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世界展望目ざめよ! 1980 | 4月22日
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したが,没年は137歳と言われている。
太陽エネルギーによる放送局
◆ 米国オハイオ州の小さなラジオ放送局が,太陽発電によって得られた電気で放送を開始したが,太陽エネルギーを商業的に利用したのは米国ではこれが最初である。3万3,000個を超える,直径8㌢ほどの太陽電池が棚の上に置かれ,放送局の裏側にある1エーカー(約4,046平方㍍)の平坦な芝地の3分の1以上に広がっている。それらの棚は太陽エネルギーを最大限吸収できるような場所に設置されている。曇天の日であっても,この装置は蓄電池を充電させる十分のエネルギーを出すことができ,この蓄電池で放送局はほぼ2日の間操業できる。この装置が十分なエネルギーを出すことができないのは,雨天の日か,濃霧の日だけである。
お湯による不慮の事故
◆ 米国の消費者製品安全委員会によると,給湯設備の温度を高温にセットしておくことは,エネルギーのむだ使いになるばかりか,危険な事態を招きかねない。家庭のじゃ口から出る湯によって,注意していれば防げたと思われるやけどが毎年3,000件も発生している,と同委員会は語っている。摂氏55度の湯に15秒さらすだけで皮膚を痛めることがある。摂氏60度の湯であれば3秒でやけどを負うであろう。ところが多くの給湯設備は摂氏65度にセットされている。この温度では,ほとんど瞬間的にやけどをすることになる。
イスラエルの“ペンギン”
◆ 世俗の国家であるイスラエルで,一般生活に関係した宗教上の戒律を適用しようとする動きがあるが,宗教心の薄い市民は律法の目をくぐろうと幾つかの風変わりな企てを考えだした。ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると,イスラエルのある農場では“ペンギン”が飼育されている。その“ペンギン”は,「体重が270㌔にもなり,巻いた尾を持ち,泥の中を転げ回り,『ブーブー』鳴き声を上げる」。同紙はこう説明している。「他の国では,こうした描写に合致する“ペンギン”はブタと呼ばれる。ところが,宗教上の伝統によってユダヤ人は豚肉を食べることを禁じられているため,イスラエルのブタは“ペンギン”に ― また時には“アヒル”に ― なりすまさなければならない。豚肉を出すレストランはこれを“ホワイト・ステーキ”と呼んでいる」。豚肉という言葉をこのように置き換えることは,「繁栄するこの産業の隠れみのになっており,……豚肉の大衆化に伴って広く行き渡っている心の動揺 ― おそらくは罪の意識 ― を覆い隠すためにイスラエルの人々が持ち出す複雑極まりない論議,また手の込んだ口実のほんの一端にすぎない」と,同紙は報じている。
都市が避難する
◆ 昨年の11月,カナダ,オンタリオ州,トロントのちょうど西にある田園都市ミシサウガで平時においてはカナダ史上最大の避難が行なわれた。24時間以内にカナダで九番目のその大都市はまさにゴーストタウンと化した。列車が脱線し,プロパンを積んだタンク車二両が爆発したのである。その衝撃音は50㌔近く離れた所でも聞かれ,炎が数十㍍の高さに吹き上げた。しかし,90㌧タンク車から漏れた猛毒の液化塩素にいっそうの関心が集まった。23万人が,家やアパートはもちろん,病院のベッドからも避難した。略奪を防ぐために,500人を超す警察官が同州全域から急派された。災害時にしばしば目にするように,ここでも人間味のあふれた思いやりが示された。被災地の外に住んでいる人々は見ず知らずの人々を自分たちの家に温かく迎え入れ,公共の救済センターの収容力が足りない分を補った。例えば,被災地に住む500人以上のエホバの証人は,その緊急時の間,全員,仲間のエホバの証人や親族の家に収容された。
映画を見に行く中国人
◆ 中国の熱烈な映画ファンを対象に毎年100億枚から250億枚の入場券が売られているものと推定されている。入場料は平均40円そこそこである。伝えられるところによると,輸入映画フィルムの制限が最近緩和されたのに伴い,映画熱が高まっている。US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌はこう伝えている。「中国でいちばん人気があるのはチャーリー・チャップリンである。チャップリンの制作した映画は北京から昆明<クンミン>に至る満員の映画館でほとんど全部見ることができる」。
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聖書理解の助け ― こじき,物ごい目ざめよ! 1980 | 4月22日
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聖書理解の助け ― こじき,物ごい
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
こじき,物ごい。「こう」とは単に哀願するとか願い求めるという意味ですが,ここでは主として習慣的に公衆の施しを求めるという意味での物ごいについて述べます。
聖書はノアの時代の全地球的洪水の前後に族長制社会の存在したことを示していますが,そのような族長制の下では,人が他から孤立し,ひどく困窮して公衆の慈善に頼らねばならないといったことは大いに防止されていたことでしょう。それは貧民階級の生じにくい環境でした。古い時代から,旅人や見知らぬ人々に対するもてなしは惜しみなく実行されていたようです。そのようなもてなしの態度は聖書の記述の中に表われており,それに反するような例はむしろわずかです。(創世 19:1-3。出エジプト 2:18-20。士師 19:15-21)都市の発達は族長社会
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