復活を受ける死人
「また,死人の復活については,神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく,生きている者の神である」― マタイ 22:31,32。
1 復活のとき,よみがえった多くの人はなぜ驚きますか。
死者が復活する希望を抱いた人は,むかしから大ぜいいました。しかし復活のことを知らず,そのような望みを持たなかった人も無数にいます。その人々の宗教は復活とは別のことを教えました。地を治める神の国の下で,全能の神の力によって死からよみがえらされる時,その人々は驚嘆しますか。
2,3 (イ)昔からあるどんな本が,権威をもってそれに答えますか。その初めのほうと終わりのほうの章は,どのようにその事を示していますか。(ロ)復活に関して,その本の最後の記述は何を述べていますか。
2 権威をもってこの質問に答える唯一の本は,昔からある宗教の本です。神の愛するみ子が王となって治め,全人類を祝福する神の国によって死人がよみがえらされる事を教えているのは,この本だけです。この特異な本は,完成後1900年を経た今日でも,宗教にかぎらずあらゆる本の中で第一の地位を占めている聖書です。聖書は最初の50章の中ですでに死人の復活のことを述べています。その最後の22の章は,(1)神の忠実なみ子イエス・キリストの復活(2)イエスの忠実な弟子たちの受ける「第一の復活」(3)人類一般の復活について述べています。(黙示 1:17,18,5; 2:10; 20:4-6; 12:14)復活に関する最後の記述の中で,聖書の最後の本を書いた人は次のことを述べました。
3 「また見ていると,大きな白い御座があり,そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って,あとかたもなくなった。また,死んでいた者が,大いなる者も小さき者も共に,御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが,もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ,この書物に書かれていることに従って,さばかれた。海はその中にいる死人を出し,死も黄泉もその中にいる死人を出し,そして,おのおのそのしわざに応じて,さばきを受けた。それから,死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である」― 黙示 20:11-15。
4 ヨハネはどんな人々がよみがえったのを見ましたか。少なくともその時に,人々は至上権に関して何を知りますか。
4 右に引用した12節において,筆者のクリスチャン使徒ヨハネは,よみがえった者が善人と悪人のいずれであるとも述べていません。その事に注目して下さい。ヨハネは「死んでいた者が,善人も悪人も共に……見えた」とは言わず,「死んでいた者が,大いなる者も小さき者も共に……見えた」と書いています。つまりこれはあらゆる種類の人です。しかし大小にかかわりなくそのすべては,全創造のさばき主,至上者である全能の神の御座の前に来ました。そのとき彼らは,たとえ以前知らなかったとしても,詩篇 83篇18節(文語)が至上のさばき主なる神に述べた次のことを知るでしょう。「然ればかれらはエホバてふ名をもち給ふ汝のみ全地をしろしめす至上者なることを知るべし」。それで死者も,エホバの名をお持ちになる至上の神のさばきを逃れることはできません。
5 黙示録 20章11節から14節を書いたとき,ユダヤ人のヨハネはなぜシェオールの語を使わなかったのですか。
5 死とは死んでいる状態です。しかし黙示録 20章11節から14節に預言されている死人は,どこから出てきますか。13節には,「海はその中にいる死人を出し,死も黄泉もその中にいる死人を出し(た)」と書かれています。海が何であるかは,だれでも知っています。また多くの人が海で死んだことも事実です。しかし黄泉とは何ですか。たいていの人は間違った,つまり聖書の教えとは違う説明を聞かされてきました。使徒ヨハネはヘブル人すなわちユダヤ人のクリスチャンでした。黙示録 20章11節から14節は,当時の国際語,通俗ギリシャ語で書かれ,ギリシャ語のヘーデース(黄泉)がそこに使われています。ヨハネがヘブライ語で黙示録を書いたならば,ヘブライ語のシェオール(陰府)を使ったに違いありません。事実,黙示録の現代ヘブライ語訳では,シェオールが使われ,中東で読まれたシリア語訳には類語のシウルが使われています。
6 聖書全体の中でシェオールとヘーデースはどのように使われていますか。そこにいる者を知るならば,同時に何を知ることになりますか。
6 つまり霊感のヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書から成る聖書全巻の中で,ヘーデース(黄泉)とシェオール(陰府)は同じものを指しているのです。ヘーデースあるいはシェオールは,死んで土の中に葬られた人間一般の墓です。事実,欽定訳すなわちジェームス王訳聖書には,ヘブライ語のシェオールを「墓」と訳したところが31箇所あります。そこで聖書をしらべ,シェオールあるいはヘーデースにいる人々を知るならば,海とは別にそこからよみがえるのがどんな人かを知ることになります。
シェオール(ヘーデース)にいる人々
7,8 (イ)紀元前18世紀の中東において,シェオールの語は何に関連して使われていましたか。(ロ)その後間もなくエジプトにおいて,シェオールの語は何に関連して用いられましたか。
7 紀元前1700年以上のむかし,中東の人々は,陸で死んだ人の墓一般をシェオールと呼びました。それは海で死んだ人の墓ではありません。紀元前1750年のこと,ヨセフはさらわれてエジプトに売られましたが,責任者の兄弟たちはヨセフが殺されたと父に告げました。父のヤコブ(イスラエル)は他の子供たちの慰めを受けようとせず,「いや,わたしは嘆きながら陰府(シェオール)に下って,わが子のもとへ行こう」と言って悲しみました。(創世 37:35)22年後,ヤコブの9人の息子はききんに迫られてエジプトに食物を買いに行くことになりましたが,首尾よく食物を買って帰るため,いちばん下のベニヤミンを連れて行こうとしました。ヤコブははじめ拒絶して次のように語っています。「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に,ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば,あなたがたは,しらがのわたしを悲しんで陰府(シェオール)に下らせるであろう」。(創世 42:38)その後ベニヤミンが奴隷としてエジプトに留められそうになった時,ヤコブの4番目の息子ユダはその父の言葉をくり返しています。(創世 44:29)ユダは次のように述べました。
8 「この子供がわれわれと一緒にいないのを見たら,父は死ぬでしょう。そうすればしもべらは,あなたのしもべであるしらがの父を悲しんで陰府(シェオール)に下らせることになるでしょう」― 創世 44:31。(ギリシャ語七十人訳はシェオールをヘーデースと訳しています)
9 ヤコブは臨終の床で,自分がだれと共に横たわると述べましたか。
9 どうなるかと思われたその時,ヤコブの愛した息子ヨセフはエジプトで生きていたばかりか,食糧の管理者となっていたことがわかったのです。それはヤコブの息子全部の幸福な再会となりました。年老いたヤコブはエジプトに呼ばれ,147歳の生涯の残りの時をそこで過ごすことになりました。死期の近づいたヤコブは,エジプトの総理大臣となった息子ヨセフを呼び,「わたしが先祖たちと共に眠るときには,わたしをエジプトから運び出して先祖たちの墓に葬って下さい」と告げました。(創世 47:30)ヨセフはこの言葉通りにすることを誓いました。
10 (イ)死ぬ間際のヤコブは,息子たちにむかい,自分がだれのもとに集められると述べましたか。(ロ)死んで葬られたとき,ヤコブはどこに,まただれのもとに行きましたか。
10 ヤコブは臨終の床で12人の息子を祝福し,更に次のことを告げています。「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に,わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり,アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り,所有の墓地としたもので,そこにアブラハムと妻サラとが葬られ,イサクと妻リベカもそこに葬られたが,わたしはまたそこにレアを葬った」。(創世 49:29-31,33)ヤコブの臨終の願いは聞き届けられ,こうしてアブラハム,イサク,ヤコブの遺骸は同じ場所すなわち後にユダの領地となったマクペラのほら穴に葬られました。(創世 50:12-14)それで遂にヤコブは,息子ヨセフのところにではなく陰府(シェオール)の先祖のところに下りました。
11 (イ)イエス・キリストが地上におられた時,アブラハムはどこにいましたか。(ロ)アブラハムに関連したルカ伝 16章22節から26節において,イエスがたとえを語っていることは,どうしてわかりますか。
11 アブラハム,イサク,ヤコブがシェオール(陰府)にいることは,こうして聖書から証明されます。何世紀ものち地上にいたアブラハムの子孫イエス・キリストが,「ある金持」と「ラザロという貧乏人」について語った時,アブラハムはなおシェオールにいました。シェオールまたヘーデースに関する聖書の教えを知る私たちは,「金持」と「貧乏人」についてイエスの語った事柄がたとえ話であったに相違ないことを知っています。イエスは比喩を用いたのであって,アブラハムもたとえとして用いられているのです。この事を知るため,ルカ伝 16章22節から26節にあるイエスの話の言葉づかいに注目して下さい。
12 イエスのこのたとえの中で,アブラハムと黄泉(ヘーデース)はどのように述べられていますか。
12 「この貧乏人がついに死に,御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉〔ヘーデース〕〔ヘブライ語でシェオール,シリア語でシウル〕にいて苦しみながら,目をあげると,アブラハムとそのふところにいるラザロとが,はるかに見えた。そこで声をあげて言った,『父,アブラハムよ,わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって,その指先を水でぬらし,わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。アブラハムが言った,『子よ,思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け,ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは,彼は慰められ,あなたは苦しみもだえている。そればかりか,わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって,こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし,そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』」。
13 イエスの言葉を文字通りにとるかどうかを考慮する際に,読む人は何を自問すべきですか。
13 さて次のように自問してごらんなさい。イエスの言葉は,全身できものだらけのラザロの遺骸が天使の手でヘブロンの町の入口マクペラの洞穴にたずさえられ,アブラハムの死んだ妻サラを押しのけて,アブラハムのふところに入れられたという意味ですか。またアブラハム,イサク,ヤコブはみなヘーデース(黄泉)すなわちシェオール(陰府)にいます。ではイエスの言葉は,「金持」の葬られた場所すなわち黄泉あるいは陰府に火が燃えているという意味ですか。黄泉あるいは陰府にいる全部の人ではなく,一部の人だけが火の苦しみを受けるのですか。黄泉また陰府にいる人々は互に見,また「大きな淵」をへだてて話をできるのですか。また黄泉また陰府には指さきをぬらす水があるのですか。
14 (イ)「金持」と「ラザロ」は,アブラハム,イサク,ヤコブの墓とされているところに今日葬られていますか。(ロ)イエスのたとえに関連して,聖書の教えによれば,文字通りの黄泉(ヘーデース)また陰府(シェオール)では何をすることがありませんか。
14 聖書を信仰している人の多くがこの聖句を読むと,これはたとえ話ではなくて物事の実際の状態だと言います。もしそうとすれば,イエスの言葉はおかしなものになります。それはヘーデース(黄泉)またシェオール(陰府)について,聖書の他の部分に述べられている事柄と矛盾します。今日,中東の町ヘブロンの回教寺院をおとずれ,アブラハム,イサク,ヤコブの埋葬場所と言われる墓を見てごらんなさい。人々は,貧乏人のラザロと「ある金持」(いわゆるダイビーズ)もそこに葬られていると言いますか。そのような事はありません。そのうえ聖書によれば,黄泉また陰府は一部の死者にとって楽園,他の死者にとって火の責苦の場所という風に変化するものではありません。それはあらゆる点において沈黙と無活動の場所です。そこにいる死者は語ることをせず,神をほめることさえしません。黄泉また陰府には,知恵も知識もはかりごともないのです。―イザヤ 38:18。伝道の書 9:5,10。詩 6:5。
15 イエスはたとえの中でアブラハムをどのように用いていますか。なぜそれは適切なことですか。
15 正しい心を持つ聖書の読者ならば,ルカ伝 16章19節から31節にあるイエスの言葉がたとえ話であることを理解するに違いありません。そしてイエスのたとえの中で,アブラハムが天の父エホバ神を表わしていることを理解するでしょう。エホバ神はアブラハムに対し,そのすえすなわち子孫によって天下の民を祝福することを約束されました。アブラハムが神の言葉に従って息子イサクを犠牲としてささげたように,エホバ神はみ子イエス・キリストを犠牲にされました。イエス・キリストは天下のすべての民を祝福するとアブラハムに約束されたすえです。―創世 22:1-18。ヨハネ 3:16。
16 従って金持ちとラザロはだれを表わしていますか。この説明は何に基づいていますか。
16 従って「ある金持」と「ラザロという貧乏人」は,実際の人物ではありません。それぞれの人は単に二つの級に属する人々を表わしているのです。一つの級は大いなるアブラハム,エホバ神から恵まれた立場にあったのに,それを失ったという意味において死にました。そしてその後地上で宗教的に経験する事柄から苦しみを受けます。他の級は宗教的に恵まれない立場にはじめおかれ,そのような立場に関しては死にました。そして天使の力に導かれ,犠牲となったみ子イエス・キリストを通して大いなるアブラハム,エホバ神の恵みの中に入れられます。イエス時代,族長アブラハムの子孫であった人々の間には,宗教的に見て二つの級があり,それぞれが実際に経験した歴史上の事柄に照らして,イエスの預言的なたとえ話をこのように理解し,説明できます。a
17 アブラハム,イサク,ヤコブはいま何を待っていますか。アブラハムはその事に対する信仰をどのように表わしましたか。
17 陰府(シェオール)のアブラハム,イサク,ヤコブは,黙示録 20章12節から14節の成就を待っています。その成就する時,シェオールは死人を出し,彼らは死人の中からよみがえるでしょう。神から命ぜられた通り愛する息子を犠牲にしようとした昔のアブラハムは,死者の復活に信仰を表わしました。ヘブル書 11章17節から19節はその事を述べています。「信仰によって,アブラハムは,試練を受けたとき,イサクをささげた。すなわち,約束を受けていた彼が,そのひとり子をささげたのである。この子については,『イサクから出る者が,あなたの子孫と呼ばれるであろう』と言われていたのであった。彼は,神が死人の中から人をよみがえらせる力がある,と信じていたのである。だから彼は,いわば,イサクを生きかえして渡されたわけである」。
18 アブラハムがイサクを受け戻した事は,何を表わしていましたか。それは詩篇のどの言葉の成就ですか。
18 このようにアブラハムが祭壇の上から息子イサクを生きたまま渡されたことは,大いなるアブラハム,エホバ神がひとり子イエス・キリストを復活させて死から受け戻すことを表わしていました。このことは詩篇 16篇10節の成就です。「あなたはわたしを陰府(シェオール)に捨ておかれず,あなたの聖者に墓を見させられないからである」。
19,20 (イ)復活に関してイエスの論じた事柄から,アブラハム,イサク,ヤコブが確かに復活することは,どのように証明されますか。(ロ)こうしてイエスは神のどんな目的を示しましたか。
19 アブラハム,イサク,ヤコブがやがて復活することは確かです。イエス・キリストの言葉は,それをますます確かなものにしています。イエス時代に存在した一つの宗派サドカイ人は死者の復活を信ぜず,復活の不合理なことを証明しようとして,イエスにこうかつな質問をしました。彼らは7人の夫を持った女について尋ねました。
20 彼らが問題にしていることは,復活の際,神にとって何の妨げにもならない事を示して,イエスは次のように言われました。「あなたがたは聖書も神の力も知らないから,思い違いをしている。復活の時には,彼らはめとったり,とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。また,死人の復活については,神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく,生きている者の神である」。(マタイ 22:29-32)つまりこれら3人の族長が永久に死んだままになっているとすれば,神はアブラハム,イサ,ヤコブに関して「わたしは……神である」とは言われなかったに違いありません。むしろ「わたしは……神であった」と言われたことでしょう。しかしこれら3人の忠実な人を復活させ,再び「生きている者」にするご自身の目的を知る神は,「わたしは,(彼らの)神である」と言われました。―マルコ 12:24-27。
21 どんな意味において,3人の族長は神の前で「生ける」者ですか。
21 アブラハム,イサク,ヤコブが復活して再び生きることは定まっているため,モーセに告げられた神のことばは,すでに生きているかの如く,彼らを「生ける」者と呼んでいます。ルカ伝 20章37,38節によれば,イエスはこう言われました,「だが死人のよみがえることは,モーセでさえも,柴の話の中でエホバを『アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神』と呼んだとき,これを明らかにした」「神は死にたる者の神にあらず,生ける者の神なり。それ神の前には皆生けるなり」。(新世と文語)アラビアの荒野の燃える柴のところでエホバ神がモーセに語ったとき,アブラハム,イサク,ヤコブが生きていたという意味ではありません。モーセの時代に彼らが生きていたとすれば,シェオールまたヘーデースからよみがえる必要はなく,エホバの言葉は復活があることの証明にならなかったでしょう。しかし復活のあることは神のお目的であるゆえに,神はこれら3人の族長がすでに生きているかのように言われたのです。やがて復活があるという観点からすれば,彼らはみな神の前で「生ける」者でした。
先祖たちはどうか
22 (イ)アブラハムの先祖に関してどんな質問が起きますか。その答えはどのように得られますか。(ロ)アブラハムは死ぬ時だれのもとに行きますか。その事は何時おきましたか。
22 しかしここでアブラハムの先祖たちについて考えなければなりません。何千年も前に死んだこれらの人々はどこにいますか。彼らも復活を受けますか。たしかな答えはどこから得られますか。文字に書かれた神のことばからです。創世記 15章15節によれば,エホバ神は約束の地にいたアブラハムに,「あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう」と告げました。この言葉は90年後に成就しました。「アブラハムは高齢に達し,老人となり,年が満ちて息絶え,死んでその民に加えられた。その子イサクとイシマエルは彼をヘテびとゾハルの子エフロンの畑にあるマクペラのほら穴に葬った。これはマムレの向かいにあり,アブラハムがヘテの人々から,買い取った畑であって,そこにアブラハムとその妻サラが葬られた」― 創世 25:8-10。
23 アブラハムは死んでどの民に集められましたか。従ってその人々についても,何が真実ですか。
23 このようにして,神が言われた通り,アブラハムは安らかに先祖のもとに行き,その民に加えられました。アブラハムの先祖とはだれであり,その民とはだれでしたか。アブラハムの父は,カルデヤ人の町ウルの人であったテラです。創世記 11章にしるされたアブラハムの先祖の系図は,9代さかのぼってノアの子セムにまで達しています。ノアはアブラハムの生まれる2年前に死んでいますが,セムはアブラハムの死ぬ25年前まで生きていました。死んだとき,アブラハムはその民であるこれらの人々に加えられ,その先祖であるこれらの人々のもとに安らかに行きました。従ってどういう事になりますか。アブラハムが死んでシェオールつまりヘーデース,すなわちその後イサク,ヤコブも最後に行ったその場所に行ったとすれば,ノアにまでさかのぼるアブラハムの先祖また民もシェオールつまりヘーデースにいるに違いありません。彼らはキリストによる神の国の下で死者の復活する時を待っています。
24 アブラハムの息子イシマエルは,死んでだれのもとに集められましたか。その場所はどこですか。
24 イサクの異母兄弟イシマエルは,アブラハムがエジプト人の仕え女ハガルによってもうけた子でした。イシマエルは137年の生涯を終え,創世記 25章17節にある通り,「息絶えて死に,その民に加えられ」ました。その民の中には,90年前イシマエルとイサクの葬ったアブラハムも含まれています。こうしてイシマエルもシェオールまたヘーデースすなわち死んで土の塵の中に横たわる人間一般の墓に加えられました。
25 モーセの兄弟アロンは死んでだれのもとに集められましたか。それは何時のことですか。
25 文字に書かれた神のことばは,死んで先祖に加えられた人々のことを他にも述べています。族長ヤコブがエジプトで死んで115年後に,ヤコブのひ孫の子アロンが生まれ,その3年後にはアロンの兄弟で預言者となったモーセが生まれました。アロンが123歳のとき,神は言われました,「アロンはその民に連ならなければならない。彼はわたしがイスラエル人に与えた地に,はいることができない」。それで神の大祭司アロンは,約束の地の東にあるホル山で死にました。(民数 20:23-29)同じ年の後日,エホバは預言者モーセに言われました。「あなたは……兄弟アロンのようにその民に加えられるであろう」― 民数 27:13。
26 モーセはどこでその民に加えられましたか。彼はいまどこにいますか。
26 この事の起こる前に,エホバはモーセに命じて,敵ミデアン人にあだを報いさせました。(民数 31:1,2)紀元前1473年,モーセの死の日にエホバは,ネボ山にのぼって約束の地を見渡すようにモーセに告げ,モーセがその民に加えられると言われました。(申命 32:48-52)モーセはこの言葉に従いました。モーセの死後に書かれた記録は次のように述べています。「かくの如くエホバの僕モーセはエホバの言のごとくモアブの地に死り エホバ ベテペオルに対するモアブの地の谷にこれを葬り給へり 今日までその墓を知る人なし」。(申命 34:5,6,文語)モーセの墓がどこにあるにしても,モーセはシェオールすなわちヘーデースに行きました。神は王キリストを用いてモーセやアロンを復活させ,そこから二人を救い出すことができます。
27 ヨシュアと当時の人々は死んでだれのもとに集められましたか。そのとき彼らはどこに下りましたか。
27 神の選民の見えるさばき人としてだれがモーセの後を継ぎましたか。それはヌンの子ヨシュアでした。ヨシュアはヨルダン河を渡って約束の地に選民を導き入れ,また死ぬまで神に忠実でした。ヨシュアまた当時の人々について,士師記 2章8節から10節に次のことが出ています。「エホバの僕ヌンの子ヨシュア百十歳にて死ねり ひとびとエフライムの山のテムナテヘレスにあるかれらの産業の地においてガアシ山の北にこれを葬れりかくてまたその時代のものことごとくその先祖のもとにあつめられ その後に至りて他の時代おこり(き)」。(文語)これらの人々が先祖に加えられたことは,みなシェオールすなわちヘーデースに下ったことを物語っています。
28 (イ)ダビデ王は死んでだれと共に横たえられましたか。(ロ)西暦33年五旬節の日,使徒ペテロはダビデがどこにいると述べましたか。
28 何世紀ものち,エルサレムのダビデはイスラエル12支族の王となりました。ダビデはエルサレムで治めた最初のユダヤ人の王です。多くの詩篇を書いたダビデは,その中でシェオールすなわちヘーデースからの救いについて何度も語っています。(詩 16:10; 18:5; 30:3; 86:13)ダビデは賢い子ソロモンが父の後を継いでエルサレムの王となるのを,生きて見ることができました。「ダビデはその先祖と共に眠って,ダビデの町に葬られた」。(列王上 2:10。使行 13:36)ダビデはシェオールすなわちヘーデースの先祖に加わりました。時は流れて西暦33年のシャブオス(五旬節)の祭の日に,ダビデはなおシェオールすなわちヘーデースにいると述べられています。その日クリスチャン使徒ペテロは,(ダビデの作った)詩篇 16篇が,約束されたダビデのすえイエス・キリストに成就したことを述べました。ペテロはダビデに関して次のように語っています,「彼は……キリストの復活をあらかじめ知って,『彼は黄泉(ヘーデース)に捨ておかれることがなく,またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。このイエスを,神はよみがえらせた。そして,わたしたちは皆その証人なのである……ダビデが天に上ったのではない」。(使行 2:1-34)ペテロの言葉によれば,ダビデの復活は将来のことです。
29,30 (イ)女預言者ヒルダは,ヨシヤ王がだれのもとに集められると告げましたか。それは何時,成就しましたか。(ロ)ヨシヤ王以前の王すべてが,同じ場所に埋葬されましたか。
29 ダビデの後,エルサレムの王位についた忠実な王の一人に紀元前7世紀の人ヨシヤがいます。ヨシヤは民をエホバ神の律法に立ち帰らせ,国に災が臨むのを防ぐために力をつくしました。国の前途に関し,預言者ヒルダを通して伺いを立てたヨシアは,神から次の約束を得ました。「わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは安らかに墓に集められ,わたしがこの所に下すもろもろの災を目に見ることはないであろう」― 列王下 22:20。
30 ヨシヤはメギドの戦いで負傷して死にました。それで後にエルサレムに臨んだ恐ろしい災いを見ることはなかったのです。ヨシヤが深い傷を負ったとき,「家来たちは彼を車から助け出し,王のもっていた第二の車に乗せてエルサレムにつれて行ったが,ついに死んだので,その先祖の墓にこれを葬った。そしてユダとエルサレムは皆ヨシヤのために悲しんだ」。(歴代下 35:22-24)ヨシヤの前に出たエルサレムの王すべてが,エルサレムにある「イスラエルの王たちの墓」に葬られたわけではありません。―歴代下 28:27; 21:20; 24:25; 32:33; 16:14。
31,32 (イ)これら昔の人々がその民のもとに集められるとすれば,それぞれの墓について何が言えますか。(ロ)彼らはみなどこから復活しますか。どのように?
31 これらの王たちや族長がその民に集められる,すなわち先祖のもとに行き,先祖と共に横たわるという事は,みな同じ墓に葬られるという意味ではありません。族長アブラハムが死んで「その民に加えられた」と言っても,父のテラと同じ墓に葬られているわけではありません。テラは北に遠く離れたメソポタミア渓谷のハランで死にました。またアブラハムはノアやセムと同じ墓に葬られていません。
32 ホル山で死んだ大祭司アロンや,ネボ山で死んだモーセはその民に加えられました。しかし約束の地にあるヘブロン近くのマクペラのほら穴にその先祖アブラハム,イサク,ヤコブと共に葬られたのではありません。彼らはみなシェオールすなわちヘーデースに集められました。そのすべては死んでひとつのシェオールすなわちヘーデースに横たわっています。黙示録 20章13節によれば,死者はそこから復活するのです。
[脚注]
a 「宗教は人類の為に何を成したか」第19章(貧しき者,アブラハムのふところに移さる)224-234頁および285頁11節。