聖書理解の助け ― 全能の神,および祭壇(その一)
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
全能の神。「全能」という語は,ヘブライ語「シャッダイ」,およびギリシャ語「パントクラトール」の訳です。これらの語はいずれも,強さ,もしくは力という概念を表わしているようです。
ヘブライ語聖書の中での全能性
ヘブライ語原本の中では,「シャッダイ」が「エール」(神)と結び付けられている例が七回あり,「全能の神」という称号をなしています。(創世 17:1; 28:3; 35:11; 43:14; 48:3; 出エジプト 6:3; エゼキエル 10:5,新)ほかの41か所でこの語は単独で用いられており,「全能者」もしくは『全能の者』と訳されています。「アドーナーイ」(主),「エローヒーム」(神)などと同じく,「シャッダイ」も卓越の複数としての複数形です。―創世 49:25; 民数 24:4; 詩 68:14,新。
語根の意味
「シャッダイ」という語の厳密な由来については多くの議論がなされています。七十人訳の翻訳者たちはこの語を訳すのに幾つかのギリシャ語を用いましたが,ヨブ記の中では「シャッダイ」に「パントクラトール」(すべてに強力)を当てて16回使用しています。幾つかの箇所では,「十分な」または「適した」という意味のギリシャ語(ヒカノス)を使用しました。(ルツ 1:20,21。ヨブ 21:15; 31:2; 40:2)後代の幾つかのギリシャ語訳はこの解釈に倣い,「シャッダイ」を「[力の]十分な(適任の)者」と訳しています。
現代のある注釈者たちの見方は,「エルサレム聖書」として知られるカトリック訳の創世記 17章1節の注解(脚注b)の中に次のとおり示されています。「『全能の神』という一般の訳は不正確である。『山岳の神』というのがこの語の意味であろう」。しかし,このような極端な見方は,「シャッダイ」に,アッカド語「シャドウ」(山岳)との関連を想定したからにすぎません。「アンガーの聖書辞典」(p.1000)はこう注解しています。「しかし,この見方は受け入れ難い。『シャッダイ』は,アラビア語におけると同じく,『強い,強力である』という意味の語根『シャーダド』の派生と見るのが至当である」。―ベンジャミン・デイビッドソン編「ヘブライ語,カルデア語分析辞典」,p.702参照。
聖書本文の中で,「シャーダド」は普通,破壊や略奪に伴う暴力的な力に関して用いられています。(詩 17:9; 箴 11:3と比較)イザヤ書 13章6節(新)はこう述べています。「うめき泣け。エホバの日は近いからである。それは全能者[シャッダイ]による略奪[ショード]としてやって来る」。聖書中でのこの語根の用例では暴力的行為という概念が基本的ですが,ある権威者たちは,この語の元の意味もしくは本義は「強い」ないしは「強力に行動する」であるとしています。「ユダヤ百科事典」(1909年版,9巻p.162)はこう述べています。「しかし,考え得ることとして,『圧倒する』もしくは『上まわる強さ』というのがその原義であろう。この意味合いが神の[称号の]中にも保たれていると思われる」。
神の目的に関連して示される,何者も抗しえぬ力
エホバはイサクの誕生についてアブラハムに約束した際この称号(エール・シャッダイ)を用いました。それは,それを実現させる神の力についてアブラハムの側に強い信仰の求められる約束でした。以後,その称号はアブラハム契約の相続人となったイサクやヤコブにちなんで用いられました。―創世 17:1; 28:3; 35:11; 48:3。
これに一致して,エホバは後にモーセに対してこう言われました。「わたしはアブラハム,イサク,ヤコブに対して全能の神[エール・シャッダイ]として現われたが,わたしの名エホバに関しては自分を彼らに知らせなかった」。(出エジプト 6:3,新)これは,これらの族長たちがエホバの名を知らなかったという意味ではないはずです。彼らも,それ以前の人々もしばしばその名を唱えているからです。(創世 4:1,26; 14:22; 27:27; 28:16)事実,族長たちの生涯を扱う創世記の中に「全能」という語はわずかに六回しか出て来ないのに比べ,神の名エホバは元々のヘブライ語聖書原本に171回も出て来ます。ヤコブの子らから出た子孫の名の中には,ヤリエル,ヤジエルなど,エホバの名を一部含んでいるものさえあります。(創世 46:14,24)しかし,これらの族長たちは,自分の経験から,「全能者」の称号を取る神の権利と資格を認識するようになってはいましたが,その固有の名エホバの持つすべての意味と含みを認識する機会はまだ得ていませんでした。この点に関し,ダグラスの「新聖書辞典」(p.479)は,「エール・シャッダイ」が名ではないことを指摘した後にこう注解しています。「族長たちに対する以前の啓示は遠い将来の約束にかかわるものであった。それは,彼つまりヤハウェがそれらの約束を果たす十分な能力のある(シャッダイ)神(エール)であることを族長たちが確信することを条件として求めた。燃える茂みでの啓示はさらに深くかつ親密であり,神の力,および終始身近に共におられるとの感覚が,よく知られたヤハウェの名のうちに包み込まれるようになった」。
全能性とは,目的として定められた事柄を果たし,成し遂げ,そのために反対や障害を克服する強さや力を包含しており,エホバの全能性は,ご自身の目的を遂行する,何者も抗し得ぬ力として表明されます。「全能者」という神の称号に伴って激しい行動の暗示される場合もあります。『全能者が王たちを広く散らす』と述べる詩篇 68篇14節(新)は一例であり,またヨエル書 1章15節(新)は,「エホバの日」に「全能者[シャッダイ]による略奪[ショード]」が来るとしています。先に引用したイザヤ書 13章6節もその例です。同時にその称号は,祝福を与える神の能力について得心させ(創世 49:25),より頼む人々に対する安全の保証ともなります。「至高者のもとなる秘められた所に住まう者,その者は全能者の影に宿り場を得る」― 詩 91:1,新。
ヨブ記の中に「シャッダイ」の語は31回表われ,そこに提示されるドラマの登場人物すべてがこの語を使用しています。処罰を加え,苦悩を臨ませるエホバの力について述べられており(ヨブ 6:4; 27:13-23),「全能者がどうなるというので我々は彼に仕えねばならないのか。彼に接したからといって我々に何の益があろう」と唱えて自分の力により頼む者は,「全能者の激怒」をやがて飲むことになります。(21:15,16,20,新)したがって,全能者に対し,わたしたちは畏敬を,いえ,畏怖をさえ抱いて当然です。たとえその偉力の表明がすぐに見られないとしても(24:1-3,24。出エジプト 9:14-16; 伝道 8:11-13と比較),その意志を無視し,その律法を犯して処罰を免れることはできないからです。(6:14; 23:15,16; 31:1-3)とはいえ,エホバの力,その偉力は常に義と公正に厳密に即して行使され,無制御に,気まぐれに,またでたらめで無責任な仕方で行使されることはありません。(ヨブ 34:10,12; 35:13; 37:23,24)したがって,人間が神と言い争い,神のとがめだてをすべき理由はどこにもありません。(40:2-5)義を実践している人は確信を抱いて全能者に近づくことができ,全能者との個人的な関係を楽しむことができます。(13:3; 29:4,5; 31:35-37)全能の神は創造者であり,命と知恵の源です。―32:8; 33:4。
イザヤ書 9章6節のメシアに関する預言の中では,「大能の神」という称号が,約束された平和の君について用いられています。しかし,この表現は,ヘブライ語「エール・ギッボール」の訳であって,前述の聖句にある「エール・シャッダイ」の訳ではありません。
対応するギリシャ語
クリスチャン・ギリシャ語聖書の中で「パントクラトール」という語は十回出ており,そのうち九回までは啓示の書の中にあります。全能の者,すべてを支配する者,すべての力を有する者というのが,この語の基本的な意味です。クリスチャン聖書の中にこの語が使用されていることは,ヘブライ語「シャッダイ」が「全能者」を意味するという理解に支持を与えています。ヘブライ語聖書の中で「パントクラトール」に対応し得る言葉はこれ以外にないからです。
コリント第二 6章18節でパウロはヘブライ語聖書から引用し,偽りの崇拝を避け,命も力もない偶像の使用を退け,こうして「全能者[パントクラトール]」の子供となるようクリスチャンに促しています。使徒パウロの引用の仕方から見て,この称号がエホバ神をさしていることは明らかです。
同様に,啓示の書全体を通して,「パントクラトール」の称号は,創造者でありとこしえの王であるエホバに用いられています。「神の奴隷モーセの歌と子羊[イエス・キリスト]の歌」はその一例であり,その歌は,ただエホバ神のみがあらゆる国民の崇拝と畏敬に値する方であると歓呼しています。(啓示 15:3。啓示 21:22と比較)この称号がエホバ神をさすことは,ハレルヤ(「ヤハを賛美せよ」)という表現を使用している啓示 19章6節の中で明らかです。また,「かつておられ,今おられ,これから来られるかた」(啓示 1:8; 4:8)という表現も,明らかにとこしえの神をさしており(詩 90:2),「かつて」古代に全能者であられただけでなく,今もそうであり,「これから」その全き能力の表明をもって来られる方に当てはまっています。ここでもまた激しい行動が示唆されています。それは,全能者が『その偉大な力を執って』王として支配を開始した後,「全能者なる神の大いなる日の戦争」の際,逆らい立つ諸国民に対してご自分の憤りを表明される時です。(啓示 11:17,18; 16:14)「神のことば」と呼ばれるみ子キリスト・イエスは,神の任命を受けた王として,それら諸国民に,この「全能者なる神の憤り」を表明します。(啓示 19:13-16)しかし,神の司法上の決定のそのような力ある表明も,全能者の真実と義の規準に全く即して行なわれます。―啓示 16:5-7。
祭壇(その一)。[ヘブライ,ギリシャ両語共に,「犠牲の場所」]基本的には,真の神あるいは神とされる他の者への崇拝に使用され,その上で犠牲を捧げたり香をたいたりするために高く築かれた場所もしくは構造物。祭壇について最初に述べられているのは洪水後に関する記述で,『ノアはエホバへの祭壇を築いて』そこに焼燔の捧げ物をささげたと記されています。(創世 8:20,新)洪水以前の捧げ物についてはカインとアベルの例しか述べられていません。これら二人が祭壇を使用したことは十分に考えられますが,実際にそうしたとは明示されていません。―創世 4:3,4。
アブラハムは祭壇をシケムに(創世 12:7),ベテルとアイの中間地に(12:8; 13:3),ヘブロンに(13:18),そしてモリア山に築きました。モリア山上の祭壇では,神によりイサクの代わりに与えられた雄羊を犠牲として捧げています。(22:9-13)アブラハムがその祭壇上に犠牲を捧げたとはっきり述べられているのはこの最後の例だけですが,ヘブライ語の基本的な意味から言えば,いずれの場合にも犠牲を捧げる行為が伴ったものと考えられます。イサクは後にベエルシバに祭壇を築き(26:23,25),ヤコブはシケムとベテルに祭壇を築きました。(33:18,20; 35:1,3,7)族長たちが造ったこれらの祭壇は,後に律法契約の中で神が述べたのと同じ形式のもので,ただの盛り土か,自然石(切り石ではなく)を積み上げた壇であったでしょう。―出エジプト 20:24,25。
エジプトからの脱出の後,モーセはアマレクに対する勝利に続いてまず祭壇を造り,それをエホバ・ニシ(エホバはわたしの旗じるし,あるいは,エホバはわたしの避け所)と名づけました。(出エジプト 17:15,16)イスラエルとの律法契約の締結の際,モーセはシナイ山のふもとに祭壇を築いて,その上に犠牲を捧げました。その犠牲の血が祭壇と書と民の上に振り掛けられて,契約は成立し,効力を持つようになりました。―出エジプト 24:4-8。ヘブライ 9:17-20。
幕屋の祭壇
幕屋の造営の際,神から示された様式にしたがって二つの祭壇が造られました。焼燔の捧げ物の祭壇(「銅の祭壇」[出エジプト 39:39,新]とも呼ばれた)はアカシア材で中空の大箱の形に作られましたが,明らかにこれには上面も底もありませんでした。それは約2.2㍍平方,約1.3㍍の高さで,上側の四つの隅からは「角」が突き出ていました。その表面にはすべて銅が張られていました。銅の格子もしくは網細工が祭壇のへりより下,『内側の下方』,『中央に寄った所』に置かれていました。四つの突端の,格子細工に近いあたりに四つの輪が取り付けられていましたが,それらは祭壇の運搬時に銅をかぶせた二本のアカシア材のさおを通した輪と同じものであったと思われます。祭壇の二つの側に細長いすき間が作られ,平らな格子細工をそのすき間から差し入れ,輪が両側に突き出る形になっていたのかもしれません。その仕組みについては学者の間にもかなり意見の相違があり,二組の輪があって,第二組の輪,運搬用のさおを差し入れた輪が祭壇の外側に直接取り付けられていたのであろうと考える人も多くいます。灰を処理するシャベルと缶,動物の血を入れる鉢,肉を扱う肉刺し,火取りなど,銅の道具類も造られました。このすべてはベザレルとアホリアブの手で造られました。―出エジプト 27:1-8; 31:2,6,8,9; 38:1-7,30,新。民数 4:14。
焼燔の捧げ物のためのこの銅の祭壇は幕屋の入り口の前に置かれました。(出エジプト 40:6,29)この祭壇はそれほど高くなく,近づくための特別の装置は必要でありませんでしたが,その中に置かれた犠牲を扱いやすいようにするため,祭壇の周囲の地面を高くし,あるいは祭壇に近づく斜道が設けられていたのではないかと思われます。(レビ 9:22と比較。アロンは捧げ物を終えてから「下りて」来たと記されています。)動物は『祭壇の傍ら,その北側で』犠牲にされ(レビ 1:11,新),祭壇から取り出した『脂灰の場所』は東側(レビ 1:16,新),身を洗うための銅の水盤は西側に置かれましたから(出エジプト 30:18),祭壇に近づくためのそのような装置を置くために空いていたのは南側であったことになります。
香壇
香の祭壇(「金の祭壇」[出エジプト 39:38,新]とも呼ばれた)もアカシアの木で造られ,上面と側面には金がかぶせてありました。上面の四周には金の縁取りが施してありました。この香壇の大きさは約44.5㌢平方,高さ約89㌢で,上の四つの隅からはやはり「角」が突き出ていました。運搬用の,金をかぶせたアカシア材のさおを差し入れる金の輪が作られ,香壇の二つの向き合う側,金の縁取りの下方に取り付けられました。(出エジプト 30:1-5; 37:25-28)この香壇の上では日に二回,朝と夕に特別の香がたかれました。(出エジプト 30:7-9,34-38)香をたくために香炉や火取りが使用されたことを述べている箇所もあり,香壇に関係してそれらのものも用いられたようです。(レビ 16:12,13。ヘブライ 9:4。啓示 8:5。歴代下 26:16,19と比較)香壇の置かれた位置は幕屋の中,至聖所の垂れ幕のすぐ前で,そのため,それは「証の箱の前」にあると言われました。―出エジプト 30:1,6; 40:5,26,27,新。
幕屋の祭壇の聖化と使用
任職の儀式の際,これら二つの祭壇は共に油をそそがれて神聖にされました。(出エジプト 40:9,10)その際,その後に行なわれた罪の捧げ物のための犠牲の場合と同じように,犠牲動物の血が焼燔の捧げ物の祭壇の角に塗られ,その血の残りは祭壇の基部に注がれました。(出エジプト 29:12。レビ 8:15; 9:8,9)そそぎ油と祭壇上の血の一部はアロンとその子ら,またその人々の衣にもはね掛けられ,こうして彼らは任職の儀式の終わりに聖なる者とされました。(レビ 8:30)焼燔の捧げ物の祭壇を神聖にするために全部で七日を要しました。(出エジプト 29:37)他の場合の焼燔の捧げ物,共与の犠牲,罪科の捧げ物などにおいて,血は祭壇の上に振り掛けられ,鳥類が犠牲として捧げられた場合,その血は祭壇の側面にはね掛けられるか流し出されるかしました。(レビ 1:5-17; 3:2-5; 5:7-9; 7:2)穀物の捧げ物はエホバに対する「安らぎの香り」として祭壇上で燃して煙が立ち上るようにされました。(レビ 2:2-12,新)穀物の捧げ物の残りは大祭司とその子らが祭壇の傍らで食べました。(レビ 10:12)毎年の贖罪の日に祭壇は清められ,神聖にされましたが,それは大祭司が犠牲動物の血の一部を祭壇の角に塗り付け,またそれを祭壇上に七回はね掛けることによってなされました。―レビ 16:18,19。
差し出された動物の犠牲すべてについて,その動物の幾らかの部分が祭壇上で燃して煙にされ,その目的のために火が祭壇上に保たれ,いつも消えることのないようにされていました。(レビ 6:9-13)香をたくための火もここから取られました。(民数 16:46)祭壇での奉仕を許されたのは,アロンとその子孫のうち欠けたところのない人々だけでした。(レビ 21:21-23)他のレビ人たちは援助者として働いたにすぎません。アロンの胤に属する者でないのに近づく人がいれば,その人は死に渡される定めとなっていました。(民数 16:40; 18:1-7)コラとその集会の人々はこの神の割り当てを無視したために滅びを被り,その人々が手にした銅の火取りは薄い金属板に変えられて祭壇に張られ,アロンの子孫でない者はだれも近づいてはならないことのしるしとされました。―民数 16:1-11,16-18,36-40。
金の香壇についても,年に一度犠牲の血をその角に塗り付けることによって贖罪が行なわれました。これ以外に香壇に対してそのような手順が取られたのは,祭司職に属する人々のために罪の捧げ物が捧げられた時だけです。―出エジプト 30:10。レビ 4:7。
コハテの子らの手で運搬される場合,香の捧げ物の祭壇も焼燔の捧げ物のための祭壇も共に全体を覆われました。前者は青布とあざらしの皮で,後者は赤紫の羊毛地とあざらしの皮ですっぽり覆われました。―民数 4:11-14。
神殿の祭壇
ソロモンの神殿が献納されるまで,荒野で造られた祭壇はギベオンの高き所に置かれてイスラエルの捧げる犠牲のために使用されました。(列王上 3:4。歴代上 16:39,40; 21:29,30。歴代下 1:3-6)神殿のために後に造られた銅の祭壇はベザレルが造ったものの16倍の面積を占め,8.9㍍平方,高さは4.5㍍もありました。(歴代下 4:1)この高さから考えて祭壇に近づく何らかの手だてがどうしても必要でした。神の律法は,裸をさらすことのないよう祭壇に階段を設けることを禁じていました。(出エジプト 20:26)アロンとその子らが亜麻布のもも引きを着用したことによってこの命令は不要になり,階段の使用は許されるようになったと考える人もいます。(出エジプト 28:42,43)しかし,むしろ斜道を利用してこの焼燔の捧げ物の祭壇の上面に達したと見ることができるようです。ヨセフス(「ユダヤ戦記」,5巻5章6節)は,後にヘロデによって建てられた神殿の祭壇にその種の接近装置が使用されたことを示しています。神殿における祭壇の配置が幕屋の場合と同じであれば,その斜道は祭壇の南側にあったことでしょう。そうすれば,犠牲動物を洗った『鋳造の海』との関係も好都合であったことでしょう。それも南側に据えられていたからです。神殿のために造られた祭壇は他の点では明らかに幕屋の祭壇の形式に倣っていたものと思われ,その詳細な仕様は述べられていません。
その祭壇はモリア山上の,ダビデがさきに一時的な祭壇を据えたと同じ所に設置されました。(サムエル後 24:21,25。歴代上 21:26。歴代下 8:12; 15:8)そこはまた,その昔アブラハムがイサクを捧げようとした場所であるとも言い伝えられています。(創世 22:2)犠牲動物の血は祭壇の基部に注ぎ出されましたが,その血を神殿域の外に流すため何らかの導管が設けられていたものと考えられます。ヘロデの神殿ではその種の導管があって祭壇の南西隅の角につながっていたと伝えられていますし(ゼカリヤ 9:15と比較),祭壇が立っていたと考えられる神殿域の岩には地下の水路を伝わってキデロンの谷に通じる開口部が発見されています。
神殿のための香壇は杉材で造られましたが,この点だけが幕屋の香壇との相違であったようです。この香壇もまた金で覆われていました。―列王上 6:20,22; 7:48。歴代上 28:18。歴代下 4:19。
神殿の奉献式の時,ソロモンの祈りは焼燔の捧げ物の祭壇の前で捧げられました。その祈りの結びに天から火が下って祭壇上の犠牲を焼き尽くしました。(歴代下 6:12,13; 7:1-3)この銅の祭壇は面積79平方㍍を超えるものであったにもかかわらず,その時ささげられた膨大量の犠牲の処理には間に合わず,中庭の一部がその目的のために神聖にされました。―列王上 8:62-64。
ソロモンの治世の後半およびレハベアムとアビヤムの治世中に焼燔の捧げ物の祭壇はなおざりにされました。そのためアサ王はそれを一新する必要を認めました。(歴代下 15:8)ウジヤ王は金の香壇上で香をたこうとしたためにらい病に打たれました。(歴代下 26:16-19)アハズ王は焼燔の捧げ物のための銅の祭壇を一方の側に移動させて,その場所に異教の祭壇を据えました。(列王下 16:14)しかし,その子ヒゼキヤは銅の祭壇とそれに伴う器物を清めさせ,神聖にして元通りの奉仕に使用させました。―歴代下 29:18-24,27。
流刑後の祭壇
ゼルバベルと大祭司エシュアの下に流刑から戻った人々がエルサレムに最初に建てたものは焼燔の捧げ物のための祭壇でした。(エズラ 3:2-6)やがて新しい香壇も造られました。
シリアの王アンティオコス・エピハネスは金の香壇を持ち去り,その二年後(前168年)にはエホバの大きな祭壇の上に別の祭壇を築いてゼウスへの犠牲をそこに捧げました。(マカベア上 1:20-64)その後ユダ・マカベウスは野石を使って新しい祭壇を造り,香壇も造り直しました。―マカベア上 4:44-49。
ヘロデの神殿に置かれた焼燔の捧げ物の祭壇も加工していない石で造られましたが,ヨセフス(「ユダヤ戦記」,5巻5章6節)によると,それは50キュビト平方,高さは15キュビトでした。ただし,ユダヤ教のミシュナはさらに小さな数値を挙げています。しかし,イエスが言及されたのは当時あったこの祭壇でした。(マタイ 5:23,24; 23:18-20)この神殿の香壇について記述はありませんが,ルカ 1章11節はヨハネの父ゼカリヤに現われたみ使いが香壇の右に立ったことを示しています。
エゼキエルの神殿の祭壇
エゼキエルが幻で見た神殿においても,焼燔の捧げ物の祭壇は神殿建物の前に位置していましたが(エゼキエル 40:47),それはそれ以前の祭壇とは異なる形状をしていました。その祭壇は段階的にくぼむもしくは後退する幾つかの区分から成っていました。その寸法は一キュビトが約51.8㌢の普通より長いキュビト尺で示されています。その祭壇の基壇は厚さ一キュビトで,その上面の周囲には高さ一手幅(約22.2㌢)の「唇」が付いていて,一種の溝もしくは流路をなしていました。注がれた血を受け止めるためであったかもしれません。(エゼキエル 43:13,14,新)その基壇上,しかしその外辺から一キュビト内側に第二の部分があり,その高さは二キュビト(103.6㌢)でした。第三の部分はさらに一キュビト(51.8㌢)内側に下がり,高さは四キュビト(207.2㌢)ありました。これにもその周囲に半キュビト(25.9㌢)の縁があり,別の流路もしくは保護の出っ張りを成していたものと思われます。最後に祭壇の炉床がさらに四キュビト上に伸びていましたが,この部分もその下の部分より一キュビト内側に退いていました。また,四本の角がそれから出ていました。東側に付けられた階段によって炉床に近づくことができました。(エゼキエル 43:14-17)荒野で造られた祭壇の場合と同じように,贖罪と任職のために七日の期間が定められていました。(エゼキエル 43:19-26)祭壇および聖所の他の部分のための年ごとの贖罪はニサンの一日に行なわれることになっていました。(エゼキエル 45:18,19)エゼキエルが見たいやしの水の川は神殿から東方に流れ,祭壇の南側を通っていました。―エゼキエル 47:1。
この幻の中で香壇の名は特に挙げられていません。しかしエゼキエル書 41章22節(新)に述べられる「木の祭壇」,特にそれが「エホバの前に置かれた食卓」と呼ばれていることは,これが供えのパンの食卓というよりむしろ香壇であることを示しています。(出エジプト 30:6,8; 40:5; 啓示 8:3と比較)この祭壇は高さが三キュビトあり,明らかに二キュビト平方の大きさであったと思われます。