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エホバに対するあなたの良心ものみの塔 1970 | 8月1日
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の行動を個人では望んでいながら,神がクリスチャンに前者を要求されているからそうするのではありません。いいえ,神がご自分の民のために述べられている事柄は,それ自体最善のものなのです。エホバが求めるから何かをすると言うだけではなく ― それは十分の理由ではありますが ― エホバ神がお求めになることがそれ自体最善であるからです。これは新しい弟子にとってなんという自信また確信なのでしょう。人間の考えが神のみことばと対立する場合,わたしたちはちゅうちょすることなく,神のみことばが正しく,聖書と対立する人間の考えは誤りであると断言します。エホバ神のようなかたに献身し,奉仕をささげるのはいかにもすばらしいことではありませんか。
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神への感謝を表わすものを『ためらわずにささげる』ものみの塔 1970 | 8月1日
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神への感謝を表わすものを『ためらわずにささげる』
エホバが,ご自分の民である古代イスラエル民族に対してもたれた交渉には,今日のクリスチャンに有益な数々の教訓が含まれています。使徒パウロはこのことを示して,それらは「わたしたちの教えのために書かれた」と述べました。(ロマ 15:4,新)。したがって,聖書の歴史を詳細に調べるなら,今日,神を崇拝する人々に対する神の御心を霊的にいっそうふかく洞察できると確信をもって言えます。
たとえば,エホバは,ご自分が設けられた崇拝の中心となる場所にいるご自分の祭司のもとに産物の初物を携えることを各人に求められました。それには,(人間と動物の別なく)初めて生まれたもの,各季節に初めて収穫した地の産物,また,刈り取った最初の羊毛さえも含まれていました。(出エジプト 22:29,30; 23:19。申命 18:4)これら初物は,エホバに受け入れられる清い崇拝をささえるために課された10分の1税以外のものでした。
人間や動物の初子はすべてエホバにささげられました。(出エジプト 13:2)しかし,人間の初子や,犠牲として用いるのにふさわしくない動物の初子は,親あるいは動物の所有者が最低5シケル,つまり日本円にして約860円を支払って,それをあがなうことになっていました。(民数 18:15-17)後になって神は,このことに示されている原則を預言者エゼキエルを通してつぎのように明らかにされました。「すべての霊魂は我に属す」― エゼキエル 18:4。
他方,牛や羊あるいはヤギの初子をそのような仕方であがなう,つまり買い戻すことはできませんでした。それらの動物の血は祭壇にそそがれねばならなかったのです。これらの動物の血は,罪深い人類のための犠牲として進んで自らをささげられた人間イエス・キリストの血を表わしていました。―ヘブル 9:6-14。黙示 7:14。
量は定められていない
地の産物の初物および最初に刈り取った羊
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