組織は清さをどう見るべきか
1,2 (イ)人間の性をどう見るべきですか。なぜそうですか。(ロ)創世記 1章27,28節は,性の起源と目的をどのように説明していますか。
清さは性に関連しても言える事柄です。神の聖なることばに照らして見るとき,性は神聖です。性は,盲目で無知な,道徳に無関係の進化が,利己的な目的にむかって働いた結果,偶然に生まれたものではありません。人間の性をはじめ,動物,魚,鳥,昆虫,植物の性は,神から出たものです。性を創造した神は不道徳ですか。そうではありません。今日の世界に広まり,病的な社会と不健康を生み出している性の狂気は,神の意図したものではありません。神のお目的に従えば,性は人間をも含めてあらゆる種類の生命を地上に存続させるという,奇跡的な目的をはたすはずでした。聖書の第1章はきわめて簡潔に,人間の性の起源と目的をしるしています。(聖書の最初の本)創世記 1章27,28節は次のように述べています。
2 「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち神のかたちに創造し,男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた,『生めよ,ふえよ,地に満ちよ,地を従わせよ。また海の魚と,空の鳥と,地に動くすべての生き物とを治めよ』」。
3 これに一致して,生殖器官はどんな目的をはたすはずでしたか。それはなぜ神聖なものと言えますか。
3 男性と女性の生殖器官は,神のこのご命令をはたすためにおのおのなすべき働きがありました。それで生殖器官は,楽しみのためにもてあそぶものではありません。それは神のお目的にそわないからです。そのような事をすれば,生殖器官だけでなくからだ全体に害が及びます。生殖器官は重大な役目をはたすものであって,おもちゃにするものではないのです。その理由で男性と女性の生殖器官は,神聖なものと見なければなりません。それは生命,とくに来るべき世代の生命に関係しています。
4 来るべき世代の生命を神聖なものと見るべきですか。どんな性の行いは,この世代に関して十戒の6番目の戒めを破るものですか。
4 生命はもともと神の賜物であって,神聖なものではありませんか。現在生きているすべての人の生命は神聖視されています。来たるべき世代の生命も,やはり神聖視すべきではありませんか。たしかにそうです。イスラエル民族のため,神が預言者モーセに与えられた十戒の6番目と7番目を心に留めて下さい。「あなたは殺してはならない。あなたは姦淫してはならない」。(出エジプト 20:13,14)来るべき世代である赤ん坊や子供を殺したり,不具にすることを望む人がありますか。しかし生殖器官を悪用し,神のお目的と律法に反したことにそれを使うならば,つまり不品行の結果,子供に致命的な影響を及ぼす悪い病気にかかるとすれば,そういう事になるのです。
5,6 (イ)男女に授けられた生命の種をどう見なければなりませんか。婦人の胎内にある生命を,どう見るべきですか。(ロ)出エジプト記 21章22-25節にある神の律法は,この事実をどのように裏づけていますか。
5 神の賜物である生命は神聖です。それで神が男と女に与えられた生命の種は神聖であり,神の崇高な目的をはたさねばなりません。この理由で,次の世代の一人の生命が婦人の胎内に芽ばえたとき,その生命は神聖なものとされました。それを殺すならば,殺した者の生命が要求されました。モーセを通して与えられた神の律法において,まだ生まれない子供すなわち婦人の胎内にある胎児は,出生によって生きる権利を持つ一人の人の生命と見なされました。
6 神の律法は十戒につづいて次の章に,そのことを述べています。「もし人が互に争って身ごもった女を撃ち,これに流産させるならば,ほかの害がなくとも,彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ,裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。しかし,ほかの害がある時には,命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足,焼き傷には焼き傷,傷には傷,打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない」。(出エジプト 21:22-25)このように生命には生命で償うことが要求されていました。
7 (イ)これと一致して,東洋の一部では,何時から年を数えますか。(ロ)人間の胎児をどう見るべきですか。それを殺すことは,何を破る行いとなりますか。
7 韓国など東洋の一部で,誕生の時からではなく妊娠の時から年齢を数えるのは,この事実と一致しています。胎児は一人の人であって,どんな段階においても殺してはならないことが,これから明らかです。J・B・グレン博士の「聖書と現代医学」(1963年版176頁2節)a は,生きる可能性のある胎児に関して,「胎内に観察し得る胎児は一人の人であり,それを殺すことは第六の戒めを破ることである」と述べています。
8 (イ)男子の持つ生命の種を悪用することについては,何が言えますか。これに関して,聖書にどんな例がありますか。(ロ)嫡出でない子供の場合,生命が尊重されていないことはどのように示されますか。
8 同様に男性の側においても,生命を与える種を故意に誤用してはなりません。族長ユダの子オナンの例を思いおこして下さい。オナンは,子供のない寡婦タマルのところにはいって,死んだ兄エルのために世継ぎの男の子を得させるべきでしたが,それを拒絶したので,神から殺されました。兄弟に対して愛のない行いをしたというに留らず,死んだ兄にかわって世継ぎに生命を与えるべき精子を故意に地にもらしたからです。そのためオナンに対しては,寡婦タマルが長老の前で彼のくつを脱がせ,その顔につばきして「兄弟の家をたてない者には,このようにすべきです」と言う以上の罰があっても当然でした。(申命 25:9。創世 38:6-10)一方,どんな人でも性の不品行を行ない,嫡出でないため当然に自分の望まない子を生ませてはなりません。そのような人は,嫡出でない子を捨てて自分の子とせず,父親であることを認めないでしょう。それは人の生命,無実な子の生命を尊重しない行為です。
9 性行為が,それを行なう者自身のからだに対する罪となるのは,どんな場合ですか。
9 性の不品行をする人は,姦淫と淫行を禁じた神の律法を破るだけでなく,自分のからだに対して罪を犯しています。パウロはコリント前書 6章18節において,その事を明白に述べています。合法的また聖書的な婚姻によって結んだ性関係ならば,神の律法を破ることにはならず,結婚している二人のからだに対して罪を犯すことにはなりません。それは罪のない完全な男と女に,はじめ神が命ぜられたことと一致しています。
10 このように自分のからだに対して罪を犯すことは,どんな結果となりますか。
10 クリスチャンのヘブル人に宛てた手紙(13:4)は,「すべての人は,結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は不品行な者や姦淫をする者をさばかれる」と述べています。神が崇高な目的のために創造して,重要さと尊厳さを与えた生殖器官をいやしめ,神のお目的をまげると共に,性病をまんえんさせているのは,姦淫や淫行を行なう者の行為です。結婚の前にも後にも,両親が道徳的に清く生きたことを,あなたは感謝できます。
11 (イ)神がエデンの男女のため定められた事に従って,すべての人にどんな権利がありますか。従って他の人は何をする権利がありませんか。(ロ)だれのからだを尊重すべきですか。
11 合法的な婚姻は,もともと神が男女の前におかれた自然の目標でした。だれでも,ほまれある結婚を目ざして清い生活を送る権利を持っています。それは神から与えられた特権です。性的な不品行に人を誘惑し,あるいはそれを強制して,他の人を汚す権利はだれにもありません。ほまれのある,幸福で健全な結婚をする権利と希望は,おかしてはならないものです。人の生殖器官あるいはその働きを誤用して,その人の幸福な結婚を妨げる権利はだれにもありません。私たちは自分のからだと同じく,他の人のからだを尊重すべきです。ゆえにクリスチャンの若い婦人は,男が不品行によってそのきたない手をふく公衆の手ふきのようなものに,自分をしてはなりません。健康と衛生に関心を払い,自尊心のある人が,自ら淫婦となった女と結婚して,あたかも汚れた公衆用の手ふきで手をふくようなことを望みますか。若い婦人は自らを公衆用の手ふきにしてはなりません。売春婦を買う男,象徴的な「犬」がその汚れた手をふく手ふきになるべきではありません。
12 コリント前書 12章23-25節に,パウロは何を論じていますか。従ってからだのどの部分が含まれていますか。
12 私たちは性の器官を尊ばねばなりません。パウロはコリントのクリスチャンに次のように述べました。「からだのうちで他よりも弱く見える肢体が,かえって必要なのであり,からだのうちで,他よりも見劣りがすると思えるところに,ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが,麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして,からだに調和をお与えになったのである。それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである」― コリント前 12:23-25。
13 ロマ書 1章24節は,からだを汚すことについて,何を述べていますか。神は何時までこれがつづく事を許しますか。
13 汚れた性の行いや不品行にふける人は,自分のからだを汚しています。パウロは,ローマのクリスチャンに対して,次のように述べています。「ゆえに,神は,彼らが心の欲情にかられ,自分のからだを互にはずかしめて,汚すままに任せられた」。(ロマ 1:24)ハルマゲドンの戦いの時に悪魔と悪鬼が束縛されるまで,神は,この世の罪深い人々が欲情のままに不品行にふけるのに任せます。しかし淫行,姦淫,男色,女同志の性の乱行を行なう者は,神の正義の新しい秩序に生き残ることがありません。
14 人間の結婚はどんな目的をはたすことになっていましたか。これは,生命の営みに関する神のどんなみ心と一致していますか。
14 人間の結婚は,完全な男女から成る健全な正義の人類で楽園の地をみたすという目的のために,創造主である神がもくろみ,また始められたものです。生命のすべての営みを思考し,定めたのは私たちの創造主です。人間の生命の正常な営みは,創造主のみ心に従って健全なものとされ,幸福をもたらすものとされました。神のかたちに造られた人を,地に満たし,人間家族をふやすために子供を生み出す性の営みも,その一つです。―創世 1:26-28。
15 地を満たすことを命じた神のご命令に従うことは,男と女にとってどんな経験となるはずでしたか。しかしどんな関係の外で,この経験を享受してはなりませんか。
15 神が男と女を造られたことに一致して,人間が神の命令に従い,地を満たすことは,苦行や重荷ではなく,喜びと楽しみであり,生きて神に仕えるこのうえない幸福を増し加えるはずでした。しかしそれを享受するのはだれですか。それは結婚した人,神が合わせた人々,ほまれある合法の婚姻によって離れることのない一つのからだとなった人々です。婚姻の絆の外で性の営みの喜びを得ようとする人は神を汚す者であり,神に従わない者です。
16 (イ)動物的な情欲を克服するのに何が助けとなりますか。(ロ)なぜ生殖器を崇拝してはなりませんか。
16 これらの大切な問題に対して,霊感の聖書に従った正しい見方を持つならば,動物的な情欲を克服でき,性的な興奮を不品行によって満足させることに頭を使う愚を避けられるでしょう。(サムエル後 13:1-14)神が人間に生殖器官を与えられお目的を常に心に留め,その神聖さに従って生殖器官を見なければなりません。それは生殖器崇拝,男根崇拝をして,宗教的に不品行をするという意味ではありません。生殖器は崇拝すべきものではなく,生殖器とその行為にもっぱら心を向けるべきではありません。生殖器官が人間に生命を与えたのではなく,それは神のみ心に従って子供たちに生命を伝える,すばらしい手段に過ぎません。
17 この点について言えば,崇拝は何に向けられるべきですか。ゆえに性崇拝は何であると言えますか。
17 創造主なる神は神聖な「いのちの泉」です。人類に生命を与えられた神のみを崇拝しなければなりません。(詩 36:9)神は,子孫をふやすための生殖器官をも人間に与えられました。性崇拝は偶像崇拝です。それは当然に道徳的な汚れに人を導きます。性崇拝は絶対に避けなければなりません。
どのように清さと廉潔を守るか
18 (イ)新世社会内の献身した証者の場合,生命はなぜとくに神聖なものですか。(ロ)不品行な行いはどんな結果になることがありますか。しかしそれを行なう者は,どんな結果を必ず身に招きますか。
18 エホバの証者の新世社会と交わる私たちは,何時でも次のことを心に留めなければなりません。すなわち生命は,神聖な「いのちの泉」である天の神の賜物であり,神聖なものであるという事です。しかし私たちの場合,生命はさらに尊いと言わなければなりません。私たちは,神の最も偉大な公のしもべまた大祭司であるイエス・キリストを通してエホバ神に献身したからです。私たちは,「いのちの水」すなわち正義の新しい秩序の下に永遠の生命を得させる神の救いに人々を導き助けることを命ぜられています。それは私たちの責務です。(黙示 22:17)従って性の不品行により,生命を子孫に伝える,神から与えられた力を悪用するのは,私たちにふさわしくないことです。そのような行いは嫡出でない子を生み出すかも知れません。それは親となった者の恥ずべき秘密の行いを証しするものです。あるいは忌むべき性病にかかることもあり得ます。しかしほまれある,幸福な目的のために男女を創造した,清い心の創造主から罪に定められることだけは間違いありません。神から罪に定められた状態に留まるならば,生命および生命を伝える力を濫用したことのゆえに人は永遠の生命を失います。
19,20 (イ)ヨハネ第一の手紙 3章2,3節によれば,私たちはどなたの清さにならうべきですか。(ロ)とくに霊的な残れる者は,その希望に照らしてなぜそうしなければなりませんか。
19 汚れを離れ,その外に留まるには,清さと廉潔という点において神にならうことが必要です。年老いた使徒ヨハネは天の希望に召されたクリスチャンに次のことを述べました。「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし,わたしたちがどうなるのか,まだ明らかではない。彼が現れる時,わたしたちは,自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。彼についてこの望みをいだいている者は皆,彼がきよくあられるように,自らをきよくする」― ヨハネ第一 3:2,3。
20 イエス・キリストの治める神の天の国にはいり,神をまのあたりに見ることを期待する霊的な残れる者は,この清い神をありのままに見る望に一致した生活を是非とも送らなければなりません。地上においてまず生活を清めないならば,天において神に似るのを望むことさえ,どうしてできますか。死ぬまでこの地上で不潔と不純と不道徳な汚れを愛し,神の性質である清さを身につけなかったとすれば,神に似ることをどうして期待できますか。それは不可能です。
21 地上の生命の希望を持つ羊のような人々も,なぜ同様に清さを保つべきですか。
21 諸国民の山羊のような人々から分けられた羊に似た人々も同様です。(マタイ 25:31-46)彼らも同じ神に望みをおいています。ハルマゲドン後の全く清い,正義の楽園に生活する希望に一致して,いま清い生活をしなければなりません。清さを保つことが必要です。
22,23 (イ)私たちの希望が何と一致しているゆえに,私たちは清さを保つための助けを得ますか。なぜそうですか。(ロ)新しく生まれたゆえに,神の霊的な子供は何を捨てるべきであると,ペテロは述べていますか。
22 私たちの希望が実現するものであるためには,神の真理と一致していなければなりません。からだを清潔に保つための洗浄や,沐浴に使う水と同じく,文字に書かれた神のことばの真理は,新世社会を構成する私たちを清め,また清さを保つ働きをします。真理にふさわしく生きることによって,私たちの生活すなわち人間を清めたならば,他にもする事があります。清い方法でそれをしなければなりません。使徒ペテロは,当時大いなるバビロンから出たクリスチャンに対してその事を示しました。
23 「あなたがたは,真理に従うことによって,たましいをきよめ,偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから,互に心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新たに生れたのは,朽ちる種からではなく,朽ちない種から,すなわち,神の変ることのない生ける御言によったのである。『人はみな草のごとく,その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ,花は散る。しかし,〔エホバ〕の言葉は,とこしえに残る』。これがあなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。だから,あらゆる悪意,あらゆる偽り,偽善,そねみ,いっさいの悪口を捨てて,〔性的な欲望を知らない〕今生れたばかりの乳飲み子のように,混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち,救に入るようになるためである。あなたがたは,主が恵み深いかたであることを,すでに味わい知ったはずである」― ペテロ前 1:22–2:3。
24 (イ)ペテロの言葉に一致して,私たちはどの点で「生まれたばかりの乳飲み子」のようになるべきですか。(ロ)従って,どの点においては,全く成人した男女となるべきですか。
24 男の子も女の子も新生児は性のことを知りません。それで不純な性的欲望を抱くことがありません。それでペテロは,クリスチャンが「あらゆる悪意」を捨てなければならないことを述べています。この点において私たちは「今生れたばかりの乳飲み子」のように,純真でなければなりません。そして性の意義と道徳的な自制をわきまえる点においては,十分に成長した男女でなければなりません。使徒パウロはその事を心に留め,コリント会衆に次のように書き送りました。「兄弟たちよ。物の考えかたでは,子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが,考えかたでは,おとなとなりなさい」― コリント前 14:20。
25 (イ)からだの衛生のほかに,何の衛生が必要ですか。(ロ)クリスチャンは,どんな割礼を受けるべきですか。どのようにそれを受けますか。
25 従って私たちは身体のみならず精神の面において衛生的でなければなりません。昔のユダヤ人は,モーセを通して与えられたエホバの律法に従って男子に割礼を施しました。それは衛生的であり,男女ともユダヤ人の健康を守るのに役立ちました。クリスチャンは割礼の律法から解放されていますが,それでも「心に割礼」を受ける心要があります。「霊による心の」割礼がなければ,どんなクリスチャンでも神の目に見て霊的なユダヤ人とはされません。(ロマ 2:28,29)このような割礼を受けるには,神のみ霊が是非とも必要です。
26 健全な精神を保つため,パウロはピリピ書 4章8,9節において何をするように告げていますか。
26 からだの健康にもつながる精神の健康のためには,健全な事柄に何時も心を向けていなければなりません。使徒パウロの言葉は,そのことをすすめています。「最後に,兄弟たちよ。すべて真実なこと,すべて尊ぶべきこと,すべて正しいこと,すべて純真なこと,すべて愛すべきこと,すべてほまれあること,また徳といわれるもの,称賛に値するものがあれば,それらのものを心にとめなさい。あなたがたが,わたしから学んだこと,受けたこと,聞いたこと,見たことは,これを実行しなさい。そうすれば,平和の神が,あなたがたと共にいますであろう」― ピリピ 4:8,9。
27 どんな動機でキリストを宣べ伝えるべきですか。この事をするために,だれの手本が役立ちますか。
27 使徒パウロは,彼が獄につながれていたローマにおいて,彼の敵が悪意のある,不純な動機でキリストを宣べ伝えていると語りました。しかし他方では「善意から,〔キリストを宣べ伝える〕者がいる。後者は,わたしが福音を弁明するために立てられていることを知り……」とも語っています。(ピリピ 1:15-18)そのためにパウロは喜びました。そこで私たちがパウロのことを考え,パウロの行いにならうならば,それは自分を清く保つ助けとなります。
28 天からの知恵を得て賢くなるには,私たちは「第一に」何でなければなりませんか。
28 天の知恵を得て賢くなることは,私たちの願いではありませんか。そうすれば私たちは清い者となります。清くない者は愚かであり,動物的です。弟子ヤコブは,霊的な姦淫を行なう者をいましめる直前に次のことを述べています。「しかし上からの知恵は,第一に清く,次に平和,寛容,温順であり,あわれみと良い実とに満ち,かたより見ず,偽りがない」。(ヤコブ 3:15–4:4)ですから天からの知恵は「第一に清」いことを心にとめて下さい。
29 神の律法を守った昔のイスラエルの場合と同じく,組織を汚れなく,清く保つ私たちの努力はどんな結果を生むはずですか。
29 エホバの証者の新世社会を汚れなく,清く保つことに努めるのは,やはり天の知恵に従った行いです。そのことに常に努める結果は,神の祝福の下に何時も明らかになります。昔のイスラエルについて言えば,エホバの律法と戒めを守ることによって,彼らは異邦の国民を悩ました多くの性病と無縁な,最も健康な国民となりました。(申命 28:1-10,15,27-37)同様に神の公のしもべの組織を汚れなく清く保つ努力によって,私たちは教義の面で清いのみならず,とくに性病のわずらいのない最も健康な社会となります。
30 (イ)組織を清く保つために努力しながら,常にどなたを仰ぐべきですか。それはどんな奉仕の務めのためですか。(ロ)組織を清く保つおもな責任は,どなたのものですか。従っていま私たちはどんな立場におかれていますか。
30 しかし私たちは個人的にも組織としても努力を傾けつつ,王の王イエス・キリストの下におかれた公のしもべの組織の造り主である神を常に仰ぎ見なければなりません。この組織は,神の設立された御国の福音を全国民への証として全世界に宣べ伝える奉仕の務めを完了しつつあります。エホバご自身が,この公の奉仕に携わる組織を清く保つおもな責任を負われています。エホバは,公のしもべとして最も偉大な,その使いイエス・キリストをともなって,裁きのため霊的な宮に来られました。そこで神の民ととなえる人々に次の警告が与えられています。「そしてわたしはあなたがたに近づいて,さばきをなし,占い者,姦淫を行う者,偽りの誓いをなす者にむかい,雇人の賃銀をかすめ,やもめと,みなしごをしえたげ,寄留の他国人を押しのけ,わたしを恐れない者どもにむかって,すみやかにあかしを立てる」。(マラキ 3:1-5)それでいま神の公のしもべの組織は裁かれています。
31 (イ)私たちは,「姦淫を行う者」として神からあかしを立てられる事を,なぜ望みませんか。(ロ)新世社会の中に留まるため,私たち各人は何をしますか。
31 私たちは,「姦淫を行う者」すなわち道徳的に汚れた,清くない者として,偉大な裁き主エホバから証を立てられる事を望みますか。私たちがこのような者である事を示す証拠があれば,エホバはご自身の時が来たとき,必ずその証拠を明らかにされます。そして私たちはエホバの証者の新世社会から出されてしまうでしょう。それは私たちの存在が組織を汚さないためです。しかし私たちは,神の公の奉仕を行なう新世社会に留まることを心から願っていますか。言うまでもなく私たちは,心からそうですと答えます。ゆえに私たちは新世社会を汚れなく清く保つために,各人の分をつくします。それは,神にささげる私たちの公の奉仕のため,神のほまれのためです。
[脚注]
a ニューヨーク市ブロッヒ出版社。