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他の人の罪にあずかってはなりませんものみの塔 1985 | 11月15日
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14 悪行者が長老たちに告白しない場合,詩編 26編4節は行なうべき事柄を決定する上でどのように助けとなりますか。
14 しかし,神の許しを求めて長老たちに告白するよう悪行者に勧めても,当人がそれを延ばし続けたり,その処置を取る必要を理解しなかったりするときはどうですか。問題をただ見過ごすことができるでしょうか。ある人は,かかわりになりたくない,と考えるかもしれません。過ちを犯した人との友情をあえて失いたくないと思うかもしれません。そのような人たちは,長老たちに言いつけて信頼を裏切った者とみなされたくないのかもしれません。しかしそれは誤った考え方です。詩編作者ダビデは,「わたしは不真実な者たちと共に座りませんでした。わたしは自分がどんな者かを隠す者たちと共に入って行きません」と述べました。(詩編 26:4)ですからわたしたちは,「自分がどんな者かを隠す者」の共犯者になりたいとは決して思いません。
15 レビ記 5章1節は,過ちを犯した人に対して,その悪行に関し長老たちに近づく道理にかなった程度の時間を与えたあと,わたしたちにどのような責任があることを示していますか。
15 したがって,過ちを犯した人に対して,その悪行に関し長老たちに近づくための道理にかなった程度の時間を与えたあと,その人の罪にあずかる者とならないようにするのがエホバのみ前におけるわたしたちの責任です。その人が,監督たちの調査に値する重大な悪行を打ち明けたということを,責任ある監督たちに知らせる必要があります。それは,次のように述べるレビ記 5章1節と調和します。「さて,ある魂が,公然たるのろいのことばを聞いたゆえにその証人であるのに,あるいはそれを見たり知ったりしたのに,それを報告しないでいることによって罪を犯した場合,その者は自分のとがに対する責めを負わねばならない」。もちろん,悪行に関する単なる推測だけで早まった行動を取ることは避けなければなりません。
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他の人の罪にあずかってはなりませんものみの塔 1985 | 11月15日
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神,あるいはその組織に恥辱をもたらしたり,会衆内の他の人々の悪行を容認したりするようなことを決して行なうことがありませんように。むしろ,悪行者たちが自らの行状を正し,長老たちの助けを求めるよう勧めましょう。道理にかなった程度の時間がたっても彼らがそうしないなら,任命された監督たちに知らせるという責任を果たすようにしましょう。このようにすれば,他の人の罪にあずかり,その悪行に幾らかの責任を持つ者とならずにすみます。
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