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「人のつくったものすべて」に服従するものみの塔 1962 | 11月15日
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良心的な考慮をもって釣合わせることが必要です。もし彼女が不信者の夫から別居して,神をよろこばせる仕方で夫に従わないなら,言葉によらず忠実なクリスチャンの振舞によって,妻が夫をキリスト教に救い入れることは,どうして可能ですか。それは不可能です。妻の服従の模範として,ペテロは「婦人の権利」と男子との平等の立場を要求する,離婚された女あるいはこの世の女を指さず,神に希望を抱いた以前の「聖なる女たち」を指しています。
34 ペテロは,サラの子供のごとく振舞うようにと妻に告げました。妻としての振舞についてはサラの教えをうけよと彼は告げました。サラは夫アブラハムを主と認めていたので,彼の生命を守るようにとアブラハムから頼まれたとき,彼女は自分自身の自由と安全を危険にさらしても彼に従いました。(創世 12:14-20; 20:1-14)サラはこのように自分の夫に服従することにより,彼女自身および他の人間家族の永遠の救いについて重要な役割を占めるという報いを受けました。彼女はイサクの母親になり,主イエス・キリストの先祖になりました。同様にクリスチャンの妻は,神に希望を置きつつ,自分の夫に従うことができます。彼女は,神の御前で自分の夫に対し,「柔和で,しとやかな霊」によって,身を飾ります。これは彼女自身を救うだけでなく,夫や他の者をも救うでしょう。
35,36 (イ)この世の存在するあいだ,私たちすべては何に服従しなければなりませんか。そしてどの程度まで?(ロ)この事はどのように身の守りとなりまた益のあることですか。
35 エホバのクリスチャン証者である私たち全部は,奴隷でなく,妻でもありません。それで,これらの範囲内において服従する必要はないでしょう。しかし,神のゆるしにより,私たちがこの古い世にいる限り,私たちは政府の下にいます。神がこれらの存続をゆるすかぎり,私たちは「主のゆえに」そして「神のみむねに」従って,「人のつくったものすべて」に従わねばなりません。ペテロもパウロも次のことについてすこしの疑問をも残していません,すなわちこれらのこの世の政治機構に服従することは,比較的なものに過ぎず,いつでも神の御言葉により訓練されるクリスチャン良心に従わねばならぬということです。私たちが比較的な服従をするとき,王や皇帝や,長官たちに従う人々を怒らせることを避けます。私たちが彼らの支配者を正しく尊ばないなら,彼らは怒りをいだくでしょう。
36 私たちの比較的な服従は,そのような人々をよろこばすだけでなく,それは特に神をよろこばすでしょう。私たちがエホバのクリスチャン証者であるために迫害を受けるときでも,私たちは政治的な陰謀に加わらず,設立されている権威に対して反逆しません。私たちの伝道している神の御国の敵共は武装を解くでしょう。なぜなら,神の律法ということ以外に,彼らは私たちの真実の欠点や,不利の点を見つけることができないからです。
37 従って私たちはどこにいても何をしますか。どこにおいて,私たちは全地にわたり政府に全面的な服従をささげますか。
37 私たちがどこに住もうと,どの形態の政府の下に住もうと,私たちはいつも善を行ない,神をあがめるでしょう。神の大いなる日の宇宙的な戦争後の正義の新しい世において,私たちは,その時の地をまったく支配する唯一つの政府,すなわち私たちの主にして救主なるイエス・キリストによる神の御国に全く服従するという名誉とよろこびにあずかるでしょう。
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学校で講演ものみの塔 1962 | 11月15日
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学校で講演
カリフォルニアの一人の若いエホバの証者は最近学校での彼の経験について報告しました。彼はある日前の社会問題の先生に会いました。「教科の中で,アメリカの色々な宗教について話しあうことになっているので,自分のクラスに来てエホバの証者について話してみないかと先生は私に尋ねました。時間は1時間で,私は始めに30分間エホバの証者が行なっている仕事について話し,その後聴衆からの色々な質問に答えました。話の後で,先生は,クラスで私に話してもらいたいと思っている先生がもう一人いると知らせてくれました。その先生からはなにも話がなかったので,私自身でたずねていってエホバの証者について話をしましょうと言いました。この先生は私の申し出に熱意を示し,早速時間をとり決めました。このクラスでも同じように,30分の話に,活発な質問の時間が続きました」。
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