい』」― 創世 1:26-28,新。
8 (イ)人間の創造に関して神がそのことばを述べた時,神がひとりごとを言っておられたのかどうかは,どうすればわかりますか。(ロ)こうして神は,ご自分がことば,言語また文法の創始者であることをどのように示されましたか。
8 この記録は,神が思考および言語能力をもつかた,また頭蓋内に脳を備えた人間の創造者であられることを示しています。『わたしたちにかたどり,わたしたちのかたちにしたがって人間を造ろう』と語る前に,神は考えられました。そして考えるために,神は考えを宿すことばを想起されました。理知を持つ生き物を造る前に,神は考えておられましたが,他の生きた仲間を必要としていたわけではありません。しかし,考えを伝えることばを用いて思考したにしても,神はひとりごとを言われたのではありません。創世記 1章26節によれば,神は,『造ろう』と言われましたが,ひとりごとを言ってご自分の決定を表明されたのではありません。神は少なくとも他のひとりの者と話をしておられたのです。その者は,聖書の他のことばによれば,神の最初の天的な創造物,つまり神が他の助けなしに直接造られた最初の霊的な子でした。その御子と親しく語ることを意図された神は,思考能力およびそれに不可欠な言語能力を備えた御子を創造されました。そして直ちに,御子はことばを組み立て,一定の文法に従って組み合わせて話をすることができました。したがって神はことばの創始者であり,言語の創造者です。言語は文法を必要としますから,神はまた文法の創始者でもあられます。
9 それから神はこの御子を用いて,ご自分が言語の創始者また最大の文法学者であることをさらにどのように示されましたか。
9 神がこの最初の御子とどんなことばで話をされたかはわかりません。(黙示 3:14。コロサイ 1:15-18)その後,神はこの御子を用いて,ケルビム,セラピム,天使など,他の霊者を創造されました。神はまた,これら霊者の言語能力に応じて彼らのために特異なことばを作られました。また,それらのことばを文法にのっとって話す発声能力すべても創造し,文法を考案して彼らに与えられました。神は最大の文法学者です。神が語られる時,これらの霊者はその話を理解し,また神の理解できる仕方で答えを述べることができました。―詩 103:20。
10 (イ)言語学者の言語一覧表にはどんなことばが含まれていませんか。なぜですか。(ロ)使徒パウロは,たとえ天使のことばを話せたとしても,何をいだいていなければ,ただ音を出すだけの器物にすぎませんでしたか。
10 現代の言語学者のまとめた言語一覧表に天使の用いることばは含まれていません。人間はそうしたことばを聞いたこともなく,それがどんなものかを理解することもできないからです。言語学者はこのようなことを一笑に付すかもしれませんが,霊的な経験に富む1世紀の人,クリスチャン使徒パウロは天使のことばについて述べ,こうしるしています。「たとひ我もろもろの国人のことばおよび御使のことばを語るとも,愛なくば鳴る鐘や響くねうはちのごとし」。(コリント前 13:1)パウロはいくつかの言語,もしくはことば,少なくとも西暦1世紀当時のヘブル語とギリシア語を話すことができました。天使のことばは話しませんでした。それは不可能でした。なぜなら,天使の発声能力は人間のそれをはるかに越えるものだからです。しかしたとえパウロが天使のことばを話すことができたとしても,物事を話し,また行なう動機として神の愛をいだいていなかったなら,彼は真ちゅうの鐘,また,やかましいシンバルにすぎず,天使のことばは語れても,殺意と憎しみをいだく,愛のない悪魔や配下の悪霊に等しかったでしょう。
11 (イ)アブラハムがイサクを犠牲としてささげようとした直後,神の天使はどんなことばを用いてアブラハムに語り,どんな約束を告げましたか。(ロ)聖書はどんなことばで書かれましたか。だれの子孫によって書かれましたか。
11 したがって神が天使をつかわして人間と話をさせたとき,天使たちは天で互いどうしが用いることばを使わず,自分の話す相手であるひとり,また何人かの人間のことばで話をしました。記録によれば,化身して,もしくは幻に現われて人間と話をした天使は,聖書をしるすために用いられたヘブル語,アラミア語,また1世紀のギリシア語を使用しました。たとえば,わが子イサクをいけにえとして喜んでささげようとしたヘブル人アブラハムに対し,神は天使を用いてこう語りました。「わたしは必ずあなたを祝福し,またあなたのすえを天の星のように……ふやすであろう。……またあなたのすえによって地のすべての国の民は自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」。(創世 22:17,18,新)アブラハムは天から告げられたことを理解し,いつの日か地のすべての国の民が彼の子孫を通して祝福されるという希望に喜びました。すべての国の民が読んで理解し,永続する益にあずかるための聖書がすべて,アブラハムの子孫の手で書かれたのは興味深いことです。
12 ダニエルと話をした天使はどんなことばを用いましたか。天使は御国に関する幻についてなんと語りましたか。
12 その後いく世紀かを経て大いにふえたアブラハムの子孫のひとりに預言者ダニエルがいます。ユーフラテス河畔のバビロンの町でのこと,ひとりの天使が「夜のまぼろし」のうちに現われて,アラミア語でダニエルに語りました。アラミア語を用いしたその天使は,ダニエルに与えられた幻の意味を説明してこう述べました。「しかして国と権と天下の国々の勢力とはみな至高者の聖徒たる民に帰せん 至高者の国は永遠の国なり 諸国の者みな彼に事へかつ順はん」。(ダニエル 7:1-4,23,27)ダニエルはその幻をアラミア語でしるしました。
13 ヨハネは,御国に関するどんな発表が,どんなことばを用いつつ,天で大声で行なわれるのを聞きましたか。
13 クリスチャン使徒ヨハネが西暦96年ごろ与えられ,聖書巻末の本に収められた黙示の中でヨハネは天で次のように語る大きな声を聞きました。「この世の国は我らの主およびそのキリストの国となれり。彼は世々限りなく王たらん」。(黙示 11:15)このことをヨハネは1世紀当時の通俗ギリシア語で書きしるしました。
多数の言語の創始
14,15 (イ)わたしたちすべては最初の一つの言語を用いた人々の子孫です。ではここでどんな疑問が生じますか。(ロ)神の天使は大洪水の生存者に対して,どんな平和の音信を,どんなことばを用いて与えましたか。
14 神のみことば聖書を書き著わすために用いられたヘブル語,アラミア語,通俗ギリシア語以外に今日では数多くの言語があります。しかしあまりにも多くの言語があるため,人間が直接理解し合うことは困難です。このことは人間が今だに世界平和を実現できない重大な理由の一つになっています。わたしたちすべては,神がエデンの園で創造された最初の人間男女の子孫です。では,今日のわたしたちがその最初のふたりの男女のように同一の言語を用いていないのはどういうわけですか。4,300年前の昔,全地をおおった大洪水を生き残った預言者ノアとその7人の同船者は,箱船にはいって生き延びましたが,彼らはその時みな同じことばを用いていました。それは最初の人間の創造以来大洪水までの1,656年間に変遷を見たにしても,最初の人間夫婦が用いたのと同じ言語でした。さて大洪水後,ノアと仲間の生存者たちが西南アジア,アララテ山上の箱船を出たのち,神は天使を通して彼らに話をされました。神は平和の象徴として虹を生じさせ,平和の音信を彼らに与え,当時の唯一のことばで次のように言われました。
15 「生よふえよ地に満よ……我わが虹を雲のうちにおこさん これわれと世との間の契約のしるしたるべし すなはちわれ雲を地の上におこすとき虹雲のうちに現るべし 我すなはち我と汝らおよびすべて肉なるもろもろの生物の間のわが契約を記念はん 水再びもろもろの肉なる者をほろぼす洪水とならじ」― 創世 9:1,13-15。
16 人類はどれほどの期間,一つの言語を用いて生活し続けましたか。人間を幾つかの言語群に分けたのはだれですか。なぜですか。
16 その大洪水後,2世代またはおよそ180年の間,ノアとその子孫のことばは依然としてただ一つだけでした。霊感の下にしるされた聖書の「真理の正確なことば」は述べています。「全地はひとつの言語ひとつの音のみなりき」。(伝道 12:10,新。創世 11:1)では,その時点で人間は何か学問的な,または大学教育に類することを行なって,異なった幾つかの言語を用いはじめたのですか。そうではありません! 彼らがそうした考えを持つ必要がいったいありましたか。その時,人間の言語を新たに幾つか作り出すことをよしとされたのは神です。言語を混乱させれば人々が分裂することを神は予知しておられました。そして神は人々を幾つかの言語群に分けて,人々が理解し合えなくなり,いっしょに生活できなくなるのをよしとされたのです。
17 人々はシナルの平野でどんな企てに携わっていましたか。神はどのようにしてその企てを大きく妨げましたか。
17 特にこの当時,メソポタミアのシナルの平野に移住していたノアの子孫は,大洪水ののち,ノアとそのむすこたちに告げられた神の御心に逆らい,結束して不正な企てに従事していました。当時,広く用いられていた唯一のことばを話すそれら反抗的な人々は,崇拝の中心地としての都市を建て,天高くそびえる塔を築き,自分たちの名を高めようと考えました。その企てを妨げるため,全能の神は,幾つかの異なった言語を創始して人々に与え,以前の共通の言語に関する記憶すべてをぬぐい去らせて,彼らの一致した行動を粉砕することになりました。神をあなどる建築工事に一致して携わっていたとき,人々は突然いろいろな言語で話しはじめ,すっかり混乱し,そのために互いの関係を断って四散しなければならなくなりました。未完成に終わった宗教的な塔のあるその都市にはニムロデの支配下に一言語群の人々だけがとどまったようです。
18 (イ)これは人間の考案によるものではなく,神の行なわれた奇跡であるとどうして言えますか。(ロ)ペンテコステの日にキリストの使徒たちのあいだでなされた言語に関する奇跡が,さらに驚くべきものと言えるのはなぜですか。
18 全能の神からでないとすれば,このようなことがどうして突然に起き得たでしょうか。神は各々の集団に,独自の文法と,ひとそろいの単語を備えた言語を付与されたので,人々は直ちに新しいことばを完全に話すようになったのです。それは人間の考案によるものではありませんでした。この奇跡的なわざによって神はご自分が古今最大かつ最高の文法学者であることを示されました。このできごとは西暦33年のペンテコステの祭りの事件の先ぶれではありません。その祭りの日,エルサレムにいた,イエス・キリストの120人の弟子に神の聖霊が注がれ,彼らは一度も学んだことのない多数のことばで突然に語りはじめたのです。しかしシナルの平野のそのできごとは,全能の神が後日,ペンテコステの日にエルサレムでなし得る事柄を例証するものとなりました。そのうえなお驚くべきことに,イエス・キリストのそれら弟子たちは外国語で話をする力を突然与えられたにもかかわらず,自分たちの国語,すなわちヘブル語を忘れなかったのです。ゆえに彼らは,混乱に陥って四散するどころか,自分たちの上にとどまった神の霊に導かれて一致を保ち,神の国を伝道しました。―使行 2:1-21。
19 (イ)その都市につけられた名前にはどんな意味がありますか。幾つかの新しい言語のほかに,どんなものがこの町から各地に広まりましたか。(ロ)だれのことばは変えられませんでしたか。なぜですか。
19 遠い昔,シナルの平野で生じた言語の混乱のため,建築計画を大いに妨げられたその都市はバベルと呼ばれましたが,これはきわめて適切なことでした。その名前は“混乱”という意味だからです。ギリシア語を話す人々はその地をバビロンと呼びました。(創世 11:2-9)それはノアのひ孫ニムロデの日のできごとでした。ニムロデは「エホバに逆らう強力な狩人」と呼ばれるようになり,創世記 10章8-10節(新)はこの強力な狩人をバベルの初代の王としています。「彼の王国の始まりはシナルの地のバベル」だからです。この都市の建設をやめて幾つかの言語群に分かれた人々は,バビロン的な偽りの宗教を携えてこの町を去り,地上の各地へ散ってゆきました。こうして人類は多数の言語を用いるようになりました。預言者ノアと,神を恐れるそのむすこセムは,その都とバベルの塔の建設に携わらなかったので,彼らのことばは変えられませんでした。彼らは自分たちの従来のことばを引き続き用いて話すことができました。―創世 9:26-29。
20 (イ)どんな新しい職業が興りましたか。古代エジプトにおけるある飢饉の際,この職業に携わる者を用いて話をした人の例をあげなさい。
20 神がバベルで初めて生じさせた言語の混乱のゆえに,新しい職業,すなわち通訳また翻訳の職業が興りました。それで後日,セムの子孫,すなわちアブラハムのひ孫ヨセフは通訳を用いて話をしました。彼はしっと深い兄弟たちに売り飛ばされ,奴隷としてエジプトに連れ去られました。しかし神の取りはからいを受けたヨセフは,世界的な飢饉を予告したことでエジプトの総理大臣として食糧を管理することになりました。予告どおりに生じた飢饉の最中のこと,ヨセフの兄弟たちは食糧を買うためエジプトに下ってきましたが,彼がヨセフであることには気づきませんでした。ヨセフは自分がだれであるかを知られないようにする一策として,ヘブル語を使わず,通訳を介してエジプトのことばで彼らと話をしました。創世記 42章23節(口語)に,「相互の間に通訳者がいた」とあるとおりです。これは紀元前18世紀のことでした。以来,通訳を業とする人々はふえました。もっともそれらの通訳は霊感を受けたわけではありません。唯一の例外は,キリストの使徒たちの時代に異言を語る奇跡の賜物を受けたクリスチャン会衆で,外国語を通訳する奇跡的な賜物も与えられました。―コリント前 14:13-28。
聖書の翻訳
21 (イ)正確な翻訳をするには,何を選んで用いなければなりませんか。絶対にまちがいのない完ぺきな翻訳をするには何が必要ですか。(ロ)ヘブライ-アラミア語聖書の翻訳が行なわれたのはいつですか。この最初の翻訳はなんと呼ばれましたか。
21 正確に翻訳したり,正しく通訳したりするには,翻訳または通訳される言語の個々のことばに対応する,別の言語のことばを正しく使わねばなりません。クリスチャンの使徒たちの時代には,通訳や翻訳の奇跡的な能力を授けられたクリスチャンが行なったのですから,その通訳はまちがいのない完ぺきなものでした。通訳は霊感の下になされたからです。(コリント前 12:4-11,27-30)他の言語に訳される著作の中で最も重要なものは聖書です。ヘブル語またアラミア語でしるされた神の霊感の書は紀元前5世紀までには,今日数えられている39冊の本の形式に完成されました。その次の世紀に至り,通俗ギリシア語が国際語となるに及んで,エジプトのアレキサンドリアに住む,ギリシア語を話すユダヤ人はそれら神聖な書をヘブル語からギリシア語に翻訳しはじめました。そして,最初,七十人ほどのユダヤ人の翻訳者たちが仕事に関係したと伝えられたところから,その翻訳はギリシア語七十人訳として知られるようになりました。
22 (イ)この最初の翻訳は霊感によるものでしたか。こうした翻訳は神の御心と霊に反することでしたか。(ロ)霊感の書であるギリシア語聖書を著わす際に,キリストの弟子たちはヘブル語聖書をどのように引用しましたか。なぜですか。
22 ヘブル語聖書のギリシア語七十人訳は神の霊感の所産ではありませんが,神の霊に反するものではありません。イエス・キリストによる御国が全地を完全に治める以前に,神の霊感によるみことば聖書が,できるだけ多くの言語に翻訳されるのは神の御心です。キリストの4人の使徒および他の4人の弟子たちは,27冊の本から成るギリシア語聖書を霊感の下に書きしるす際,霊感の書であるヘブル語聖書から何百回となく引用しました。ギリシア語七十人訳から直接引用したこともあれば,ヘブル語聖書の一部を自ら直接翻訳して用いたこともあります。それは,ヘブル語聖書が確かに神の「真実なことば」であるとともに,その預言がクリスチャン会衆およびそのわざ,すなわち神の国の伝道に関連して成就していることを示すためでした。
23 (イ)聖書が多数の国語に翻訳されねばならないことをイエス・キリストはどのように暗示されましたか。(ロ)弟子たちはこのことの重要性をいつ悟りましたか。彼らはどのようにこの仕事に着手しましたか。
23 神の御子イエス・キリストは死からよみがえったのち,昇天する何日か前,弟子たちと話をしたとき,聖書が数多くの言語に翻訳されねばならないことを意味して次のように言われました。「我は天にても地にてもすべての権を与へられたり。されば汝ら往きて,もろもろの国人を弟子となし,父と子と聖霊との名によりてバプテスマを施し,わが汝らに命ぜしすべての事を守るべきを教へよ」。(マタイ 28:18-20)これよりさきイエスは次のように預言されました。「御国のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝へられん,しかしてのち,終は至るべし」。(マタイ 24:14)西暦33年のペンテコステの日に神の聖なる霊を注がれて以来,前述のことばの重要性を悟ったキリストの弟子たちは,神の国を伝道し,かつ人々を弟子とするために働いていた国々のことばに聖書を翻訳する仕事を開始しました。使徒マタイはその福音書を最初ヘブル語で書き,のちにギリシア語で著わしました。
24 (イ)聖書が文学的傑作であることを認めた幾多の良心的な翻訳者たちはどんな努力を払いましたか。(ロ)聖書の翻訳はどのように進展しましたか。聖書を印刷頒布する主要な法人団体の一つとしてどんな協会をあげることができますか。
24 やがて聖書はラテン語,シリア語,エチオピア語,アラビア語,ペルシア語その他,往時の一般の言語に翻訳されました。翻訳者たちは聖書が文学的傑作であることを知り,霊感の下にしるされた聖書の考えを忠実に伝える「喜ばしいことば」,また「真実なことば」を用いて,聖書を他の言語に翻訳する良心的な努力を払いました。キリスト教世界の最も強力な宗教団体から恐るべき反対を受けたにもかかわらず,聖書を一般の人々のことばに翻訳する仕事は今日まで続けられてきました。今日,聖書の一部,あるいはその全巻は1,337もしくはそれ以上のことばに翻訳されています。また霊感の下にしるされた聖書を印刷し,頒布するための法人団体が幾つも設立されました。今日,聖書の印刷および出版を目的とする幾つかの主要な法人の一つは,アメリカ,ペンシルベニヤ州の,ものみの塔聖書冊子協会で,この協会は94の土地や島々にその支部を持っています。
[109ページの図版]
神をあなどるバベルの塔の建築者たちは突然さまざまな言語を用いて話しはじめ,混乱し分裂した