近づく一千年の平和
この記事にある時宜を得た,心あたたまる音信は,1969年の7月から8月にわたり,北アメリカとヨーロッパの主要な都市において,合計840,572名の聴衆に対してなされた公開講演として発表されたものです。
「彼らは……キリストとともに王となって,一千年のあいだ治めるであろう」― 黙示 20:6,新。
1 人は,月での平和とこの地上での平和のいずれを好みますか。それはなぜですか。
1968年のクリスマスごろ宇宙船に乗って月を10回まわった3人の宇宙飛行士は,眼下わずか112キロにせまった月の表面が,きわめて静穏であることを知りました。しかし,無事にこの地球に帰った3人は,戦闘が続き,第三次世界大戦,つまり核戦争の不安をかかえた世界にもどっていました。それでも3人は,騒然とした所であるとはいえ,この地球に帰れたことを非常に喜びました。喜ばないはずがあるでしょうか。月に行って平和を楽しもうとする人がいるとすれば,それはどんな人ですか。普通の人が願うのは,わたしたちが属するこの地球の上での平和な世界です。これを願うのは見当違いのことではありません。事実人々は,この地上で一千年間の平和を楽しむことができるからです。しかもそれはもうすぐ始まろうとしているのです。それが始まるのを生きて見ることができるとすればどうですか。あなたはそれを非常に幸いなことと考えるでしょう。
2,3 (イ)世界の恒久平和を実現することについて,世界の支配者たちの能力を疑うのはなぜですか。(ロ)人口爆発について述べなさい。それは世界の平和にどんな影響を与えますか。
2 世界の現状を知るあなたは,「その一千年の平和をもたらし,それを維持するのはいったいだれか」と問われるに違いありません。世界情勢を動かす人々は,自ら平和の維持者また平和をもたらす者と唱え,あらゆる見せびらかしをしてきました。それを知るあなたが,人間にそのような壮大な仕事はできないと考えたとしても,決して不当ではありません。恒久的な世界平和を実現するための障害はあまりに大きく,人間には克服しきれないと考えられるのです。あなたは人口の爆発的な増加について知っておられます。そして,「世界平和を脅かす人口爆弾」という見出しで掲げられた新聞の全面広告記事を見ておられるかもしれません。その種の広告は,「人口爆発を食い止める運動」に携わる人々によって繰り返し出されています。(1969年2月9日付「ニューヨーク・タイムズ」)また,「地上に地獄を予見する英国人」という衝撃的な見出しで伝えられた,英国人類保護協会会長リッチー・カルダー卿のことばを読んでおられるかもしれません。同会長は1968年11月23日,英国,ロンドンにおいて一部次のように語りました。
3 「人口爆発を何か将来のこと,また世界の食糧危機を単なる脅威であるかのごとくに語る者がいるが,そうしたことばを聞く時,わたしはいつも背筋の寒くなるものを感じる。幾億もの人々はそれがすでに現実のものであることを証言できるのであり,息を切らしつつその証言の真実さを誓うことさえするだろう。……わたしが願っているのは人間の魂を死後の地獄からではなく,地上に存在する地獄から保護することである」。―1968年11月24日付「ニューヨーク・タイムズ」。
4 ハクスレーは世界の最も切迫した問題として何を指摘しましたか。どんなことを考えるとき,不安を禁じ得ませんか。
4 これは,国連教育科学文化機構の理事長であったジュリアン・ハクスリーが同じロンドンで14年以前(1954年9月7日)に語ったことの繰り返しにすぎません。ハクスリー氏は,世界政府のための国会議員会議で,「世界の最も切迫した問題は人口の増加である。これは今,食糧の供給を追い抜こうとしている」と語りました。(1954年9月8日付「ニューヨーク・タイムズ」)それで思慮深い人々は,今から14年後の食糧と人口の事情はどうだろうかと尋ねます。現状から判断する場合,安心できるものは何もありません。
5 局地的な戦争を解決しても,世界の全体的な様相を変えられないのはなぜですか。極東ではどんな不穏な情勢が発展していますか。
5 ベトナムや中東での局地的な戦闘を解決できたとしても,それによって世界の全体的な情勢を変えられるわけではありません。二大陣営間の対立は依然として続きます。「国家の任務」について論じた1968年12月6日付「ニューヨーク・タイムズ」(96ページ,4,5節)は,「……冷たい戦争は大いに様相を変えたとはいえ,決して終わったわけではない。その危険は決して減少していない。あえて言うなら,それはむしろ増大している」と述べました。これは,ソ連圏内での崩壊が続き,ソ連がいつか向こう見ずな行動に出るのではないかということを懸念したものでした。このことは,ソ連の隣国であり,ソ連および世界の他の多くの国にも大きな問題を与えている中共の存在を思い出させます。その膨大な人口に加えて脅威となるのは,中共がいまや核保有国であり,長距離ミサイルを発射する能力を備えているという無気味な事実です。中共がミサイル開発の面で現在の進歩を続け,1972年ごろに蓄積を始め,その後も蓄積を続けるなら,中共は「1975年ごろまでに15発から20発の大陸間弾道弾を使用できる立場にある」でしょう。―1969年2月3日付「ニューヨーク・タイムズ」。
6,7 1969年1月20日,世界平和の問題を解決するために自ら立ったのはだれですか。その人はなんと語りましたか。
6 確かに,世界平和実現のための問題はあまりに大きく,人間的な手段では解決がむずかしいようです。それでも,そうした問題と取り組もうとする人々がいます。アメリカ合衆国の37代目の大統領もそのひとりであると思われます。1969年1月20日の就任演説の中で,同大統領は次のように語りました。
7 「わたしはきょう,神およびわたしと同国の人々の前で,合衆国憲法を支持し,擁護することを誓った。この誓いのほかに,わたしはいま次の神聖な公約を加える。すなわち,わたしは自分の職権と活力および集め得るかぎりの知恵を平和のためにささげる。……歴史が与え得る最高の栄誉は,平和を作り出した者という称号である。この栄誉はいまやアメリカの前に置かれている。つまり,世界を混乱の谷間からようやく救い出し,人類が文明の黎明以来夢見てきた平和の高台に導き入れるために働く機会がある。わたしたちがこれに成功するなら,後代の人々は,時代の危機を乗り越え,世界を人類にとって安全な場所にしたとして,いま生きるわたしたちをたたえるであろう。……わたしたちの運命が差し伸べるのは,絶望の杯ではなく,希望の聖杯である。恐れではなく,喜びをいだいてそれをとらえよう。そして,わたしたちの信念をしっかり守り,目的をはっきり見定め,危険に警戒し,同時に,神の御旨と人間の約束とを信じつつ,『ともに地球に乗る人々もろとも』,手をたずさえて進もう」。―1969年1月21日付「ニューヨーク・タイムズ」。
8 就任の宣誓をしたその大統領は,キリストのどんなことばを心にとめていたかもしれませんか。しかし,大統領が確かに心にとめていたのは聖書のどんな預言ですか。
8 キリストに従うことを自任するこの大統領は,イエスの伝記を書いたマタイ・レビがしるす次の有名なことばを心にとめていたかもしれません。「平和をつくり出す人たちは,さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」。(マタイ 5:9,口語)しかし大統領が紀元前8世紀にしるされた古代の預言を心にとめていたことは確かです。なぜそう言えますか。右手を上げて就任の宣誓をした時,大統領の左手は2冊の家族用聖書の上に置かれており,大統領夫人が上に差し出したほうの聖書は,イザヤ書の2章4節があけられていたからです。その預言は次のとおりです。「エホバはもろもろの国のあひだをさばき,おほくの民をせめたまはん,かくてかれらはその剣をうちかへて鋤となし,そのやりをうちかへて鎌となし,国は国にむかひて剣をあげず,戦闘のことを再びまなばざるべし」。(1969年1月20日付「ニューヨーク・タイムズ」,第1ページ,最終欄)大統領が聖書のこの部分に左手を置いたのは偶然ではなく,意図したものでした。聖書のこの句は2,000年以上昔に示された「神の御旨」を述べており,大統領はいまこれに人間の約束をつけ加えていたのです。
政治支配者の力にかかっているか
9 聖書のこの預言の実現には何か条件がありますか。戦争のない世界の実現についてはなんと言えますか。
9 イザヤ書 2章4節の預言が全能の神の御旨を予示しているなら,それは必ず実現し,いつか全世界的な平和が到来するはずです。しかし,こうした預言の最終的な実現には何か条件が必要ですか。その実現は「人間の約束」を条件としていますか。それは国々や諸国民の政治支配者の「約束」にかかっていますか。もしそうだとすれば,戦争のない世界が地上にほんとうに到来するでしょうか。
10,11 (イ)神がもくろまれるような世界の状態を目ざすとしても,世の人々はどんな方法でそれをもたらそうとしますか。(ロ)神はご自分の方法と人間の方法とをどのように比べておられますか。
10 世界の著名なそして有力な人々は,世界の最終的な状態として神がもくろまれるものを自分の心で理解するかもしれません。そして,宗教的な感情に動かされ,全く誠実な気持ちで,自分の政治上の職権と活力および集め得るかぎりの知恵を,神の意図される平和な世界の実現のために投ずることを約束するかもしれません。しかしそうした約束をする人々が,しるされた神のみことばである聖書の知恵に基づく神の方法に従わず,この世の知恵に基づく自分たちの勝手な方法で約束の実現をはかるとすればどうですか。勝手に選んだ方法で「約束」の実現を図ろうとする人間の努力を神が祝福すると考えられますか。あるいはその人々は,実際には「神の御旨」に逆らって行動することになるのではありませんか。恒久的な世界平和の実現を目ざしたこれまでの人間の歩みは神の方法にかなっていましたか。決してそうではありません。こうした面でのこれまでの人間の方法が神の祝福を受けてこなかったことは明らかであり,そのことがこの問いに答えています。しかし同じ預言者イザヤを通じ,神ご自身がこの重要な問いに次のように答えておられます。
11 「エホバのたまはく,わが思はなんぢらの思とことなり,わが道はなんぢらのみちと異なれり 天の地よりたかきがごとく,わが道はなんぢらの道よりも高く わが思はなんぢらの思よりもたかし……かくわが口よりいづることばもむなしくは我にかへらず,わが喜ぶところを成し,わが命じおくりし事をはたさん」― イザヤ 55:8-11。
12,13 (イ)第一次世界大戦ののち,以後の世界大戦を防止するため人間はどんな方法を選びましたか。(ロ)アメリカの連邦キリスト教会協議会は,この方法が神の御旨にかなうものであるとしてなんと述べましたか。
12 語られたものでも,あるいは書きしるされたものであっても,神のことばが果たされないで終わることはありません。しかし,政権をもつ人々が語る「約束」のことばについてはどうですか。1918年,第一次世界大戦が終わった時,政治家たちは二度と世界戦争を繰り返すまいと考えました。平和条約に関係した人々が世界戦争防止のために選んだのはどんな方法でしたか。平和条約の中に,いわゆる国際連盟規約を具現することでした。平和条約が発効するとともに,国際連盟も成立しました。国際連盟を支持した人々は多くのことを約束しました。国際連盟は神の御旨にかなっているとさえ考えられました。キリスト教国の牧師たちが連盟を支持したからです。アメリカの連邦キリスト教会協議会は,神の代弁者であるかのごとくにこう述べました。
13 「このような連盟は単なる政治上の方便では決してない。それはむしろ神の国を地上において政治的に表現したものである。……教会はこれに是認を差し伸べることができる。それなくして連盟は存続し得ないであろう。……国際連盟は福音に根ざしている。福音そのものと同じく,その意図するところは,『地に平和,人に善意である』」。―アメリカ「連邦キリスト教会協議会報」第2巻第1号,1919年1月発行,12-14ページ。
14 (イ)国際連盟に関して諸教会が誤っていたことは何が示していますか。(ロ)いま宗教家は国際連合に対してどんな態度をとっていますか。これは国際連合が末長く存続するという保証ですか。
14 キリスト教世界の諸教会がこの点で誤っていたことは明らかです。国際連盟はやがて存在しなくなったからです。連盟が人間の知恵に頼って防止しようとしたものつまり第二次世界大戦そのものが,連盟の働きを止めたのです。国際連盟はその資産を国際連合に委譲しました。国際連合は世界平和機構として1945年10月24日に成立しました。世界の平和と安全を目ざしたこの新しい国際機構もキリスト教世界の牧師の支持を得たゆえ,「神の御旨」にかなったものと思えたことでしょう。バチカン市の法王でさえこれを支持する態度を表わしており,法王パウロ6世は自らニューヨークの国連本部におもむいて演説を行ないました。今日,国連には126か国が加盟しており,最近37代目の大統領が就任した国もそれに加わっています。この新大統領は「人間の約束」なるものをどのような手段で果たそうとしているかを示しました。それは国際連合および他の小さな同盟組織と力を合わせることによってです。しかし,キリスト教世界の牧師の祝福を得たとしても,それによって国際連合が末長く存続するわけではありません。それは国際連盟の場合と同じです。
15 平和を作り出した者という称号を国際連盟や国際連合に与える歴史上の根拠がありますか。国連は広場の壁に刻まれた聖書の預言を成就させていますか。
15 歴史は国際連盟に対し,『平和を作り出した者』という誉れある称号を与えません。また,国際連合にこの称号を与える根拠もありません。国際連合はいつも平和を叫び,地上のさまざまな場所での平和の維持や回復について交渉を重ねますが,それを構成する国々は戦争の備えをしているのです。安全保障理事会のおもな理事国は人類史上最大の軍備を整えています。今日の世界の平和は恐怖の平和であり,核戦争または細菌や放射線を用いた戦争による現代文明の破滅を恐れるがゆえにかろうじて保たれているのです。ニューヨークの42番街,国連本部前の広場に面する壁に大きく書かれたことばはどこに実現しているのですか。それは次のようなことばです。「かれらはその剣をうちかへて鋤となし,そのやりをうちかへて鎌となし,国は国にむかひて剣をあげず,戦闘のことを再びまなばざるべし」。
「人間の約束」に左右されない
16 平和を作り出す者と自負する国々は,イザヤ書 2章4節が予告するどんな予備的な要求にかなっていませんか。
16 神の霊感を受けない人々の手になる歴史書が人間や国家に対してどんな栄誉や称号を与えるとしても,神ご自身は,『平和を作り出した者』という「最高の栄誉」を,この20世紀後半の政治家に与えようとはしておられません。神の御手にあるこの栄誉は,国連内外のいかなる国家の前にも置かれていないのです。イザヤ書 2章4節の預言は,剣をすきに打ち変え,槍を鎌に打ち変え,諸国民が戦闘のことを再び学ばなくなることに先だって起きることを述べていますが,今日の世界のいかなる国,いかなる国民も,神の御口から出たそのことばを受け入れていません。その預言の初めの部分は次のとおりです。「エホバはもろもろの国のあひだをさばき,おほくの民をせめたまはん」。
17,18 (イ)イザヤ書 2章4節と同様な別の預言はこの要求をどのようにくり返していますか。(ロ)諸国家はこの要求に対してどんな態度をとっていますか。神の歴史は地上の諸国家にどんな称号を与えませんか。
17 イザヤ書 2章4節と同じ時代にしるされ,同様の内容を持つのはミカ書 4章3節です。それは次のとおりです。「彼おほくの民の間をさばき強き国をいましめ遠きところにまでもしかしたまふべし 彼らはその剣を鋤に打かへその鎗を鎌に打かへん国と国とは剣をあげて相せめずまた重ねて戦争を習はじ」。
18 諸国家は主なる神の審判を受けようとしていません。国々は自国の問題を国連総会や国連安全保障理事会,またオランダ,ハーグの国連附属機関,国際司法裁判所などに提出しますが,神のみことばである聖書の述べる神のさばきに従おうとはしません。国々,そして預言者イザヤやミカが住んだ土地からは「遠きところ」にある「強き国」は,しるされた神のみことばあるいは神の使者がそこから引用することばに従って,主なる神の懲戒を受けようとはしません。神のさばきと懲戒をほんとうに受け入れるなら,諸国家は剣をすきに,槍を鎌に打ち変え,戦いの剣を他の国に向かってあげず,戦争の練習をすることさえしなくなるでしょう。しかし諸国家がそうしていないことはだれの目にも明らかです。したがって,いかなる「人間の約束」があろうとも,恒久的な世界平和の実現を,地上の国家あるいはその集団的な機構に期待することはできないのです。国家あるいは地上の政治支配者で,『平和を作り出した者』という誉れある称号を神の歴史において与えられるものはないでしょう。
19 イザヤ書 2章4節の実現は「人間の約束」にかかっていますか。平和を待望する人はどんな事実から慰めを得られますか。
19 神の道と知恵を退け,それとは天と地ほどに異なる人間の道と知恵に従う人々の約束に,軍備を持たず,ただ平和を学ぶ世界の実現を期待することはできません。天地の創造者なる全能の神は「人間の約束」に左右されません。神の予告は,その実現を「人間の約束」に待つ必要がありません。イザヤ書 2章4節にある神のことばは,全く無条件の予告です。今日の人々また今日の強力な国々がこれに逆らって行動し,またこれに逆らった企てをしようとも,この輝かしい預言は必ず実現するのです。神はその成就を図られます。人間,民族,またたとえ強力な国家でも,神の意図を妨げ得るものはありません。神のみことばが予告する永遠の世界平和を待望する者すべては,この事実に慰めを得てください。
20,21 (イ)神がご自分の明示した目的を変えておられないことを述べなさい。(ロ)エホバはイザヤ書 9章6,7節の中で,平和を作り出す者についてどのように予告しておられますか。
20 神はご自分が明らかにしたお目的を変更されません。神はこれまでほとんど2,000年にわたり,全人類に平和をもたらすことのためにご自分が油を注ぎもしくは聖別した者を有してこられました。神は預言者イザヤによって,地球の住民が武器を捨て,戦争を学ばなくなる時について予告されましたが,この平和を作り出す者について予告するためにも同じ預言者を用いられました。わたしたちはすでにイザヤ書 2章4節を取り上げましたが,今度は9章6,7節を開き,平和を作り出すこの者の誕生と,仕事について読みましょう。
21 「ひとりのみどり児われらのために生れたり,我らひとりの子をあたへられたり,その政事はその肩にあり,その名は奇妙,また議士,また大能の神,とこしへのちち,平和の君ととなへられん,その政事と平和とはましくはゝりてかぎりなし,かつダビデの位にすわりてその国ををさめ,今よりのちとこしへに公平と正義とをもてこれを立てこれを保ちたまはん,万軍のエホバの熱心これを成したまふべし」。
22 この預言は,平和な千年統治をもたらすかたをどのように示していますか。
22 この預言のことばをもう一度読んでください。「その政事と平和とはましくはゝりてかぎりなし」。このことばは,限りない平和をもたらし,いつまでも続く政府に関する神の不変の約束です。それはダビデ王の家系に生まれる者が主宰する政府です。その者は「平和の君」ととなえられます。彼の命はこの平和の政府と同じく無窮であり,不滅でなければならないでしょう。この者が「とこしへのちち」とも呼ばれるのはそのことの裏づけです。それでこの者はダビデ王の永遠の相続者となります。先にあげた神の預言は,この平和で終わりのない政府の長が「ダビデの位にすわりてその国ををさめ,今よりのちとこしへに公平と正義とをもてこれを立てこれを保(つ)」と述べているからです。近づく一千年の平和は,ダビデ王の永遠の相続者であるこの平和の君の統治によってもたらされるのです。主なる神が,平和を作り出した者という称号をお与えになるのはこの者であり,この20世紀の地上の政治家や国民ではありません。
23 遠い昔に語られたものであっても,イザヤの預言の成就に対する信仰を失うべきでないのはなぜですか。
23 この預言が語られ,神の預言者イザヤによって書きしるされて以来,すでに2,500年以上が経過したことは確かです。そして今日わたしたちは,人類史上最大最悪の戦争を回避しようとして諸国家が狂奔する時代に住んでいます。しかしわたしたちは,平和を作り出す者,および地上に到来する永遠の平和に関するイザヤの預言が必ず成就することについて信仰を失ってはなりません。この預言の背後には,ご自分の聖霊によってこの預言を語らせた,万軍のエホバの熱心があるのです。この預言は,「万軍のエホバの熱心これを成したまふべし」ということばで終わっています。この預言に対するエホバの熱心はいまだ少しもさめていません。ご自身の名と威信がそれにかかっているからです。エホバは他のことにおいて決して偽ったことがありません。そして,この預言についても偽り者となることはありません。エホバは「偽ることができない」神なのです。―テトス 1:2,新。ヘブル 6:18。
ソロモン王より偉大な者
24 イザヤの時代以後のエルサレムの王の中に,到来を約束された平和の君となった者がいますか。
24 神の代弁者として仕えた預言者イザヤは,エルサレムのヒゼキヤ王の治世に至るまで預言を続けました。しかしヒゼキヤは,平和を作り出した者または平和の君としての称号を与えられるべき約束のみどり児もしくは子ではありませんでした。ヒゼキヤののち7人の王がエルサレムにおいて「ダビデの位」につきましたが,最後の王ゼデキヤをも含め,到来を約束された平和の君であった者はいませんでした。事実,ゼデキヤ治世の第11年,聖都エルサレムおよび初期の王ソロモンがエルサレムに建てた宮は異教国バビロンの軍隊によって破壊され,征服された住民は遠くバビロンの地に流されました。流刑を解かれた人々の手によってエルサレムの町および神への崇拝のための宮が建て起こされるようになったのは,それから70年後のことです。
25 ダビデの永遠の相続者となる「子」もしくは「みどり児」の誕生によって,イザヤの預言が成就しはじめたのはいつ,またどこにおいてですか。
25 では,「万軍のエホバの熱心」はさめ,消えましたか。少しも消えていません。イザヤの預言が表面的には失敗のように見えたとしても,預言の遂行に対する神の熱意はいささかもさめていませんでした。「ダビデの位」がエルサレムに再び設けられることはありません。しかしそれは少しも問題ではありませんでした。ダビデ王家の家系は断絶することなく保たれました。エルサレムの再建が始まってから535年後,イザヤの預言は成就しはじめました。ダビデ王の永遠の相続者となるべき約束の「みどり児」もしくは「子」が誕生したからです。それは,西暦の数えはじめの2年ほど前つまり西暦紀元前2年のことでした。またそのことはダビデ王の誕生地であるユダのベツレヘムで起きました。ミカの預言(5:2)の成就です。
26,27 ルカによれば,その子が誕生した晩,神はだれをその証人とされましたか。
26 熱心であられる万軍のエホバは,約束の平和の君の誕生について証人をおこされるはずです。それは,遠い昔に語ったご自分の預言が事実となったことを示すためです。まずエホバは天使たちをみどり児誕生の証人とされました。ついでベツレヘムの羊飼いたちをこのできごとの証人とされました。紀元前2年の初秋のある晩のこと,エホバの天使は,ベツレヘム近郊の野原で羊の番をするそれら羊飼いに現われました。医師ルカはみどり児の分娩を助けたわけではありませんが,その誕生のいきさつを調べ,次のようにしるしています。「主の使そのかたはらに立ち,主の栄光その周囲を照らしたれば,いたくおそる。御使かれらに言ふ『おそるな。みよ,この民,一般に及ぶべき,大なる歓喜の音信を我なんぢらに告ぐ,今日ダビデの町にてなんぢのために救主うまれたまへり,これは主キリスト[メシヤ,モファット訳]なり。なんぢら布にて包まれ,馬ぶねにふしをるみどり児を見ん,これそのしるしなり』たちまちあまたの天の軍勢,御使に加はり,神を賛美して言ふ『いと高きところには栄光,神にあれ。地には平和,主のよろこびたまふ人にあれ』」― ルカ 2:8-14。
27 医師ルカは,羊飼いが行って生まれたばかりの赤子を見,天使たちとともに「主キリスト」誕生の証人となったことをしるしています。ルカはその部分を次のように結んでいます。「牧者は御使の語りしごとくすべての事を見聞せしによりて神をあがめ,かつ賛美しつつ帰れり」― ルカ 2:15-20。
28 40日後,その子の誕生の証人となったのはだれですか。
28 40日後,神を恐れる人シメオン,ついで女預言者アンナは,このみどり児がエルサレムの宮に連れてこられたのを見,それがだれであるかを悟りました。このふたりも,平和の君に関するイザヤの預言の成就を目撃した者となりました。―ルカ 2:22-38。
29 この者はどんな名前,またどんな称号で呼ばれましたか。その名前にはどんな意味がありますか。
29 天使はこの幼子を「主メシヤ」(モファット訳)と呼びました。ギリシア語を話した当時のユダヤ人は「主キリスト」という表現を使ったでしょう。「メシヤ」および「キリスト」はいずれも「油を注がれた者」という意味だからです。すなわち,神によって油を注がれた者という意味です。処女ながら彼の母親となった者に対する神の指示に従えば,彼はエシュアという名を与えられました。しかし医師ルカのようにギリシア語を話すユダヤ人は彼をイエスと呼びました。したがって,称号を冠して呼ぶ場合,彼はエシュア・メシヤもしくはイエス・キリストと呼ばれました。(ルカ 1:26-33。マタイ 1:1,20-25)彼はダビデ王の子孫でしたから,「ダビデの子」とも呼ばれました。彼がイエスという名を与えられたのはなぜですか。ウイリアム・スミス博士の「聖書辞典」1894年版(1346ページ)によると,エシュアつまりイエスという名には,「エホバの助け」もしくは「救い主」という意味があります。このことは,神の使いがイエスの養父となったナザレの大工ヨセフに語った事柄と適合しています。「なんぢその名をイエスと名づくべし。おのが民をその罪より救ひたまふゆゑなり」― マタイ 1:18-25。
30 (イ)ソロモン王は平和の千年統治をもたらす者ではありませんでしたが,その理由を述べなさい。(ロ)忠実であった時のソロモンはだれを予表していましたか。
30 彼の祖先の王統をさかのぼると,古代最高の賢人とされるソロモン王がいます。ソロモンはダビデ王のむすこです。ソロモンの名には「平和」もしくは「平和な」という意味があります。彼がエルサレムで統治したのはいかにも適切です。エルサレムという町の名には「二重の平和の所有」という意味があるからです。名前の点ではこうした結び付きがありましたが,ソロモンの統治は一千年の平和を招来しませんでした。あえて言うならば,40年間の平和をもたらしたにすぎません。ソロモンはエルサレムにおいて賢明な王として統治を始めましたが,晩年に至って悪をなす者となりました。彼はイスラエルの民に圧制を加えました。また,多くの異教徒の妻たちにいざなわれて,エホバ神以外の神々の崇拝に加わったのです。こうしてソロモンは生ける唯一まことの神との平和を失いました。神は怒りを表わし,イスラエル十二部族のうちの十部族を,ソロモンの後継者の王国から引き離されました。(列王上 11:7–12:24。ネヘミヤ 13:26,27)しかしソロモンは40年にわたった治世の過半においてエホバ神に忠実であり,その間に聖書の三つの本をしるしました。この忠実であった期間のソロモンは真のメシヤもしくはキリストを予表する人物として用いられました。
31 (イ)イエスがご自分のことを,「ソロモンよりもまさる者」と言えたのはなぜですか。(ロ)イエスが地上の「ダビデの位」につかなかったのはなぜですか。
31 完全な人間として地上に来られたイエス・キリストは神に不忠実になったことは一度もありません。この点でソロモンと異なっています。彼が「エホバの助け」あるいは「エホバの救い」という意味のエシュアもしくはイエスという名を有していたことはむなしくありませんでした。彼の先祖ソロモンは聖油をこうべに注がれて全イスラエルの王となりました。しかしイエスはヨルダン川で水のバプテスマを受けた時,天から聖霊を油のごとくに注がれました。この時バプテスマのヨハネは,「これは我が愛しむ子,わがよろこぶ者なり」という神の声を聞きました。(マタイ 3:13-17)こうしてイエスはソロモンよりすぐれた意味で,神の油そそがれた者もしくは神のキリストとなりました。イエスがご自身について,「ソロモンよりもまさる者」と言われたのは自負や誇張ではありません。(マタイ 12:42)忠実さを守ったイエスは「ダビデの位」を継ぐ権利,つまり全イスラエルに対する王としての支配権を保持しました。しかし神は油を注がれたイエスに対し,地上の「ダビデの位」を与えることはされませんでした。(ルカ 1:32,33)まず神はイエスの忠実さを極限まで試み,イエスが完全な人間の犠牲として刑柱上で死ぬことを許されました。それはイエスが「己が民をその罪より救(ふ)」ためでもありました。―マタイ 1:21。
32 (イ)裏切られた晩に至るまでイエスが神との平和を保たれたことを何が示していますか。(ロ)イエスが悪魔や人間から王権を受けようとしなかったのはなぜですか。
32 油を注がれたイエスは地上の生涯の終りに至るまで,エホバ神との平和を保ちました。裏切られて死刑執行人の手にわたされる少し前,イエスは十二使徒のうち忠実な11人の者にこう言われました。「われ平安をなんぢらにのこす,わが平安をなんぢらに与ふ。わが与ふるは世の与ふるごとくならず」。(ヨハネ 14:27)その何時間か後,自分に向かって予備審問を行なうローマ総督ポンテオ・ピラトに対し,イエスは穏かな態度でこう語りました。「わが国はこの世のものならず……我が国はこの世よりのものならず」。ポンテオ・ピラトは刑柱につけられたイエスの頭上に,「ユダヤ人の王,ナザレのイエス」としるしたふだを掲げましたが,これはイエスの求めによるものではありません。(ヨハネ 18:36; 19:16-22)イエスは悪魔や人間から王権を受けることをこばみました。イエスは,自分の神エホバが「父ダビデの座位」を与えてくださることに望みを置きつつ刑柱上で死を遂げました。イエスはダビデの王座の永遠の相続者でした。(マタイ 4:8-11。ルカ 1:32,33。ヨハネ 6:14,15)イエスは自分が伝道した事柄,つまり「神の国は近づけり」という音信にふさわしく歩み,それに忠誠をつくして死にました。―マルコ 1:14,15。マタイ 4:12-17。
33 ソロモンと異なり,イエス・キリストが今でも生きておられるのはなぜですか。イエスはどのようにして一千年の平和を招来されますか。
33 不忠実になったソロモン王は,ほとんど3,000年後の今日に至るまで,その先祖たちとともに死の眠りについています。(列王上 11:41-43)しかし,エルサレム城外の刑柱上で犠牲の死を遂げたイエス・キリストは,1,900年以上のちの今日生きておられるのです。死後三日目,全能の神エホバはイエスを死から天の命によみがえらせ,不滅性また不朽性を与えて,ご自分の霊的な子とされました。死から復活したイエス・キリストは,天に昇るまで40日のあいだご自分の弟子たちに現われました。それで復活したイエス・キリストを目撃した者は500人にも達しました。(使行 1:1-5; 2:22-36。コリント前 15:3-9)いまや永遠に生きておられるイエスは,死にゆく人類に対して,真実に「とこしへのちち」となることができます。また,人類を治める彼の平和な政府は終わる必要がなく,まさに「かぎりな(く)」続くのです。(イザヤ 9:6,7)イエスは,戦争に苦しむ人類に対して一千年の平和を招来できる天の支配者です。国際連合にこのことはできません。
平和の千年期は近い
34 (イ)今はイエスがご自分の平和な統治を始められるのに最も適切な時と言えますが,それはなぜですか。(ロ)まずだれを取り除かねばなりませんか。それはなぜですか。
34 しかし,平和の君は無限の平和をもたらす政府をいつ建てるのですか。正しい心を持つ人々は今日そのような政府を切望しています。今こそエホバ神がイザヤ書 9章6,7節の不変の約束に従ってそのような政府をもたらすべき時代であり,今日の世界の状態は,そのことを物語っていませんか。明らかにそうです。しかしまず,平和を妨げている者たちを除かねばなりません。平和の妨害者の最大の者は超人間的な霊者であり,地上のいかなる国家いかなる民族,また国際連合といえども,この者に対してなんの支配力も有していません。これは,イエス・キリストを誘惑し,エホバ神への崇拝をやめ,かわって自分を崇拝するならば,地上のすべての国々を与えようと語った者です。この最大の平和妨害者の名は悪魔サタンです。この者は悪鬼もしくは悪霊たちのかしらです。(マタイ 4:8-11; 12:24-28)イエス・キリストはこの者を「この世の支配者」と呼び,クリスチャン使徒パウロは「この事物の体制の神」と呼びました。そして使徒ヨハネは,「全世界は邪悪な者の配下にある」と述べました。―ヨハネ 12:31; 14:30,コリント後 4:4,ヨハネ第一 5:19,新。
35 (イ)キリストがサタンを除かれるのは,預言的などんな称号にかなっていますか。(ロ)地上ではどんなものが平和の妨害者となっていますか。キリストはいつ,どのようにしてそれらを取り除きますか。
35 この最大の平和妨害者は人類を配下に置いており,この者を除き去ることは地上の人間すべてが集まってもできないでしょう。しかしそのことを天のイエス・キリストが行なわれるのです。イエスはさまざまな名で呼ばれ,その一つによれば,彼は「大能の神」でもあるからです。イエスがこのことを行なうのは,地上の目に見える平和妨害者たちをまず取り除いてからです。(黙示 19:11–20:3)このためにイエスはまず戦う王でなければならず,詩篇 110篇1-6節でダビデ王が予告したとおり,イエスは地上の敵のただ中で治め,やがて敵を完全に征服します。イエスはこの予告どおりに行動しなければなりませんでした。「異邦人の時」が1914年に終わっても,この世の諸国家および諸帝国は地上の王権を平和裏にイエスに渡そうとはしてこなかったからです。キリスト教国さえそれをこばんできました。(ルカ 21:24。詩 2:1-6)以来,半世紀余を経た今に至るまで,地上の諸国家はそうすることをこばんできました。このことは全人類にとってやがて何を意味しますか。次のことです。つまり,ハルマゲドンと呼ばれる世界情勢を迎えて『全能の神の大いなる日の戦い』が始まるのです。(黙示 16:14,16)その戦いは人間の平和妨害者すべてを取り除きます。
36 これら平和の妨害者を除き去ったのち,どんな時代が始まりますか。先のアメリカ大統領の就任演説中のことばはそれをどのように思い出させますか。
36 こうして世界に対する人間と悪霊の妨害者すべてを除き去ったのち,全地に対する平和の君の統治が始まります。このことのために神が定めておられる時は近づいており,同時に一千年の平和も近づいています。一千年間を表わすものとして千年期ということばがあります。これは,先に述べた,1969年1月20日のアメリカ大統領就任演説の中で語られたことを思い出させます。同大統領はアメリカ国民およびキリスト教世界全体に関心のある事柄が近づいているという点にふれました。就任の宣誓を終えた大統領は,演説の第8節でこう語りました。「今から8年後,アメリカは建国200年を記念するであろう。そして,今日の大半の人々の生存中に,人類は一千年に一度到来する記念すべき年を迎えるであろう。それは第三千年期の始まる年である」。大統領は西暦2001年について語っていたのです。a
37 神を恐れる聖書研究生はどんな千年期に,より大きな関心をいだいていますか。その千年期はいつから数えはじめるものですか。
37 大統領の次のことばは,第三千年期の初めにアメリカ国家が存在するようにとの期待を言い表わしていました。しかし,神を恐れ,聖書つまり古代のヘブル語聖書とクリスチャン・ギリシア語聖書の双方を研究する人々にとっては,はるかに重要な別の千年期が近づいています。それは第七千年期です。それは西暦元年から数えて第七千年期ではなく,人間が地上に存在して以来の第七千年期,つまり,神が完全な人間男女をエデンの園で創造された時を起点とした第七千年期です。これは普通,世界紀元つまり「世界が始まってからの年」として数えられます。ここで世界とは人類の世界をさしています。
38 (イ)正当派ユダヤ教の暦法に従う場合,アメリカの新大統領が就任したのはいつですか。(ロ)アッシャーの年代計算によると,人類生存の満六千年期はいつ終わりますか。
38 このことは一千年の平和もしくは平和の千年期が近づいていることと関係がありますか。明らかに関係があります! 正統派ユダヤ人の暦法に従う場合,アメリカの新大統領が就任演説をしたのは,世界紀元5729年月暦第5月の初めにあたります。これは古代のヘブル語聖書だけを基とした場合の算定です。しかし,霊感の下にしるされたクリスチャン・ギリシア語聖書をも考慮に入れる年代計算者によると,ユダヤ人の暦の上での年代は実際より200年以上も遅れています。カトリックとプロテスタントの幾つかの版の聖書の中には,アイルランド人の著名な英国国教会高位僧職者ジェームズ・アッシャー大主教(1581-1656)の計算に基づく年代がのっています。アッシャーによると,人間の創造は紀元前4004年です。この計算に従う場合,人類生存の満六千年は西暦1996年の秋に終わり,そののち人類存在の第七千年期が始まることになります。
39 聖書に関する最近の年代計算によると,人類生存の満六千年はいつ終わりますか。
39 しかし最近,熱心な聖書研究者はこの年代を調べ直しました。その人々の計算によると,人類は1970年代の半ばに地上生存の満六千年目を迎えます。したがって,エホバ神の人間創造を起点とした第七千年期は,今から10年以内に始まることになります。b
40 神はご自分が創造の週の七日目に休まれたことの記念として安息に関するどんな律法をご自分の選民に与えられましたか。
40 今日の世界の状態は地球全体の変化が急速に近づいていることを示していますが,その点を別にすれば,人間の地上存在の第七千年期の到来は,戦争に苦しんできた人類にとって喜ばしい変化となります。聖書の初めの二つの章によると,人間男女が創造されたのは創造の六日目の終わり近くです。わたしたちは今,創造の七日目におり,この七日目にエホバ神は地上での創造を休んでおられます。こうして創造の七日目に休んでおられることと対応して,神はご自分の預言者モーセに十戒を与え,その第4条で,毎週の七日目に休むべきことをご自分の民に命じられました。(出エジプト 20:8-11)これは人間の苦役を休む日であり,週ごとの安息日です。
41 (イ)ある安息日に,イエスはより偉大などんな安息日に言及されましたか。(ロ)時間に関する神の見方に従う場合,キリストが統治する千年期はどれほどの長さに相当しますか。
41 のちに平和の君となった主イエス・キリストは,より偉大な安息日について語られました。イエスはある週の安息日に,自分を批判した人々に対し,「人の子は安息日の主たるなり」と語って,このより偉大な安息日について指摘されました。(マタイ 12:1-8)イエスはご自分の平和な千年統治をさしてこう言われたのです。エホバ神は地上の人間の事柄を一千年の単位で計られます。エホバは預言者モーセに霊感を与え,詩篇 90篇4節で,「なんぢの目前には千年もすでにすぐる昨日のごとく」と書きしるさせました。エホバはまたクリスチャン使徒ペテロに霊感を与え,「主の御前には一日は千年のごとく,千年は一日のごとし」と記録させました。(ペテロ後 3:8)使徒ヨハネは預言の幻の中で,悪魔サタンとその配下の悪霊が底なき穴に入れられ一千年にわたって拘束されること,またその千年間に,イエス・キリストが勝利を得たご自分の弟子たちとともに全人類を治めることを見ました。(黙示 5:9,10; 20:1-7)それで,時間に対する神の観点からするならば,御子イエス・キリストが統治するこの一千年間はわずか「一日」です。
42 (イ)イエスが『安息日の主』であるとすれば,イエスの千年統治はどんな期間と一致するはずですか。(ロ)人間がサタンの苦役に服した六千年の終わりに安息が到来するとすれば,それはなぜ適切なことですか。
42 主イエス・キリストが「安息日の主」でもあるなら,イエスの千年統治は千年を一期間とする第七番目の期間であるはずです。(マタイ 12:8)それでイエスの千年統治は安息の期間となるでしょう。人類存在のごく初期以来,悪魔サタンは活動し,人類家族をきびしい苦役に服させてきました。ノアの日の世界洪水の前に地を暴虐で満たしたサタンは,今日再び,前以上の暴虐をもって地を満たしています。邪悪なサタンが人類を自分の奴隷として利用した六千年はまもなく終わります。そのことは,マタイ伝 24章34節のイエスの預言どおり,1914年の異邦人の時の終わり以来の世界のできごとを目撃した世代の人々が生きているうちに起こります。人類が悪魔サタンの苦役に服した六千年の終わりに,エホバ神がご自分の創造物なる人間すべてのために一千年の安息をもたらされることは,いかにも当を得たことではありませんか。確かにそうです。そしてエホバの立てられた王イエス・キリストはその安息日の主となられるのです。
43 (イ)昔の週ごとの安息日は,その日の活動について言えばどんな日でしたか。(ロ)キリストの千年統治のあいだ,キリストやその統治下の民は怠惰に過ごすのですか。
43 昔,神の選ばれた民は,神の預言者モーセの手を経て与えられた十戒の下で生活しました。この神の民にとって,安息日は非常に平和な日でした。神が創造の七日目に地上での仕事を休まれたことにならって,神の民は1週間の七日目に,それ以前の六日間のはげしい労働を休むことを命じられていました。この命令は家畜に対しても与えられていました。(出エジプト 20:1-11)同様に,イエスの統治する安息の千年はこの地球と地上の住民にとって平和の時となります。それは,それ以前の六千年間に続いたあらゆる戦争と暴力からの安息の時となるでしょう。その時,殺りくと戦闘の象徴である剣はすきに打ち変えられ,槍はぶどうを刈るかまに変えられているでしょう。その安息の千年における人間の生活は決してたいくつなものではありません。それは怠惰に過ごす時ではないのです。安息日の主である主イエス・キリストは怠惰なかたではなく,また地上にいる自分の民を怠惰にさせておかれません。
44 (イ)地上におられた時のイエスが奇跡的なわざを週ごとの安息日に多く行なわれたのはなぜですか。(ロ)このことはヘブル書 10章1節のパウロのことばとどのように一致しますか。
44 十戒の下にあるユダヤ人として地上におられたイエス・キリストは,週ごとの安息日に多くの奇跡を行ない,病人やからだの不自由な者をいやされました。なんのためでしたか。安息日に善行をするのは正しいということを示すためでした。しかしそれだけではありません。それはイエスが統治する安息の千年期に,人類が悪魔サタンと悪霊たちへの束縛から解放され,人間の最初の先祖アダムとエバから受け継ぐ罪と不完全さの悪影響からいかに解き放されるかをあらかじめ示すためでもありました。過去六千年にわたる戦争と暴力行為は,幾百万の人々を不慮の死と墓に陥れました。しかし安息日の主であられるイエス・キリストは,ご自分の預言どおり,すでに死んだ幾十億の人々を墓からよみがえらせるでしょう。(ヨハネ 5:28,29)常に真実を語ったイエスの使徒パウロは,安息日に関する神の律法は「来らんとする善き事の影(なり)」としるしましたが,これは決してむなしいことばではありません。―ヘブル 10:1。コロサイ 2:16,17。
楽園のためのすきとかま
45 (イ)エホバの証人はイザヤ書 2章4節にすでにどのように従ってきましたか。(ロ)ハルマゲドン後,またサタンが底のない穴に入れられたのちにも,この預言はどのように成就を続けますか。
45 戦争の危機をはらんだこの時代にあっても,クリスチャンのエホバの証人はイザヤ書 2章4節の預言に従い,すでに剣をすきに,槍をかまに変えています。ハルマゲドンの宇宙的な戦争が行なわれ,サタンと配下の悪霊がつながれて底なき穴に入れられたのちも,この預言は成就を続けるでしょう。なぜ? それは,『全能の神の大いなる日の戦い』を生き残る人々が,自分たちのすきやかまを使い,戦争によって傷つけられたこの地球を,エホバ神が当初人間に命じられたとおりの輝かしい楽園に変えるからです。(創世 1:26-28; 2:8-14)神のことばが果たされずにむなしく終わることはありません。神の子イエス・キリストの千年統治を通じて,地球全体は永遠の楽園に変えられ,解放されて完全になった人間が満ちる所となります。安息日の主であり王であるイエスは,安息の第七千年期のあいだに,最大の平和妨害者である悪魔サタンがこれまでに行なったことのすべてを解消します。―ルカ 23:43。
46 昔の安息日の律法を犯した者に対する処置は,安息の千年期中またその終わりに平和を乱す者について何を予示していますか。
46 十戒の施行された神の古代の選民のあいだにおいて,安息日を犯す者はことごとく殺されました。同じように,きたるべき安息の千年期の主に従わず,平和を乱す者は滅ぼされるでしょう。(民数 15:32-36。出エジプト 31:13-17)悪魔サタンと配下の悪霊は底なき穴から解放され,再び地上の平和をかき乱すことをしばらく許されますが,そののち完全に滅ぼされます。そのとき,この地上を再び戦場とし,戦いの場にしようとする者すべてはともに滅ぼされるでしょう。(黙示 20:7-10,15)しかし,神との平和を保つ者は楽園と化した地上にとどまり,その永遠の管理者とされるでしょう。
47 より偉大なソロモンに関する詩篇 72篇7節のことばによると,地上の平和はいつまで続きますか。
47 その時,平和な惑星を求めて,月にロケットを飛ばす必要はないでしょう。ソロモンより偉大な王であるイエス・キリストのためになされた詩篇 72篇7節の次の祈りがかなえられるからです。「彼の世に義は栄え,平和は月のなくなるまで豊かであるように」。(口語)月がいつまでもなくなることがないのと同じように,この平和はいつまでも続きます。メシヤの統治する安息の千年間にこうして確立され維持される地上の平和は,以後永遠に保たれるのです。
48 いま平和の千年期を迎える備えをしているのはだれですか。このことにともに加わるように招かれているのはだれですか。
48 今日,エホバのクリスチャン証人は,喜びをいだいて,この近づく一千年の平和のために備えをしています。そして,『[神]のよろこびたまふ人』に予告された『地上の平和』を待ちこがれる人すべてに対し,ともに加わって,この祝福された平和な千年期を迎える備えをすることを心から勧めています。
[脚注]
a キリスト教世界においてはAD(Anno Domini 主の年)暦が採用されてきました。AD 1年がその数えはじめです。
b 「聖書を理解する助け」(英文)の“Chronology”(年代)の項,333ページおよび1967年邦文発行の「神の自由の子となってうける永遠の生命」の26ページから35ページまで,「人類生存の6,000年が終わろうとしている」の項をごらんください。
[5ページ,全面図版]