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心と耳に割礼を受けるものみの塔 1971 | 10月15日
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男子は家に生れたる者も……金にて買ひたる…者も皆生れて八日に至らば割礼を受べし……
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心と耳に割礼を受けるものみの塔 1971 | 10月15日
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3 創世記 17章10-14節の記録からどんな二つの疑問が生じますか。
3 ここで二つの疑問が生じます。このことで神の権利については問題はないにしても,特に人間的な見地からすれば,それを施すにはある程度の苦痛や当惑を伴うのに,どうして割礼がしるしとして選ばれたのだろうかと疑問に思われるでしょう。神がしるしや象徴を与えて,その規定を守らせる場合,エホバに対する献身の象徴としての水の浸礼のように,それがふさわしいものであることはたいてい容易にわかります。もう一つの疑問は,男子の奴隷すべてを含め,一家全体が関係したのはなぜかということです。実際に契約関係にあったのはアブラハムとその子孫だけではなかったのですか。神のことばがこうした問題に光を投げかけているかどうかを調べるのは興味深いことです。
4 (イ)ヨシュア記 5章2-7節に述べられている神の命令を必要とするどんな事態が生じましたか。(ロ)ヨシュア記 5章9節のエホバのことばはどのように特別の意義を持つものとなっていますか。
4 ヘブル語聖書はアブラハムの子孫であるイスラエル民族が前述の要求を守り続けたことを示しています。それは新しい戒めとして与えられたのではありませんが,モーセを通して与えられた律法に含まれました。(レビ 12:3)しかしながら,荒野を放浪した40年間,当時生まれた男の赤子には割礼が施されませんでした。最後にヨルダン川を渡って約束の地にはいったのは新しい世代の人々でした。次いでエホバはイスラエルの男子すべてに割礼を施すようヨシュアに命ぜられました。その命令が遂行されたとき,エホバは意味深いことに,こう言われました。「我今日エジプトの羞辱を汝らの上より転ばし去り」。(ヨシュア 5:2-9)証拠が示すところによれば,エジプト人は割礼を行なっていましたから,今や彼らは,多数の男子が割礼を受けていないとしてイスラエルをはずかしめる根拠を失ったと言えるでしょう。同時にエホバの民の若い世代の者たちは今や,少なくとも象徴においてであれ,エジプトまたその偽りの神々および汚れた崇拝とのいかなる結びつきからも,その最後のこん跡からも切り離されました。ここで初めてわたしたちは,アブラハムに与えられた「契約の徴」としての割礼がアブラハムの場合にもやはり清い崇拝の適切な象徴であったこと,そしてそれはエホバとの契約関係にある人々を特異な民としてしるしづけるものであることを正しく認識できます。ギルガルの時以来,この要求はユダヤ人として知られるようになったイスラエル民族の守るべき事柄として存続しました。
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