現代の「エジプト人」を真理で悩ます
「われわれの神の報復の日……を告げ」― イザヤ 61:2。
1,2 (イ)テモテ後書 4章3,4節はだれにあてはまりますか。だれにあてはまりませんか。なぜそうですか。(ロ)エホバの奉仕者の宣べ伝える災いの音信に反発する人は,どんな事実を見逃していますか。
私たちの住む時代について預言した使徒パウロは,「人々が健全な教に耐えられなくなり,耳ざわりのよい話をしてもらおうとして,自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め,そして,真理からは耳をそむけ(る)……時が来るであろう」と述べました。本誌上において再三述べた通り,この言葉は現代の宗教指導者と信徒にあてはまります。しかし献身したクリスチャンであるエホバの証人はそのようではなく,またそうであってはなりません。これらの人々は,たとえそれが時に苦痛を与えるものであっても,真理を歓迎しなければならず,またそうします。―テモテ後 4:3,4。
2 エホバの奉仕者が伝えるあからさまな警告の音信に反発し,彼らが愛のない神と憎しみの音信を伝えると言って非難する人は,神の報復に関する警告の音信がまずエホバの奉仕者に適用されている事実を見逃しています。それで本誌の前号の中で論じたように,古代エジプトに下された最初の三つの災いは,「エジプト人」のみならず,とらわれの「イスラエル人」すなわち神の民にも影響を与えました。しかし現代におけるこれらの災の成就から益を受け,いわばそれによって矯正された今日のエホバの民は,残りの七つの災いの影響を免れ,むしろそれをそそぐことに加わっています。いま地上にあって現代の災いをそそぐことにあずかっているエホバの残れる者は,モーセの兄弟アロンによって表わされていました。モーセ自身は,天の栄光と力をもって治めるイエス・キリストを表わしています。(出エジプト 6:5,6,20; 9:8)アロンはモーセの代弁者をつとめ,モーセの杖を使いました。
第四の災い ― あぶ
3 第四の災いは何でしたか。それはどんな影響を与えましたか。
3 古代エジプトに下された十の災いのうち,第四の災いの時にはじめて,エホバはその民イスラエルとエジプト人とを区別されました。それは,出エジプト記 8章21節から24節にしるされているあぶの災いです。あぶは家ばえよりも大型で,馬ばえに近いものだったようです。この種のあぶには,人と動物を刺すもの,植物だけを害するものとがあります。このあぶはうじ虫を地にみたし,エジプト中の家にひろがりました。その被害はきわめて広範囲におよんだので,「地はあぶの群れのために害をうけた」としるされています。この災いは,ひめばちの女神ワジェットをあなどるものと言えるかも知れません。a パロはそのために屈服しますが,それも災いのやむまでのことです。―出エジプト 8:28-32。
4 霊的イスラエルの「地」は,どのように見分けられますか。
4 エジプトの地を荒らしたこの災いは,現代「エジプト」すなわちサタンの組織の荒れた状態を暴露し,災いとなるエホバの音信を表わしています。それは何ですか。イザヤ書 62章4節と66章8節の預言は,その手がかりを与えています。「あなたの地は配偶を得る」。「一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか」。これらの預言は,今日における霊的イスラエルの復興した状態を述べています。「地」(「国」)という表現は,復興した神の霊的な国民の残れる者が地において占める立場,いわば彼らの占める地位を指しています。1914年から1918年にわたる第一次世界大戦中,彼らは神に捨てられたように見えました。しかし歴史の示すように,1919年,彼らは神の前に恵まれた立場を回復して生まれかわり,あたかも「一日」のうちに突然に「生れ」たのです。これには彼らの教義,組織,崇拝の方法が関係していました。
5,6 現代「エジプト」は,どのようにして神の前に立場を得ようと努めてきましたか。しかし第四の災いは何を明らかにしましたか。どんな方法によってそのことをしましたか。
5 それで現代エジプトの宗教家は,人間の教え,組織,行いに頼って神の前に立場を得ようとしてきたと言えるでしょう。このような教えには,三位一体の神,からだが死んでのちの永却の苦しみ,煉獄,人間の魂の不滅,帝王の神権その他があります。彼らはまた苦行,聖職者の独身,修道僧,修道女,日曜礼拝,牧師への告白,十字架,聖水,ギリシャ正教会の聖像をはじめ,いろいろな像,マリヤと「聖徒」の崇拝,聖遺物の崇敬などの宗教的しきたりによって,神の前に立場を得ようとしてきました。また豪華な教会や寺院の建築,信仰療法,カトリック教徒,新教徒,ユダヤ教徒の信仰合同,道徳の革新,立法府への働きかけ,アメリカにおける貧困者用の無料食堂,アジアの貧民を養う給食など慈善事業の大きなわざによっても,神の前に立場を得ようとしています。
6 第四の災いとなった真理は,神の目および神の真理に啓発された人々の目から見た,現代エジプトの宗教家の実体を明らかにしました。この災いは,キリスト教国の教え,組織,崇拝の形式,行いが聖書と一致しないことを暴露しました。1924年(オハイオ州)コロンバスで開かれたエホバの証人の大会に関連して行なわれた事は,この災いの著しい例です。その大会において,キリスト教国の主要な教義と宗教的行いの間違いを暴露した告訴が発せられました。配布用としてそのとき印刷された告発状は1300万部に上ります。その後に出版された本で過去19年間にこの事をしてきたのは,45ヵ国語で1900万部以上出た「神を真とすべし」です。この点においてとくに災いとなった冊子は,「ヨハネによれば,言はだれですか」と題する冊子です。この冊子はキリスト教国のほとんどの牧師に送付されました。世界中に配布するため,900万部に上るこの冊子が多くの言語で印刷されています。冊子の発行者に怒りの手紙がたくさん寄せられたことは,宗教指導者が苦しみを受けた証拠です。「現代の宗教の土台をしらべる」と題した1964年4月22日号「目ざめよ!」特別号(日本語の「目ざめよ!」は1964年10月8日号)は,この災いの別の例です。この号は619万6655部印刷されました。現代「エジプト」の「地」が荒れはて,神の前に立場を失い,神から捨てられたことは,たしかに数多くのものみの塔出版物によって暴露されてきました。大いなるモーセであるイエス・キリストの下にあって,エホバの証人が行なったこの暴露のわざは,たしかに災いの働きをしてきました。
第五の災い ― 疫病
7 第五の災いは何でしたか。
7 パロの願いによってモーセがエジプトのためエホバに祈ったので,第四の災いはやみました。しかしパロが再び心をかたくなにしたので,エホバは第五の災いを下しました。それはエジプトの家畜を襲った災いです。「エホバの手野にをる汝の家畜……に加はらん」とモーセは語りました。災はすべての家畜に及びました。「馬 ろば らくだ 牛および羊に……甚だ悪しき疾あるべし」。「明日エホバこの事をなしたまひければエジプトの家畜〔あらゆる種類が〕死り然どイスラエルの子孫の家畜は一も死ざりき」― 出エジプト 9:3,6,文語〔新世〕。
8-11 現代における第五の災いは,どのように成就していますか。
8 この災いは何を表わしていますか。聖書の中で家畜とくに羊と牛が人間を表わすことはめずらしくありません。人間は荷役の動物にくらべられるからです。エジプトの家畜すべてはエジプトの支えでした。従ってそれは今日の実体的エジプトすなわちサタンの組織の支持者を表わすと言えるでしょう。また文字通りにすべての家畜が死んでのではなく,あらゆる種類の家畜が死んだことは,地位の上下,貧富,老若,性別,国籍,人種の相違を問わず,現代エジプトを支持するあらゆる種類の人々が,サタンの組織を支持することに関する限り,象徴的な意味で死につつあることを表わしています。それは神の民がもたらしたさばきの音信,すなわち災いとなる音信のためです。この災いは,正義を愛する正直な心を持ちながらも,無知のゆえにサタンの組織を支持している人々に向けられた音信をとくに表わしています。それはサタンの組織を離れ去り,エホバと御国の側に立つことを,その人々に呼びかけています。
9 1922年から1928年まで毎年連続してエホバの証人の宣明した七つの音信は,すべてこのような呼びかけを結論としていますが,カナダ,トロントの国際大会で採択された1927年の決議は,モーセの兄弟アロンによって表わされているエホバの残れる者の宣教のこの面をとくに強調していました。(出エジプト 9:27)そこに述べられていた事が如何に適切であったかに注目して下さい。この決議は中でも次のように述べていました。「この制度をこれ以上支持する理由は全くない。この混乱した時にあってキリスト教国すなわち組織されたいわゆるキリスト教を捨て,それから完全に離れることを,エホバ神は命じておられる。それは悪魔の組織だからである。それに如何なる支持をも与えてはならない。人々はエホバ神とその王と御国に全幅の献身と忠誠をささげて,神から真の自由と祝福を得るであろう」。この決議は冊子の形で390万部印刷され,多くの言語で配布されました。
10 以来,同様な呼びかけが行なわれてきました。たとえば1958年,ニューヨーク市のヤンキースタジアムとポログランドで行なわれた大会においてエホバの証人の採択した決議は,明白にこの事をしています。「正義の支配の下に享ける生命と幸福を愛する人々」そしてこの決議に注目する人々に対して,この決議の結語は,「その趣旨を心に留めて天地の創造主のみ名にほまれを帰し,新しい世を治める正義の政府としてキリストによる神の国に希望をおくこと」を呼びかけていました。この決議は世界の50ヵ国語で7000万部も配布されています。実体のエジプトに災いとなるこの音信は今日に至るまで宣明されており,「わたしの民よ。彼女〔大いなるバビロン〕から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ」と命じた黙示録 18章4節の言葉に従うことを人々に呼びかけています。大いなるバビロンと今日の象徴的なエジプトは同じではありません。大いなるバビロンは,象徴的エジプトすなわちサタンの見える組織の宗教的な部分です。それで現代の大いなるバビロンから離れ去る,つまりそれを支持するのをやめるという意味で死ぬ人は,現代の「エジプト」を支持することに関する限り,象徴的に死んだのであって,昔のエジプトの家畜のようになったと言えます。
11 毎年の1月1日号「ものみの塔」(日本語の「ものみの塔」では通常3月1日号)および現在数ヵ国語で出版されている「エホバの証人の年鑑」に載せられるエホバの証人の年次報告は,この災いがどの程度まで及んだかを示しています。どのようにですか。エホバに献身して水のバプテスマを受け,現代の「エジプト」を離れ去った人の数を,それは示しているからです。その人数は1963奉仕年度に62,798人,1964奉仕年度に68,236人でした。この事実をこのような出版物に発表すること自体,現代の「エジプト」にとって災いとなります。
第六の災い ― うみの出るはれもの
12,13 第六の災いは何でしたか。
12 昔のエジプト人のあらゆる種類の家畜が第五の災いによって死んだにもかかわらず,「パロの心はかたくなで,民を去らせなかった」ため,エホバは第六の災いを警告しました。エホバの言葉通りモーセがかまどのすすを取って,「天にむかってこれをまき散らしたので,人と獣に付いて,うみの出るはれものとなった。魔術師らは,はれもののためにモーセの前に立つことができなかった。はれものが魔術師らと,すべてのエジプトびとに生じたからである」― 出エジプト 9:7-11。
13 この災いはエジプトの医薬の神イムホテップをはずかしめました。エジプトの医者は一人としてそれをいやす事ができなかったからです。とくにそれは魔術を使うエジプトの祭司をいやしめました。さきに彼らは,モーセのもたらした最初の二つの災いを真似できるように見えましたが,三番目のあぶの災いについては,それを「神の指」によるものと認めざるを得ませんでした。(出エジプト 8:1-19)しかし彼らがパロの前に立つのを不可能にした第六の災いは,真に彼らをいやしめました。一部の聖書解説者によれば,この災いは象皮病とも呼ばれるエジプトのはれものであったという事です。これより何年か前にヨブを苦しめたのも,この病気だったようです。(ヨブ 2:6-12)何であったにしても,それは腫れ,潰瘍を伴う皮膚病であり,エジプトの祭司が立てなかったことを見ても,苦痛の甚しいものであったに違いありません。
14-16 現代「エジプト」は,今に至るまでどのように第六の災いを受けていますか。
14 この災いは現代においてどのように成就していますか。黙示録 16章2節にそれを知る手がかりがあります。それは神の怒りの杯がそそがれると,獣のしるしを受け,その像を崇拝した人々に苦痛の激しい,悪性のはれものが生じたことを述べているからです。「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配す!」と題する本の説明によれば,この災いは,国際連盟の失敗が予言された1919年に始まりました。黙示録 13章に出てくる海の獣が教会組織ではなく,サタンの見える政治組織であることが「ものみの塔」誌上において初めて明らかにされたのは1921年でした。他の災いと同じくこの災いにも,現代において二つの面があります。その一つは,獣の「像」を崇拝する現代の「エジプト人」がエホバの目にどう映るかを示すため,聖書を使うことです。そしてもう一つはこのような暴露が彼らに与える苦痛です。エジプトはサタンの見える組織全体を表わしていますから,この災いはキリスト教国と異教国両方の宗教指導者に臨みます。
15 この災いに関連した重要な初期の出来事は,1922年9月8日,オハイオ州シーダーポイントで開かれていたエホバの証人の大会において起きました。その時ものみの塔協会のジョゼフ・F・ラザフォード会長は,ウジヤ王の僭越とその受けた罰がキリスト教国の型であることを示しました。宮で香をたくことはレビ人の祭司だけに許された特権であったのに,エルサレムのウジヤ王はその事を僭越にも行なって宗教と政治を混同し,そのためらい病になりました。(歴代下 26:1,16-23)キリスト教国が人間の手になる国際連盟を神の国に代わるものと認めたことに言及して,ラザフォード判事は,「このようにして彼らは主の来臨と御国を否定した」と述べました。エホバ神の目からみると,直ちにらい病とうみの出るはれものが彼らに生じ,彼らは汚れた者となりました。エジプトに下された第六の災いと同じく,エホバの献身した民がこれらの事に関して宣べ伝えた音信は,エホバの怒りの表明であって人々に苦痛を与えました。獣のしるしを持ち,獣の「像」すなわち国際連盟を崇拝した人々に対して表明された神の怒りは,この20世紀の実体的エジプト人に苦痛を与えるものでした。
16 以来,国際連盟と後継者の国際連合がそれを神の国に代わらせようとする人間の空しい産物であることは,クリスチャンであるエホバの証人の出版機関ものみの塔協会の手で文書に印刷され,広く知らされました。最近の特に著しい例は,「国際連合が神の国か」と題する1962年10月8日号「目ざめよ!」特別号(日本語では63年4月22日号)です。ものみの塔協会では,1962年10月8日号「目ざめよ!」を配布用に5,269,268冊印刷しました。神のさばきの音信をのせた出版物がこのように印刷され,配布されたことは,人間の企てを支持する人々が神の目に見て曲っており,汚れ,みじめで霊的に病気であることを明らかにしました。このような出版物の配布は第六の災いの一部であり,世界平和と安全をはかる政治組織の支持者に大きな苦痛を与えてきました。
第七の災い ― 雹と火と雷
17,18 (イ)エホバは,パロをなぜそのように扱われたのですか。(ロ)当時の第七の災いは何でしたか。
17 パロとその国民に対して,すでに六つの災いがエホバ神から下されましたが,パロの心はなおかたくなでした。全能のエホバは,弱小な,しかし高慢なこの人間をなぜこのように扱われたのですか。ここでエホバご自身がパロにお告げになっています。「わたしがもし,手をさし伸べ,疫病をもって,あなたと,あなたの民を打っていたならば,あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。しかし,わたしがあなたをながらえさせたのは,あなたにわたしの力を見させるため,そしてわたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない」。このように事を運ばれたエホバはさまざまの偉大な力をパロの前に示されると共に,御自身のみ名をあげることをされました。パロをこのように扱われた理由を告げてのち,エホバは第七の災いを警告して言われました,「あなたはなお,わたしの民にむかって,おのれを高くし,彼らを去らせようとしない。ゆえに,あすの今ごろ,わたしは恐ろしく大きな雹を降らせるであろう。それはエジプトの国が始まった日から今まで,かつてなかったほどのものである」― 出エジプト 9:15-19。
18 パロがこの警告を無視したので,エホバは手を天にさしのべるようにモーセに命ぜられました。「エホバ雷と雹をおくりたまふ又火いでて地に馳すエホバ雹をエジプトの地に降せたまふかく雹ふり又火の塊 雹にまじりて降る……唯イスラエルの子孫のをるゴセンの地には雹あらざりき」― 出エジプト 9:22-26 文語。
19-21 (イ)第七の災いは何に向けられましたか。(ロ)雷,雹,稲妻は何を表わしていますか。
19 天からの雷,火,雹を伴うこの災いによって,天と大気と地が影響を受けたと言えるでしょう。ここで黙示録 16章17節から20節の第七の災いが思いおこされます。それは人々の呼吸する空気中にそそがれました。「第七の者が,その鉢を空中に傾けた。すると,大きな声が聖所の中から,御座から出て,『事はすでに成った』と言った。すると,いなずまと,もろもろの声と,雷鳴とが起り,また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来,かつてなかったようなもので,それほどに激しい地震であった。大いなる都は三つに裂かれ,諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し,これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島々はみな逃げ去り,山々は見えなくなった」。黙示録のこの災いは,世の人々の吸い込んでいる精神に対して神の表わされた怒りでした。それは悪魔の精神であって,人々の間にその実を生み出しています。この事に注意を喚起した音信は1928年,ミシガン州デトロイトにおいて宣言されました。「サタンに敵し,エホバの側に立つ宣言」と題したこの音信は,全人類の病いに対する責任をサタン悪魔に明白に帰すると共に,ハルマゲドンの近いことを警告していました。世の事柄に関してサタンのはたす役割を暴露したすべての記事は,現代「エジプト」とそのパロに臨んだこの災いの一部です。従って「ものみの塔」の記事「サタン悪魔をあざける歌」bおよび「サタンに死を宣告する」cをはじめ,世の事柄に及ぶサタンの影響を明らかにするために書かれたすべての記事がそれに含まれています。また「この世の霊」を暴露した1963年12月15日号「ものみの塔」(日本文は64年2月15日号)もその一つです。
20 昔のエジプトにおいて第七の災いは,雷と火すなわち稲妻を伴っていました。現代におけるこの災いも,ハルマゲドンの戦いのとき,エジプトの実体すなわちサタンの見える組織に対して執行される神のさばきの稲妻のような警告から成っています。これらの象徴的な雷は,霊的な稲妻すなわちエホバの天の宮からひらめく真理の光によってひきおこされました。この災いは,現代「エジプト」に安全なところは一つもないことを警告しています。この警告を無視してハルマゲドンで死ぬ人は,警告を無視したため雹に打たれて死んだむかしのエジプト人と同様です。
21 この第七の災いには,また雹が伴いました。黙示録 16章も第七の鉢を傾けたことに関連して,更に黙示録 11章15節から19節は第七のラッパの音がしてのち雹の降ったことをそれぞれ述べています。昔のエジプトに下された第七の災いの火と雹は,「わたしの言葉は〔なし遂げらたれとき〕火のようではないか。また岩を打ち砕く鎚のようではないか」と述べたエレミヤ記 23章29節を思いおこさせます。雹はこおった水からできています。それでものみの塔協会の出版した本は,打ち砕く力を持つ固い聖書の真理を表わしているのです。「敵」また「宗教」などの聖書の手引き書また1962年に全世界で行なわれた講演「キリスト教国は神を捨てる! その滅びの後に来るもの」は,降りそそぐ霊的な雹となりました。現在,704頁の聖書の手引き「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配す!」および2時間の映画「全地をめぐって永遠の福音を宣べ伝える」によって,霊的な雹は降りつづいています。
22 雹の災いは,なおどんな形をとって下されますか。
22 雹すなわち凍った固い霊的な真理と共に今日の実体的エジプト人に対する雷のような警告から成る災いが最高潮に達するのは,なお将来のことでしょう。「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配す!」と題する本は574,575頁に次のことを述べています。「サタンの見える組織に臨む神の刑罰を告げる断固たる音信は,遂に人々を打つことでしょう。それは滅びの前兆です。象徴的な雹のあらしは,世界情勢の進展したその時期になって人類を改宗させることを意図したものではありません……この災いが異常に大きなものであったことは,神の刑罰がエホバの証人によって普通以上に大々的になお宣明されることの前兆です」。この言葉に照らして,次のような質問が出ます。雹のようなこの災いの音信が人々を改宗させないとすれば,それはなぜ宣べ伝えられるのですか。それは悪しき者の滅ぼされるとき,その滅びがどこから,そしてなぜもたらされたかを,彼らがたしかに知るためです。
第八の災い ― いなご
23,24 第八の災いに関して,どんな興味深い点が注目されますか。
23 昔のパロは雹と火の及ぼした害を見て悔い改めを表明しましたが,それも災いのつづいた間だけでした。雹がやむと,パロはたちまち心を変えたので,エホバはモーセと代弁者アロンをつかわして,第八のいなごの災いをパロに警告させました。出エジプト記 10章13節から15節は,これに関して次のように述べています。「朝となって,東風は,いなごを運んできた。いなごはエジプト全国にのぞみ,エジプトの全領土にとどまり……地のすべての青物と,雹の打ち残した木の実を,ことごとく食べたので,エジプト全国にわたって,木にも畑の青物にも,緑の物とては何も残らなかった」。
24 エジプトのいなごは,体長が8センチ近くにもなるのがあります。モーセを通して与えられた神の律法によれば,いなごはきよい昆虫であり,食用に供することができました。事実いまでも東洋においていなごは食用となっています。空が暗くなるほど群れをなしてきたこのいなごの災いは,むかしのエジプトにかつてなかったほど大きな災いでした。モーセとアロンの与えた警告だけでも,パロのやり方に反対したパロの臣下が武器をとってパロに反抗するほどのものでした。そこでパロはいったんしりぞけたモーセとアロンを召しました。しかしエホバを崇拝するため荒野に行くのは男のみならずイスラエル全部であることをモーセとアロンから告げられると,パロは怒って二人を追い出しました。そのために臨んだこの災いは,以前の災いに残ったものまでことごとく食いつくす大災害となりました。しかしそれだけではありません。それはエジプトの豊じょうと収穫を司る神々に対する目ざましい勝利です。パロはいそいでモーセとアロンを召し,悔い改めを表明しましたが,後になって再び心をかたくなにしています。心の正しくない人は,経験から学ぶことがありません。
25,26 現代のいなごの災いは,今に至るまでどんな破壊をもたらしてきましたか。それはどんな手段によってですか。
25 この災いは何を表わしていますか。文字通りの災いはエジプトの残りの食糧に深刻な影響を及ぼし,ききんを生み出しました。しかしゴセンの地のエホバの民は無事でした。このいなごを送ったのはエホバです。この成就は,実体的なエジプトの宗教の提供する食物が今日エホバの証人によって暴露されている事だと言えるでしょう。このような「エジプト」には,生命を与える霊的な食物の欠けている事が証明されました。
26 この災いは,霊的食物に関して実体的なエジプトがエホバ神の目にどう見えるかを示しています。アロンの表わした霊的残れる者が,大いなるモーセ,イエス・キリストの導きの下にひろめる聖書の真理は,実体的エジプトの宗教の教理と行いが間違ったもので,その中に生命のないことを証明しています。経済,政治,科学者,哲学者またカトリックおよび新教の牧師をはじめ基本主義者,さらに進化論を受け入れる現代主義者をも含めて偽りの宗教家は,事態を収拾できません。実体的エジプト人は,およそ価値のある霊的食物には事欠いています。現代「エジプト」の霊的ききんが暴露されたことは,「エジプト人」にとって災いとなりました。世界が霊的ききんに見舞われていることは,「ものみの塔」,「目ざめよ!」の両誌およびエホバの証人の行なう講演の中でとりあげられてきました。この象徴的な災いの表明となった比較的最近の出版物には,「宗教は人類の為に何を成したか」および「大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配す!」があります。あらゆる偽りの宗教を含め,現代の「エジプト」に存在する霊的ききんを暴露したこれらの音信は,霊的に人を養う青いものが一つも残っていないこと,霊的な必要を意識する人はどこかほかの所にそれを求める必要のあることを示しています。
第九の災い ― 暗やみ
27,28 (イ)第九の災いは何でしたか。今までのうちでそれがエジプトの神々に最も大きな打撃を与える災いとなったのはなぜですか。(ロ)それがやんで後,パロはどんな反応を示しましたか。
27 古代エジプトのパロは第八の災いから教訓を学ぼうとしませんでした。そこでエホバ神は第九の災いである暗やみを送ります。出エジプト記 10章21節から29節によれば,それは濃いスモッグのように,感じることのできるほど厚い暗やみでした。事実やみにおおわれた三日三晩の間,エジプト人の中には自分のところから立つ者が一人もないほどでした。しかしイスラエル人はそれ以前の五つの災いと同じく九番目の災いをも免れ,その住居に光があったのです。この災いはオシリスの助言者で月の神また太陽,月,星の組織者であるトウト,および太陽神アモン・ラーをいやしめました。それはエジプトの神々にとって今までのところ最大の打撃であったと言えるでしょう。エジプト人は太陽と光をとくに崇拝したからです。
28 異常な暗やみという災いをこうむってのちに,パロはイスラエル人が荒野に行ってエホバを崇拝することを許すと言いました。しかしイスラエル人が犠牲のための家蓄を携えて行くことをモーセとアロンから聞かされると,パロは怒って言いました。「わたしの所から去りなさい。心して,わたしの顔は二度と見てはならない。わたしの顔を見る日には,あなたの命はないであろう」。これに対してモーセはおだやかに答えています。「よくぞ仰せられました。わたしは,二度と,あなたの顔を見ないでしょう」― 出エジプト 10:28,29。
29 今日どんなことが第九の災いの成就となっていますか。
29 現代における第九の災いの実体について今日キリスト教国はエホバ神を宇宙の光と認めず,イエス・キリストを救い主,世の光と認めていません。そのことは実体的エジプトの他の部分と同様です。人間の救いを進化に求め,あるいは物質的な科学に希望を托す人が大ぜいいます。数多い異教の宗教はそれぞれ救済の道を説いています。ユダヤ教徒に言わせれば,世の光,人類の唯一の希望はユダヤ教です。第九の災いは,これら光ととなえるものすべての愚かさを明らかにし,それに頼る者またそれを提唱する者が実際に暗黒の中にあり,精神的な暗黒のみならず,神の不興という暗やみに閉ざされていることを明らかにしています。この災いが初めて大規模に表明されたのは,1926年英国のロンドンで開かれたエホバの証人の大会においてでした。そのとき大会出席者の可決した決議を支持する講演「世界の諸強国はなぜよろめいているか ― その解決策」が行なわれました。この決議は国際連盟が完全な失敗であることを示し,「サタンの惑わしによって支配者も被支部者もその心が真の神から遠ざかっていること」,神の国だけが,長いあいだ人々を束縛した「盲目と無知」を除き得ることを示しています。(黙示 16:10,11)同様に1963年,全世界において採決された決議は,現代「エジプト」が神の恵みを失って暗黒に閉ざされていることを指摘しました。「唯一の光」とたたえられた国際連盟のような組織あるいは運動あるいは個人を問わず,人類の救い主を自称するものが光でも救い主でもない事は,エホバの民の宣べ伝える事柄によって明らかにされてきました。1926年英国ロンドンの大会で採決された決議は,講演と共に冊子に印刷され,5000万部も配布されました。加えてものみの塔協会は,80万の読者を持つロンドンの新聞ディリー・ニュースの全面広告の頁に同じ音信を載せました。実体的エジプトのやみが如何に濃いかを示すこれらの出版物すべては,象徴的な第九の災いの一部です。そしてエホバの証人の宣べ伝えるこのような音信は,これら世のものを光と仰ぐ人々にとって確かに災いとなります。
[脚注]
a H・リーマー,「死者の物語」106頁参照
b 1949年10月15日号「ものみの塔」(英文)
c 同じく1956年8月1日号