偉大な陶器師は人間の器を形づくる
「我はエホバなり他にひとりもなし われは光をつくり又くらきを創造す 我は平和をつくりまた禍害をさうざうす 我はエホバなり 我すべてこれらの事をなすなり」― イザヤ 45:6,7,文語。
1 エホバはだれのために光と平和を創造されますか。暗黒と災いはだれのためですか。なぜですか。
偉大な陶器師エホバは,その至上のみ心に従って被造物のために事を行なわれます。イザヤ書 45章7節にある通り,エホバはみ心のままに光と平和をつくり,暗黒と災いを創造されます。正しい者には光と平和が約束されています。「光は正しい人のために現れ……る」「あなたのおきてを愛する者には大いなる平安があ(る)」。しかし悪しき者のためにエホバは暗黒と災を創造します。「悪しき人の道は暗やみのようだ」「主は悪しき者の上に炭火と硫黄とを降らせられる」― 詩 97:11; 119:165。箴言 4:19。詩 11:6。
2 善人の上にも悪人の上にも日をのぼらせ,雨を降らせるほかに,エホバは時として不従順な者に何を下しますか。その事を示すどんな例がありますか。
2 偉大な陶器師は,むかしモーセ時代のエジプトに十の災いを下した時,その事を例証されました。とくに最後の七つの災の場合,それが明らかです。しかし悪人の上にも善人の上にも日を昇らせ,雨を降らせて下さるエホバは,時にはその至上のお目的に従ってご自身の民の上にも,彼らが不従順ならば敵と同様に災いを下します。それで当時においても,神の民イスラエルは最初の三つの災いをこうむりました。―マタイ 5:45。
3,4 (イ)エジプトに臨んだ十の災いは,偉大な陶器師エホバの働きを更にどのように裏づけていますか。(ロ)私たちはその記録になぜ関心を持つべきですか。
3 これらの災いがいろいろな人々に及ぼした影響は,偉大な陶器師エホバの至上者としての役割を更に物語っています。これらの災いはそれをこうむった人々の心の状態を明らかにするという神の目的をはたしました。災いがやむと,パロおよびパロの臣民のうちパロの精神を持つ人々は,心をかたくなにしました。しかし最初の三つの災いがイスラエルにも臨んだからといって,モーセとその民が不平を言ったという事はありません。自分たちに臨んだ災いから教訓を得た非イスラエル人の「入り混じった大ぜいの群衆」さえいました。あの記念すべきニサンの14日の晩,彼らがイスラエル人と共にエジプトを離れたのは,災いから教訓を得たからです。―出エジプト 12:38。
4 すでに述べた通り,エジプトに下された十の災いは,単なる歴史の事実として今日のクリスチャンから関心を持たれているのではありません。それは「わたしたちの教のために書かれ……聖書の与える忍耐と慰めとによって,望みをいだかせるため」「これまでに書かれた事がら」の一部です。神のことばは預言的な型を示しており,一つにはそれによって私たちに望みを抱かせます。預言的な型においては,特定の人物,場所また出来事に相当するものが,今日にも存在しています。―ロマ 15:4。
預言的な型
5 預言的な型について,何が言えますか。どんな聖書の原則に従って,その理解が与えられますか。
5 預言的な型は通常それにのみ関連した真理を述べているのではなく,他のところに明白に説明されている真理を裏づけるものです。たとえばヘブル書 7章26節から10章22節に述べられた預言的な型は,大祭司イエスの役割についてクリスチャン・ギリシャ語聖書の他のところに更に明白に述べられた事柄を裏づけています。聖書自体の中に説明されている場合は別として,そうでなければ預言的な型に関して独断的になるのは賢明ではありません。しかしこれらの事柄は神の聖霊によって箴言 4章18節の言葉通り,理解されてくるように思われます。「正しい者の道は,夜明けの光のようだ,いよいよ輝きを増して真昼となる」。
6,7 (イ)モーセはだれを表わしていましたか。(ロ)この実体のモーセは,時にだれによって表わされたことがありますか。聖書にある他のどんな例がそのことを示していますか。
6 預言的なドラマである十の災いの記録の中で,一方にエホバ神,モーセ,アロン,イスラエル民族,他方に,サタン悪魔,パロ,その助言者である宗教家,エジプトの国民がいて両者の対立が示されています。モーセはだれを表わしていますか。その民の偉大な救い手となったモーセは,偉大な救い主また救い手であるイエス・キリストを表わしているに違いありません。事実モーセ自身,自分のような預言者が現われることを預言しました。汝の神エホバ汝の中汝の兄弟の中より我のごときひとりの預言者を汝のために興し給はん汝ら之に聴くことをすべし」。(申命 18:15)モーセはイエス・キリストの来ることを預言したのです。使徒ペテロは使徒行伝 3章22,23節にこの預言を引用し,それをイエス・キリストに適用してその事を示しています。
7 この特定のドラマの中でモーセはイエス・キリストご自身を表わしています。しかし時にイエス・キリストの会衆の成員とくにこの預言的なドラマの成就するとき地上に生きている御国相続者の残れる者がイエス・キリストを表わすこともあります。その事自体はめずらしくありません。詩篇 69篇にも同様な例が見られるではありませんか。そこでダビデは預言的にイエス・キリストを表わす者として次のことを述べています。「あなたの家を思う熱心がわたしを食いつくし,あなたをそしる者のそしりがわたしに及んだからです」。しかし同じ詩篇の他の部分で,「神よ,あなたはわたしの愚かなことを知っておられます。わたしのもろもろのとがはあなたに隠れることはありません」と語っているダビデの言葉は,キリストを代表する人々すなわち地上にあるキリストの会衆だけにあてはまります。
8 アロンはだれを表わしていましたか。それはなぜですか。
8 モーセの兄弟アロンは,大いなるモーセの霊的な兄弟たち,とくに現在地上にいる残れる者をよく表わしています。アロンはモーセの代弁者でした。それはおそらくモーセに言語障害があったためです。モーセは「くちびるに割礼のないわたし」と自ら述べています。それはくちびるがあたかも厚くて長い包皮でおおわれ,話すのが困難であるという意味です。(出エジプト 6:12。1953年版新世訳注)これは天にあって栄光の神の性質にあずかっているイエス・キリストが,神の音信を地上の人間に直接伝えることにおいては,あたかも障害を持ち,霊的な兄弟の残れる者が現代のアロンとしてキリストの代弁者となっている事を表わします。イスラエル民族は,サタン悪魔とその組織に圧迫されている神の民のすべてを表わしています。
9 パロ,エジプト,魔術を使うエジプトの祭司は,それぞれだれを表わしていましたか。
9 高慢にもエホバ神をあなどり,また神の民を残酷に圧迫したエジプトの王パロが,ほかならぬサタン悪魔自身を表わしていることは明白です。世界強国エジプトは,黙示録 11章8節にある次の言葉からもわかる通り,サタンの見える世界組織を表わしています。「エジプトにたとえられている大いなる都…彼らの主も,この都で〔杭〕につけられたのである」。(〔新世〕)パロに仕える魔術師とその仲間は,神のしもべの伝える音信に対抗しようと努める世界中の宗教指導者と支配者を表わし,パロを積極的に支持して連帯責任を負ったエジプトの民衆は,今日サタンの見える組織をすすんで支持する人々を表わしています。
類似と相違
10,11 (イ)エジプトの災いと黙示録に述べられている災いは,どの点で似ていますか。(ロ)両者はどの点で異なっていますか。
10 エジプトの災いをくわしく検討する前に,これらの災いを黙示録 16章に描かれた災とくらべ,両者の類似点と相違点を明らかにしておきましょう。(1964年2月15日号「ものみの塔」をごらん下さい)災いの数を見ると,黙示録のは七つ,出エジプト記のは十でいずれも完全さを表わすという点で同じです。またサタンの見える組織に災となるさばきの音信という点でも,両者は似ています。とくに災を受けているのはキリスト教国と宗教指導者です。更にいずれの災いにも,神の民が災いの音信を告げて積極的な役割をはたしています。またいずれの場合にも,その成就は1919年からハルマゲドンの戦いに至る間に見られます。
11 相違点について。黙示録の災は明白な預言であって,そのような目的でのみ記録されましたが,エジプトの十の災に預言的な意義と現代における成就を認めることは,霊感によって記録された歴史また神の導きの下に起きた歴史の出来事からの推論に基づいています。過ぎ越しと関連のある10番目の災いが預言的なものであったことに疑問の余地はありません。第二に黙示録の七つの災いのうち,神の民がこうむったものは一つもありませんが,エジプトの災のうち,最初の三つはイスラエル人の上にも下されました。従って預言的なこれらの災いの成就の面においても,神の民が影響を受けるものと当然考えられます。第三に,サタンの代理者は黙示録の災いのどれをも真似できないようですが,エジプトの魔術師である祭司は,最初の二つの災を少なくとも真似できるように見えました。その成就においても同じことが言えます。第四に,黙示録の預言の成就は一つですが,エジプトに臨んだ災いには,キリストの初臨すなわちキリストと使徒の時代に,象徴的に見て小規模な成就があったようです。いなごに関するヨエルの預言も,そのとき小規模な成就がありました。―1962年5月1日号「ものみの塔」をごらん下さい。
12 当時,それぞれの災いが特定のものに下された事から,どんな結論が出ますか。
12 エジプトに臨んだ災いについて,更に二つの特色に注目しなければなりません。それは預言的な意義を理解するのに役立ちます。まず当時においても何が災いを受けるかは明白に知らされました。それは今日でも同様です。当時,第五の災いである疫病は家畜だけを倒し,いなごは植物だけを食べつくしました。しかしぶよ,うみの出るはれもの,初子の死は人と獣の両方に臨み,七番目の災であるひょうは人と獣と植物の三つに臨みました。
13 災いの順序については聖書中の記述から見て,その成就に関し何が言えますか。
13 第二に注目されるのは,詩篇 78篇と105篇において,十の災いはそれが臨んだ順にあげられていない事です。従って成就において,災いが初めの時と同じ順で臨むと考える心要はありません。十の災いを霊感によって列記した人々は,災いが臨んだ順序を重要視しなかったのです。
第一の災い ― ナイルの水は血に変わる
14 エホバがモーセに現われたことを証明するため,モーセはどんな力を授けられましたか。それはどんな結果になりましたか。
14 羊飼いとして荒野に40年を過ごしたモーセが燃える柴のところでエホバの現われるのを初めて経験してから十の災いの最初のものをエジプトに下すことを命ぜられるまで,多くの重要な出来事が起きました。その一つは,先祖の神エホバがモーセに現われたことをモーセの民の前で証明する三つの奇跡の力を与えられたことです。それは(1)杖を蛇にかえ,ついで元通りの杖にすること(2)自分の手にらい病を生じさせ,ついで消し去ること(3)水を血に変えることでした。人々がこれを見て信じたのも当然です。―出エジプト 3:1–4:31。
15 モーセが初めてパロの前に出た結果はどんなでしたか。
15 モーセがはじめてパロの前に出,エホバを崇拝するため3日のあいだイスラエルを荒野に行かせてほしいと頼んだとき,ごうまんなパロは次のように答えました。「エホバは誰なればか我その声にしたがひてイスラエルを去しむべき我エホバをしらず亦イスラエルをさらしめじ」。このように拒絶しただけでなく,パロはれんがを作るわらを自分たちで集めさせてイスラエル人の重荷を増し加えました。―出エジプト 5:1-23,文語。
16,17 (イ)パロの宮廷でパロの前に二度目に出たモーセは,どんな奇跡を行ないましたか。(ロ)第一の災いはどんなものでしたか。エジプトはどんな影響を受けましたか。
16 二度目にパロの前に出たモーセは,つえをへびにならせ,しかもそれはパロの魔術者がモーセの奇跡に真似て作ったように見せかけたへびを呑んでしまいました。a この奇跡を見てもパロが心を動かさないため,神はナイル河の岸辺でパロに会うことをモーセに命じ,そこでナイルの水を血に変える最初の災を臨ませました。そこでナイル河,ナイルの運河,あしのしげる池,木石の器の水を問わず,ナイルの水はすべて血に変わりました。
17 この災いはエジプトにとって大きな打撃です。人間と獣と植物のための水が絶たれ,河は悪臭をはなって交易の用をなしません。そのうえこの災いはナイル河を非常に神聖視したエジプトの宗教に恥辱をこうむらせました。7日のあいだ続き,エジプト人とイスラエル人の両方を悩ましたこの災いは,パロに仕え,魔術を行なう祭司も真似ることができたようです。しかし彼らはそれをとめることができませんでした。―出エジプト 7:17-25。
18,19 現代において第一の災いに相当するものは何ですか。
18 この災いは何を表わしていますか。エジプトの経済を支える生命線ナイル河は,現代の「エジプト」の生命線である経済あるいは商業主義をよく表わしています。ナイル河をわがものとしたサタンは,同様に商業主義を用いて人々を隷属の状態につないでいます。ナイルの水が血に変わったことは,利己的また貪欲であり,圧迫し,死をもたらす商業主義が,エホバの民の宣明する音信によって暴露されることを示しています。―黙示 11:8。エゼキエル 29:3。
19 早くも1921年1月1日に「ものみの塔」(英文)は,貪欲な商業がサタンの組織のまぎれもない一部であることを述べています。ものみの塔聖書冊子協会の出版物の中でも,「救ひ」「政府」「証明第二巻」と題する各書籍,「ものみの塔」「目ざめよ!」両誌および「目ざめよ!」と改題する前の雑誌は,商業主義の圧制と物質主義のわなを暴露しています。弟子ヤゴブもその手紙の第5章に同様なことを述べており,イエスもまた富める者がわざわいであると言われました。ヤコブ 5:1-5。ルカ 6:24。
20 宗教指導者は,どのようにこの災いを真似たように見えますか。
20 自らの利益を求めては戦争の種をまくことも辞さない貪欲で苛酷また圧制的な商業主義の特質と,物質主義の欺きを暴露することによって,これらの「ものみの塔」出版物は現代のエジプトに災いを下す役目をしてきました。現代のエジプトの魔術師すなわち宗教指導者は,この「災い」を一見どのように真似してきましたか。彼らはその言うところの「社会的福音」の一部として商業主義に反対する発言をしています。しかし実際には経済界に依存している教職者のそのような発言は見せかけに過ぎません。事実,エホバの民の伝える音信と牧師の説教とでは,目的においても結果においても雲泥の相違があります。神の真のしもべか商業主義を暴露したからこそ,神の国の必要は明白にされ,それはむかしのエジプトに下された災いのように,正しい人が心をやわらげ,利己的な人が心をかたくなにする結果を生みました。
21 第一の災いがエジプト人とイスラエル人の両方に臨んだことは,何を表わしていましたか,
21 エジプト人と同様にイスラエル人もこの災いをこうむった事は,商業主義と物質主義に敵対するこの音信が,今日の神の民に対して警告となっていることを示しています。「金銭を愛することは,すべての悪で根であ」り,「富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を滅びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥」ります。神の民はこの事を銘記させられました。この災いは他のものと同じくハルマゲドンまでつづきます。―テモテ前 6:9,10。
第二の災い ― かえる
22,23 (イ)第二の災いは何でしたか。(ロ)それは何を表わしていましたか。
22 第二の災いは蛙で,あらゆる河と水からかえるが上ってきて文字通りに地をおおい,かまどやこね鉢の中,パロの宮殿にまではいり込みました。かえるは崇拝の対象でした。エジプトの女神ヘクトの頭はかえるです。崇拝されていたものがやかましい災厄に変じたこの災いは,やはりエジプトの宗教をはずかしめました。パロの魔術師はこの災いを真似ることができるように見えましたが,困ったことにそれをとめることができません。パロは災いをとゞめるようにモーセに願います。「汝をして我らの神エホバのごとき者なきことを知しめん」ため,かえるはとりさられるとモーセは保証しました。―出エジプト 8:1-15,文語。
23 この災いにはどんな預言的な意味がありますか。エジプトに臨んだかえるの災いに関連して述べられている以外に,聖書の中でかえるの事が出ているのは黙示録 16章13節だけです。そしてこの句はかえるの災いの意義に光を投げかけています。そこでは「蛙に似た三つの……霊感の表現」の汚れている事が注目されています。モーセの律法から見て汚れた動物であるばかりか,かえるはきたない場所に住み,みにくい形を持ち,がーがーきたない鳴き声を出します。ひきがえるの中には皮膚から毒を出すものさえあります。黙示録 16章13節のかえるは口から出てきますから,汚れた宣伝を表わしています。しかし出エジプト記 8章5,6節のかえるはエジプトの池や河から上ってきます。そこでエジプトに臨んだかえるの災いは,エホバの民が暴露した世の道徳の腐敗と汚れを表わしているのです。「黄金時代」つづいて「慰め」そして「目ざめよ!」と改題された雑誌の発刊以来,この災いは現代のエジプトの上に臨みました。最近の著しい例は「道徳腐敗」と題する1964年10月8日号「目ざめよ!」(日本語では1965年4月22日号)です。英語の雑誌だけで375万部が配布用に印刷されました。同じ資料は25ヵ国語の雑誌にのせられ,その印刷部数は245万部に上ります。エジプトのかえるがあらゆる所にはいり込んだように,サタンの組織全体に及ぶ道徳腐敗に関する災いは,このような腐敗をとりあげた出版物とくに「目ざめよ!」誌によって,あらゆる場所に達しています。たとえば「目ざめよ!」に出たある長い記事全部が1964年の夏,アメリカ議会記録に収録されました。b このように現代的エジプト人は,その道徳的また霊的な汚れを暴露されて苦しんでいます。
24,25 (イ)聖職者はどんなことをして第二の災いを真似たように見せかけましたか。(ロ)エホバのしもべは第二の災いからどんな影響を受けましたか。
24 現代の魔術師である牧師は,どのように一見この災いを真似しているように見えますか。彼らもまた道徳また霊的な面における腐敗に反対を表明しています。しかし彼らは教会の道徳の状態を見てもわかる通り,真の意味において問題と取り組んでいません。それだけでなく,自分自身が他の人々と変らない有様です。エホバの民の伝える音信だけが世の実情を明らかにし,現代のエジプトに対してかえるのような災いとなっています。
25 神の民もこの災いからどんな影響を受けましたか。それには二つの面があります。まずこれらの音信はエホバのしもべの中で行いの正しくない者たちを叱責しました。最近の著しい例は,「ものみの塔」に出た,「不品行に陥らないように注意しなさい」と題する記事です。第二にエホバの民のある人々は,これらの状態を暴露した率直な言葉をうるさく感じました。1964奉仕年度のあいだ,アメリカだけで3000人も排斥されたことは,汚れに反対するこの音信が神の民にとっても必要なことを物語っています。
第三の災い ― ぶよ
26,27 (イ)第三の災いは何でしたか。魔術を使うエジプトの祭司は,それに関して何を認めざるを得ませんでしたか。(ロ)第三の災いにはどんな現代的な意義がありますか。
26 第三の災いはぶよです。のみに似たこの小動物は人間と獣につき,蚊のように刺します。それはエジプト人とイスラエル人の両方を悩ましました。パロに仕えて魔術を使う祭司はこの災を真似たように見せかけることができず,「これは神の指です」と言わざるを得ませんでした。―出エジプト 8:16-19。
27 ゆえにこの災いは,神の民に特有で,しかも彼らにも影響を与える音信です。第三の災いはイスラエル人にも臨んだからです。それはサタンの組織とエホバの組織の相違を明白にし,いわば害虫がはびこっているサタンの組織の状態を暴露する音信を表わすようです。おもしろい事にパリサイ人は,それが昆虫だからではなく,儀式上汚れたものという理由で,ぶどう酒からぶよをこし出しました。しかも彼らは,やはり汚れた動物であるらくだを,象徴的な意味でのみました。―マタイ 23:24。
28 パロに仕えた魔術使いの祭司が第三の災いを真似できなかった事は,何を表わしていますか。
28 パロに仕えて魔術を行なった祭司がこの災いを真似できなかったことは,何を表わしていますか。世界の宗教指導者はエホバの民の伝える音信に匹敵するものを持っていないという事です。それはエホバの組織とサタンの組織との相違を明白にします。サタンの組織の存在さえ認めない宗教家に,そのことができるはずはありません。この音信は聖職者と説教者を苦しめる災いとなっています。少なくとも1924年11月15日号「ものみの塔」341頁24節に「悪魔の組織」という言葉が出て以来悪魔のしもべを意味するこの言葉は,エホバのしもべの出版物の中に使われてきました。以来ものみの塔協会の出版した資料で,クリスチャンのとる中立の立場,政治,経済階級闘争への不参加などの問題を明らかにした記事は,この災いの一部となってきました。「救ひ」(1926年),「御心が地に成るように」(1958年)などは,とくにこの点で特色のある本です。
29 現代における第三の災いは,エホバの民にどんな影響を与えましたか。
29 昔のイスラエル人の場合と同じく,この災いはエホバの民にどんな影響を及ぼしましたか。それはサタンの組織あるいは事物の制度から離れているべきことを,たえず彼らに思い起こさせました。これらのクリスチャンは(実体的なエジプトである)世にいても,その一部になることはできません。それで経済階級闘争や,政治的な色彩を持つ一切の事柄に関係しません。実体的なエジプトに臨んだこの災いは,子供を持つクリスチャンにしばしば影響を及ぼします。公立学校の活動や行事には子供にとって問題となる,国家主義的,宗教的あるいは英雄崇拝の性質を持つものが多いからです。この災いは,献身したクリスチャンのすべてにヤコブ書 1章27節の言葉を銘記させます。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない」。
30 当時および現代における,その後の災いに関して,何が言えますか。
30 むかしのエジプトに臨んだ災いは,一人一人のエジプト人に関する限り,苦痛の程度が次第に増して行きました。最初の二つはおもにわずらわしいだけの事でしたが,三番目の災いはからだに苦痛を与え,最も大きな災いとなった十番目の災いは初子を殺しました。現代においてもその事が見られます。宗教の聖職者,説教者がサタンの組織の一部として暴露されたことは,商業主義と道徳腐敗に関する以前の音信よりも彼らを深く傷つけました。
31 第四の災いに関して,エホバはどんな区別を設けると言われましたか,
31 最初の三つの災いはエジプト人とイスラエル人の両方に臨みました。しかし四番目とそれ以後の災いについて,エホバはパロに対して次のように言われました。「その日に我わが民の居るゴゼンの地を区別おきて……これ地の中にありて我のエホバなることを汝が知んためなり,我わが民と汝の民の間に区別をたてん明日この徴あるべし」「エホバかく為たまひたれば」― 出エジプト 8:22-24,文語。
32 かたくなで邪悪な者は悪行が身に招いた事柄を経験しても,それから益を得るかわりにどうなりますか。
32 この区別は宇宙主権の論争をいっそう明白にパロに悟らせるのが目的です。パロは最初の三つの災いから教訓を学びませんでした。かたくなで邪悪な者は,悪行が,自分の身に招いた事柄を経験しても何も学ばず,益を得ません。むしろますます悪をすることに心を傾けます。パロの場合にもそれは真実です。この預言的なドラマにおいて,昔の災いに今日相当するものがあることを知りました。そこで私たちは残りの七つの災い,とくに十番目の災いの意義を知ることに大きな期待と関心を抱いています。初子の死は何を表わしていましたか。これらの事柄については,本誌の次号をごらん下さい。
[脚注]
a 「見せかけた」とあるのは,サタンの使いが無生物から実際に生物をつくると考えることが理に合わないからです。
b Congressional Record-Appendix,of July 22, 1964, pages A3837-A3839
[531ページの図版]
モーセの命によってアロンがナイル河の水を打つと,水は血に変った