エホバへの奉仕の挑戦を全面的に受け入れる
「『わたしはほんの少しの間わたしの顔をあなたから隠したが,定めのない時までの愛ある親切をもってわたしはあなたを憫れむ』とあなたを買い戻す者,エホバは仰せられる」― イザヤ 54:8,新。
1,2 はるか後代に影響を及ぼすものとなった挑戦がなされるに至るまでの,古代のベツレヘムでの一連のできごとを述べなさい。
ベツレヘムの夜は明けようとしていました。新しい朝の光がかすかにさして,早朝の雑用に忙しく動き回るわずかな人影がぼんやりと見え,路上の動きがすでにほのかながらうかがえます。と,奥ゆかしい姿の若い婦人が町に近づき,入口の門の前の広場を足早やに横切ってゆきます。彼女は外とうでくるんだ包みをかかえているにもかかわらず,その表情には喜びの色が見え,その足どりははずんでいます。やがて道をそれて,小じんまりした家にはいると,ずっと年配の婦人に迎えられ,二言三言ことばをかわすと,ふたりは腰をおろします。そして,将来に対する明るい希望をいだいたその若い婦人と,一生の願いの成就を望む老婦人は何事かを期待しながら,成り行きを見守ります。
2 小高い丘陵地にあるこの小さな町に朝日がさしはじめると,このふたりの婦人は町の門のそばで今しも起ころうとしているできごとに思いをはせます。路上を行きかう人の数はふえ,日はしだいに高くなります。夏にはまだ早いとはいえ,6か月間の乾季はもうかなり過ぎて,午前のこの早い時刻なのに日の光はもう暑さを感じさせます。今や至る所に人びとがおり,町の門の広場はかなり活気を呈しています。ところが入口の門のそばに年長者がひとり腰をかけています。その物腰や服装からすれば,彼は資産家で,町の有力者のようです。それに今朝の彼の態度は真剣で,その目は広場に現われる人の顔を次々に確かめています。明らかにだれかを捜しています。と,突然呼ばわります。「某よ来りて此に坐せよ」と。すると,分別盛りのもうひとりの男が足を止め,身をめぐらして,その声の主のかたわらに座します。こうしたあいさつがなされ,それに相手が答え応じるとともに,ベツレヘムのささやかな家で成り行きをじっと見守っていたふたりの婦人の生活だけでなく,その後幾世代もの多数の人びとの生活をも変えたできごとが起きようとしていたのです。「某よ」と呼びかけられた男は,はるか後代,それもわたしたちの時代にまで影響を及ぼすほどの挑戦を受けようとしていました。
3 ナオミとルツの劇の主要な人物はだれでしたか。彼らの関係にかんしてどんな疑問を解決しなければなりませんか。
3 この重要な日にその町にはいった例の若い婦人の名はルツで,家にはいる彼女にことばをかけた年長の婦人はその義理の母で,なくなったエリメレクのやもめナオミでした。ルツはナオミとは違って生来のユダヤ人ではなく,モアブ人の女でした。ではどうして,自分の土地と民から遠く離れたベツレヘムに住むナオミの義理の娘になったのですか。某と呼ばれた男とある用件をぜひとも話し合いたいと考えていた年長者ボアズとはどんな関係にありましたか。また,その挑戦が30世紀もの後の今日のわたしたちの生活に影響を及ぼしうるほどの重大な意味を持ったこの問題とはなんですか。
4 それら主要な人物はだれを,あるいは何を表わしていますか。
4 古代のイスラエルで展開されようとしていた,ルツ記にしるされているこの劇は,当時と同様に挑戦となり,遠い将来に影響を及ぼす現代のできごとを預言的に示すものでした。(コリント前 10:11。ロマ 15:4)また,この古代の劇に関係した人物もやはり描画的な人物でした。エリメレクという名は,「神は王である」という意味です。それでエリメレクは主イエス・キリストを表わしています。ナオミの近い親族ボアズもキリストを表わしています。その名は「強さをもって」という意味と考えられます。であれば,「わたしの楽しみ」という意味の名のナオミは,イエスに嫁ぐ人たち,つまりその花嫁,それも特にこの劇が驚くべき成就を見ているこの「終わりの時」に地上にいる者たちを表わしていると考えられます。ルツという名は「友情」を意味すると思われますが,彼女はナオミの義理の娘となったので,ナオミのために子孫を生める立場にありました。したがってルツもまた,キリストの花嫁に属する人たちを多少異なった見地から,そして異なった状況の下で代表しているといえます。では,ナオミのやはり近い親族で,「某」と呼ばれた人はだれを表わしていますか。現代において展開されてきたできごとを通してその実体をはっきり知っていただくことにしましょう。
見捨てられた女
5 (イ)ナオミの時代のベツレヘムでは何が起きましたか。その結果,彼女の夫エリメレクは何をしましたか。(ロ)現代の成就においてこれは何を表わしていますか。
5 では,エリメレクの幸福な家族がなお健在で,その妻ナオミとふたりの息子マロンとキリオンがユダの地のベツレヘムもしくはエフラタに住んでいた時代に戻ってみましょう。ベツレヘムは「パンの家」を意味し,一方エフラタは「豊穣」あるいは「多産」を意味します。この二つの名はいずれも豊かさ,飢えや飢きんなどのない状態を意味しますが,西暦前13世紀当時,ベツレヘムを含めユダの支族の全土は飢きんやパンの欠乏に確かに見舞われました。これは第一次世界大戦中,エホバの組織に臨んだ霊的に乏しい状態を表わしています。ベツレヘムの住民でほかにも町を去った者があったかどうかはさておき,エリメレクは家族を連れて町を去りました。そして,ヨルダン川を渡ってモアブの地もしくは野に落ち着き,今日のエホバのしもべたちがサタンの事物の体制の中で一時的な居留者として住んでいるのと全く同様,モアブの地に外人居留者として一時的に住みます。(ヨハネ 17:16。ヨハネ第一 5:19)そうするためにエリメレクはユダの地にある相続地をあとにします。―ルツ 1:1,2。
6 ナオミの親族に関してモアブでどんなできごとが起こりましたか。
6 年老いたエリメレクはやがて死んで,ナオミをやもめとしてあとに残します。ついでナオミはそのモアブの地でふたりの息子に嫁を迎えるのをよしとし,年上の息子と思われるマロンはモアブ人の女ルツと結婚し,一方キリオンは,やはりモアブ人の女であるオルパと結婚します。しかしながら,やがてマロンとキリオンも死に,やもめの母ナオミとふたりのやもめの妻ルツとオルパがあとに残されます。(ルツ 1:3-5)これらふたりのやもめは子どもを持っていないため,ナオミに子孫を残すことができません。自ら子どもを生むには年を取りすぎていたナオミは,恥辱に耐えなければなりません。マロン(「病弱な,病身の」の意)とキリオン(「か弱い」の意)の死は,前述の困難な時期における神の組織と交わっていたある者たちの霊的な死を表わしています。それは神の民にとって重大な悲しみの時でした。
7 ナオミは自分の状態をどうみなしましたか。何世紀も後にイザヤはどんな状態を預言しましたか。
7 ナオミは自らを見捨てられた女,すえもしくはすえを生み出す生殖力に恵まれない者とみなしました。彼女は「捨て去られてしまって,霊の傷つけられた妻,また若い時の妻で,そのときに退けられた者」のようでした。胎の実はエホバからの祝福で,不妊はのろいとみなされた当時であってみれば,ナオミが『エホバ我を〔辱しめ〕……たまふ』と語って嘆いたのも無理からぬことです。(ルツ 1:21〔新〕)何世紀も後に預言者イザヤは霊感を受けて同様の辱しめについて書きましたが,それはエホバの不興の直接的な結果としての辱しめでした。ナオミの直面した挑戦を十分に理解するには,イザヤの預言と,現代的成就として起きているできごとにその預言がどのように適用されるかを理解しなければなりません。こうしるされています。「『エホバはあなたを,あたかも捨て去られてしまって,霊の傷つけられた妻,また若い時の妻で,そのときに退けられた者と呼んだ』とあなたの神は仰せられる。『少しの間わたしはあなたを捨て去ってしまったが,大きな憫れみをもってあなたを寄せ集めよう。あふれる憤りをもってわたしはほんの少しの間わたしの顔をあなたから隠したが,定めのない時までの愛ある親切をもってわたしはあなたを憫れむ』とあなたを買い戻す者,エホバは仰せられる」― イザヤ 54:6-8,新。
エホバ,所有者なる夫
8,9 (イ)イザヤ書 54章6-8節のことばはだれに語りかけられたものですか。このことはその預言の文脈にどのように示されていますか。(ロ)その中で取り上げられているのは,やはりナオミによって表わされているどんなグループですか。
8 この預言は,あらゆる創造物の神エホバが妻を持っておられることを示唆しています。そのようなことがありうるのでしょうか。そうです,象徴的にいってありうるのです。イザヤ書 54章5節(新)ではその妻に対してこう言われています。「あなたの偉大な作り主はあなたの所有者なる夫,その名は万軍のエホバ。イスラエルの聖なる方があなたを買い戻す者」。このことばは,イザヤの時代までには死んで5世紀たっていたナオミでも,またはだれか文字どおりの女にでもなく,一つの組織,天のシオン,つまり天の霊的な子たちで成る神の宇宙的な組織に対して語りかけられたことばです。過去1,900年の間,神の宇宙的な組織のそれら霊的な子たちは,今なお神聖でエホバ神に忠節な天の見えない霊的なみ使いだけに限られてはいませんでした。エホバのこの宇宙的な組織は,ついには合計14万4,000人を数える,霊によって生み出された,地上にいる神の子たちを迎え入れてきました。(黙示 14:1)それらの人はみな,神の宇宙的な組織の首位者すなわち主イエス・キリストの足跡に従う追随者です。
9 これらイエス・キリストの足跡に従う14万4,000人の追随者は,天でキリストと結婚すべく婚約しており,したがって,黙示録 21章9節で「羔羊の妻なる新嫁」と呼ばれているように,彼らはキリストの未来の花嫁です。この花嫁級の成員は過去1,900年にわたって選択されてきました。それゆえに,今日地上にはせいぜいその残れる者がいるにすぎません。問題の劇の中でナオミによって表わされているのは,この20世紀の1919年という年以前に神に献身してバプテスマを受け,第一次世界大戦を生き残った人たちです。では彼らはどのようにして,子どももないまま見捨てられた,モアブの地のナオミ同様の状態に陥りましたか。
10 残れる者と神の宇宙的な組織の間にはどんな相互関係がありますか。より大いなるエリメレクはどんな期間にナオミ級に対して「死に」ましたか。
10 ナオミとルツの劇のこの特色を理解するには,地上にいる残れる者と神の宇宙的な組織の他の成員たち,つまり天にいる者たちとの関係のもう一つの特徴を理解する必要があります。それら残れる者は神の宇宙的な組織の成員ですから,神の霊的な子ではあっても依然肉のからだで留まっている,花嫁の残れる者に影響を及ぼす事がらはみな,神の女つまり天のシオンもしくは宇宙的な組織にも同様に影響を及ぼすのです。この点は,第一次世界大戦中にナオミ級の活動を中心にして生じたできごとに照らしてイザヤ書 54章6-8節の預言を考慮すると,よくわかります。というのは,より大いなるエリメレクがナオミ級に対して「死んだ」のは,この時期,つまり1918年から1919にわたる期間だったからです。その時,ナオミ級は所有者なる夫を失ったかのように見捨てられた状態にはいりました。その宇宙的な組織の夫エホバが,この地上にいる霊によって生み出された成員によって代表されるご自分の女を退けて,イザヤ書 54章6-8節を成就させられたとき,それは辱しめをもたらす経験となりました。
エホバはご自分の女を不快に思われる
11 いつ,またどんな理由でエホバは残れる者を不快に感じられましたか。このことはどのように明らかにされて,宇宙的な組織全体がその影響を受けましたか。
11 イザヤの預言の中でエホバがご自分の女を,見捨てられた女,ご自分の顔を彼女から隠し,霊の傷つけられた女としてどのように描写しておられるかに注目してください。それは彼女に対する不快の念の示された時期を意味しています。エホバがイザヤ書 54章11節で,「なんぢ苦しみをうけ暴風にひるがへされ安慰をえざるものよ」といって彼女に語りかけておられるのはそのためです。ナオミ級の残れる者は特に1918年にそのような状態に陥りました。その時,彼らはある意味でエホバ神の恵みから引き離されました。その年にエホバ神は突然,契約の使者,主イエス・キリストを伴ってご自分の神殿に来られました。エホバはこの地上にいた残れる者を調査して,彼らを不快に思われました。(マラキ 3:1,2)彼らは一時,自分たちに開かれていたエホバの王国奉仕の挑戦を全面的に受け入れてはいませんでした。人間に対する恐れのためにしりごみし,「世に汚されぬ」よう正しく身を守ってはいませんでした。(ヤコブ 1:27)そのためにエホバは彼らが大いなるバビロンとその政治上の提携者にとらわれるままにされたのです。その間,これら残れる者は相当の迫害と虐待をこうむり,ついに1918年,ものみの塔協会の本部の代表者たちはスパイ活動をしたとの偽りの容疑で逮捕,投獄されるに至りました。a これは神の宇宙的な組織全体つまり神の女が神の不興の影響をこうむったことを意味しました。預言は,その組織全体が『捨て去られた妻』のようになることを示していたのです。
12 もしエリメレクが主イエス・キリストを描いているとすれば,エホバがご自分の顔をその女から隠されるということは,エリメレクの死とどのように合致しますか。
12 しかし,もしエリメレクが主イエス・キリストを描いているとすれば,エホバがご自分の顔をその女から隠されるということはどのようにエリメレクの死と合致しますか。天のイエス・キリストが地上にいるナオミ級に対して実際どのように死ぬのですか。地上での奉仕のさい,イエスは,『わたしは父が行なうのを見て,それを行ないます』という行動規則を明示されました。それでは,残れる者が神の不興を買った期間,エホバがその女を見捨てて,ご自分の顔を彼女から隠されたのであれば,み子も神の宇宙的な組織のその部分,つまりみ子の花嫁の成員である地上にいる霊的な残れる者に対して同様にしなければなりません。こうしてイエス・キリストは事実上,エホバが見捨てられた者たちに対して「死にました」。
重大な挑戦に面する
13 今やナオミは何をすることに意を決しますか。これはルツとオルパにとってどのように挑戦となりますか。
13 古代の劇においてはこの時までに10年が過ぎ,今やナオミは,ベツレヘムの状態が変わったことを聞きます。エホバはご自分の民にパンを与えて,再び彼らに注意を向けてこられました。そこでナオミは意を決して戻ることにします。しかしそれ以上に急を要する理由があります。ナオミは郷里,ユダのベツレヘムに相続地を持っているので,郷里に帰って相続地を引き継がなければなりません。これは彼女のふたりの「嫁」ルツとオルパにとって重大な挑戦となります。ふたりはどうしますか。一見ふたりはなんの異存もなく,ナオミとともにベツレヘムへの旅にのぼったようです。(ルツ 1:6,7)ついで道を進んで,ある所まで来ると,ナオミはふたりを思いとどまらせようとします。「汝らはゆきておのおの母の家にかへれ……エホバまたなんぢらを善くあつかひたまへねがはくはエホバなんぢらをして各々その夫の家にて安身処をえせしめたまへと及ちかれらに接吻しければ彼ら声をあげて哭き之にいひけるは我ら汝とともに汝の民にかへらんと ナオミいひけるは女子よ返れ汝らなんぞ我とともにゆくべけんや汝らの夫となるべき子猶わが胎にあらんや女子よかへりゆけ我は老たれば夫をもつをえざるなり……女子よ然すべきにあらず我はエホバの手ののぞみてわれを攻しことを汝らのために痛くうれふるなり」― ルツ 1:8-13。
14 オルパはどんな決定をしますか。彼女によって表わされている人たちは今日同様のどんな道を取りますか。
14 「彼等また声をあげて哭く而してオルパはその姑に接吻せしがルツは之を離れず 是によりてナオミまたいひけるは視よ汝の相嫁はその民とその神にかへり往く汝も相嫁にしたがひてかへるべし」。(ルツ 1:14,15)オルパは,忠実なナオミ級と交わって,一時ある程度の関心と熱意を示しながらも,クリスチャンとしてなお若い時にしりごみする一部の人たちを表わしています。それらの人は自己本位の考えや個人的な欲求に妨げられて,「天の窓をひらきて容るべきところなきまでに恩沢を汝らにそそぐや否や」を見るため『エホバを試み』なさいとのエホバの挑戦を受け入れません。―マラキ 3:10。ヘブル 10:38,39。ペテロ後 2:22。
15,16 ルツは挑戦にどのように応じましたか。
15 一方,ルツ級は,ナオミ級に対するエホバの目的を成就することにナオミ級とともにあずかるため,個人的な便益をことごとく犠牲にします。「ルツいひけるは汝を棄て汝をはなれて帰ることを我に催すなかれ我は汝のゆくところに往き汝の宿るところにやどらん汝の民はわが民汝の神はわが神なり汝の死るところに我は死て其処に葬らるべし若死別にあらずして我なんぢとわかれなばエホバわれにかくなし又かさねてかくなしたまへ」― ルツ 1:16,17。
16 「エホバわれにかくなし又かさねてかくなしたまへ」と語ったルツは,自分の述べたことを行ないます,とエホバにかけて誓いを立てていたのです。ルツは,ナオミの神に仕えて,神への奉仕で死に至るまでもナオミに付き添えるかどうかというこの挑戦を全面的に受け入れていました。オルパは応じませんでしたが,それでもルツは決意を弱められたり,熱意を鈍らされたりはしませんでした。ナオミのすぐれた感化はすでにルツの改宗をもたらしていたので,今度はナオミの心に深く根ざしていた欲求が結実して,ふたりがベツレヘムに戻ってさらに直面しようとしていた挑戦にルツは誠実な態度で応じようとしていたのです。
さらに挑戦を受ける
17 ベツレヘムに戻ったとき,ナオミは隣人のあいさつになんと答えましたか。
17 ベツレヘムでの生活の見込みについてナオミがルツとオルパにはっきりと述べた苦渋と幻滅は,ナオミの帰郷によって和らげられるものではありません。それどころか,わが家に帰ったナオミは途方に暮れるばかりで,老いの身の無力さをひしひしと感じ,苦悩と悲しみはつのるばかりです。ふたりが戻って来たことで町中が騒然となります。特に婦人たちがそうで,みなわが目を疑います。いったいエリメレクはどこにいるのですか。マロンとキリオンは? それにこのモアブの女はだれですか。「婦女等是はナオミなるやといふ ナオミかれらにいひけるは我をナオミ[「わたしの楽しさ」の意]と呼ぶなかれマラ[「苦しい」の意]とよぶべし全能者痛く我を苦めたまひたればなり 我盈足て出たるにエホバ我をして空くなりて帰らしめたまふエホバ我を攻め全能者われをなやましたまふに汝等なんぞ我をナオミと呼ぶや」― ルツ 1:18-22。
18 地上にいるナオミ級の残れる者で代表される神の女は,なぜ請け戻される必要がありましたか。
18 確かにナオミ級はこの悩みの時の間,「わたしをマラ,苦しむ者と呼んでください」といえました。イザヤ書 12章1節もこのきびしい懲らしめに言及して,エホバ神に語りかける預言者のことばをこう述べています。「汝さきに我をいかり給ひしかどその怒はや(めり)」。ついでイザヤ書 52章3節は述べます。「それエホバかく言給ふ なんぢらは価なくして売られたり金なくして贖はるべし」。いいかえれば,この地上にいる献身した神のしもべたちをとりこにした人びとは,それらとりこのために支払わず,ただで彼らを手に入れました。5節と6節はさらにこう述べます。「エホバ宣給く わが民はゆえなくして俘れたり されば我こゝに何をなさん……この故にわが民はわが名をしらん このゆえにその日には彼らこの言をかたるものの我なるをしらん」。それで神はご自分の民をゆえなく,つまりただで連れ去らせます。敵が彼らを買わずに所有するままにさせます。ゆえに,地上にいるナオミ級の残れる者で代表される神の女は,大いなるバビロンから請け戻される,つまり買い戻される必要がありました。
19 見捨てられた状態にあったナオミは特に,ユダに対するヤコブのどんな約束について知っていましたか。
19 これは子どものいない,そしてあたかもエホバに見捨てられ,懲らしめられたかに見えるやもめ,ユダの支族のベツレヘムのナオミの直面した挑戦でした。しかし彼女の心の奥底では,イスラエルの女,それも特にユダの支族の恵まれた少数の女に対するエホバの目的にあずかりたいとの願いがなおも燃えていました。というのは,この支族の人たちはユダの父ヤコブの約束にあずかる見込みを持っていたからです。西暦前1711年,ヤコブはエジプトで死ぬ直前,次のことばをもってユダを祝福しました。「笏はユダからそれず,命令者の杖もその足の間からそれず,ついにシロが来るにおよんで,彼に諸民族の従順が帰属する」。(創世 49:10,新)「それを有する者」または「それが属する者」という意味の名のこのシロは,その杖を揮う命令者,王笏を握る者にちがいありません。その者はメシヤ,つまり地上のあらゆる家族がそのかたを通して自らを祝福する,アブラハムの真のすえに違いありません。(創世 22:17,18)そのかたはアブラハムの曾孫ユダの家系のだれの子となるのでしょうか。ユダの家系のどんな母親がその子を胸にいだく著しい誉れにあずかるのですか。子どもがなく,それに出産年齢もとうに過ぎたナオミはおそらく心の中で,それは私ではない,と考えたことでしょう。みじめな状態にあったナオミが『わたしをマラと呼んでください』と叫んだのももっともなことです。
エホバは道を開かれる
20 何世紀も後にイザヤを通してエホバのどんな約束がなされましたか。
20 しかし,エホバはこの忠実な女を見捨てようとはされませんでした。その叫びはエホバの耳に達したのです。何世紀も後に,ナオミによって表わされた女に対してエホバに代わって次のように話した預言者は,ナオミにそう語っていたのだといえるでしょう。「『わたしはほんの少しの間わたしの顔をあなたから隠したが,定めのない時までの愛ある親切をもってわたしはあなたを憫れむ』とあなたを買い戻す者,エホバは仰せられる」。(イザヤ 54:8,新)このことはナオミに関してどのように成し遂げられようとしていましたか。もしナオミが子孫を残さずに死ぬのであれば,なくなった夫のあの地所を託すべき相続者は持てないことになります。それにもしユダの支族からシロを生み出すというエホバの目的がナオミを通して果たされるのであれば,ナオミには男子の相続者が必要です。彼女は何をすべきでしたか。
21 イスラエルの律法には,ナオミ同様の窮境に陥ったやもめのためのどんな規定が設けられていましたか。これはルツにとってどのように挑戦となりましたか。
21 この点でもやはりイスラエルの律法は,ナオミ同様の窮境に陥った人のための規定を設けていました。エホバご自身の約束によれば,古代イスラエルの忠実な女性は産まず女のままでいることはありませんでした。エホバは仰せられました。「汝の神エホバの言に聴したがふ時は……汝の胎の産……に福祉あらん」。(申命 28:2-4)男子もその名を受け継ぐ者がいないままにされることはありませんでした。イスラエルの律法はこう述べます。「兄弟ともに居らんにその中の一人死て子を遺さゞる時はその死たる者の妻いでて他人に嫁ぐべからず其夫の兄弟これの所に入りこれを娶りて妻となし斯してその夫の兄弟たる道をこれに尽し 而してその婦の生ところの初子をもてその死たる兄弟の後を嗣しめその名をイスラエルの中に絶ざらしむべし」。(申命 25:5,6)買い戻すことにかんする定めとともにこの律法はナオミにとって唯一の希望でした。もし兄弟あるいは近い親族を見いだせれば,ナオミは律法のこの規定にすがって解決の道を求められるかもしれません。しかしたとえそのような親族を見いだしたところで,ナオミ自身は子どもを生み出すことはできません。したがって,ナオミに残された唯一の機会は,この取り決めの中でナオミに代わってエリメレクにすえをもたらしうる義理の娘ルツにかかっていました。ルツはこの機会をどうみなしましたか。自分に何かを与えうる若い男子を見つけたいという希望を自らいだいていたとすれば,ルツはそれを喜んで捨てましたか。つまり,この挑戦の中に,エホバの目的を追い求め,自分の生き方をそれにかなったものにする機会を認めましたか。
22 預言的な劇の中でほかにだれがこの挑戦の影響を受けましたか。その結果は今日のわたしたちにどのように影響を及ぼすにちがいありませんか。
22 また,ボアズおよび「某」と呼ばれた人物についてはどうですか。彼らは,ナオミの死んだ夫エリメレクの名を継ぐべき相続者を彼女に与えるこの挑戦にどう応じましたか。それをエホバの奉仕にいっそう十分にあずかる機会とみなしましたか。この挑戦とその結果は今日のわたしたちにどのように影響しますか。ナオミが霊において回復され,彼女の生涯の夢が実現されようとしていたこと,またルツやボアズそれに「某」と呼ばれた人物がこの挑戦に直面して演じようとしていたことはみな,自分の生き方をエホバの目的にかなったものにするよう今日のわたしたちをさえ動かさずにはおかないこの感動的な劇の要素となっています。次の記事はその結果を明らかにするものとなるでしょう。
[脚注]
a 「神の目的とエホバの証人」と題する本(英文)の79-83ページ(「ものみの塔」1961年4月15日号251-254ページ)をごらんください。
[305ページの図版]
「女子よ坐して待ち事の如何になりゆくかを見よ彼人今日その事を為終ずば安んぜざるべければなり」
[309ページの図版]
ルツはエホバに仕えるかどうかという挑戦を受け入れ,ナオミに向かって,「汝の民はわが民汝の神はわが神なり」と断言した。