-
アカン,国民全体に災いをもたらした人物ものみの塔 1979 | 5月15日
-
-
は,エルサレムにあったクリスチャン会衆に次のように書き送って,重大な罪を容認したり見逃したりするのは,人を欺く危険なことであることを示しました。彼は次のように注意を喚起しました。「有毒な根が発生して問題を起こし,それによって多くの者が汚されることのないように,そして,淫行の者,またエサウのように神聖な物事の価値を認識しない者が出ることのないようにしなさい。彼は一度の食事と引き換えに初子としての自分の権利を渡しました」― ヘブライ 12:15,16。コリント第一 5:6,7,13と比べてください。
くじがアカンに当たった時,ヨシュアは,彼が罪を犯していることを知っていましたが,それでもアカンを親切に扱いました。ヨシュアはアカンにこう言いました。「我が子よ,どうか,イスラエルの神エホバに栄光を帰し,この方に告白をしなさい。どうかあなたが何をしたのかわたしに告げなさい。わたしに隠してはいけない」。(ヨシュア 7:19,新)アカンは,エホバがくじを正しく導かれたこと,神が自分に怒りを表わされるのは当然であることを認めて,『神に栄光を帰しました』。アカンは「イスラエルで不面目な愚行をし」ましたが,その愚行とは,当時,地上で神を代表していたイスラエルに恥辱をもたらすことにより,神をはなはだしく侮辱した罪です。―ヨシュア 7:15。
国民の間から罪が取り除かれる
次いで,ヨシュアは,アイにおける災いの原因を全イスラエルの前に示し,アカンが罪を犯した張本人であることを立証するため,盗まれた物品をアカンの天幕から持って来て,それを民の前に置かせました。(ヨシュア 7:22,23)神の命令によると,アカンは死刑に処されねばなりませんでした。アカンの家族も天幕も他の持ち物も,焼かれて灰にされねばなりませんでした。パン種のようなこの不純な分子がイスラエルから除かれるためです。アカンの名を口にすることすら忌むべき事柄となりました。アカンがイスラエルの上にもたらした災いを忘れないために,記録によると,アカンが石で打ち殺されて焼かれた後,その灰の上に大きな石塚が積み上げられ,そこはアコル(追放,災難)と呼ばれました。―ヨシュア 7:24-26,新。
中には,アカンの家族を処刑したり,持ち物を破壊したりしたのは不当であると感じている人もいることでしょう。しかし,アカンのこうしたどん欲な欲望がもたらした非難や災いのことを考えてください。それだけでなく,36名の人命が失われたのです。さらに,のろわれた盗品がアカンの天幕の下に埋められている事実をアカンの家の者が知らなかったとは考えられません。―ヨシュア 7:21。
この後,エホバはアイでの戦いに勝利をもたらしました。これは,ヨシュアが正しく行動したことを証拠立てるものです。エホバの裁きは,イスラエルにとって祝福と保護となることが明らかになりました。イスラエルはその後,六年にわたって土地を平定するための戦いを行ない,次々に王を打ち負かしていったからです。その後,だれかがアカンと同様の行動を繰り返したことを示す記録はありません。後代の裁き人の時においてさえ,民は,重大な罪が明らかになると,どんなに多くの命が犠牲になろうとも,その邪悪な者を取り除いて,神のみ前に自分たちの潔白を証明しようと非常な熱意を表わしました。―士師 20章。
-