エホバはそのみ名を高くあげる
なぜ良い名は大切ですか。神のみ名をどのように見なければなりませんか。なぜですか。
「良き名は良き油にまさり」と,聖書は述べています。(伝道の書 7:1)良い名は金銭にもまさっています。尊敬され,信頼される人となるには,良い名を持たなければなりません。宇宙の主権者であるエホバ神は,人々がご自身の輝かしい名を知ることを望まれています。み名のあらわすものを尊敬してみ名を仰ぐ人々は,永続する益と幸福を得ます。
エホバは,み名を尊敬したアブラハムにどうこたえましたか。
アブラハムはエホバを愛し,その名を尊び神の友になることの価値が金やどんな宝石にもまさると考えました。エホバはみ名を尊んだアブラハムを喜ばれ,女のすえに関するエデンの約束に基づく契約をアブラハムと結ばれました。そしてアブラハムを偉大な国民にすることを約束されました。更に「エジプトの川から,かの大川ユフラテまで」の土地が,アブラハムの子孫に約束されました。―創世 3:15; 12:7; 13:14-17; 15:18-21。
アブラハムの子孫に土地を与えるとのエホバの約束は,だれの野心と衝突しましたか。
この事は,当時着々と自分たちの名をあげつつあった一部の人々の野心と衝突しました。それはバビロンの支配者ではありません。バビロンの都は最初の世界強国にならなかったからです。その人々はエジプトの支配者でした。その帝国は,ナイル・デルタから950マイル南方の地を起点として北にのび,パレスチナを横切ってユフラテ河にまで達していました。
聖書歴史の上で最初の世界強国となったのはどの国ですか。アブラハムの子孫はこの国民とどんなかかわりを持つことが預言されましたか。
サタン悪魔にあやつられた帝国主義的なエジプトは,聖書歴史の上で最初の世界強国となりました。事態から見て,衝突は必至でした。エホバがエジプトに対して力をあらわし,その至上権を全地に示すときが来なければなりません。エホバはこの事を先見され,アブラハムの子孫が奴隷になること,しかし4世代目aにエホバが圧制者の国民を裁いてアブラハムの子孫を救うことを,アブラハムに告げられました。エホバのみ名に敵対し,自分の名をあげようとする国が,エホバに対抗し得ることは決してありません。―創世 15:13-16。
イスラエルは最初の世界強国の支配を受ける
ヨセフはどうしてエジプトの総理大臣となりましたか。激しいききんの間ヨセフは何をしましたか。
アブラハムはかつてききんの時エジプトに滞在したことがあり,神はアブラハムのため,当時のパロに叱責を与えています。(創世 12:10-20)ヤコブの家族がエジプトに下ったのも,これまたききんのためでした。ききんよりも20年前に,ヤコブの子ヨセフはゆうかいされ,奴隷としてエジプトに売られました。しかし神はヨセフと共にいたのです。奴隷となり,獄につながれ,忘れられたかに見えたヨセフは,その神エホバのみ名に対する忠実をためす多くの試練にあいました。しかし神の名によって真実を語り,忠実であったために,神はヨセフの友でした。神は,だれも解くことのできない夢をパロに見させました。遂に思い出されてパロの前に召されたヨセフはエホバの霊によって夢を解き,7年の豊作につづいて7年のききんがくることを示した夢の意味を明らかにしました。喜んだパロはヨセフを総理大臣にしました。予想にたがわず異常な豊作の7年が訪れ,ヨセフはぼう大な食糧を貯えました。ききんが襲ったとき,ヨセフは倉を開いて,人々に食物を売りました。―創世 37,39-41章。
どんな出来事があってのち,ヨセフの父ヤコブとその家族はエジプトに下りましたか。彼らがエジプトに来たのは何時ですか。またどこに住みましたか。
カナンにいたヤコブはききんに迫られて,息子たちをエジプトに食糧を買いにやりました。ヨセフは10人の兄弟を見てそれとわかりましたが,10人の兄弟はヨセフを認めることができませんでした。彼らに兄弟愛のあることを試みてのち,ヨセフは自分の身を明かします。こうして紀元前1728年,ヤコブすなわちイスラエルは当時70人に及んだ子孫を連れてエジプトに下り,ゴセンの地に住むようになったのです。―創世 42:1–45:28; 46:8–47:6。
アブラハムに対するエホバの約束は,エジプトでどのように成就し始めましたか。エジプトの支配者にどのような交代が見られましたか。そのためイスラエル人はどうなりましたか。
アブラハムの子孫を天の星のごとく,浜のいさごの如くするというエホバの約束は,エジプトで成就し始めました。12支族はおどろくほど増加したからです。こうするうちに,ヨセフの時代に支配したヒクソスの王朝はおとろえて,新しい王朝がこれにかわります。この新しい支配者はヨセフのことを知らなかったか,あるいは忘れてしまい,イスラエル人や,その神エホバに対して恩義を感じませんでした。彼らはイスラエル人を奴隷にしたばかりか,ヘブル人に男の子が生まれるとナイル河に捨てることを命じて,民族のぼく滅をはかりました。―出エジプト 1:7,22。
やがて時がきて,エホバはどのようにモーセにあらわれましたか。そしてどんな時の到来を啓示しましたか。モーセは信任状として何を与えられましたか。
このとき主人のエジプト人はヘブル人にむかって,「エホバはどこにいるか,その約束はどうなったか」と,尋ねたかも知れません。しかしイスラエル人の中には,神のみ名に固い信仰をおいた人々がいたのです。その中にモーセの親となったアムラムと妻のヨケベデがいました。二人は子供を殺すことを命じたパロの命令に従わなかったのです。神の導きによって,モーセは母親の手でエホバの権威ある教えとこらしめによって育てられることになり,その後パロの娘の養子となりました。モーセは40歳のとき,ヘブル人を虐待していた一人のエジプト人を殺したためミデアンに逃れ,そこで結婚して羊飼となりました。神はなおエジプトでみ名を大いなるものとすることをされず,40年が過ぎました。―出エジプト 2:1-21。
エホバのみによって遣わされた解放者
出エジプト記 6章3節にあるように,アブラハム,イサク,ヤコブはどんな意味で神のみ名エホバを知りませんでしたか。アブラハムは神が「全能の神」であることを,どのように知りましたか。
エホバはアブラハムとの約束を忘れたわけではありません。ある日,ホレブ山のふもとでエホバのみ使は,燃える柴の中から羊飼モーセに語りました。その柴は燃えていながら焼けつきませんでした。この時エホバは,イスラエルを救う時の来たこと,そしてご自身のみ名を高くあげることを明らかにされたのです。神から使命を授けられたことをイスラエル人に示すため,神はモーセがエホバの名によって語るべきことを告げ,神の名によって奇跡を行なう力をモーセに与えました。モーセはこのような力を与えられた最初の人です。神は全能の神としてモーセの先祖に現われましたが,エホバの名のことは知らせませんでした。―出エジプト 3:1-17; 4:1-9; 6:3。
モーセとアロンは何時エジプトの支配者の前に出ましたか。パロはどんな態度をとりましたか。エホバは,パロを一時のあいだながらえさせた理由をどのように告げましたか。エホバはご自身がエジプトの神々にまさることをどのように示されましたか。
忠実な人であったアブラハム,イサク,ヤコブは神の名エホバを知らなかったのですか。そうではありません。3人はエホバの名を知り,またそれが神の民に対する神の目的と関連を持つことも知っていました。しかしアブラハムが神を全能の神として知るようになったのは,自ら体験した特別な出来事のためです。神は年老いてもはや子供を持つことのないアブラハムとサラに現われ,男の子を約束しました。この約束に対する信仰を強めるために,神は言われました,「わたしは全能の神である」。アブラハムは1年たたないうちにこの約束の成就を体験し,神が全能の神であることを知りました。しかしアブラハムもイサクもヤコブも,その子孫が空の星のようになり,偉大な国民になると述べた神のお目的の成就を見ないで死んでいます。しかしいまや神がそのみ名エホバを輝かせる時がきました。モーセとイスラエル人はエホバのみ名の意義を知り,み名がかつてないほどに輝くのを見るでしょう。
最初の世界強国はエホバに挑戦する
10番目の災によってだれの生命が危険になりましたか。エホバから保護を受けることに関して,だれに教訓が与えられましたか。それはなぜですか。長老が従順を示すことは,どんな結果を左右するものでしたか。
モーセと兄のアロンはエジプトに戻りました。はじめて世界強国となった国の王の前に二人は出ますが,次のようなごうまんな言葉を聞かされます。「エホバは誰なればか我その声にしたがひてイスラエルを去しむべき我エホバをしらず亦イスラエルを去しめじ」。(出エジプト 5:1,2,文語)神はその後パロに告げてこう言われました,「わたしがあなたをながらえさせたのは,あなたにわたしの力を見させるため,そして,わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない」。(出エジプト 9:16)それで神は,パロをそのとき滅ぼさずにながらえさせた理由を明らかにしています。神は十の災によって,ご自身がエジプトの神々にまさることを示されました。9番目の災のあとで,パロはなおかたくなにモーセの退去を命じます。あと一つ,10番目の災を受けてパロはやむなくイスラエル人を去らせるでしょう。モーセはこう言ってパロのもとから出て行きました。―出エジプト 10:27-29; 11:4-8。
このとき家族を守るために,各家のかしらは何をすることを命ぜられましたか。このことは何時行なわれましたか。
イスラエルの人々は準備しなければなりません。それにはエホバのみ名とその言葉に対する信仰が必要でした。人間と家畜の初子の生命が危険にさらされていたのです。モーセはエホバの命に従って長老すなわち家のかしらを集め,初子を保護するためになすべき事を告げました。これをするのは家のかしらであって,もし家のかしらがそれをしなければ,初子は死ぬよりほかありません。損失をこうむるのは家の者です。そのうえイスラエルの長老がモーセのことばを守らずに初子を失うならば,パロはエジプト人とイスラエル人の間に区別のあることを認めず,イスラエル人を自由の民として去らせないでしょう。
エジプトのうい子が殺された晩,唯一の安全な場所はどこでしたか。なぜそうですか。10番目の災はどのようにエジプトを撃ちましたか。
エホバは,これよりのちニサンの月が最初の月になることを定めました。その月の10日に人々はきずのない雄羊また山羊を選びます。そして14日の始まる夕暮に家のかしらは羊をほふり,その血を家の門口の二つの柱と鴨居の,よく見えるところに塗らねばなりません。そして家の者は一晩中家の中に留まっていることが必要です。また羊の骨を折らずに肉を火で焼き,種を入れないパンと苦菜をそえて食べることが必要でした。―出エジプト 12:1-13。
イスラエルのうい子はどのように国民全体を表わしていましたか。
イスラエルの人々は自由の民となって出て行く用意をととのえ,身ごしらえをして立ったまま過越しの食事を食べることになっていました。人と獣の初子を撃つために行きめぐるエホバの天使は,血のある家を見て過ぎ越すでしょう。初子であると否とを問わず,家の外に出るならば,血による保護をなくして生命を失います。「ここにエホバ夜半にエジプトの国の中の長子たる者を位に坐するパロの長子より牢獄にある俘虜の長子までことごとく撃たまふ亦家畜の首生もしかり」。(出エジプト 12:29,文語)ニサンの14日の晩,ういごを撃たれたエジプト人の家では,大きな叫びが起きたに違いありません。しかしそれはエホバがモーセを通してパロに警告した通りの出来事でした。「イスラエルはわたしの子,わたしの長子〔一国民〕である。わたしはあなたに言う。わたしの子〔一国民〕を去らせて,わたしに仕えさせなさい。もし彼を去らせるのを拒むならば,わたしはあなたの子,あなたの長子を殺すであろう」― 出エジプト 4:22,23。
一つの点から見て,イスラエルの長子は国民全体を表わしていました。長子は家のかしらとなったからです。長子は遺産を得るとき,二つの分を受けました。従って十の災の臨んだとき死に直面したこれら特定の者たちは,神の「長子」の国民であるイスラエル全体を表わしていました。―申命 21:17。
多くの入り混じった群衆はエホバに対して心をやわらげる
この国民が異邦にくらした430年は,出エジプトによってどのように終わりを告げましたか。
恐れをなしたパロは,イスラエル人をせき立ててエジプトを去らせました。出エジプト記 12章40,41節は次のように述べています,「さてイスラエルの子孫のエジプトに住居しその住居の間は430年なりき,430年の終にいたり即ち其日にエホバの軍隊みなエジプトの国より出たり」。これはアブラハムがユフラテ河を渡ってカナンの地にはいってから丁度430年の後,紀元前1513年ニサンの14日のことでした。このうち実際にエジプトで過したのは215年です。この点でサマリヤ五経とギリシャ語七十人訳とは一致しています。
イスラエル人がエジプトを出たのは何時ですか。大ぜいの入り混じった群衆がイスラエル人と共に行ったのはなぜでしたか。
エホバは,あらゆる他の神々のうえにご自身のみ名を輝かせました。しかしこの最初の世界強国に対しても,エホバは勝利を得なければなりません。それにむかってエホバは事態を導きました。「彼らは正月の十五日にラメセスより出立り即ちすぎ越の翌日にイスラエルの子孫は一切のエジプト人の目の前にて高らかなる手によりて出たり,時にエジプト人はエホバに撃ころされし其長子を葬りて居れりエホバはまた彼らの神々にも罰をかうむらせ給へり」。(民数 33:3,4,文語)エジプトに下された災によってエホバの名は有名になり,そのため多くの人が好感を抱いてみ名に対する態度をやわらげました。その人々は偽りの神から離れ去ったのです。「また多くの入り混じった群衆および羊,牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った」。このすべての人は,エホバの保護を頼みとしました。―出エジプト 12:38。
この国民を導くため,何が奇跡的に備えられましたか。それは彼らをどこに導きましたか。イスラエル人を追跡したパロとその軍隊は,なぜ追いつくことができませんでしたか。
組織された会衆の先頭には,雲の柱が奇跡的に現われました。それは人々をパレスチナの方角に導かず,紅海のエジプト側の岸へ進みました。これを知ったパロは,イスラエル人が袋のねずみも同然だと考えたのでしょう。馬車と軍隊を召集して追跡にかかりました。しかし思わぬ障害物が立ちはだかっていました。天使はイスラエル人の前にあった雲の柱をそのうしろに移動させたので,エジプト人の前に雲の柱が立ち,一晩中両者の間をへだてました。―出エジプト 14:5-20。
イスラエル人が紅海を渡っているのを見て,エジプト人は何をしましたか。そしてどうなりましたか。
朝になってエジプト人は目を疑ったに違いありません。紅海がわかれました! 紅海を横切って細長く延びた乾いた海の底を行く,イスラエル人のしんがりが遠くに見えました。「水は彼らの右と左に,かきとなった」のです。(出エジプト 14:29)しかしそのしんがりは無防備です。「エジプト人等パロの馬車騎兵みなその後にしたがひて海の中に入る暁にエホバ火と雲との柱の中よりエジプト人の軍勢を望みエジプト人の軍勢を悩しその車の輪をはづして行に重くならしめたまひければエジプト人言ふ我等イスラエルを離れて逃んそはエホバかれらのためにエジプト人と戦へばなりと」― 出エジプト 14:21-25,文語。
エホバのみ名を崇める歌
このときエホバは,エジプトの世界強国に対してどのようにご自身の至上権を示されましたか。モーセは勝利のほまれをどのようにエホバに帰していますか。
しかしもう間に合いません。彼らはエホバのみ名をあなどるという大きな間違いをしました。神はモーセに命じて海の上に腕を伸べさせました。水は元に流れかえり,東側の岸に無事にたどりついたイスラエル人は,追跡してきたエジプト人が水に呑まれ,一人残らずおぼれるのを見ました。エホバはその世界強国に対して至上者の力をあらわされました。モーセをはじめイスラエル人はエホバを賛める感謝の歌を歌い,勝利のほまれをエホバに帰してみ名をたたえました。モーセは,エホバが「永遠に統べ治められる」ことを歌っています。―出エジプト 14:26-31; 15:1-19。詩 136:15。
これらの出来事により,イスラエル人はあらたな意味でエホバのみ名を知ったとどうして言えますか。エホバのみ名を崇めることは,これで終わりましたか。
エホバは,ご自身のみ名と,み名に関連した事柄をとうとぶことを示されました。いまやイスラエル人は,以前に知っていたのとは異なった意味でエホバを知りました。イスラエル人は,エホバがアブラハムと結ばれた約束の成就を見ました。エホバは強い腕をのべてイスラエルを救い,圧制者の国民を裁いたからです。これによってエホバのみ名はかつてないほどに高められました。しかしエホバはこれ以上のことを行なおうとされていました。エホバがイスラエルを強大な国民とし,この国民が何世紀もつづいてアブラハムとの契約の最終的な成就に導く踏み石となったいきさつは,この雑誌の後の号にとりあげます。その最終的な大成就において,エホバのみ名は栄光に輝き,それとくらべれば出エジプトも小さな出来事に見えるに違いありません。
[脚注]
a この4代は(1)レビ(2)コハテ(3)アムラム(4)モーセあるいは(1)ユダ(2)ペレヅ(3)ヘズロン(4)カレブと数えます。