エホバに向かう
1 (イ)何がモーセの顔を輝かせましたか。そのためどんなことがありましたか。(ロ)問題の真因をパウロはどのように示しましたか。
「しかし〔エホバ〕に向く時には,そのおおいは取り除かれる」。モーセを中立ちとしてイスラエル人と結ばれた律法契約と新しい契約とを比較し,後者のすぐれた栄光について論じた使徒パウロはこのように書きました。モーセが十戒をしるした石の板2枚をたずさえてシナイ山から下りて来た時,その顔は非常に輝き,民は彼に近づくことを恐れるほどでした。それゆえ,モーセは自分の顔をおおわねばなりませんでした。しかし,パウロの説明した通り,問題はイスラエル人自身にありました。彼らの心と思いが正しくなかったのです。「実際,彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで,彼らが古い契約を朗読する場合,その同じおおいが取り去られないままで残っている」。彼らの心と思いはエホバへの愛の心からの献身に向いていませんでした。むしろ,エホバが彼らについて言われた通り,彼らはかたくなになっていたのです。「彼らの心は,いつも迷っており,彼らは,わたしの道を認めなかった」。―コリント後 3:12-16。出エジプト 34:29-35。ヘブル 3:10,〔新世〕。
2 (イ)今日の世界はこの点でイスラエルに誇ることができますか。(ロ)問題の根本原因はどのように示されていますか。
2 世界全般について語ったパウロは同じ調子をこのように続けています。「わたしたちの福音がおおわれている……滅びる者どもにとっておおわれているのである。彼らの場合,この世の神が不信の者たちの思いをくらませて……キリストの栄光の福音の輝きを,見えなくしているのである」。(コリント後 4:3,4)またイザヤは述べました,「われわれはみな羊のように迷って,おのおの自分の道に向かって行った」。(イザヤ 53:6)問題はここにあります。だれでも自分の道を好みます。しかし,今取り上げた放とう息子のたとえ話の息子たちの誤りはいずれもこの点が根本の原因となっています。弟は放縦な生活を求めました。兄は高慢な気持ちで自分の道を守り,父親の意向にさからいました。
3 どうしたらこうした誤りを避けられますか。どんなことが疑問になりますか。
3 各自の望む道に行こうとすることによる誤まりを避けるためにただ一つ必要なものは,誠実な態度で私たちの心をエホバに向けることです。これは決して容易ではありません。これは今の世界の精神と道,また私たち自身の堕落した肉とは逆の道を行くことです。エホバに帰ろうとする者を,またエホバを探し求める者を助けるために,エホバは近年何を行なわれましたか。
4 (イ)マラキの預言はどんなあわれみあるそなえについて述べていますか。(ロ)この点に関連して,預言の結びのところではどんな事が語られていますか。
4 マラキの預言を回想するなら,霊的なものを必要とする人々を助けるために慈悲深いエホバが必要な動機づけを与えられるということがマラキ書の終わりの2章に示されていたのを思い出されるでしょう。このことはエホバから豊かに祝福され,顕著な存在となり,全地においてエホバの証人として知られる献身した人々に今日実際に見られます。しかし,マラキ書の3章と4章を調べた私たちはその預言の最後の言葉に注意を払いませんでした。そこのところでエホバはこう言われます。「見よ,〔エホバ〕の大いなる恐るべき日が来る前に,わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て,のろいをもってこの〔地〕を撃つことのないようにするためである」。―マラキ 4:5,6,〔新世〕。
小規模な成就
5 だれの,どんな言葉が小規模な成就を理解する鍵となりますか。
5 これらの言葉は心を向けさせる仕事について述べていますから,私たちが今問題にしている事柄との結びつきをもっています。成就においてこれらの言葉をどう理解すべきですか。また,「預言者エリヤ」とはだれのことですか。判断の助けとして,私たちはまずキリストの初臨の時に何らかの成就があったかどうかを知らねばなりません。すでに述べた通り,多くの預言はその時代に小規模な成就を見,今日の再臨時代における大規模な成就の模型,またそれを予見させるものとなりました。マラキのこの預言も例外ではありません。ユダヤの祭司ザカリヤに息子の誕生を告げた天使ガブリエルは,その子について次のように予告しました。「イスラエルの多くの子らを,彼らの神〔エホバ〕に立ち帰らせるであろう。彼はエリヤの霊と力とをもって,みまえに先立って行き,父の心を子に向けさせ,逆らう者に義人の思いを持たせて,整えられた民を〔エホバ〕に備えるであろう」。ザカリヤの子はバプテスマのヨハネになりました。イエスご自身もヨハネについて語られました,「この人こそは,きたるべきエリヤなのである」。ヨハネは心を向けさせるこの仕事をどのように果たしましたか。―ルカ 1:16,17。マタイ 11:14; 17:10-13,〔新世〕。
6 (イ)バプテスマのヨハネの音信と宣教活動はなぜ必要でしたか。(ロ)どのように心の向きは改められましたか。
6 バプテスマのヨハネの音信はきわめて率直でした。「悔い改めよ。天国は近づいた」。これは緊急なおとずれでもありました。ヨハネも述べた通り,当時の世代にはさばきがさし迫っていました。「斧がすでに木の根もとに置かれている」。また,天の御国の代表者イエス・キリストの到来もまさに発表されようとしていました。人々はそなえをしなければなりませんでした。彼らは本心に立ちかえる必要がありました。民の宗教上の指導者は自分たちの言伝えによって「神の言を無にして」おり,その心は神から遠く離れていました。それゆえ人々の心は向きを改め,神に戻ることを必要としていました。ヨハネは取税人,兵卒,またサドカイ人やパリサイ人をも含め,すべて自分のもとに来た人々に健全な助言を与え,「義人の思い」を分かちました。彼の仕事は教育的な仕事であり,それは成功を見ました。これは人々に必要な動機を与えるものとなりました。彼は,霊的なイスラエル人として神の子となるべく心の向きを改めた,『整えられた民をエホバに備え』ました。その人々の心はまた先祖すなわち族長たちの心にも戻っており,アブラハムと同じような信仰を働かすだけの備えをしていました。パウロはこう述べています,「信仰による者こそアブラハムの子である」。―マタイ 3:2,7-12; 15:1-9。ルカ 3:10-14。ヨハネ 1:35-40。ガラテヤ 3:7,〔新世〕。
大規模な成就
7 ヨハネが預言を完全に成就しなかったことはどんなことからわかりますか。
7 マラキのこの預言の大規模な成就は御国の権威と栄光とをたずさえて主イエスが帰られる時に見られます。イエスは人の子が御国の権威を得て到来することについて述べ,それを高い山でペテロとヤコブとヨハネが見た変ぼうの幻と関連づけられました。(マルコ 9:1-8。マタイ 17:1-9)エリヤがその幻にあらわれた事はマラキ書 4章5,6節に将来さらに大きな成就のあることを示していました。この幻が与えられたのはバプテスマのヨハネの死後でしたから,ヨハネが預言を完全に成就しなかった事は明らかです。
8 現代の「預言者エリヤ」はだれですか。
8 それでは,『エホバの大いなる恐るべき日』の警告と心の向きを改めさせる仕事とを委ねられた現代の「預言者エリヤ」はだれですか。すでにふれた預言の中でイエスはその答えを示しておられます。イエスは「時に応じて」霊的な食物をそなえ,そのゆえに『主人の全財産』の管理を委ねられる「忠実な思慮深い僕」について語られました。(マタイ 24:45-47)この忠実なクラスすなわち油注がれた残れる者は今日きわめて顕著な立場に立っています。エリヤ,またバプテスマのヨハネと同じように,この級は偽りの崇拝すべてに対する神のさばきを恐れなく宣明し,敵によって妨げられた1918年までそれを続けました。しかし,1919年,人々を神に向けさせ,「大いなるバビロン」の滅び,とそれにつぐハルマゲドンにおけるサタンの見える政治制度の滅亡を予告する仕事が再開されました。黙示 18:21; 19:11-16。
9 別の預言者が出て来るのはなぜですか。それはだれですか。
9 現代のエリヤ級はこのように心の向きを改めさせる仕事をしてきました。私たちはすでに,放とう息子によってあらわされたとくべつの「羊」,すなわち早くからエホバに仕える機会を持ちながらそれを無駄にしていた人々をも含む「他の羊」のために1935年までになされた予備的な仕事のあとをたどりました。それ以来なにが行なわれていますか。この点をよく理解するためには,預言の原型となったエリヤの活動を十分に知らねばなりません。それに伴って登場するのは別の預言者ですが,それはエリヤの誤まち,ないしは失敗を示すものではありません。バアル崇拝者に対する刑の執行者の任命をエリヤに委ねるにあたり,神はこう言われました。「エリシャに油を注いで,あなたに代って預言者としなさい」。エリヤはすぐこれに応じました。その結果,エリシャは自分のしていたことを捨て,「立って行ってエリヤに従い,彼に仕え」ました。こうしてエリシャは長年にわたりエリヤの指導と訓練を受けるようになりました。―列王上 19:15-18,21。
10 エリヤは最後にどんな奇跡をしましたか。
10 エリヤの最後の奇跡を憶えておられますか。それは外とうで水を打ってヨルダン川の流れを分け,エリヤとエリシャが乾いた地面を歩いて東に渡ったことです。(列王下 2:8)この時,分割点より下流の水は生命の無い死海に流れ込み,上流の水はせき止められました。今日のエリヤ級の仕事もこれに似ています。「水……は,あらゆる民族,群衆,国民,国語である」。(黙示 17:15)すでに述べた通り,地上のクラスの存在は何年も前から予見され,それに所属する人々は次第にあらわれていましたが,象徴的な水の実際の分割と「他の羊」を集める仕事が始まったのは1935年以降でした。集められた者たちは滅びに至る下方への流れからせき止められました。エホバはエリヤ級を用いて象徴的な水の分割の仕事を始められました。この仕事はさいさきの良いスタートを得,その後エリシャ級によって進められました。
11 (イ)どんな奇跡によって二人の預言者は分けられましたか。(ロ)いつ,またどのようにこれは成就しましたか。
11 エリシャの最初の奇跡をおぼえておられますか。それはエリヤの最後のものと同じです。エリシャはエリヤから落ちた外とうで水をうち,足をぬらさずにヨルダンの河床を渡りかえりました。しかし今度,エホバが支援しておられることを除けば,エリシャは一人でした。これら二つの奇跡の間に別のよく知られた奇跡が起きています。それは火の車と火の馬とによってエリシャから分けられたエリヤが暴風によって天に上げられたことでした。これはエリヤ級による仕事が終わることと,同じ仕事がエリシャ級によって継続され,いっそう強化されることを預言的に描いていました。大戦の年1942年の初めに起きた出来事はこの転換をしるしづけるものでした。この時より少し前,第二次世界大戦のさ中にあって,証言のわざはほとんど終わりになるのではないかと思われました。前途はきわめて不確かに見えました。1942年1月8日,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードが死にました。仕事は止まりましたか。―列王下 2:11-14。
12 エリシャ級が使命をわきまえたことは何に示されますか。
12 それとは逆に,油そそがれた残れる者で当時なお生存していた人々からなるエリシャ級は,文字どうり水を分けたエリシャと同じように,象徴的な水を分ける仕事をそのまま続行しました。以前と同じものみの塔協会が出版機関として用いられましたが,これには新しい会長が選出されていました。ラザフォード会長の死を知らせたと同じ号の「ものみの塔」誌には中心記事として「最終的な集合」と題する記事がありましたが,これはエレミヤ記 16章16節に基づくものであり,その後なお立ちかえるかも知れない人々をすなどり,狩る,強力な仕事について告げるものでした。1942年の夏の終わりごろ,オハイオ州クリーブランドにおいて,エホバの証人の3日間の大会が開かれ,その後同じプログラムの大会が他の国々の他数の都市で開催されました。大会の中心主題はイザヤ書 59章と60章に基づいており,神の民に「起きよ,光を放て」と命じ,その結果として人々の大群衆が「雲のように飛び」つつ光のもとに来ることが告げられました。(イザヤ 60:1-3,8。黙示 7:9)不明なところはなにもありません。エリシャ級は自分の使命を知り,一刻のいとまをも置かなかったのです。
「エリシャ級」の仕事は教育の仕事
13 (イ)エリシャの奇跡にはどんな特徴がありましたか。だれがそれから益を得ましたか。(ロ)1942年,どんな同様の仕事が始めれらましたか。それはどのように発展してきましたか。
13 以来20年以上の間この油そそがれた級は不断の熱意をもって仕事を続けてきました。またこれを助けているのは次第に増加する「他の羊」であり,その中には「放蕩息子」の級に属する者も多くいます。これはエリシャの場合と同じく,その上に臨むエホバの霊によります。エリシャは長子の分として「あなたの霊の二つの分」をエリヤに求めています。(列王下 2:9)この時エリシャの願いがいれられたことは明白です。なぜなら,聖書中にエリヤによる奇跡は八つが記録されているのにくらべ,エリシャによるものは16記録されているからです。エリシャの奇跡の多くはいやしと復活であり,その恩恵にとくに与ったのは「預言者の子ら」でした。奇跡的に食物をふやしたことの他,悪い水や毒のはいった煮物をいやしたことがあります。またシュネム人の息子を生きかえらせたことと,ナアマンのらい病をいやしたことがあります。(列王下 2:15–6:23)エリシャの奉仕時代に忠実な預言者の群れは繁栄しました。これに相当するものとして,1942年のクリーブランド大会後,ブルックリンの本部において責任をあずかる者たちは,述べ伝えて教える仕事と,放とう息子のような者をも含む「他の羊」を集める仕事のために全世界で働く宣教者の訓練を目的とした学校の開設を決定しました。この宣教者の学校は1943年2月1日に開校し,その後拡大されました。学校で学び,そなえを身につけた人々は多くの土地にエホバの証人の組織を築き上げ,また新しい土地に仕事を始めることのためにすぐれた奉仕をささげることができました。「放蕩息子」級に対する関心は「ものみの塔」誌の1943年11月1日号と15日号にのった二つの記事,「放とう息子の困窮」と「放とう息子の帰宅」によって示されました。翌1944年10月には1ヵ月間にわたる特別の証言運動が全地で行なわれましたが,これは「『放蕩息子』の証言期間」と名付けられました。
14,15 (イ)1942年にさらにどんな計画が始められましたか。それはどのように進展していますか。(ロ)1959年に始まった新しい訓練課程はなんですか。
14 また,1942年には新しい課程が始められましたが,これは全地のエホバの証人の会衆においてクリスチャン宣教の訓練をほどこすものでした。この計画は1943年の「活動への呼び声」大会で発表され,その後,会衆ごとに神権宣教学校が開校されることになりました。演壇から話をしたのは男子の研究生だけでしたが,すべての人が出席し,いっそうのそなえと資格を身につけることがすすめられました。その後1958年には男子も女子もすべての研究生が実際に参加する取りきめが設けられました。女子は講演をしませんが,あらゆる条件下にあって御国の音信を効果的に伝える方法を実演で示します。―テモテ前 2:11,12。
15 エリシャの別の新鮮な仕事は1959年に始められました。会衆の監督の訓練を目的とする4週間の課程が取りきめられ,ものみの塔協会が支部を設立している国のすべてにおいて実施されることになりました。監督は招かれ,無料の教育を受けています。
16 (イ)これらの仕事のすべてはどのように「放蕩息子」級の役に立ちましたか。(ロ)「ものみの塔」1937年5月1日号は,宣教の改善をはからぬ者のいることをどのように示しましたか。
16 私たちはここでこれまでに行なわれた教育の仕事を大ざっぱにかえりみたにすぎませんが,一つの事を銘記せねばなりません。すなわち,これはエホバの証人自身にとって豊かな祝福となりましたが,それをもってすべてを終わりとしたわけではありません。むしろこれは目的のための手段でした。この教育の仕事によって,「放蕩息子」級をも含めて必要のある人すべてを対象とした宣教活動がより効果的に,またより広範に行なわれるようになりました。エホバの証人自身について言うなら,彼らは宣教の改善を目的とするこうした手段を活用して感謝の気持ちを示すことができ,また示すべきです。取るに足りない理由をあげて,そなえられたこれらの手段を活用せず,イエスのたとえ話にあった兄のようにふんまんの気を抱くのはいかにも悲しむべきことではありませんか。(ルカ 15:25-30)これらの手段を活用するべく誠実に,また謙そんに努力することによって,私たちは真の愛を示すことができ,その愛を「放蕩息子」級にも及ぼすことができます。私たちは「熱意の不足」による結果を苦しもうとは思いません。このことは1937年5月1日号「ものみの塔」の「会のしもべ」と題する記事の130頁の中で述べられました。その1節は次のとおりです。「今日もっとも重要な仕事は御国の音信を宣明することです。会のしもべとなる者を票決するのは油そそがれた者のつとめですが,『たきぎを切り,水をくむもの』(ヨシュア 9:21-27)が奉仕をすることもできます。(申命 16:12-15; 29:11)会の中に会のしもべ,また奉仕委員の地位を満たすことのできる有能な人がおらず,能力と熱意のあるヨナダブがいる場合には,そのヨナダブをして奉仕委員にならせ,その者に奉仕の機会を与えなさい。会の者の熱意の不足によってこの仕事を遅らせてはなりません。今,福音は宣明されなければなりません。―マタイ 24:14」。
17 (イ)残れる者と他の羊の双方にどんな誤りの道をたどっている者があるかも知れませんか。(ロ)しかし,その人々はどのように心から悔い改めていますか。
17 「他の羊」級ばかりでなく,キリストの共同相続者となる残れる者の中にも,時に怠惰な生活に流れ,放とう息子と同じような歩みを取る者がありました。こうした者たちはエホバに献身したのちに父の家を離れ,中には会衆からの排斥の処置を必要とするような行為に走る者もありました。これらは実際に排斥されましたが,以来心からの悔改めの気持ちを示してエホバ神の会衆に帰り,会衆に対しても天の父に対しても自分の誤まりを認めています。彼らは悔い改め,その行いを変えました。一度は淫行や姦淫の生活にはいった者も,今は父親の家に帰った時の放とう息子と同じ態度をとっています。これらの者たちは心の清さを示し,父に罪の許しを祈り,家に帰ってエホバの組織の奴隷となる許しを求めました。真に悔い改めた者は,放とう息子のように,会衆に復帰できたことを喜んでいます。今彼らは謙そんになり,父の家に残っていた者と共に再び神の国の福音を宣明しています。
18 排斥ならびに復帰後に潔白さを証明している者にはどんな奉仕の機会の開かれることもありますか。
18 汚れた排斥の状態から帰ったのち,父の許しを得,謙そんな態度で良い奴隷であることを自ら示した者は,やがて父の家族の家令にもなり得ることを示すかも知れません。そうした者たちは自分の記録にしみをつけ,外部の者にも悪い印象を与えたとの汚名を長年にわたって耐え忍びます。復帰を許されたのちの潔白な行動のゆえに,会衆がある者を模範と見なすようになるなら,そして,こうして一度は排斥されても今は元に帰って謙そんになっている者が,エホバのみことばとその仕事に対する愛を復帰後10年にもわたって示しているならば,そうした者に会衆の書籍研究の司会者となり,公開講演をする機会を与えることも,放とう息子のたとえ話から見てむしろ至当と言えるでしょう。そののち,この者にはエホバの組織内にあってより大きな責任の立場で奉仕する特権の与えられることもあるでしょう。そうした者が復帰後10年の長きにわたって忠実に奉仕し,神の群れの模範となっているなら,そして,会衆の委員がその者にいっそう奉仕の特権を与えることをよしとするならば,それを禁ずるいわれがどこにありますか。その者が父の家に永遠にとどまろうとしているのが明らかならば,そしてその家の益のために献身し,その献身に忠節をつくそうとしていることが明らかならば,エホバの民の会衆における大きな責任を再びその者に委ねることももはや危険ではありません。
19,20 (イ)私たちの宣教の仕事において神のことばと霊はどんな役割を果しますか。(ロ)どんな二つの面を認識すべきですか。
19 今日,以前のいかなる時にもまさって,神のことばは重要な役割を占めており,前述の教育計画の中心となっています。他のいかなるものにもまさって,心の向きを改めさせるのに力があるのは神のことばです。新しい契約の益とその奉仕の優越性とを論じたパウロが心にとめていたのもこの点です。新しい契約の箇条を発表されたエホバはこう言われました,「わたしは,わたしの律法を彼らのうちに置き,その心にしるす」。(エレミヤ 31:33)またパウロ自身はコリントの人々にこう書きました。「あなたがたは自分自身がわたしたちから送られたキリストの手紙であって,墨によらず生ける神の霊によって書かれ,石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを,はっきりとあらわしている」。そうです,「〔エホバ〕は霊であ」り,私たちがエホバに向き,エホバのことばに固く従って私たちの心をエホバの霊の導きに委ねるなら,わたしたちは「顔おおいなしに,鏡のようにエホバの栄光を反映する」ことができます。こうして私たちはエホバに用いられ,他の人々を助けてエホバに向かわせ,エホバに帰らせる偉大な特権を与えられることになります。そして,「罪人を迷いの道から引きもどす人は,そのたましいを死から救い出し,かつ,多くの罪をおおう」ことを忘れてはなりません。―コリント後 3:3,17,18,一部新世。ヤコブ 5:20。
20 結びとして,二つの面,すなわち人の心を変えてエホバに向かわせることができ,また真にエホバの子供であり,エホバのもとにかえろうとする者に対してエホバご自身が大きな愛の心を持たれるかたであることを示す一つの例を簡単に取り上げて,私たちの慰めとしましょう。
例解
21 ヨセフの10人の異母兄弟はなぜ,またどのよう悪い態度を取りましたか。
21 その例は創世記 37章から45章に記録されている,良く知られたヤコブと12人の息子の物語の中に見られます。息子のうちの二人,ヨセフとベニヤミンはヤコブの愛した妻ラケルの子供であり,特にヤコブの愛を受けていました。ヨセフが目だって父親に大事にされ,神から夢を与えられたことなどのために,他の10人の異母兄弟はヨセフを非常に憎み,ねたんでヨセフを殺そうとさえしました。しかし10人はヨセフを奴隷として売り,エジプトに行かせることにしました。10人はヨセフの着物を取って血の中にひたし,それを父親に見せました。それを見た父親は息子が野の獣に食われたのだと考えます。たしかに10人の兄弟はヨセフと父親に対し恐ろしいほどに悪い態度を取りました。―創世 37:2-36。
22,23 彼らの心情はどのようにきびしく試みられましたか。どんな結果になりましたか。
22 年月がたちました。神の配慮によってヨセフはエジプトの食糧管理者になりました。予告されていた通り,広範に及ぶききんが起こり,ヤコブは穀物を買わせるために息子たちを2回にわたってエジプトに送らねばなりませんでした。ヨセフは自分の兄弟たちを見てすぐそれと知りましたが,兄弟たちはヨセフに気付きませんでした。初めにエジプトに下った時,10人の兄弟はヨセフのことについて良心の苦もんを明かすことになりました。しかし,それは本当の改心でしたか。2度目にエジプトに下った時,ヨセフの手配により兄弟たちはきびしい試験を受けることになりました。ベニヤミンがヨセフの銀の祭器を盗み出したかのようにしたてられていたのです! まだ気づかれないヨセフはベニヤミンを奴隷として留め置くことを確固として求めます。他の者は国に帰ることを許されました。ここで,明らかに兄弟たちを助けようとしたユダが,上べは固く,敵意をさえ浮かべた聞き手の前に立ち,きわめて感動的な訴えの言葉をとうとうと語りました。ユダは父親がベニヤミンをどれほど大切にしているかを骨折って語りました。ユダは若いベニヤミンが兄弟たちと共に国に帰り,かわって自分がヨセフの奴隷になることを申し出て話の結びとしました。ついで自らも感激したユダが心の底から出たこの言葉を語ります。「この子供を連れずに,どうしてわたしは父のもとに上り行くことができましょう。父が災に会うのを見るに忍びません」。―創世 44:34。
23 兄弟たちが心を改めていることにはもはや一片の疑いもありません。ヨセフは激しく心を動かされ,声を上げて泣きながら自分がヨセフであることを語りました。さて私たちは物語りの別の面,家で息子の帰りを待つヤコブのことを考えましょう。
24 ヤコブはヨセフの消息を聞いた時どうしましたか。これはヤコブについてなにを示していますか。
24 私たちは日を数えつつ息子の帰りを待ちわびる年老いた父親の様子を想像できます。ヤコブは愛するベニヤミンを再び見るでしょうか。ヨセフを失ったヤコブはここでまたベニヤミンを失うのですか。ついに,息子たちのすがたが見え,間もなくここに着くとの知らせが来ました。ヤコブは自分の天幕で待ちました。私たちもその場面を想像できます。ヤコブはおそらく若いベニヤミンを自分のもとに引きよせ,息子のひとりひとりを迎えたでしょう。ところが,息子たちが語ることは何ですか。エジプトで責任をあずかる人々がヨセフであるとは。そんなことはあり得ません! それが本当なら,とおの昔にヨセフが何か言ってきたはずです。おそらくヤコブはそう考えたでしょう。しかし,息子たちは自分たちが持ちかえった物を見に来るようにとすすめます。それをこばむ理由はありません。重い心のまま,ヤコブは天幕を出,ベニヤミンに与えられた銀や着物はもとより,運ばれてきた食糧その他を調べます。ヤコブをエジプトに運ぶためにと特別に送られて来た車を見た時,もはや疑うことはできませんでした。立派な車であり,いかにも心地良さそうでした。これは単なる車ではなく,長く失われていたヨセフのところへヤコブを運ぶための車でした。車の横棒を握り,確信と感動に圧倒されたヤコブは叫びます。「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。―創世 45:25-28。
25 (イ)これらの事柄はエホバについて何を示していますか。(ロ)私たちが真にエホバの子供であるなら何をしますか。(ハ)迷い出ている人々にどんな道がまだ開かれていますか。
25 イエスのたとえ話の中の父親は,「死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかった」息子を喜びました。(ルカ 15:32)ヤコブの気持ちはこれと似ています。もとよりヨセフは放とう息子のように迷い出たわけではありません。しかし,ここに強調されているのは父親の深い愛情です。しかし,これらの事を起こらせ,それを記録にとどめさせられたかた自身の愛の心は,ここに例証となった人々のそれより,はるかに深く,大きいに違いありません。私たちが真にそのかたの子供であるなら,「エホバの栄光を反映する」ことを望み,これら愛と忍耐と慈悲の特質を私たち自身が示し,事あるごとにそれらを働かせて天の父にならうでしょう。(コリント後 3:18)しかし,なんらかの理由で自分が今迷い出ているなら,すぐさま心を改めてエホバに向かい,ご親切なエホバがそなえられた訴えの言葉と動機づけの約束に応じないわけにはゆきません。あなたもそう思われませんか。「あなたがたは,羊のようにさ迷っていたが,今は,たましいの牧者であり監督であるかたのもとに,たち帰ったのである」とペテロは書きました。自分についても同じことが言えたらいかにもすばらしいではありませんか。―ペテロ前 2:25。
[690ページの図版]
ユダはベニヤミンのために嘆願する