善意を持つすべての人に対する新しい歌
1 シンゲン 25章20節にもかかわらず,今日どんな歌が適当ですか。それを歌う者にはどんな結果が生じますか。
いまから約3000年むかしのシンゲンの言葉は次のように述べています,『心の傷める人の前に歌を歌うは,寒き日に衣を脱ぐがごとく,曹達の上に酢を注くがごとし。』(シンゲン 25:20)今日の全世界は痛い心の状態になつて,混頓とした現在と恐ろしい将来に直面しております。心配憂慮している人々は,歌を歌うような気持ちではないでしよう。しかし,人々がどの国家に属していようとも,すべての人々を真実に元気づける一つの歌があるのです。それは,以前の時代の人々が歌うことのできなかつた新しい歌です。人々がこの歌の異常な創造主に善意を持つなら,この歌を楽しむでしよう。そして,この歌により暖められ,元気づけられます。そして,暗胆とした,苦痛の状態から救い出されるでしよう。この歌の創造を良く知るようになると,それらの人々もその歌を歌い出したいと欲します。これは彼らに健康を意味します,まつたくのところ,彼らの救いを意味します。
2,3 (イ)なぜその歌を作つた者の名前は多くの人に新しいものですか。(ロ)なぜ彼は私たちに真実に新しい歌を与えることができましたか。それについて何をせよと,彼は私たちに告げていますか。
2 その歌を歌い始めた人々にとつて,その歌は新しいものです。しかし,そのつくり出された歌を聞く多数の人にとつて,その作者は恐らく新しいものでしよう。全世界の多くの指導者たちは,その作者と作曲者の名前を隠して,人々に知らせまいとしました。しかし,今から約6000年前に生存した最初の人間はその名前を知つていました。その名前はヱホバです。彼は新しい歌の創造者であるだけでなく,天と地の創造主でもあられます。私たちの創造主によつてつくられた歌は,どれもみな重要であり,私たちにとつて終りのない幸福な生命を意味するものです。ヱホバは,その霊感した筆記者の一人を通して,次のように語つています,『我はヱホバなり。是わが名なり。我はわが栄光をほかの者に与えず。わがほまれを偶像にあたえざるなり。さきに予言せるところはや成れり,我また新しきことを告げん。事いまだ兆さざる前に我まず汝らに聞かせん。』そのようにして彼は私たちに真実に新しい歌を与えられます。他の作曲者たちは,そのような新しい歌を私たちに与えることができません。そのわけで,彼は善意を持つ人々に次の言葉を述べているのです。
3 『海に浮ぶもの,海の中に充つるもの,もろもろの島およびその民よ,ヱホバに向いて新しき歌を歌い,地の極よりその頌美をたたえまつれ。』― イザヤ 42:8-11。
4,5 伝道之書 1章9,10節を考慮するとき,この歌がどのように新しいとなぜ尋ねることができますか。しかし,どの場所では新しい事柄は制限されていませんか。
4 しかし,この歌がどうして新しいものであり得ましようか。千年むかしの賢明な一支配者の次の言葉を憶い起すときに,私たちはこの質問をすることができます,『先にありしものは,[また後にあるべし。先に成りし事はまた後に成るべし。日の下には新しきものあらざるなり。見よ,これは新しきものなりと指して言うべきものあるや。それは我らの前にありし世々に,すでに久しく在りたるものなり。』(伝道之書 1:9,10)1954年に初めて爆発した恐ろしい水素爆弾でさえも新しいものではありません。人類以前の幾十億年という年月のあいだ大いなる創造主ヱホバは太陽内で水素を爆発させていました,この地上に光が来るのは水素原子の爆発によるのです。『日の下には新しきものあらざるなり』かもしれませんが,しかし太陽の上に新しいものがないという意味ではありません。この自然界を越えたところ,すなわち霊界において新しいものがないという意味ではありません。賢明な王ソロモンは,太陽の下には新しいものがないと言いましたが,彼はこの自然世界の事柄について,そして太陽の陽光を浴びる人類の普通一般の事柄について語つていたのです。彼はこの直ぐ前のところで,次のように言いました。
5 『世は去り,世は来る。地は永久に存つなり。日は出で日は入り,またその出でし処に喘ぎゆくなり。……河はみな海に流れ入る。海は充つることなし。河はその出できたれる処に復かえり行くなり。よろずの物は労苦す。人これを言いつくすこと能わず,目は見るに飽くことなし。耳は聞くに充つることなし。』― 伝道之書 1:4-8。
6 なぜヱホバは私たちに新しい歌を与えることができますか。それで,彼は何をされましたか。
6 太陽の下では,自然の仕方による新しいものは必要でありません。しかし,ヱホバは太陽よりも上に居られます。彼は最高の神だからです。彼は太陽よりも上のところ,すなわち目に見えない霊界で新しいものを創造することができます。また地上の人類と関係を持つ霊的な事柄でも新しいものを創造することができます。このようにして,彼は全く新しい歌の主題に対する事実を私たちに与えることができます。そのすべての栄光に輝く意味を悟るときに,私たちは抑えることのできないよろこびと恍惚に全くよろこびます。彼は全能者であられ,また全く新しいものを私たちに供給することに失敗することはありません,彼は私たちにそのような歌を与えられました。
7 何時この宇宙は良い希望の約束を必要としましたか。そしてなぜ? そのとき,ヱホバはどんな女について述べましたか。
7 人類の生存が始まつてすぐ,ヱホバ神は今日の新しい歌の基礎的な主題を私たちに与えられました。それは宇宙そのものが良い希望の約束を必要とした時でした。私たちの最初の人間の父親は罪を犯したところでした。彼はよろこびの楽園であるエデンの園にいて,また神の子として人間の完全さ,および自由の中に永久に生きつづけるのに必要なすべてのものを持つていましたが,それでも罪を犯したのです。彼の妻は,蛇のまどわしにより禁ぜられた実を食べてしまいました。それから,彼女は自分の夫にも共に食べて,天的な父のいましめを破るようにとすすめたのです。このような意識的な不従順をなした両人に対して,ヱホバ神は永遠の死の宣告を告げられました。しかし,その宣告を告げる前に,ヱホバ神はこのすべての事の最初の張本人,大いなる誘惑者,悪魔サタンに向つて次の言葉を告げられました。神は彼を蛇のようであるかに見なして,こう語つています,『我なんじと女のあいだ,および汝の裔と女の裔のあいだに怨恨を置かん。彼は汝の頭を砕き,汝は彼の踵を砕かん。』(創世 3:15)神がここで語つている『女』は,アダムの妻で,罪を犯した地上の女エバではありません。それは天にある聖なる女,すなわち聖なる御使たちで構成されている神の宇宙的な制度,神の制度的な妻です。これは,神の目的について聖なるものを産み出すことができます。
8 蛇に告げた神の言葉は,なぜ新しいものでしたか。神の女の忠節な成員たちは何を見守る態勢を採りましたか。
8 蛇に告げた神の言葉そのもの自体も,この地にとつては新しいものでした。それは,人類の聞いた神の最初の予言でした。それは次のことを予言しました,すなわち神の御意によると,悪魔サタンと神の天的な制度である女との間,そして悪魔サタンの裔と神の忠実な女なる妻とのあいだに戦争があるはずです。どちらが戦争に勝つでしようか。踵を砕くことは勝利をもたらす打撃でしようか。頭を砕くことは勝利をもたらす打撃でしようか。頭を砕くことは勝利をもたらします。それですから,神の妻のごとき宇宙制度の裔は,最初は踵を砕かれましたが,勝利を得るものとなり,人類に対する神の最初の予言を立証するでしよう。神の象徴的な女,すなわち神に嫁いで神に従つている神の忠実な御使の制度を構成する御使の成員にとつて,これは大きな慰めであつたに違いありません。その女の裔が誰であるか,この約束された裔はどのようにつくり出されるか,彼はどのように踵が砕かれるか,しかも彼を砕いた悪魔の頭をどのように砕くかは,神の天的な女の忠節な成員全部の興味をそそつた質問でした。彼らは直ちにこのエデンの園で告げられた予言の発展を見守る態勢を採りました。この予言は,人類に対する将来の予言全部の基礎となるものです。
9 そのとき,その予言について生物は何をすることができませんでしたか。しかし,それについての興味は,人類のあいだにどのようにひろまりましたか。
9 神の規則はこうです,『予言は決して人間の意志から出たものではない。』それですから,アダムとエバはヱホバの予言を理解することもできず,解釈することもできませんでした。悪魔サタンはその存在において,また力と理智において人間よりも遙かに高い力のある霊者でしたが,しかし彼もその預言を理解して解釈することができなかつたのです。(ペテロ後 1:20,21,新口)アダムとエバが,エデンの楽園から追放されて死ぬという罰を受けて後に,両人は子供をつくり始めました。アダムとエバは,或る女の裔についての神の約束に利己的な興味を持つていた故に,そのことを自分の子供たちに告げました。それで,その予言に対する興味は人類のあいだにひろがりました。
10 その予言は,カインがアベルを殺したことにどう影響しましたか。
10 自分の利害を求めた人間は,約束された裔になろうと躍起に努めました。そして,自分こそ真実の裔であると主張することにより,他の者以上の力と地位を得ようと希望したのです。カインは人類の長子でした。アダムとエバの2番目の息子アベルは,羊の群の中から犠牲を神に捧げて,庭園の産物のごとき生命のない犠牲を神に捧げませんでした。かくして彼は神の是認を受けたのです。そのとき,カインはアベルを殺して,弟が恐らくはその裔になり,自分の代りになることを妨げたのです。『信仰によつて,アベルはカインよりもまさつたいけにえを神にささげ,信仰によつて義なる者と認められた。神が,彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが,信仰によつて今もなお語つている。』それで,アベルはヱホバの最初の忠実な証人と私たちに語つています。神御自身の書かれた御言葉は,アベルをそのように呼んでいるからです。―ヘブル 11:4そして12:1,新口。
11,12 (イ)エノクは約束された裔とどんな関係を持ちましたか。(ロ)神が彼を連れ去られたとき,エノクはなぜ天に行きませんでしたか。
11 人間を通して述べられた神の最初の予言は,アダムから7代目にあたるエノクを通して告げられました。エノクはヱホバ神に信仰を持つた人で,ヱホバの証者になりました。エノクは又約束された裔の先祖にもなりました。彼は約束された裔に興味を持つていたのです。エノクは死ぬ前に,ヱホバの目的について証を立てるようヱホバより霊感を受けました。ヱホバの目的とは,蛇の頭が砕かれるときに,大いなる蛇,悪魔サタンの裔,すなわち不敬虔な人々全部に罰を加える,すなわち裁きを執行するということです。(ユダ 14,15)カインはアベルを殺しました。しかしエノクの敵はエノクを殺すことが許されなかつたのです。なぜなら,神自身はエノクを地より取り去られたため,『彼は見えなくなつた。』なぜ? なぜなら『彼が移される前に,神に喜ばれた者と,あかしされていたからである。』(ヘブル 11:5,新口)神は彼を天に連れ去つたのではありません,アダムからの罪の中に生まれた人間が,天に行く道はまだ開かれていなかつたからです。
12 最も聖なる天に入る『新しい生きた道』は,エノクから3072年後まで開かれませんでした。それですから,その時まで次の言葉は真実です,『天から下つてきた者,すなわち人の子のほかには,だれも天に上つた者はない。』(ヨハネ 3:13,ヘブル 9:6-8; 10:19-22,新口)このことがどのように行われるかという奥義は,ヱホバの予言者エノクが見えなくなつて後,神の目的が堂々と実現して行くにつれて,人間に理解できるようになつたのです。
約束された裔の系統
13 ノアはその約束された裔とどんな関係を持ちましたか。ノアの時代には,その裔の代りに何が来ましたか。
13 アダムから10代目にあたる人で,約束された裔の先祖となつた人は,メトセラの孫ノアです。このメトセラは,罪の中に生まれ,そして死の処罰の下に生まれましたが,それでも地上の人間の中で一番長い年月,969年も生きた人です。(創世 5:25-32)ノアは,信仰を抱いて神の女の約束された裔の来ることを待ち望みました。その裔は,ノアの時代に来ませんでしたが,神の女の敵の裔,すなわち大いなる蛇であるサタン地よりも高いところにあつて,天蓋のように取り囲んでいた大水が降り注いだために生じたものです。その大水は,40日と40夜のあいだ絶えず降り注ぎました。洪水前の古い世は,その時に滅びました,しかしノアと神を恐れるその正義の家族は悪しき世の終りにも生き残りました。
14 ノアとその家族が洪水の滅びから逃れたことに,今日の私たちはなぜ信仰を示すべきですか。
14 全能の神は,動物や鳥の数多い種族の類を方舟,すなわち大きな箱のようなものに入れて,ノアとその家族ともどもに保護せられました。ノアはヱホバのいましめに信仰を持つて,そのいましめに従つて方舟を建てたのです。この方舟は,トルコのアララテ山にあると言われていますが,洪水の大水が減いたときに,その方舟はアララテ山上につきました。(創世 6:1から8:4。ヘブル 11:7。ペテロ前 3:20)今日の私たちも,ノアと同じようにこの洪水の事実に信仰を示しましよう。その不敬虔な世の終りの時に,ノアとその家族は滅びから救われました。そのことは,今日生存している善意者たちが,間近かになつているこの悪しき世の終りにどう生き残るか,そして神の正義の新しい世にどのように生き延びるかを示す一つの予表になつているからです。―マタイ 24:36-42。
15 ノアの子の中の誰が,裔の先祖として選ばれましたか。セムは彼のどんな特別な子孫を見るまで生き長らえましたか。
15 ノアと共にその世の終りに生き残つたノアの3人の息子の中,神はどの息子を選んで,神の天的な女の約束された裔の先祖にならせましたか。それはセムでした。このことを証明するものとして,彼は父なるノアを通して告げられた神の特別な祝福を頂いたのです,『セムの神ヱホバは讃むべきかな。(ハムの子)カナン彼の僕となるべし。』(創世 9:18-26)セムは洪水後の幾百年も生きて,子孫の中の特別な者を見ました。約束された裔は,その者を通して人類の中に現われ,そして,地上の全家族および全国民から来た善意者には,その者を通して祝福が来るのです。セムは信仰を持つこのアブラハムという人に,神の祝福を告げたかも知れません。
16 アブラハムはヱホバからのどんな約束の相続者になりましたか。何の故に,私たちはその子孫の歴史をたどろうと欲しますか。
16 セム人であるこのアブラハムは唯一つの生ける真の神に信仰を持つた故に,神は彼を選びました。神はアブラハムの信仰を験して,その故郷を去つて神の導きに従い南西の国に行くようにと告げました。アブラハムが神の導きに従つて昔のパレスチナに入つたとき,彼はヱホバの約束を相続するにふさわしい者となりました,『我なんじを大なる国民と成し,汝を祝み,汝の名を大ならしめん。汝は幸いの基となるべし。我は汝を祝する者を祝し,汝を詛う者を詛わん。天下のもろもろの宗族汝によりて幸いを得んと。』(創世 12:1-3)アブラハムはセム人でヘブル人でした。しかし,その事実にもせよ,もし私たちがこの祝福に永遠に分ち与りたいと欲するなら,アブラハムの子孫の歴史を辿ろうと欲するでしよう。大切なことは,アブラハムは約束された裔の父である神にたいして忠実であることを立証したということ,および約束された裔の地的な生命は,ずつと後のアブラハムの娘を通して来るということでした。
17 約束された裔が死ぬということは,アブラハムの時代にどう予表されましたか。それで,アブラハムの裔により私たちは何をすることができますか。
17 アブラハムの全部の息子の中で,その真の妻サラから生まれた独り子が,その子孫の系統になるべく神より選ばれたものです。神の女の裔の踵が大いなる蛇とその裔により砕かれることを予め示すため,ヱホバはアブラハムに命じ,奇蹟的に与えられたイサクを犠牲にするよう告げました。アブラハムがこの犠牲を捧げ終える以前に,ヱホバは犠牲を整えるために必要なアブラハムの刀を止めて,こう言いました,『我已を指して誓う。なんじこのことを為し,汝の子すなわち汝の独り子を惜しまざりしに因りて,我大いに汝を祝み,また大いに汝の子孫を増して天の星のごとく,浜の砂のごとくならしむべし。汝の子孫はその敵の門を捉えん。また汝の子孫によりて天下の民みな幸いを得べし。』(創世 22:15-18)ヱホバの約束された裔にあつて,私たちは永久に幸いを得たいと欲しますか。それでは,裔が誰であるかの奥義が解かれるときには,彼がセムの家系の者であり,ヘブル人アブラハムの子孫であるにしても,私たちはよろこんで,そして感謝の念の中に彼を受け入れねばなりません。
18 ヱホバは,イサクの息子の中の誰に祝福を与えましたか。御国の祝福は,特定な一人の孫の上にどのように与えられましたか。
18 イサクの双児の息子の中で,ヤコブはヱホバ神とその貴重な約束にたいして真実の燃えるような信仰を示しました。それでヱホバは幻の中にヤコブに現われ,全国民の祝福は,彼の子孫を通して来ると約束しました。ヤコブが12人の息子を持つたという事実に面しても,ヱホバは驚かれず,むしろそれらの12人の息子を通して彼はイスラエルの12の支族をつくり出しました。イスラエルとは,神がヤコブに新しく与えた名前です。しかし,12支族の中のどの支族を通して,その裔は来るでしようか。ヱホバは,死の床についたヤコブをして,4番目の息子ユダに向い次のような祝福を述べさせました,『ユダは獅子の子のごとし……杖ユダを離れず,法を立る者その足の間をはなるることなくしてシロの来る時にまでおよばん。彼にもろもろの民したがうべし。』(創世 49:9,10)これは御国についての祝福でした。それにより次のことが確かとなつたのです,すなわちユダの支族から王権を持つ支配者が出で,彼は王杖を振つて,支配の杖をにぎり,ユダの支族の獅子となるでしよう。(黙示 5:5)地上の全家族と全国民は,彼に従うべきであります。彼にはその権利があるのです。それですから,この者こそ裔になるべき者です。
19 どのようにダビデは,約束された裔の来る王となりましたか。
19 死の床に就いたヤコブなるイスラエルが,ユダにこの祝福を述べてから293年経つて後に,ヱホバ神はその曾祖父アブラハムに約束した地にイスラエルの12支族をみちびき入れたのです。それから幾百年も経つて後に,神はイスラエル人の要求に応じ,彼らの上に御国を設立しました。最初の王はベニヤミンの支族の者です。その王が死んで後に神はその祝福を成就し,ユダの支族の者,すなわちダビデと言われる油注がれた者をイスラエルの国の王座に就かせました。油注がれた王としてダビデは,メシヤであり,またキリストでしたが,彼はアブラハムに約束された裔でなく,神の女の裔でもありません。ダビデは神の天的な妻,すなわち神の霊的な宇宙制度から来た者ではありません。しかし,ダビデは清い崇拝を熱心に押し進めた者であり,従つてヱホバの忠実な証者であつたために,神は長く持ち望まれていた裔はダビデの王統を通して来るとダビデに誓われました。神の言葉は次のようです,『我なんじの身より出る汝の種子を汝の後に立ててその国を堅うせん。彼わが名のために家を建てん。我ながくその国の位をかとうせん。……なんじの家と汝の国は汝のまえに永く保つべし。なんじの位は永く堅うせらるべし。』― サムエル後 7:12-16。
20 キリスト前607年にエルサレムが滅びた時,ユダヤ人を驚かせたことに,約束された裔の御国について何が明瞭になり始めましたか。
20 不思議なことに,クリスチヤン時代より607年前に,ユダの支族とダビデの家族の国は滅ぼされ,そしてエルサレムの王都は滅びました。今日にいたるまでダビデの家族に属する者による国は,エルサレムに建てられたことがありません。永遠の御国についてダビデ王と結ばれた神の誓い給うた契約は,失敗しましたか。そのようなことはありません。しかし,全能の神は全く驚くべき新しい事柄,人間の期待していたものとは全然異なる事柄を準備していました。このことの故に,今日生存している善意者のすべてが,言葉に言いつくせないよろこび溢れる新しい歌を歌う道が設けられたのです。神が事柄を処理している仕方から判断すると時経て次のことが明瞭になりました,すなわち神の女の約束された裔の永遠の御国は天的なものであり,地的のエルサレムにあつたダビデの国よりも遙かに高いということです。しかしながら,ダビデの家族の地的な国が滅びてから後の600年のあいだ,忠実なイスラエル人はダビデの王国がエルサレムに再建されることを待ち望みました。それで,全く驚きに足る新しいものが彼らの上に臨む筈でした。
奇蹟的な新しい事柄
21 約束された裔は,どんな地的な系統を通して来なければなりませんか。しかし,なぜ彼は真実に神の子でなければなりませんか。
21 王権を持つ約束の裔がアブラハムの家族から,そしてダビデ王の家系から生まれるためには,彼は一ヘブル人として生まれ,ダビデの王系をひく女から生まれなければなりませんでした。同時に,彼が神の女の裔である為には,彼は神の宇宙的な霊的の制度の天的な成員から来なければなりませんでした。これは,宇宙的な歴史の中で新しい或る事柄を意味しました。つまり,裔は天から,霊者のいる見えざる界域から降つて来ることを意味しました。全く真実な意味において,そして直接の意味において,彼は神の子でなければなりませんでした。なぜなら,地上にいる人間は誰一人として神の天的な女なる妻と結婚して,約束された裔の父親になることはできないからです。神だけがその裔の父親になることができます。
22 なぜ,神の子が天から降つて化身することは,アブラハムとダビデの家系の者でなければならぬという問題を解決しませんか。
22 それでは,裔はどのように天から地に降つてきて人間になりましたか。彼は,神の霊者なる子たちの一人として人間に化肉することにより,つまり化身することにより,そうしましたか。そうではありません。それでは新しい事にはならず従来のことと違わず,またこの場合の必要な事柄に適うものではありません。アダムとエバがエデンの楽園から追放されて,その罪の故に死ぬようになつた時から,神の天的な子たちは時おり化身しました。神はケルブたちをエデンの園の東に置いて,園の中の生命の木に通ずる道を守らせましたが,それらのケルブたちは化肉により姿を現わしました。つまり,目に見える肉,手で触ることのできる肉を,目に見えない自己に奇蹟的に着けたのです。しかし,それらのケルブたちは裁き主なる神の目的に従つて人間の肉を身につけた故に,彼らはアダムとエバの子たちにはなりませんでした。化身したそれらのケルブたちは,アダムとエバから肉と血を受けたのではありません。時が経つにつれて,御使たちも化身してアブラハムやダビデ王に現われました。しかし,彼らはアブラハムやダビデから肉の体を受けて,アブラハムとダビデの肉的な裔になつたのではありません。天から神の子が化肉して化身しても,この問題を解決することはできません。それでは,どういうことになりますか。
23 どのようにガブリエルは,マリヤが母親になるという音信を伝えましたか。
23 クリスチャン時代前の3年も終りに近づいた頃,神の御使ガブリエルは化肉して,化身しました。ガブリエルはこのようにしてダビデ王統の血筋を引く未婚のユダヤ人の娘マリヤに現われました。彼は人間としての彼女の結婚が行われずに生ずる新しい事柄を説明しました。ガブリエルは次のように説明しました,『見よ,あなたはみごもつて男の子を産むであろう。その子をイエスと名づけなさい。この者は,偉大な者となるであろう。そして最高者の子と呼ばれるであろう。ヱホバ神は父ダビデの座位を彼に与え,彼はヤコブの家の永遠の王となるであろう。彼の御国には終りがない。』『どうして,そんな事があり得ましようか。わたしにはまだ夫がありませんのに。』とマリヤは尋ねました。ガブリエルは次のように説明しました,『聖霊があなたに臨み,いと高き者の力があなたをおおうでしよう。それゆえに,生れ出る子は聖なるものであり神の子と,となえられるでしよう。』マリヤはこの奇蹟的な仕方で神により用いられることに同意しました。彼女はこう言いました,『見よ! ヱホバのはしため! あなたの言われた通りのことがこの身に成りますように。』(ルカ 1:26-38,新世と新口)しかし,どのように?
24 マリヤが処女なる胎内に神の子を妊娠するために,どんな新しい事柄が天で生じましたか。
24 太陽よりも遙か高いところ,物質界よりも更に高い目に見えない天では,そのとき不思議な新しい事柄が生じました。最初に生まれたヱホバの独り子は,神の天的な子たちの中に見えなくなりました。何が生じましたか。神はこの長なる子をして御自分の女,すなわち天的な宇宙制度の懐から去らしめました。そして,神は彼を天から遣わして,処女マリヤより人間の幼児として生まれしめたのです。(ヨハネ 3:16,17)神の愛子は,天的な栄光と力をことごとく棄て,そして栄光に輝く天的な体,すなわち神のごときかたちをも断念したのです。(ピリピ 2:5-8)神はそのとき御子の生命の力を天からマリヤの処女の胎に移しました。かくして,マリヤは神の聖霊,すなわち活動力の働きの下にあつて胎内に妊娠したのであつて,男との性交によつて妊娠したのではありません。
25 マリヤの胎から生まれたものとして,神の子は何でしたか。
25 マリヤの妊娠が現われ始めてしばらく経つて後に,ダビデの王系を引く大工のヨセフは,神のいましめに従つてマリヤを自分の妻となし彼女の保護を図りました。それで,神の時が満ちるに及んで神の天的な女なる妻から生まれた聖なる子『神の子』は生まれました。彼は正真正銘の人間として,マリヤから生まれ,ダビデの相続者としてダビデの王系に生まれました。彼は天にあつて全能の神の代弁者であり,また言葉であつたために,奇蹟的に行われたことは,このように述べられています,『そして言は肉体となり,わたしたちのうちに宿つた。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であつて,めぐみとまこととに満ちていた。』― ヨハネ 1:14,新口。
26 それではなぜ,地上の神の子は,化肉ではなかつたのですか。
26 この言葉によると,神の子は天的な体を持ちつづけて単に化身して化体した,または肉を身につけた,などと述べられていません。そのようなことはなく,神の天的な子は『肉体となつた』と述べられています。彼は一人の人間になり,罪のない天的な父を有する聖なる人になりました。それで,罪のない神の子であり得たのです。―ガラテヤ 4:4。ロマ 1:3,4。
27 (イ)神は御子の誕生についての証者をどのように起しましたか。(ロ)それは天にとつても良いたよりであると,どのように示されましたか。それは,何を実現するための基礎を置きましたか。
27 これは,まつたく栄光に輝く新しいことでした。そして,また善意を持つ人々に対して神の愛が比べることのできない程に大きく表わし示されたのです。この重要で奇蹟的な新しい事柄 ― 一人の処女から完全で罪のない幼児が生まれたということ ― を知らせるため,そしてこの良いたよりの出来事についての証者を持つため,神はベツレヘムの近くにいた羊飼のところに御使を遣わしました。そのベツレヘムでは,ダビデ自身も羊飼をしていたのです。神は御使をして羊飼にこう告げしめました,『すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。きようダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになつた。このかたこそ主なるキリストである。』それは又天にとつても良いたよりでした。それで,天の大軍は羊飼のところに現われて,神を讃美しました。彼らはこのように言つたのです,『いと高きところでは,神に栄光があるように! 地には善意者のうちに(あるいは神のよしと認められる人のうちに)平和があるように。』(ルカ 2:10-14,新世,欄外)この出来事が人間の間で再び行われることは決してありません。ダビデの王権と御座の正当な相続者は,罪のない仕方で生まれました。このことは,栄光に輝く他の新しい事柄を実現する基礎を置いたものです。