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私たちはあきらめませんでした!ものみの塔 1980 | 2月1日
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オーストリアで奉仕したこれまでの24年間に,私たちは数多くの土地に割り当てられました。その中には,ガスタイン渓谷,美しいトラウンゼー湖のほとりにあるグムンデン,フォラルルベルクのホーエネムス,チロルのテルフスなどがあります。現在,再びフォラルルベルクに戻り,ブレーゲンツの森で働いています。私たちは様々な任命地で,合計七つの王国会館を入手するのを助けました。また,任命地の中には,業に着手したとき,王国伝道者が皆無,もしくは一人か二人しかいないような所が三か所ありました。しかし,時たつうちに,それらの土地に新しい会衆が設立されるのを目撃しました。私たちには子供がいませんが,霊的な子供や孫がおり,温かい愛の,固い絆で結び付けられています。
あきらめないために助けとなった事柄
強制収容所での信仰の大きな試みを生き延びた後にも,エホバへの全時間奉仕をあきらめさせようとする誘惑を感じたことがあります。年齢や強制収容所で受けた仕打ちの後遺症から来る健康上の問題がありました。また,最近では,物質主義的な傾向の強い区域に住む人々の無関心も,しばしば失意の種となってきました。そのため,時として,全時間の王国宣明者が享受しているよりも,安楽で,便利な道具のそろった,もっと平穏な生活を送りたいという願いが頭をもたげることもありました。では,私たちが忍耐するために何が役立ったのでしょうか。
一つの点として,私たちは,アブラハム,サラ,モーセ,使徒パウロ,そして最大の模範者であられるイエス・キリストなど,神に仕えるためにすべてを後にした,エホバの忠実な僕たちの模範から目をそらさないようにしました。これは,正しい態度を保ち,真に価値ある事柄を固守するのに役立ちました。私たちは,「それでは,王国と神の義をいつも第一に求めなさい」というイエスの助言を思いに留めてきました。また,イエスが山上の垂訓の中で,前述の言葉の少し前で語られた,「あなたの宝のある所,そこにあなたの心もあるのです」という言葉も銘記していました。―マタイ 6:33,21。
私たちはいつも,このことを行なうよう努力してきました。すなわち,神の王国に,そして所有物すべてをもって神に仕えることに,心を集中させることです。これを貴重な宝として保ったおかげで,ナチズムの残虐非道な暴政にも耐えられました。この王国の希望に固く付き従うことにより,その後もあきらめることなく神への奉仕を全時間続けてゆくよう助けられました。
私たちの人生は実に深に満足に満たされたものでした。私たちは,マラキ書 3章10節(新)の次の言葉の真実さを度々経験しました。「『この点でどうかわたしを試みよ』と万軍のエホバは言われた。『わたしがあなた方に対して天の水門を開き,もはや不足がないまでにあなた方にまさに祝福を注ぎ出すか否かを見よ』」。私たちは,エホバの助けによって,エホバ神のみ前で,イエス・キリストと共に,永遠に全時間奉仕を続けてゆけるよう願い,また祈っております。
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『十人の女が一つのかまどでパンを焼く』ものみの塔 1980 | 2月1日
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『十人の女が一つのかまどでパンを焼く』
不忠実な行為のゆえにイスラエルに臨む災いの一つは,レビ記 26章26節(新)に次のような言葉で説明されています。「まさに十人の女がただ一つのかまどであなたがたのパンを焼(く)」。平時であれば,必要なだけのパンを焼くために,各々一つずつかまどが必要です。しかし,レビ 26章26節の聖句は,入手可能な食糧が極端に少なくなり,十人の女性の焼くパンすべてを焼き上げるのに一つのかまどで事足りるようになる時のことを指し示しています。
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