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読者からの質問ものみの塔 1983 | 7月15日
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ですから,神を崇拝する者はだれも,自然死した動物の(あるいはその肉に含まれる)血であろうと,人の手で殺された動物の血であろうと,血を食べることはできませんでした。では,レビ記 17章15節に,自然死した動物や獣に殺された動物などの,血の抜かれていない肉を食べても,単に汚れるだけであると述べられているのはなぜでしょうか。
レビ記 5章2節に一つのかぎがあります。そこにはこう述べられています。「ある魂が,汚れた野獣の死体であれ……何か汚れたものに触れたなら,そのことが当人からは隠されていたとしても,その者はやはり汚れた者であり,罪科を持つ者となっている」。このように,神はイスラエル人が不注意から過ちを犯すことがあることを認めておられました。ですから,レビ記 17章15節はそのような過ちのための規定として理解することができます。例えば,あるイスラエル人が自分に出された肉を食べ,食べた後でそれが血の抜かれていないものであることを知る場合,その人は罪のあるものとされます。しかし,それが不注意から起きたものであるゆえに,その人は清くなるための処置を講じることができました。この点で注目に値するのは,当人がそうした処置を取らなかった場合に,「その者は自分のとがに対して責めを負わねばならない」という点です。―レビ記 17:16。b
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読者からの質問ものみの塔 1983 | 7月15日
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a 一例として,J・ヘルツ博士編「モーセ五書とハフトーラ」にはこう述べられています。「レビ 17章15節によると,ネベラの肉に触れたりそれを食べたりすることは,イスラエル人にとっても『よそ人[つまり外人居留者]』にとっても自らを汚す行為である。レビ記の中の『よそ人』は,文字通り完全な意味で改宗者になった非イスラエル人,ゲル・セテクを意味している。ここ[申命記 14:21]では,『汝の門の内のよそ人』は,イスラエル人が自分たちの土地に定着するであろう時,(31ページに続く)(30ページから続く)そして彼らのうちに改宗者たちや,偶像礼拝は捨て去ったもののイスラエル人の生活と宗教的習わしを完全には取り入れない人々が存在するようになる時に言及するものである。ラビたちは,この部類の居留外人をゲル・トシャブと呼んだ。そして[申命記 14章21節]はその部類の人々を指している。これらの人々は生まれつきあるいは改宗によるイスラエル人でも『異国人』でもない」。それに対し,同書によると,レビ記 17章15節の『よそ人』(外国人)は「完全な意味での改宗者」でした。「そうでなければ,彼はそれを食べることを禁じられることはなかった」と説明しています。
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