啓示された真理と共にすゝむ
1,2 なぜ啓示された真理と共にすすむべきですか。
たいていの人は服装の流行におくれません。人々は流行の変化を知り,流行におくれないようにします。しかしそうしてみたところで,人の寿命に年が加えられるわけではありません。それよりも遙かに大切なのは,エホバおよび増し加わるエホバの啓示と共にすすむことです。これは人間の流行におくれない事ではなく,宇宙の至上主権者におくれずについて行くことです。エホバと共にすすむならば,永遠の生命に至るでしょう。
2 エホバを喜ばせるには,そのみ心を行なわねばなりません。エホバのみ心を行なうにはそれを知ることが必要です。パウロは次のようにすすめました,「そこで,あなたがたの歩きかたによく注意して,賢くない者のようにではなく,賢い者のように歩き,今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。だから,愚かな者にならないで,〔エホバ〕の御旨がなんであるかを悟りなさい」。(エペソ 5:15-17)コロサイ人に対するパウロのことばは,何が必要かを述べています,「あらゆる霊的な知恵と理解力とをもって,神の御旨を深く知り,主のみこころにかなった生活をして真に〔エホバ〕を喜ばせ……」― コロサイ 1:9,10。
3 どんな危険を避けなければなりませんか。
3 エホバの真理は次第に増し加えられて行きます。それで私たちも次第に多くのものをとりいれて行かねばなりません。エホバの与える知識をとり入れることを怠って落伍したり,あるいはエホバから与えられる範囲を越えて臆測や哲学に走るのは,いずれも生命にかかわる危険なことです。「こういうわけだから,わたしたちは聞かされていることを,いっそう強く心に留めねばならない。そうでないと,おし流されてしまう」と,パウロは警告しました。(ヘブル 2:1)ヨハネも次のように警告しています,「よく注意して,わたしたちの働いて得た成果を失うことがなく,豊かな報いを受けられるようにしなさい。すべてキリストの教をとおり過ごして,それにとどまらない者は,神を持っていないのである。その教にとどまっている者は,父を持ち,また御子をも持つ」― ヨハネ第二 8,9。
4,5 過越しに関してはじめて啓示された真理に従うことは,どのように生命の問題でしたか。
4 啓示される真理と共にすすむことの必要は,きわめて明白に聖書に示されています。イスラエル人がエジプトで苦しんでいた時,エホバはイスラエル人の救いについて多くのことを啓示しました。モーセが最終的な災をパロに警告してのち,エホバはモーセによってイスラエル人に初めて次のことを命じました。「汝等その家族にしたがひて一頭の羔羊をえらみ取り之を屠りてすぎこしのために備へよ またひそぷ一束をとりて さらの血にひたし,さらの血を門口の鴨居およびふたつの柱にそそぐべし明朝にいたるまで汝等一人も家の戸をいづるなかれ そはエホバ エジプトを撃に巡りたまふ時 鴨居とふたつの柱に血のあるを見ばエホバその門をすぎ越し ほろぼす者をして汝等の家に入てうたざらしめたまふべければなり」― 出エジプト 12:21-23,文語。
5 その当時のイスラエル人の一人であったとすれば,あなたはどんな振舞いをしたと思いますか。これらの教えを学ぶ集まりに出ないでいますか。過越しの犠牲となる小羊を殺してその血を鴨居と両方の柱に塗ることを命じた命令を無視しますか。そのようなことはあり得ません。もし命令を守らなければ,初子の生命が失われました。その事を知るイスラエル人は,「エホバのモーセとアロンに命じたまひしごとくなし斯おこなへり」と記録されています。(出エジプト 12:28,文語)過越しに関して啓示された真理と共に歩むことは,生命の問題でした。
6 エレミはバビロンに関してどんな真理をはじめて明らかにしましたか。それを無視した人々はどうなりましたか。
6 下ってエレミヤの時代に,ユダの人々の生命は,預言者エレミヤを通してはじめて啓示された真理に従うことにかかっていました。当時のユダはバビロニアにおびやかされていたのです。エレミヤの告げたエホバのことばは次のことを命じていました,「わたしはユダの王ゼデキヤにも同じように言った,『あなたがたは,バビロンの王のくびきを自分の首に負って,彼とその民とに仕え,そして生きなさい』」。(エレミヤ 27:12)それは意外なことばでした。ユダヤ人は従順にネブカデネザル王に仕えましたか。霊感によって書かれた歴史を見ると,そうではありません。人々は初めて啓示された真理と共にすすむのを拒絶しました。その結果,エルサレムはネブカデネザルに包囲され,剣とききんと疫病で大ぜいの人が死にました。生き残った者も,結局はバビロンに捕われました。
7 エルサレムに関して,イエスがはじめて明らかにした真理は,どのように生命の問題でしたか。
7 1世紀のクリスチャンにとって,イエスがはじめて明らかにした次の真理に従って行動することは,生命の問題でした。「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば,そのときは,その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき,ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は,そこから出て行くがよい。また,いなかにいる者は市内にはいってはいけない」。(ルカ 21:20,21)西暦66年,ローマの軍隊が攻めてきてエルサレムを包囲しましたが,やがて撤退しました。それが合図だったのです。啓示された真理につき従ったクリスチャンは,ヨルダン河を渡ってユダヤから逃れ,滅びをまぬがれました。啓示された真理を受け入れることにたちおくれたユダヤ人は,西暦70年テトス将軍のひきいるローマ軍が再び攻めてきてエルサレムとユダヤを荒廃させたときに生命を失ったり,奴隷になったりしました。
8,9 (イ)崇拝に肝要などんな真理が,この時代に啓示されましたか。(ロ)真理が啓示されるにつれて,宣教の質はどのように改善されましたか。
8 この時代においても,次々に啓示された真理と歩みをそろえて行くことは同様に緊急なことです。1914年に御国が設立されて間もなく,この組織制度の終る前になすべき大きなわざのあることが明らかになりました。1922年,「王と御国を宣べ伝えよ,宣べ伝えよ,宣べ伝えよ」ということが叫ばれました。エホバはその見える組織を通して,いまこそこの宣べ伝えるわざをすべきことを啓示されたのです。この新しい真理に従うことは,生命を求める人にとって生命の問題でしたか。そうです。「人は心に信じて義とされ,口で告白して救われる」と,パウロはロマ書 10章10節に述べています。神のしもべが証言しないならば,自らの救いがあやうくなります。歴史を見るとわかるように,エホバの忠実なしもべは啓示された真理と共に進んできました。1939年のこと,中立の問題に関する新しい真理が明白に啓示されました。それはエホバのしもべが必要としていたものです。その同じ年に世界大戦の始まったことを考えれば,中立の問題に対処して忠実を守るのを助けたこの啓示は,時宜にかなったものでした。とくに1945年から血に関する真理が明らかにされ始め,以来それは血の神聖さに関する神の律法を尊重する人々にとつて導きとなってきました。次第に啓示されたこれら多くの真理に従うことによって,神のしもべは正しい崇拝をし,生命を得るための神の要求にかなうことができました。
9 エホバから絶えず与えられる真理によって,エホバの証者は宣教を改善してきました。かつては戸別訪問したとき,証言を印刷した小さなカードを家の人に見せました。蓄音機の使われた時もあります。これらの方法から進歩して今では各人が聖書の話を立派に話すようになりました。集会も常に改善されています。神権宣教学校,御国宣教学校,ギレアデ学校,公開集会,家庭聖書研究を見ただけでも,進歩の積み重ねられてきたことがわかります。終りのくる前に証言のわざを行なうため,エホバの導きの下にこのような進歩が見られたのです。
10 マゴグのゴグに関して,時宜を得たどんな知識が与えられましたか。
10 さて1964年のいま,私たちは御国支配の50年目に住んでいます。マゴグのゴグすなわちサタン悪魔がすべてのクリスチャンに攻撃を加えるときは近いと見なければなりません。私たちは無防備の状態ですか。そうではありません。エホバの民はこの攻撃のあることを,10年前に警告されました。この試練に臨んで固く立ち,忠実を守り得るように,新しい人,古い人を問わず,円熟を増し加えることが以来行なわれ,大きな進歩を見せています。備えをすることはまだ終っていません。前途に多難な時をひかえた私たちは,信仰をますます強めることが必要です。それは悪い者の放つ火矢を防ぐ大きな楯となります。―エゼキエル 38:14-23。エペソ 6:10-18。
11,12 なぜいま手をゆるめてはなりませんか。
11 ゴグの攻撃についでハルマゲドンの戦いが行なわれ,サタンと悪鬼は束縛され,その後にエホバの新しい秩序が到来します。ゆえに今は手をゆるめる時ではありません。パウロは次のように述べました,「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が,深い知識において,するどい感覚において,いよいよ増し加わり,それによって,あなたがたが,何が重要であるかを判別することができ,キリストの日に備えて,純真で責められるところのないものとな(る)……ように」。(ピリピ 1:9,10)「自分のことと教のこととに気をつけ,それらを常に努めなさい。そうすれば,あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる」。(テモテ前 4:16)これは生命の問題です。しかし啓示された真理と共にすすむ理由は,それだけに留らず,更に重要なのはエホバのみ名を崇め,きよめなければならないという事実です。模範的な祈りを教えたとき,イエスはその事を第一にしました。「天にいますわれらの父よ,御名があがめられますように」― マタイ 6:9。
12 エホバのみ名をあがめ,サタンの世に対するエホバの音信を伝えつづけるには,増し加わる真理の啓示と歩みをそろえなければなりません。近い将来,更に多くの強烈な真理がエホバの敵に対して伝えられるでしょう。これらのことに目ざめ,私たちに対するエホバの定めに一致して行動するには,私たちのほうに何時も準備が必要です。これは医師の修業にもくらべられるでしょう。生命にかかわるような手術を受けるのに,外科の心得のない医師を選びますか。このような場合修練を積んだ外科医を選ぶのは当然です。宣教を全うするには,知識を増し加え,エホバのみ心を行なうことに上達しなければなりません。―テモテ後 4:5。
どのように歩調をそろえるか
13,14 (イ)聖書はなぜ時代おくれではありませんか。(ロ)霊的食物である聖書から益を得るために,何をすることが必要ですか。
13 神のことば聖書はつきることのない糧です。聖書が時代おくれになることはありません。批評家は聖書を時代おくれの本だと言うかも知れませんが,それは食べることが古いというようなものです。食べることは,何千年たっても古くはなりません。無益な古いこととして,食べるのをやめる人はいないでしょう。霊的な食物の豊かな源である聖書はきわめて有益であり,また時代に即応した新しい本です。永続する福祉に肝要な霊的食物は聖書から得られます。
14 しかし肝心なのは,とりいれた霊的な食物から益を得ることです。普通の食事の場合と同じように,霊的な食物のためにも定まった時間をあてるように計画しなければなりません。各人が1週間の計画を立てることは非常に大切です。時間のある時にしようと思っているならば,その時間は決してないでしょう。古い世は私たちをますます忙しくさせているからです。真理と歩調をそろえて行くために,時間は計画して使うことが必要です。1週間の計画を立てるにあたり,次の三つの部類の活動を考慮して下さい。(1)しなければならない事柄(2)したいと思う事柄(3)もし時間があればする事柄。賢明な人は,霊的な生活に関連した事柄を第1の部類にいれるでしょう。時は生命です。いま時間を賢明に使わなければ,いちばん大切な生命を失う結果になるでしょう。
15 自分でする勉強に対してどんな見方をすべきですか。
15 週の計画の中に是非とも入れるべきものは何ですか。クリスチャンの基礎的な活動は,聖書と聖書の手引の個人的な研究です。晩あるいは早朝などに時間を計画してこの事をするならば,歴代志略上 28章9節にエホバの約束された報いを得るでしょう。「あなたがもし彼を求めるならば会うことができる」。個人的な勉強をするとき,うわべだけを読んで満足していてはなりません。なにかという事だけでなく,どのように,なぜ,何時ということを分析して考えるようにしなさい。すでに知っている事を土台にしてその上に積み重ねて行きなさい。学んでいる事柄,場面を思い浮かべてごらんなさい。学んだ真理を自分のものにして宣教に用いて下さい。それは研究の目的にかなっています。研究とは,将来役立たせることを考えて,ある事柄を組織的に考究することです。真理を求めて勤勉に学ぶ人は,エホバから報われるでしょう。「もし知識を呼求め さとりをえんと汝の声をあげ 銀の如くこれを探りかくれたる宝の如くこれを尋ねば 汝エホバを畏るることをさとり神を知ることを得べし」― 箴言 2:3-5,文語。
16 毎週の集会から更にどんな益が得られますか。
16 個人研究の土台の上に定期的なグループの研究を積み重ねることができます。「賢い者はこれを聞いて学に進み,さとい者は指導を得る」。(箴言 1:5)週に5回開かれるエホバの証者の集会に出席して,述べられることばに耳を傾けるならば,聞いた事を,個人研究で学んだ事柄とくらべられます。集会で討議される事の中には,はじめて聞くこともあるでしょう。また自分では理解できなかった質問の答を得ることもあります。集会には,エホバのみ霊が働いています。み霊は組織に関連して働くからです。(マタイ 18:20)集会においては「告白する望みを,動くことなくしっかりと持ち続け」なければなりません。(ヘブル 10:23)集会に参加して言い表わすならば,単に聞いているよりもずっと活発に心を働かせることになります。求められるままに討議に参加し,ノートあるいは本の余白に覚えを書き込み,あげられる聖句を聖書から読み,討議されている出版物に目を留めることによって,集会に没頭できます。五感を働かせるならば,神経はそれだけ緊張するので覚えることも容易になります。
17,18 円熟した兄弟から何を学ぶことができますか。
17 おくれずについて行く第3の方法は箴言 13章20節に述べられています。「知恵ある者ととに歩む者は知恵を得る」。集会のあとで,あるいは集まり合った他の機会に,円熟した兄弟と話し合うことは,上からの知恵を増し加えます。集会のあと,ひとりだけでいたり,いそいで帰ったりしないようにしましょう。「人と交わりをしない者は口実を捜し,すべてのよい考えに激しく反対する」と述べた箴言のことばを心に留めて下さい。(箴言 18:1)兄弟たちと話すことによって更に学ぶ機会も得られ,自分の間違いを正すこともできます。また会話をすることによって頭を活発に使う結果,話し合った事がいっそう銘記されます。
18 おくれずに進む第4の方法は,宣教に率先する忠実な兄弟たちの行いを見て,それにならうことです。パウロは次のようにすすめました,「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを,いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て,その信仰にならいなさい」― ヘブル 13:7。
19 学んだ知識を使うことは,どのように進歩を助けますか。
19 歩調をそろえて行くために非常に大切なのは,学んだ事柄を常に活用するということです。医学を修めただけで経験のない医師に手術の執刀をまかせる人はないでしょう。「手術をするのはあなたがはじめてだが,ためしにやって見ましょう」と言われたならば,あなたは心強く感じますか。ここでも経験を積んだ医師が求められるのは当然です。私たちもまた学んだことを繰り返して,分別を増し加えるのです。それで野外の宣教に定期的に参加することは,学んだことを銘記するのにきわめて価値があります。たいていの人は,見たり聞いたりした事よりも,実際にやってみた事のほうをよく覚えます。パウロは学んだ知識を使うことの価値を強調しました。「しかし,堅い食物は,善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練させた成人のとるべきものである」― ヘブル 5:14。
20 なぜ聖霊を祈り求めますか。
20 聖霊の助けを祈り求めることも肝要です。それは真理と共に歩むのを助けます。「エホバの目はただしきものをかへりみ,その耳はかれらのさけびにかたぶく」。(詩 34:15,文語)イエスは次のように言われました。「あなたがたは悪い者であっても,自分の子供には,良い贈り物をすることを知っているとすれば,天の父はなおさら,求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカ 11:13)私たちは決して完全なものではなく,何時でも助けを必要としています。それで知恵と理解を求め,宣教をつづけるのに必要な霊的力を求めて,日毎にエホバに祈らなければなりません。ヤコブ書 1章5節に「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう」と約束されています。
妨げを克服する
21 妨げを克服するための第一歩は何ですか。
21 勉強や奉仕をしようと思っているところへ,何かの妨げが生じたならばどうすべきですか。サタンの策略によってこのような妨げはたしかに起きますから,計画を実行するには心とからだを訓練しなければなりません。次のように語ったパウロにならいましょう。「そこで,わたしは空を打つような拳闘はしない。すなわち,自分のからだを打ちたたいて服従させるのである」。(コリント前 9:26,27)妨げを克服できるように,前以て心を決めておきましょう。
22 不意の来客があるとき,どのようにできますか。
22 集会に行こうとしているとき,思わぬ来客のあることもあります。家にいて客をもてなしているならば,エホバのみ霊のある集会に出席できません。それでその晩は集会に行かなければならないことを説明できます。集会は自分が常に実践する崇拝の一部であることを説明して,一緒に行くことをすすめてごらんなさい。一緒に行くことをその人が望まなければ,帰るまで待ってもらうか,それもできなければ別の日にたずねるようにすすめることもできるでしょう。自分の計画を説明するならば,その後は相手のほうで適当な時を見はからって訪問するようになります。親類や友人など,予期しない来客があったからといって,すぐに集会を休むべきではありません。第一のものを第一にするという決意を見せるならば,当人にとってきわめて大切な崇拝を,他の人は尊重するでしょう。
23 仕事の疲れにどう対処できますか。
23 よくある問題は,一日働いたあとで疲れてしまうことです。そんなとき,休むのが心地よいことは言うまでもありません。人によっては,夕食前に二,三十分間横になって疲れをいやすこともできます。しかしそうすると起きられなくなって,予定のことができないという人もあるでしょう。このような人は,集会の準備など,何かに没頭すると良いかも知れません。精神が緊張していれば,眠気を忘れます。
24 悪天候は計画の遂行を妨げますか。
24 悪天候が妨げになることがありますか。世の中の活動は天気のよしあしには関係なく進められて行きます。エホバの証者の活動も同様でなければなりません。郵便を配達する人はどんな天気にも出かけて行きます。普通の郵便よりも遥かに大切な生命の音信を携えたエホバの証者が,天気に左右されてよいはずはありません。ふだんからの心がまえがあり,また雨具の用意があれば,悪天候に妨げられることはないでしょう。
25 親は子供のクリスチャン活動を計画するに際して,どんな態度を持つべきですか。
25 時に両親は,学校の宿題のことを心配して子供を集会に連れて行くのをためらいます。多くの子供は学校から帰るとすぐに宿題をすませるように計画して,この問題を解決しました。エホバの民と共に集まって学ぶことは,生命に導く最高の教育です。加えて宣教における訓練は,学校の勉強にもプラスとなります。それは考える力を発達させ,勉強の習慣をつけるのに役立つでしょう。ある専門家が述べているように,「人は頭を使えば使うほど,考える能力を発達させる。考える習慣を養うのでなければ,教育は無意味なもの」です。
26 世俗の仕事が妨げとなるとき,どうしますか。
26 世俗の仕事のために,宣教がさしつかえていますか。もしそうなら,霊的健康がおとろえているかも知れません。やとい主に事情を説明できる場合もあります。集会に出席し,宣教に参加するための時間をもらうように取りきめている人も大ぜいいます。あるいは仕事を変えることも考えられます。仕事のために健康を害しているならば,そして仕事を変えなければ死ぬかも知れないと医者に言われるならば,人は医者のすすめに従うでしょう。イエスも約束しているように,私たちが自分の分をはたすならば,エホバは私たちの必要とするものを備えて下さるでしょう。宣教を行なってゆくことを可能にする仕事につけるように,神に祈り求めることができます。―マタイ 6:33。
27 啓示される真理と共にいま進むならば,それは将来どのように役立ちますか。
27 このすべてをするには努力が必要です。しかしそれには沢山の益があります。啓示された真理と共に進むことは大きな喜びです。それによって培われた正しい心がまえは,こんご啓示されるエホバのみ心を受け入れる素地となります。それは神のみ霊を受けてみ霊の実を生み出す道でもあります。いま多く学び,またよく訓練されるならば,神の正義の新秩序の下にあっても,有用な者となるでしょう。その時にもなすべき事は沢山あります。世界的な復興のわざに加え,真理と共にすすむ人々は,ハルマゲドンを生き残った人々のみならず,復活を受ける大ぜいの人々を教えることになるでしょう。それは大規模な教育のわざです。前途にあるこの有意義なわざに備えるのは大きな喜びです。「忠実な思慮深い僕」を通して次第に増し加えられる真理の啓示と共に進んで下さい。「知恵を求めて得る人,悟りを得る人はさいわいである……これをしっかり捕える人はさいわいである」― 箴言 3:13,18。