読者よりの質問
● 婦人の生命を守るため,あるいは極度の貧困などどんな事情の下においても男子または婦人を不妊にすることは許されませんか。
人間を不妊にするとはどういう意味ですか。それは男子また婦人の生殖力を奪う手術を施すことです。アメリカナ百科辞典によれば,不妊手術の多くは「肉体的にも精神的にも有害な影響を与える」ので,むしろ無性化と呼ぶのが適当であるという事です。男子の場合,普通に用いられる方法は,精子を女性に送る精管の一部を除去することです。婦人の場合は,卵細胞を子宮に送る卵管の一部を除去することです。従って不妊手術はエホバ神の与えられた生殖器官の機能を制止するか,あるいは生殖器管を除去して子供をつくる人の能力を奪ってしまうことです。―アメリカナ,1929年版。(英文)
不妊手術を始めたのはだれですか。今日のアメリカでは,優生学上の理由あるいは医療の目的,または刑罰として,ある人の断種が法の規定によって命ぜられます。1907年,インディアナ州が不妊の法律を制定したのをはじめとして,アメリカの他の州も類似の法律を制定しています。このような立法のおもな目的は何ですか。それは常習的な犯罪者,精神薄弱者,精神異常者が子供をつくるのを防ぐためです。それで犯罪の性癖を持つ子供,精神異常の子供,無能力の子供が社会に生まれてくるのを防ぎ,社会を守るというのが,不妊をすすめる論議の根拠になっています。不妊を立法化した州はこの理由をあげて,たとえ神から与えられた機能,従って人間が生得の権利として持つものを拘束または奪っても,正しいと感じたのです。
不妊を立法化した州を批判するためではなく,私たち自身の知識のために,私たちは次の事を尋ねます。すなわちこのような立法措置は,神権制度に与えられた神の律法に基づいていますか。不妊にすることは神の民の制度の始めたことですか。それともこれらの州を含むこの世の始めたものですか。
神は確かな目的のため男女にお与えになった自然の機能を破壊することを望まれるでしょうか。神はご自分の会衆から宦官を除き,ご自分の選民イスラエルに対して,イスラエルの婦人の寝室にはべるため,あるいは他の責任ある地位につけるために男子を去勢することを禁じました。従って不妊にすることを命じ,または許す律法を,神が与えるはずはありません。婦人の住居を守る者をそのような方法で得ることを,神は許しませんでした。「外腎を傷ひたる者または玉茎を切りたる者はエホバの会に入るべからず」と申命記 23章1節は述べています。これらの器官は子孫を生み出すことに関係があります。これと一致して,大祭司アロンの家の者で,そのような欠陥のある者は神の宮で祭司として奉仕できませでんした。(レビ 21:16-21)神は他の祭司の父親となり得る祭司を望まれたのです。神は他のイスラエル人を生み出すことのできるイスラエル人を望まれました。
人間に生殖の能力を与えられたのは神です。神はこの能力を保護する律法を定めて,この問題に関する手本を示されました。神の律法は「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足をもって償わせなければならない」と定めています。(申命 19:21,新口)しかし今ある女の夫が他の男と争ったとします。自分の夫を守り,夫が負けて打たれることのないように女は手をのばして相手の男の隠し所をつかみ,男の力を失わせました。これによって女は疑いなく男の生殖力を駄目にしました。人の睾丸を傷つけることを禁ずる神の律法を破り,またこの男を神の会衆にふさわしくない者にしたのです。この女は柔術を使い,自分の夫したがって自分を守るために,そうしたと論ずることはできませんでした。その女は罰せられました。どのように?
その女は仲間のイスラエル人の生殖力を奪いました。では卵管を切断するか,生殖器を駄目にして子供を生めないようにすることを,神は命じましたか。あるいは類似をもって償うという原則に従い,陰部を傷つけられた男の妻がその女の夫の陰部を傷つけることを命じましたか。犯罪者を生み出さないようにするため,その女または夫を不妊にすることを神は命じましたか。神の律法は彼女および夫の生殖力を尊重していました。それは次のように述べているからです。「その女の手を切り落さなければならない。あわれみをかけてはならない」― 申命 25:11,12,新口; 25:5-10。
このすべてから私たちは次の事をある程度まで知り得ます。すなわち神はご自分に献身した国民また個人が生殖器官を拘束してその正常な機能を妨げるとき,どのように感ぜられるかということです。右にあげた事柄を定めたモーセの律法は,キリストにあって確かに廃止されました。しかし,不妊にする事に対する神の態度は不変です。右にあげた律法の意義,力それに内在する根本的な考えと意図はクリスチャンに対しても有効です。献身したクリスチャンはモーセの律法よりも更に高い律法,すなわち,心と思い,魂と力をつくしてエホバ神を愛するという律法の下にあります。不妊にすることはその影響から見てもこの律法に反する行いです。不妊の手術は人を無性化して,肉体的にも精神的にも害を与えるからです。クリスチャンは不妊手術を必要とする常習的な犯罪者,低能者ではありません。
もう一人の子供を生むならば妻の生命が危いと,医者が言うならばどうすべきですか。その場合には,神の律法を破ることなく,妻の生命を危険にする妊娠を防ぐ方法があります。神の律法の趣意を考慮するき,男子また婦人を故意に無性化するのは神の律法に反することです。両親が貧しく,それ以上の子供を持つことができなければ,この経済上の問題に対処する別の方法があります。完全な男女に与えられた器官そして結婚生活の崇高な目的に参与する器官の機能を奪うべきではありません。主たる神の御霊を働かせることが必要です。節制は御霊の結ぶ実のひとつです。―ガラテヤ 5:22,23。
自制しなければならない良い目的をクリスチャンが理解するとき,自制はもっともなものに思われ,また神の御霊の助けによって自制する力を得ます。