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おぼえていますかものみの塔 1968 | 12月1日
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● どうすればエホバのために熱心になれますか。
神のみことばを定期的に学び,エホバの日の迫っていることをしっかり心にとどめ,また交わりに注意する。―661,662頁。
● 不品行はどんな三つの点で有害ですか。
創造者との関係をそこなう。隣人との間に不和をもたらす。肉体的な害はないとしても,感情的また霊的に自分自身を傷つける結果となる。―667頁。
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読者からの質問ものみの塔 1968 | 12月1日
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読者からの質問
● 出エジプト記 4章24-26節の正しい理解を教えてください。また,出エジプト記 4章20節にはモーセがエジプトに帰ってしまっているかのように書かれていますが,次の節はその帰還をまだ未来のこととしています。なぜですか。
出エジプト記 4章20節には,「モーセ……その妻と子等をとりてこれを驢馬に乗てエジプトの地にかへる」と述べられています。続けて,21節は「エホバ,モーセにいひたまひけるは汝エジプトにかへりける時」となっていて,かれがすでに帰ってしまっていることと矛盾します。問題は20節の翻訳にあります。そこには帰還が終わったかのように書かれていますが,実際はそのヘブル語動詞の語形からわかるように,帰還は進行中であって終わってはいません。他の翻訳をみれば,この見方の正しいことがわかります。「モーセは己が妻および己が息子らをとり,驢馬に乗せ,エジプトの地にかえる」(ヤング訳)「そこでモーセは自分の妻と息子たちをとり,エジプトの地に帰るために,かれらを驢馬に乗せた」。(アメリカ訳)したがって,21節が帰還を未来のこととして語っているのは全く理にかなっています。それはまだ完結していなかったからです。
出エジプト記 4章24-26節(アメリカ標準訳)は,その帰りの道中に起きた出来事を記録しています。「その途中,宿所でエホバは彼に会い,彼を殺そうとされた。そこでチッポラは火打ち石をとり,自分の息子の包皮を切り,彼の足下に投げた。そして彼女は言った。まことに汝は我にとって血の花婿なり。そこで,神は彼をそのままにされた。彼女はまた言った。汝は血の花婿なり。それ割礼のゆえなり」。モーセはある点で義務を怠っていたようです。一つの例は,自分の息子に割礼を施していなかったことで,かれの先祖アブラハムに神が結ばれた割礼の契約を守っていませんでした。(創世 17:9-14)エホバは,ご自分の代表者である天使を通して,旅の途中のモーセに会い,無割礼の子供を処刑しようとなさいました。モーセの妻,チッポラは事態を正すのに何が必要かを知っていました。彼女は当時の一般的な道具だった鋭い石を手にとり,息子の包皮を切り取り,モーセの足下ではなく,エホバを代表する天使の足下に投げました。この要求が満たされたため,エホバの怒りは和らげられ,その子供の命は救われました。
その際チッポラは,エホバを代表する天使を通して,「まことに汝は我にとりて血の花婿なり」とエホバに語りました。割礼の契約に関する要求を守ることにより,チッポラはエホバとの契約関係を認め,またエホバと契約関係を結びました。その結果,エホバは彼女の夫となり,彼女はエホバの妻となりました。このようなエホバとの契約関係によって,エホバが契約の他方の当事者と結婚した夫となることは,イスラエルと結ばれた律法契約に明示されています。この契約のゆえにエホバはイスラエル国民について,「我汝らの夫たり」と言われています。(エレミヤ 31:32,〔欽定訳〕)同様にこの割礼を施したので,チッポラはエホバを代表する天使に,「汝は血の花婿なり」と語ったのです。また,欽定訳聖書によると,「まことに汝は我の血の夫なり」,「汝は血の夫なり」となっています。こうして,チッポラの敏速な行動により,「神は彼をそのままにされた」のです。(アメリカ標準訳)すなわちエホバの天使は,彼女の敏速な行動がなければ殺していたであろう子供を殺さないで,そのままにしました。(創世 17:14)しかし,ユダヤの伝統によれば,命を危険にさらされたのは怠慢だったモーセということになります。モーセは自分のむすこの取り扱いに責任を持っていました。―「ものみの塔」誌(英文)1944年11月15日号,347頁,38節。
● ヨハネ伝 18章31節に述べられているように,イエスの時代のユダヤ人に律法違犯者を処刑する権威がなかったのなら,どうしてかれらはステパノを石で殺すことができたのですか。
当時のユダヤ人が,死刑に関してどの程度の権威を持っていたのかは十分に明確ではありません。多く
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