出発当初の人類に対する神の支配権
「エホバはそのみくらをもろもろの天にかたくすえたまえり その政権はよろずのもののうへにあり」― 詩 103:19。
1 わたしたちはみなひとつの「体系」の中に生まれてきていますが,わたしたちがここでいう「体系」とは何ですか。それをどう評価すべきですか。
わたしたちはみなひとつの「体系」の中に生まれてきました。わたしたちはこのことばをこの地球上に存在する事物の体制という意味で用いているでしょうか。そうではありません。それは地球がきわめて小さな部分を占めているに過ぎない体系のことです。宇宙の果てに広がる体系のことです。それは,おびただしい数の,太陽のような天体からなる銀河系を包含してなお余りあるものです。人間の造った大望遠鏡が今日までに観測し得たすべての宇宙を包含するものです。この体系は,「光年」という距離の単位を使って測定しなければならない程途方もなく大きなものです。その巨大さはともかくとしてそれがすばらしい体系であることはだれもが認めざるをえません。それは,今日の反抗的な若者が生まれた時よりも,人類がこの地上で生活の営みを始めた時よりも以前からすでに存在していました。わたしたちはだれひとりとして,自分の意志で,あるいは自分から選んで,この体系の中に存在するようになったのではありません。だからといって,わたしたちはこの体系に異議を唱えられるでしょうか。
2 この「体系」を支配しているのが人間でありえないのはなぜですか。わたしたちの理性はそれを支配する者についてどんなことを示しますか。
2 この気の遠くなるような広大な体系を支配しているのはだれですか。それは人類が存在する前からすでに整然と秩序を保って活動していました。それは永久に活動をつづけるのにわたしたちを必要としてはおらず,空間にかかって調和の取れた働きを行なっています。言うまでもなく,それはわたしたちにとってあまりにも大きく,わたしたちの力の範囲をはるかに超えたものです。ミサイルや宇宙船,またレーダーを使って地球から制御できるものでもありません。これは偶然にできた体系ではありません。これほどの調和に満ち,高度に組織され,完全な運行を見せるこのような「体系」が,ふとしたことで,つまり偶然に存在するようになる可能性を科学的に計算したとすれば,その確立は何十兆分の1という,ありうべからざる割合になるでしょう。それが無から生じるはずはありません。無からは何ものも生じないからです。この体系の中に蓄積されている膨大なエネルギーが,中味のない真空状態から,空所から生じることはありえません。わたしたちに賦与されている理性の力によって判断すると,それは無限の力とエネルギーの中心源からもたらされるものであるはずです。しかもその「源」たるものは,全能であることに加えて,知性を,知識を備えているべきです。体系を動かさなければならないからです。
3 (イ)この見える「体系」の支配者についてわたしたちはどんな結論を下さねばなりませんか。そのような支配者にふさわしい名前は何ですか。(ロ)聖書が与えている称号は何ですか。
3 わたしたちは,「愚かな」行動,つまり,弁えのない,分別を欠いた,非科学的な行動を取りたくないものです。理性と知性を備えた人間であれば,美,構想,力に富むこの驚くべき「体系」を動かす偉大なかたは,わたしたちの弱少な肉眼には見えないとはいえ,知性を有する実在者であるということを,受け入れざるをえません。この実在者を呼ぶのに,「神」にまさる称号を思いつく人がいるでしょうか。地上で最も重要な本は,この「神」という称号でもって問題の実在者を呼んでいます。その冒頭の節が示すとおりです。『元始に神天地を創造たまえり』。聖書のこの部分を書くのに用いられた原語では,日本語の「神」ということばはエロヒムです。「神」という称号を全く排除した「聖なるみ名の聖書」(英文)では,この節は次のようになっています。『はじめにエロヒムは天と地を創造された』。(創世 1:1)天と地を創造されたこのかたは,本の中の本である聖書に対して責任を持っておられ,2,000ページ以上を擁するこの本は,最初から最後に至るまで,知性を有するこの創造者が,完全なわざを行なう神であり,また完全な知恵と公正と愛と力の神であることを明らかにしています。神はこの見える「体系」を完全に統御することができます。
4,5 (イ)聖書によると,この地球は何に支えられていますか。わたしたちの地球は,体系全体に比較するとどのくらいの大きさですか。(ロ)ヨブに対してなされたどんな質問が科学者に向けられるべきですか。
4 わたしたちの地球はなんら物質に支えられることなく,空間に浮いています。聖書が,ほとんど3,500年前の族長ヨブに関する記述の26章7節に述べているとおりです。『彼は北の天を大空に張り 地を物なき所にかけたもう』。無数の天体に比べると,この地球は,ぼう大な量の宇宙塵の中の,一点のちりのようなものです。創造の神はこの膨大な体系全体を統御,支配されるのですから,地の支配者でもあるはずです。地上の人間の支配権ではなく,神の支配権が,地に対する真の,初めからの正当な支配権です。創造者がご自分の創造物を治めるのは当然のことです。地球を人類の永遠の住みかとして創造することに,人間はなんら寄与しませんでした。この重要な点について,神が族長ヨブになさったと同じ質問が,現代の科学者や進化論者に向けられるべきです。それは地球の創造に関する質問で,神はヨブにこう言われました。
5 『なんじ腰ひきからげて丈夫のごとくせよ我なんじに問わん なんじわれに答えよ 地の基を我がすえたりし時なんじいずこにありしやなんじもしさとりあらば言え なんじもし知らんには誰が度量を定めたりしや 誰が準繩を地の上に張りたりしや その基は何の上におかれしや その隅石は誰がすえたりしやかの時にはあけの星あいともに歌い,神の子たちみな歓びて呼ばわりぬ…なんじ生まれし日よりこのかた朝にむかいて命を下せし事ありや またよあけにその所を知らしめこれをして地の縁を取らえて悪しき者をその上より振り落とさしめたりしや』― ヨブ 38:3-13。
6 (イ)地球の創造をだれが目撃したと神は言われましたか。(ロ)わたしたちは神が6000年前に,ご自分の創造のわざについて言われたことを批判する立場にはありません。なぜですか。
6 この質問に対して,今日のわたしたちはみな,その場に居合わせませんでした,と謙虚に答えざるをえません。神が『あけの星』また『神の子たち』とここで呼んでおられる者たちは,地球の創造を目撃し,見える「体系」のこの小さな部分にみな歓喜しました。そうであれば,それより劣るわたしたち人間が,わたしたちのために地の住みかを創造されたその仕方について神を批判する理由がどこにあるでしょうか。神が地球を人間の住みかとするための準備を終え,そこに人間を置かれたときのことを,聖書は最初の章の最後の節でこう述べています。『神その造りたるすべての物を見たまいけるにはなはだ善かりき』。(創世 1:31)創造者ご自身が,ご自分の創造した地をごらんになって,『はなはだ善い』とお考えになったのであれば,それより6,000年後に現われたわたしたちが,人間の観点からは『はなはだ善い』とは言えない,などとどうして言いうるでしょうか。6,000年前,神が最初の男と女を完全な人間として創造し,ふたりを喜びの楽園に置かれたときの地の状態を今日批判するとは,わたしたちはいったい何者なのでしょうか。今日の地の汚染された状態は,真実の批判を下す根拠とはなりません。
7 (イ)人類は最初どんな支配のもとにありましたか。しかし人類はどんな態度をもって現在に至るまでの何千年間,地を支配してきましたか。(ロ)支配権にかんするどんな質問に対してわたしたちは今決定をしなければなりませんか。
7 わたしたちがここに存在しているのは創造者の恩恵によります。であれば,創造者である神を無視して,われわれ人類が意のままに地を治める権利がある,などと考えるわたしたちはいったい何者だというのでしょうか。ところが,人類の歴史は,人間が実にそうした態度をもって,幾千年にわたり地を治めてきたことを示しています。人類は,人が最初に創造された当時,神の支配を享受していました。今日,人類は,神を無視し,神の支配権を侮る人間の支配の下で苦しんでいます。不完全な人間の支配者は,あらゆる国民が,自分たち,すなわち人間の支配者と同様に人間の支配のみを頼りとし,神の支配権を侮ることを望んでいます。過去のどの時にもまして,わたしたちが決定を迫られている問題は,神の支配権 ― わたしたちはそれを支持するか,それともそれに反対するか,というものです。それを支持することは何を意味しますか。わたしたちがそれに反対するなら,わたしたち自身とわたしたちに依存している人たちにどんな結果が及びますか。この点を調べてみることにしたいと思います。なぜなら,わたしたちは自分と自分に関係ある者たちとに幸福となる道を選びたいと思うからです。
神の支配権に反対する人びとのたどる道
8 (イ)神の支配権に反対する人びとには,どんな仲間のあることが考えられますか。(ロ)彼らは神の支配権に対する敵意が常に存在していたかどうかに関し,何を認めねばなりませんか。
8 今日,神の支配権,すなわち,地に対する神の支配権に反対する者には大勢の仲間がいます。おそらく自分で知っているよりも,あるいは気づいているよりもはるかに多くの仲間がいるでしょう。その中には,彼らが,自分たちの側にいて自分たちと関係をもっているということを認めたくない者もはいっていることでしょう。これはどういう意味ですか。彼らは唯物論的な考えを抱いているために,霊的なものの存在をいっさい認めず,霊者である神の存在さえも否定します。少なくとも,神や,知性を持つ他の霊者の実在について真剣に考えません。彼らがそうした意見や態度を持つ,理にかなった根拠は実際には何もありません。それにもかかわらず,明白な事実に目をつぶったまま,自分の考えを固執しているのです。しかしながら,彼らは神の支配権へのこの敵対には始めがあったことを認めざるをえないでしょう。それが6,000年前に始まったことを証明する歴史の記録があります。それは人間から始まったのではありません。人間はそれに巻きこまれたのです。
9 (イ)神の支配権に対する反抗はだれから始まりましたか。だれの苦しい経験は,その者が実在することを証明しましたか。(ロ)ヨブはだれの支配権を支持しましたか。それでサタンはヨブの何を試みることを望みましたか。
9 では神の支配権に対する敵対はだれから始まったのですか。それは,へびのような,人類より下等な生き物からではなく,神が族長ヨブに『神の子たち』として語った者たちのひとり,人類より優れた被造物から始まりました。(ヨブ 38:7)ヨブは,この神の支配権への敵対を始めた者のために,苦しい経験をしました。彼は,その者の名がサタンであることを教えられました。ヨブの話したことばでは,サタンという名は,「反抗者」ということと同じでした。しかし,だれに反抗する「反抗者」なのですか。いうまでもなく,神に反抗する反抗者です。ヨブは神の支配権を支持していました。サタンは,神の支配権を擁護するヨブを滅ぼそうとすることにより,自分が神に反抗していることを証明しました。サタンは,神ご自身にとって想像上の者でないのと同様に,ヨブにとっても想像上の存在ではありませんでした。ヨブの厳しい経験が終わったのち,彼の苦難と試練に対してだれに責任があるかを神はヨブに明らかにされました。それはこのサタンでした。サタンは天における「神の子たち」の集会に出たことがありましたが,彼はその場で神に,ヨブから保護を取り去り,神の支配権に対するヨブの忠誠を自分に試みさせてほしいと頼みました。
10 行動の自由が与えられるなら,ヨブに何をさせることができるとサタンは主張しましたか。ヤコブ書 5章11節は,ヨブがそれに屈服したかどうかについて何を示していますか。
10 自分に行動の自由が与えられるなら,神をあからさまにのろうようにヨブを仕向けることができる,とサタンは主張しました。これは西暦前17世紀という昔のことでした。ヨブの忍耐と忠実の試みは聖書のヨブ記に記録されており,わたしたちはそれを読むことができます。サタンは,神に反抗する者たちの,神の支配権に反対する陣営に,ヨブを強制的に加わらせることに成功したでしょうか。その時から16世紀以上たってから,イエス・キリストの異父兄弟でクリスチャンの弟子であったヤコブはこのことについて次のように書きました。『視よ,我らは忍ぶ者を幸福なりと思う。なんじらヨブの忍耐を聞けり,〔エホバ〕の彼に成し給いし果てを見たり,すなわち〔エホバ〕は慈悲ふかく,かつあわれみあるものなり』― ヤコブ 5:11〔新〕。
11 ヨブが神に向かってのろうことをしなかったために,神がサタンに勝を得たことを記録はどのように示していますか。
11 ヨブの場合,エホバ神はサタンに対して勝ちを制しました。サタンは偽り者であることが実証されました。どうしてですか。サタンがヨブに試練をもたらしたときのことを,記録はこう述べています。『この事においてヨブは全く罪を犯さず神にむかいて愚かなることを言わざりき』。彼の妻は,ヨブの状態が絶望的となり,彼に対する望みを断念したとき,『汝はなおも己を全うして自ら堅くするや 神をのろいて死ぬるにしからず』と言いました。しかし,ヨブは彼女にこう言いました。『汝の言うところは愚かなる女の言うところに似たり 我ら神より福祉を受くるなれば災禍をもまた受けざるを得んや』。故に,『このことにおいてはヨブまったく そのくちびるをして罪を犯さざりき』と記録されているのです。最後に,ヨブのために事態を逆転させる前に,エホバはヨブの3人の偽善的な批評家に次のように言われました。『我なんじと汝の二人の友を怒る そはなんじらが我につきて言い述べたるところは わがしもべヨブの言いたることのごとく正しからざればなり』。(ヨブ 1:1-22; 2:9,10; 42:7,8)これは実際にはサタンに対する叱責となり,彼は中傷者,すなわち悪魔であることを暴露されました。
12 ヨブの時代からどのくらい前に,そしてどこで,神の支配権に対する論争は提起されましたか。結果として,神の創造の七日目すなわち安息日はどうなりましたか。
12 こうして,この歴史上の人物,ウヅの地のヨブは,全能の神であるエホバへの忠実を守り通しました。ヨブは神の支配権を支持しました。しかし,サタン悪魔が神の支配権に関する論争を提起したのは,ヨブの試練よりも2,400年以上前のことです。つまり,エホバが,ウヅの地から北東数百キロの所にエデンの園を設けてまもなくのことです。エホバはその喜びの楽園の中に,神の支配権に服して生活し,仕えるよう最初の男と女を置かれました。それはエホバの創造の第七日目の初め,つまり西暦前4,026年ごろで,今から約6,000年前に当たります。(創世 1:28から2:3)この創造の第七日目,すなわち,地的な創造に関するエホバの大安息日は,天と地のすべての創造物が神の支配権に忠節に服し,平和にすぎて行ったでしょうか。今日の人類の経験に照らしても,また過去6,000年にわたる地上の歴史を振り返ってみても,答えは否です。エホバのこの大安息日の平穏な状態は,ほとんどその当初から乱されはじめました。
13 ひとりの天の「神の子」は,どのように自らを誘惑する原因をつくりましたか。それは彼を何に引き入れましたか。
13 その重大な時に,エホバがエデンの園で男と女を創造するのを目撃した天の『神の子たち』のひとりは,自分の心に利己的な欲望を取り入れ,その欲望に引きずられ,唆かされるままに神の支配権から離れてゆきました。彼は,この人間夫婦に対する神の正当な支配権をそねみはじめました。神はふたりに,幸福な大家族を育てあげて全地を満たし,エデンの楽園を地の果てにまで広げるよう命令したのです。(創世 1:26-28)この天的な「神の子」は,今や自分の生んだ誘惑のとりことなり,その最初の人間夫婦と,地を満たすその家族とに対する支配権を得ることを望むようになりました。彼はその利己的な欲望を培い,その欲望は熟して罪を生むに至りました。その罪は,すべてのものの神聖なる支配者である至高者,全能の神エホバに対する反抗の道を彼が取りはじめたことでした。このようにして,この天的な「神の子」は自らをサタンに,つまり反抗者に変えてしまいました。この点に関し,神が天の,あるいは地のだれかを悪へ,よこしまな道へ誘惑したかのように,神を非難することは決してできません。―ヤコブ 13:1-15。
14 エデンでのサタンは,エホバのみまえにおける「神の子たち」の集会の時よりもどのようにちがった方法で事を始めましたか。どのようにエバに耳を傾けさせましたか。
14 その時エデンの園において,エホバ神の前に神の天の子たちが集まったとは記録されていません。また,サタンが自分の心を明らかにし,ヨブの時のように,エデンの園にいるアダムとエバの周辺から保護を除き去るよう至上の支配者エホバに願ったわけでもありません。その時,生活の全領域にわたって,悪はなかったのですから,最初の人間夫婦が保護を必要とするものは何もありませんでした。したがってサタンは,アダムとエバに攻撃をかけてふたりを試み,神の支配権に服するそれら地上の臣民が神に対して罪を犯すようにさせるため道を作ってくださいと,エホバに願う必要はなかったのです。自らの誘惑に屈した彼は,アダムとエバの前に誘惑をしかけることにより,自ら大誘惑者となりました。自分の利己的な意図を神の天の子の他の者たちにはだれにも知らせず,卑劣にも偽装を用い,こうかつにもエデンの園にいたヘビを見かけは無害の手先として操ってわなをしかけました。女エバは,人間として完全であったにもかかわらず,自分を誘惑するため,目に見えない霊者であるサタンがへびを通して腹話術を使っていることに気づきませんでした。そのため,聴くのを拒む代わりに,聴いてしまいました。
15 サタンはどのようにして自分を悪魔に変えましたか。また,どんな道を歩むようエバを感化しましたか。
15 神の反逆的な子となったサタンはへびを使って,善悪の知識の木に関する神の律法を攻撃し,神がご自分の神聖な支配権を悪用しているかのように見せかけました。こうしてサタンは,禁じられた木の実を食べることに関するご自分の律法を破る行為に対して,神は罰を執行することはできない,つまり,神を偽り者であるとすることにより,自らを中傷者を意味する悪魔に変えました。エバは神の支配権を侮り,人間の自治を行なうことにより死ぬでしょうか。死ぬことはない! と,サタン悪魔はへびを通して言いました。『なんじら必らず 死ぬる事あらじ神なんじらがこれを食らう日にはなんじらの目開けなんじら神のごとくなりて善悪を知るに至るを知りたもうなり』。今日わたしたちが肉眼で悪魔サタンを見ることができないのと同様,エバも彼を見ることはできませんでした。禁じられたものに対する新たに形づくられた利己的な欲望に引きずられ,唆かされるままに,彼女は神の支配権に疑いを抱き,神の律法を破ることにより人間の罪を生む者となりました。サタン悪魔は,エバが次に自分のかしらである夫アダムに,禁じられた実を自分とともに食べるよう説得を試みるであろうことを知っていました。―創世 3:1-6。
16 アダムはどのようにして,禁じられた実を手にするようになりましたか。どんな基本的な問題にかんして決定をしましたか。その決定はだれに影響を及ぼしますか。
16 エバは自分とともに違犯に加わる者を求めていました。自分の夫が自分の側に加わるよう望みました。彼はエバの勧めで禁じられた木から実を取ったのではありません。妻が彼に実を差し出したのです。彼女の声はこのうえなく哀願の響きを帯びたものとなり,禁じられた実を自分といっしょに食べるよう彼を誘惑します。彼女は惑わされていたため,それが彼を殺すことになるとは考えませんでした。こうして,アダムは全人間家族に影響を及ぼす決定を迫られました。彼は,自分自身のためのみならず,自分の腰にあるこれから生まれてくる子孫のためにも決定をしなければならなかったのです。彼は,神の支配権 ― 自分はそれを支持するか,それとも反対するか,という重大な問題に直面しました。禁じられた実を食べると死を招くことになるという,み父の警告の声に聞き従う代わりに,アダムは妻のことば巧みな声に聞き従いました。彼は,「へび」は偽り者,神は真実なかたと証明する道を選びませんでした。反対に,自分の妻を喜ばせる道を選び,彼女の手から,禁じられた実を受け取りました。―創世 3:6,12,17。
人類は悪魔の支配下に入れられた
17,18 (イ)アダムはだれの支配を支持することを決定しましたか。そしてだれの側につきましたか。(ロ)使徒ヨハネはアダムの長子がだれの支配下にいたかをどのように分析していますか。
17 ここにおいて,神の支配権に対する地上の反抗が始まったのです。人間家族の地的なかしらアダムは,人間の自治を支持する決定をしました。同時に,自分ではその時気づいていなかったのかもしれませんが,別のあるものを支持する決定を彼は下していたのです。妻エバと同じく,口をきく「へび」を動かす背後の力であるサタン悪魔を,彼は肉眼で見ることはできませんでした。しかしそれにしても,彼が神の支配権に敵対するサタンの支配権を支持する決定をしていたことに変わりはありません。アダムとエバはその時から,神の支配権,神権支配に敵する,サタン悪魔の側につくことになりました。そのために,アダムとエバは喜びの楽園から追い出され,神ののろいの宿る外の地で家族を生み出すことになりました。彼らの長子カインは,神を恐れる弟アベルを殺害し,自分がだれの支配下にいるかを明らかにしました。(創世 3:17から4:16)この点を指摘しながら,使徒ヨハネは次のように書いています。
18 『われら互いに相愛すべきは汝らが初めより聞きし音信なり。カインにならうな,彼は悪しき者よりいでて己が兄弟を殺せり。何ゆえころしたるか,己が行ないは悪しく,その兄弟の行ないは正しかりしによる』― ヨハネ第一 3:11,12。
19 カインの場合と同じく,今日の人類は神の支配に服していないことをどのように示していますか。
19 これは神の支配権に逆らうことによりどんな重大な結果が生じるかを例証するものです。今日,兄弟が互いに殺し合う兄弟殺しが見られますか。それが非常な規模で見られること,特に世界戦争が起きるときには顕著に見られることをだれひとり否定できません。現代のこの世の知恵を身につけた知識人は,サタン悪魔はそのこととなんら関係がないと言うかもしれません。しかしわたしたちは,それら自説を頑固に主張する人たちよりも権威のある源から,より確かな知識を得ています。今日,兄弟を憎む者また兄弟を殺す者は,カインやアベルの時代と変わりなく,やはり同じ邪悪な者から出ています。ただ,地上の人間家族の第一世紀当時よりも,今日のほうがその数が多いというだけのことです。そうです,使徒ヨハネが兄弟に対する愛と憎しみについて先程のことばを記した,キリスト教史の一世紀当時より多くなっています。したがって今日人類は単に人間の支配下にいるだけでなく,自分にはわからなくても,同時にサタンの支配下にいるということを示す圧倒的な証拠があります。兄弟愛の欠如の増大は,人類が神の支配に服していないことを証明するものです。ヨハネ第一の書 4章8,16節には,『神は愛なり』と述べられています。
20 だれの時代に人類に対するサタンの支配はとぎれましたか。その時までどのような人たちが神の支配権を支持しましたか。
20 アダムとエバが神の支配権に敵する立場を取った日から今に至るまで,人類に対するサタンの支配のとぎれた時が,短期間ではありましたがただ一度だけあります。それは,アダムの家系の10代目の族長ノアの時代のことです。ノア以前には,忠実な殉教者アベルが,彼の崇拝した神の支配権を支持しました。アダムから7代目の預言者エノクも神の支配権を支持しました。エホバ神は明らかに,エノクが不敬虔な反対者によって殺されることがないようにと,奇跡的に彼を地上から取り去られました。それは彼がちょうど365歳のときのことでした。(創世 5:18-24。ヘブル 11:4,5。ユダ 14,15)ノアがだれの支配権を支持したかは,創世記 6章9節の記録から明らかです。こう書かれてあります。『ノアの伝はこれなり ノアは正しき人にてその世の完全き者なりきノア神とともに歩めり』。
21 (イ)イエスのどの預言に照らしてノアの時代に存在した状況を調べてみるのはよいことですか。(ロ)創世記の記録は,ノアの洪水前の時代に神の支配権が認められていなかったことをどのように示していますか。
21 ノアの時代の世界情勢が,彼が600歳になるまでにどのように展開していったかを今日調べてみるのは有益なことです。なぜですか。なぜなら,「事物の体制の終結」における世界情勢についての預言の中で,イエス・キリストは次のような意義深い説明をされたからです。『ノアの時のごとく人の子の来たるもしかあるべし。かつて洪水の前…人々は…洪水の来たりてことごとく滅ぼすまでは知らざりき,人の子の来たるもしかあるべし』。(マタイ 24:3,37-39)洪水以前の当時行なわれていた食べたり,飲んだり,結婚したりすることのほかにも,神が全地を襲う洪水をもたらさなければならない事態が存在していました。それは創世記 6章11,13節に述べられている事柄で,そこにはこう記されています。『時に世神のまえに乱れて暴虐世にみちたりき 神ノアに言いたまいけるはすべての人の終りわが前に近づけり そは彼らのために暴虐世にみつればなり 視よ我彼らを世とともにほろぼさん』。このことから,神の支配権が認められていなかったことは明りょうです。
22,23 (イ)洪水前の時代に,サタンの支配は女を『とつがせなど』したことと関連してどのようにその力を増し加えましたか。(ロ)天使と人間の結婚から生まれたネピリムが,人類にとって道徳的に助けとならなかったことは何から明らかですか。
22 洪水前の時代に,人間家族に対するサタンの支配は力を増し加えることになりました。どのようにしてですか。イエスは,ノアの時代に触れたさい,『とつがせなどし』と述べておられます。(マタイ 24:38)当時とついだ女の中には,創世記 6章4節で『神の子たち』と呼ばれている者たちの妻になったものが多くいました。その者たちは,かつてサタン悪魔がそうであったように,天的な「神の子」でしたが,結婚の相手になる,人のむすめの『美しさ』のゆえに,地上に下ってそこに住むよう誘惑されました。
23 そこで,それら天的な『神の子たち』は,化肉して人間の姿を取り,『その好む所の者を取って妻としました』。おのおの二人以上の妻をめとったことでしょう。そうした天使と人間の結婚から生まれた子孫の中には,聖書がネピリムと呼ぶ者たちがいました。それは,「打ち倒すもの」,すなわち,だれかを,または何かを,力ずくで倒す者という意味を持ちます。彼らは『勇士にして古昔の名声ある』者でした。(創世 6:1-4)それら混種のネピリム,あるいは打ち倒すものが,純粋な人種にとって少しも道徳的な助けとならなかったのは明らかです。なぜなら,聖書はその後の状態について,地は乱れ,暴虐が満ちたと告げているからです。これは明らかに,『神の子たち』である天使が,性的な満足を得るために「人の女子」と結婚することにより,罪深い行動をしていたことを証明するものです。
24 (イ)それらの結婚した『神の子たち』は罪を犯しましたか。だれの側につきましたか。(ロ)洪水の時,ネピリムはどうなりましたか。結婚した『神の子たち』はどうすることを余儀なくされましたか。
24 それら神の天の子たちが,目に見えない霊的な身分,また天界の神の奉仕における自分たち固有の住みかを去ることにより罪を犯したことは,聖書に明確に述べられています。(ペテロ前 3:19,20。ペテロ後 2:4,5。ユダ 6)そういうことをした彼らは疑いなく,天においても地においても,神の支配権に反対するものでありました。つまり,サタンの支配の側に,その下にいたのです。彼らの混種の子孫ネピリムは,世界的な洪水のさい生き残りませんでした。そのうちのひとりとして,ノアと彼の三人の息子の作った大きな箱舟には入れられませんでした。母親が人間であったために自らも人間であった彼らは,地の親族とともに洪水でおぼれ死にました。彼らの父である天使たちは自らを非物質化し,不承不承,やむなく天の領域に消えて行きました。そこで彼らはサタン悪魔を自分たちの支配者として,彼に加わることを余儀なくされたのです。
25 サタンの支配はどのように中断しましたか。人類は何のもとで新たに出発しましたか。
25 この世界的な洪水は,人間家族に対するサタンの支配を中断しました。大洪水の間箱舟の中にいた,ノアとその妻,彼の三人の息子と三人の義理の娘は,みな神の支配権を支持しました。彼らは全地をおおった大洪水を生き残りましたが,神の支配権に反対した人たちはことごとく洪水ででき死しました。その結果,ノアと,彼とともに生き残った者たちが箱舟を出て,清められた地を踏んだとき,人間家族は再び神の支配権の下にあったことになります。その証拠に,エホバ神は神聖なる支配者としてノアとその家族に,エデンでアダムとエバに告げたこと,すなわち,明示された神の特定の律法に従って地を自分たちの子孫で満たすよう命令しました。(創世 6:13から9:7)こうして人類は,神の支配権の下に二度目の出発をしたのです。
26 神が今日の地の状態に,より大きな関心を当然示すべきであるのはなぜですか。神がこれに対して,ノアの時代と同様に,何かをなさるかどうか,わたしたちはどのように知ることができますか。
26 地が乱れ,暴虐の満ちた,洪水前のノアの時代の状態が聖書に記されなければならなかったのであれば,この20世紀におけるより大規模な地の乱れ,より広範に及ぶ暴虐は当然言及されなければならないはずです。創造者なる神は,ノアの時代よりはるかに深刻な現代の世界情勢に対し,ノアの時代ほどには関心を示されないでしょうか。一貫性という規準に照らしていうならば,神は現代の情勢に対しはるかに深い関心を示すべきであり,天と地の創造者として何かの手段を講じなければなりません。神の忠実なみ子イエス・キリストは,神がそうすることを預言しました。
[76ページの図版]
洪水前の人びとは,食べたり飲んだり結婚したりなどして,「洪水が来て」神の支配権を無視する者たちをことごとく滅ぼすまで「注意しませんでした」。「人の子の日もまたそのようになるでしょう」― ルカ 17:26,27,新。