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クリスチャンの「業」― それには何が含まれますかものみの塔 1978 | 9月1日
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に起因するに違いないことを,宣べ伝え,弟子を作る業は明らかにします。
確かに,クリスチャンにとってふさわしい「業」は少なくありません。そうした業は命の報いを“獲得”するために行なわれる業,その結果としてあたかも神がわたしたちに何かを“負う”ようになる業ではありません。むしろ,それは信仰の業であり,エホバ神が存在しておられ,そのしもべたちに報いを与えてくださるということをその人が信じている証拠です。報いを与えてくださる神に本当に信仰を抱いているなら,他の人々はわたしたちがあらゆる面で神の道とご意志に自分の行動を合わせる点で,また熱心にその音信を同胞に宣明する点で,わたしたちの信仰が働いているのを見ることができるはずです。そうしたふさわしい業という明白な証拠があるときに,クリスチャンの信仰は死んだものではなく,生きていて,活動するものとなるのです。
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エリアブ ― 王の資格に欠けたユダ族の人ものみの塔 1978 | 9月1日
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エリアブ ― 王の資格に欠けたユダ族の人
族長ヤコブの臨終の預言は,その四番目の息子ユダの子孫が支配権を行使する時がいつの日か訪れることを明らかにしていました。ヤコブはこう語りました。「笏[王権]はユダからそれず,命令者の杖[命令をする権威]もその足の間からそれることなく,ついにはシロが来る。もろもろの民の従順は彼のものとなる」。(創世 49:10,新)では,ユダ族の人で王としての権威と権力を最初に行使することになるのはだれでしょうか。
この疑問は,ヤコブがその預言的な声明を出してから600年余りの期間を経て解決されました。預言者サムエルがベツレヘムへ遣わされ,そこでエッサイの息子たちのうちの一人に油をそそぐことになりました。人間の見地からすれば,エッサイの長子エリアブを選ぶのが順当だったでしょう。エリアブは人目を引く容姿をした人で,背が高くて,顔立ちの整った人でした。サムエルはエリアブを見て,「自分の前にいる人こそ,[エホバ]が油をそそがれる人だ」と独り言を言いました。(サムエル前 16:6,口,[新])しかし,そうではなかったのです。エホバの言葉は次のようなものでした。「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見,[エホバ]は心を見る」。(サムエル前 16:7,口,[新])エリアブの生涯に後日起きた出来事は,どうしてエリアブが王の位にふさわしくなかったかをよく物語っています。
ペリシテ人とイスラエル人との間に戦争が起きた時,エリアブはサウル王の軍隊に入っていました。エリアブは他の人々と共に,「……わたしはきょうイスラエルの戦列にいどむ。ひとりを出して,わたしと戦わせよ」というペリシテ人の戦士ゴリアテの挑戦の言葉を聞きました。―サムエル前 17:8-10,口。
エリアブはどんな反応を示しましたか。ゴリアテとの戦いに勝たせてくださる神の能力に信仰を示しましたか。いいえ,エリアブは果敢な立場を取ろうとはしませんでした。彼は残りのイスラエル人と同じ反応を示したものと思われます。聖書はこう伝えています。「サウルとイスラエルのすべての人は,ペリシテびとのこの言葉を聞いて驚き,ひじょうに恐れた」― サムエル前 17:11,口。
ペリシテ人ゴリアテは,40日の間,毎朝毎晩イスラエル人を挑発し続けました。(サムエル前 17:16)この間,エッサイは,エリアブとその二人の弟,および千人の長のために食糧を持たせて,将来王になるようエホバの選ばれた,末の息子ダビデをイスラエルの陣営へ遣わしました。エッサイはダビデに,「兄たちの安否を見とどけて,そのしるしをもらってきなさい」と命じました。(サムエル前 17:18,口)ですからエッサイは,自分の三
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