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世界展望目ざめよ! 1979 | 11月8日
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を消化せずに,そのまま体外へ送り出してしまうことがある。これによって,体は必要な無機物やビタミンを得られなくなる。こうした暴飲を2週間もつづけると,「腸は分泌性の状態になり,分泌物が流出して無機物やビタミン類を失う結果になる」。葉酸を含む規定食をとれば状態は幾分良くなるが,「飲酒をやめればこれらの異状はすべて元に戻る」と同教授は語っている。
言論の自由?
◆ ニューヨーク,ウェストチェスター郡の高校でのこと,教師の名を“不敬な仕方で”呼んだ生徒を1日間の停学にしたところ,生徒の父親は,言いたい放題の事を言う息子の権利を擁護し,“不敬な言葉”を使ったという理由で停学にしたのは,憲法に保障された言論の自由を侵すものだとして教師と校長を相手どり,9,000㌦(約180万円)の損害賠償を求める訴えを起こした。それのみならず,自由を奪われた生徒も「ひどい精神的苦痛と侮辱」をこうむったと主張している。
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聖書理解の助け ― 贖罪の日目ざめよ! 1979 | 11月8日
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聖書理解の助け ― 贖罪の日
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
贖罪の日 [ヘブライ語,ヨーム ハッキップリム; 覆い,もしくはなだめの日]。贖罪の日とは,宗教暦の第七の月,すなわちティシュリ10日にイスラエルによって祝われた,なだめの日,もしくは罪を覆う日でした。(ティシュリは大体,9月ないし10月に当たる。)その日,イスラエルの大祭司は,自分自身と,他のレビ人,および民のために罪を覆うものとしての犠牲を捧げました。それはまた,幕屋あるいは後代の神殿を,罪の汚す影響から清めるための時でもありました。
贖罪の日はまた,民がその日,「自分の魂を悩ます」べきであったという事が示すように,聖会と断食の時でもありました。これはモーセの律法のもとで課せられた唯一の断食でした。それはまた,安息,つまり通常の労働をやめる時でした。―レビ 16:29-31,新; 23:26-32。民数 29:7。使徒 27:9。
年にただ一日,贖罪の日にのみ,大祭司は幕屋もしくは神殿の至聖所と呼ばれる仕切り室に入ることを許されました。(ヘブライ 9:7)ヨベルの年は,その時が到来すると,贖罪の日から始まったのも興味深いことです。―レビ 25:9。
西暦前16世紀にシナイ半島の荒野で,この贖罪の日が制定されたとき,モーセの兄弟アロンがイスラエルの大祭司でした。彼が行なうよう指示された事柄は,後の贖罪の日の祝いの型を示すものとなりました。この贖罪の日の印象的な行事を思い浮かべてみると,それがイスラエル人にとって何を意味したかがよりよく理解できるようになります。疑いもなく,イスラエル人はその日,自分たちの罪深さや,請け戻される必要のあることを一層深く痛感させられ,過去一年間の自分たちの罪を覆うこの取決めを設けられたエホバの豊かな憐れみを一層十分に認識するよう動かされました。
贖罪の日の特徴
アロンは,罪の捧げ物としての若い雄牛と,焼燔の捧げ物としての雄羊を携えて,聖なる所に入ることになっていました。(レビ 16:3)贖罪の日には,大祭司は通常の祭司の服を脇に置いて,水で身を洗い,聖なる亜麻の服を身に着けました。(16:4)次に大祭司は,きずのない全き状態の点で全く同様の二頭のやぎ(雄の子やぎ)のためにくじを引きました。それらのやぎはイスラエルの子らの集会から得られました。(16:5,7)大祭司はそれら二頭のやぎのためにくじを引き,二頭のうちのどちらを罪の捧げ物としてエホバに捧げ,どちらを『アザゼルのためのやぎ』として自分たちの罪を負わせて荒野に放つかを決めました。(16:8,9。レビ 14:1-7と比較しなさい。)それから大祭司は,自分自身とその家のために罪の捧げ物として若い雄牛を犠牲として捧げました。その家とは,レビの部族全体を含んでおり,大祭司の家の者はその部族の一部を成していました。(16:6,11)その後,大祭司は,芳香を加えた香と,祭壇から取った燃える炭火の一杯入った火皿を取って,垂れ幕の内側の至聖所に入りました。その一番奥の部屋で香がたかれました。そこには証の櫃が置かれており,たかれた香のもうもうとした煙が,金でこしらえた二つのケルブの置かれている櫃の黄金の覆いの上一帯に立ちこめました。(16:12,13。出エジプト 25:17-22)この処置によって,その後アロンは至聖所に再び無事に入る道が開かれました。
アロンは至聖所から戻って来ると,雄牛の血を幾らか取って,それを携えてその仕切り室に入り,その血の幾らかを櫃の覆いの前の東の方で,指で七回はね掛けました。こうして,祭司職のための贖罪は完了し,その贖罪によって祭司は清められ,エホバとその民とのとりなしをすることができるようになりました。―レビ 16:14。
くじが当たって「エホバのため」のものとされたやぎは,民のための罪の捧げ物として,犠牲として捧げられました。(レビ 16:8-10)それから,大祭司はエホバのためのやぎの血を取って至聖所に入り,そこでその血を用いて,祭司の務めのないイスラエルの十二部族のために贖罪を行ないました。雄牛の血を扱うのと同様な方法で,やぎの血は,櫃の「覆いの方に,また覆いの前に」ふりかけられました。―16:15,新。
アロンはまた,聖なる所と会見の天幕のためにも贖罪を行なうことになっていました。それから,雄牛と『エホバのためのやぎ』の血の幾らかを取り,焼燔の捧げ物の祭壇のために贖罪を行ない,その血の幾らかを祭壇の角にも付けました。彼はまた,「その血の幾らかを指でその上に七回はね掛け,これを清め,イスラエルの子らの汚れからこれを聖なるものとする」ことになっていました。(レビ 16:16-19,新)大祭司は今度は,残っているやぎ,つまりアザゼルのためのやぎに注意を向けました。大祭司は両手を頭の上に置いて,その上に,「イスラエルの子らのすべての過ちと,そのすべての罪における彼らのすべての反抗」をその上に告白し,それらをその頭に載せて,「用意した人の手によって……荒野へ」そのやぎを去らせました。こうして,そのやぎはイスラエル民族の過ちを荒野へ運んでゆき,そこで見えなくなりました。(16:20-22,新)その後,そのやぎを連れ去って行った人は宿営に再び入る前に,服を洗い,水で身を洗わなければなりませんでした。―16:26,新。
次に,アロンは会見の天幕に入り,亜麻布の服を脱ぎ,身を洗って,平常の衣装を身に着けました。次いで,アロンはその焼燔の捧げ物と民の焼燔の捧げ物を捧げて贖罪を行ないました。(3,5節で指摘されている雄羊が用いられた。)また,罪の捧げ物の脂肪を祭壇の上で焼いて煙にしました。(レビ 16:23-25,新)神エホバは犠牲の脂肪を常にご自分のために求め,イスラエル人はこれを食べることを禁じられました。(3:16,17; 4:31)罪の捧げ物の雄牛とやぎの死体の残りのものは,幕屋の中庭から宿営の外の場所に取り去られ,そこで焼き捨てられました。それを焼く人は服を洗い,水で身を洗わなければならず,その後宿営に入ることができました。(16:27,28)その日に捧げられた,さらにほかの犠牲については民数紀略 29章7-11節に指摘されています。
正当な祝いの中止
ユダヤ教の信奉者は依然贖罪の日を祝っていますが,その祝いは神によって制定されたものと類似点はほとんどありません。というのは,彼らには,幕屋も,祭壇も,契約の櫃もありませんし,雄牛ややぎを犠牲として捧げることも行なわれませんし,レビ人の祭司職もないからです。ところで,クリスチャンは,エホバの僕が今そのような責務を課されてはいないことを悟っています。(ローマ 6:14。ヘブライ 7:18,19。エフェソス 2:11-16)その上,エルサレムの神殿が西暦70年に滅ぼされたため,レビ人の真の祭司職による奉仕は中止のやむなきに至りました。それで今では,だれが正当にそのような祭司を務め得るかを確証するすべもありません。アメリカ百科事典(1956年版,第17巻,294ページ)は,レビ人についてこう述べています。「神殿が破壊された後,追い散らされた彼らは歴史から姿を消し,ローマ世界の方々に散らされた捕らわれ人の群衆の中に没してしまった」。
対型的な成就
年ごとの贖罪の日は,それがふさわしい仕方で守られていたときには,モーセの律法の他の特徴のように,一層大きな事柄を表わすものとなっていました。霊感を受けた使徒パウロの注解に照らして,この行事を注意深く調べると,イエス・キリストと,人類のために行なわれたイエスの請け戻しの業は,イスラエルの大祭司とその祭礼に関連して用いられた動物とによって予表されていたことが分かります。(ヘブライ 5:4-10)使徒パウロはまた,次のことを示しています。つまり,大祭司が犠牲の動物の血を携えて年に一度至聖所に入ったことは,イエス・キリストがご自身の血を携えて天そのものに入り,イエスの犠牲に信仰を働かせる人たちのために贖罪を行なわれたことを予示していたのです。もちろん,キリストは,罪のない方でしたから,イスラエルの大祭司のように,個人的な罪のために犠牲を捧げなければならなかった訳ではありませんでした。―ヘブライ 9:11,12,24-28。
アロンは祭司たちやレビの部族の残りの者のために雄牛を犠牲として捧げ,その血を至聖所でふり掛けました。(レビ 16:11,14)これと比べられる点として,キリストはその人間としての血の価値を天で神に捧げました。それで祭司および王としてキリストと共に支配することになる人たちに益をもたらすよう,その価値を天で適用できるようになりました。(啓示 14:1-4; 20:6)エホバのためのやぎもまた,犠牲として捧げられ,その血は至聖所で櫃の前にふり掛けられ,これは祭司のいないイスラエル諸部族に益をもたらしました。(レビ 16:15)同様に,イエス・キリストのただ一つの犠牲もまた,祭司の務めを持つ霊的なイスラエル以外の人類に益をもたらします。二頭のやぎが必要とされましたが,これはただ一頭のやぎだけだったなら,文字通り犠牲として捧げられた上に,アザゼルのためのやぎの場合のように,イスラエルの罪を運び去るのに使う訳にはいかなかったからです。これらのやぎは両方とも,罪のための一つの犠牲として言及され(レビ 16:5),これらの動物は,そのためにくじが引かれるまでは,同じように扱われました。このことは,これらの動物が一緒になって一つの象徴を成していることを示唆していると考えられます。イエス・キリストは単に犠牲にされたにとどまらず,ご自分がそのために犠牲の死を遂げた人たちの罪をも運び去ってくださるのです。
使徒パウロが論証したように,雄牛ややぎの血は罪を取り去ることはできなかったため,神はイエスのために体を備えられ(イエスはバプテスマを受けるためにご自身を捧げたとき,その体を進んで犠牲にすることを示され)たので,神の意志にしたがって,キリストの追随者は,「イエス・キリストの体がただ一度かぎりささげられたことによって,神聖なものとされている」のです。(ヘブライ 10:1-10)贖罪の日に捧げられた雄牛ややぎの死体の残りは,最後にイスラエルの宿営の外で焼かれたように,使徒パウロが言及した通り,キリストはエルサレムの門の外で(刑柱に付けられて)苦しまれました。―ヘブライ 13:11,12。
ゆえに,ユダヤ人の贖罪の日は,イスラエルのためにさえ罪を完全に,また永久に取り去るものとはなりませんでしたが,この年ごとの祝いの様々な特徴は性質上,模型的なものであったことが明らかです。それらの特徴は,『クリスチャンが告白する大祭司』イエス・キリストによって罪のために行なわれた偉大な贖罪を予表していました。―ヘブライ 3:1。
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