聖書理解の助け ― 武器,武具
「知恵は主要なものである。知恵を得よ。自分の得るすべてのものをもって,悟りを得よ」― 箴 4:7,新。
武器,武具 聖書では,防御および攻撃用の武具のことがしばしば指摘されていますが,これはそのような武器の用語解説を意図したものではありませんから,武器の製造や利用についての詳細が述べられているわけではありません。サムエル前書 17章4-7節を読むと,聖書時代に用いられていたよろいや武器に関する概念をある程度知ることができます。そこにはペリシテ人の巨人ゴリアテが持っていた装備について記されています。この力のある反対者は最後に,エホバに対する確信を抱く羊飼いの少年ダビデと相対して,打ち負かされました。
特に,ヘブライ語聖書は文字通りの剣,槍,盾その他の武器について再三述べていますが,それと同時に一貫して,エホバに信頼することの必要性や益を強調しています。(創世 15:1。詩 76:1-3; 115:9-11; 119:114; 144:2)ゴリアテに対するダビデの次のような言葉は,エホバに対する信頼の程を明示しています。「あなたは剣と槍と投げ槍とをもってわたしに向かって来るが,わたしはあなたがなぶったイスラエルの戦線の神,万軍のエホバの御名をもってあなたに向かって行きます。この日にエホバはあなたをわたしの手に引き渡し……そして,この全会衆はエホバが剣や槍をもって救うのではないことを知るでしょう。戦いはエホバのものだからです」。(サムエル前 17:45-47,新)軍勢にではなく,エホバの霊に依存するのが肝要で,効果的であることが示されています。(ゼカリヤ 4:6)それで,エホバは,その比喩的な妻,つまりシオンに対する愛を確認して,「あなたに逆らって形造られる武器はどれも効を奏さ(ない)」ということを保証されました。―イザヤ 54:17,新。
クリスチャン・ギリシャ語聖書では,文字通りのよろいや武器はほとんど注目されていませんが,霊的なイスラエルは,「夜はずっとふけ,昼が近づきました。それゆえ,やみに属する業を捨て去り,光の武具を着けましょう」と諭されています。(ローマ 13:12)使徒パウロは,『右手と左手に義の武器』を持っており,霊的なイスラエルの仲間の成員に,「わたしたちの戦いの武器は肉的なものではなく,強固に守り固めたものを覆すため神によって強力にされたものなのです」と語りました。―コリント第二 6:7; 10:4。
パウロはまた,「悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からのよろいを着けなさい」とクリスチャンに勧めた後,「信仰の大盾」や「救いのかぶと」などの霊的な装備について語っているので,わたしたちは古代の武具についてかなり完全な見解を持つことができます。―エフェソス 6:11-17。
特に意味深いのは,預言者イザヤやミカを通してエホバ神がなさった,霊感による約束です。その約束は,「終わりの日」に,エホバによって教え諭される人々が「その剣を鋤の刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変え」ることを保証しています。(イザヤ 2:2,4,新。ミカ 4:3)そのような平和を待望し,エホバに信頼を置いた,古代イスラエルの,義を求める気持ちのある住民のように,霊的なイスラエルの成員と,平和を愛するその仲間の者たちも,『太陽で,盾』であられる神エホバに依り頼みます。(詩 84:11,新)彼らはその王国のもとで「主は,地のはてまでも戦いをやめさせ,弓を折り,やりを断ち,戦車を火で焼かれる」という約束が成就されることを知っています。(詩 46:9,口)ですから,詩篇作者が,「わたしは自分の弓を頼まず,わたしのつるぎもまた,わたしを救うことができないからです。しかしあなた[エホバ]は,われらをあだから救い,われらを憎む者をはずかしめられました。われらは常に神によって誇り,とこしえにあなたのみ名に感謝するでしょう」と宣言したのも,ふさわしいことでした。―詩 44:6-8,口。
胸当て
これは,戦士の胸を守る鎧装の保護物で,鱗状のものや鎖,あるいは堅い金属でできていました。これは鱗とじのよろいの上に着たり,時にはそれに取り付けられたり,その前面の部分をなしたりしていました。
ギリシャ人やローマ人の兵士が着用した胴よろいのあるものは,二つの堅い金属板でできており,一つは胸を,もう一つは背中を守りました。これは肩ひもでつなぎ合わされ,右脇はちょうつがいで合わされ,左脇は締め金で締められました。
使徒パウロによれば,「義の胸当て[ギリシャ語,トラカ]」は,神からのクリスチャンの霊的な武具の一部です。(エフェソス 6:14)パウロはまた,テサロニケの人たちに,「冷静さを保ち,信仰……の胸当てを……着けていましょう」と勧めました。(テサロニケ第一 5:8)啓示の書の象徴的ないなごも,「鉄の胸当てのような胸当て」を着けているものとして描かれ,象徴的な騎兵隊の成員もまた,胸当てを着けていると言われています。―啓示 9:9,17。
鱗とじのよろい
戦いの際に,身を守るために着た上衣。これは布または革の上衣で,その表面には幾百枚もの金属の小片(魚の鱗状のもの)が隣合って取り付けられていました。このよろいは多くの場合,胸や背中や肩を覆いましたが,ひざや,足首にまで達するものもありました。
ヘブライ人の間では,鱗とじのよろい(ヘブライ語,シリヤン)は大抵,金属製の鱗片もしくは板金で覆われた革でできていました。これを着用する者はかなり身を守られましたが,それでも,鱗片がつなぎ合わされている箇所,あるいは鱗とじのよろいが武具の他の部分と隣接している箇所では,傷を受ける恐れがありました。ですから,アハブ王は,「イスラエルの王の[胸当ての]付属物と鱗とじのよろいの間を射た」ある射手により,致命傷を負いました。―列王上 22:34-37,新。
聖書には,古代のイスラエル民族あるいは他の民族により使用された鱗とじのよろいを詳しく描写した記述はありません。元来,イスラエルでは,このような防御用のよろいを着用したのは王や司たちだけでした。しかし,後代にはその使用はそのように制限されませんでした。ですから,ウジヤはその全軍に鱗とじのよろいを備えたのです。―歴代下 26:14,新。
ダビデの敵対者であったペリシテ人,ゴリアテは,「鱗を重ねた鱗とじのよろいを着ていた。その鱗とじのよろいの重さは銅で五千シェケルあった」と記されていますが,その重量は約57キロに相当します。(サムエル前 17:5,新)ダビデは,サウル王から提供された鱗とじのよろいを身に着けてみましたが,その後それを辞退し,そのような扱いにくいものを用いずに巨人を打ち負かしました。―サムエル前 17:38-51。
敵の反対に直面したとき,ネヘミヤと共同してエルサレムの城壁の再建に携わっていた人々の半数の者は,敵の攻撃の際に用いるため,武器と鱗とじのよろい(「鎖かたびら」,欽定)を保持していました。(ネヘミヤ 4:16)エレミヤを通してエジプトに対して述べられたエホバの言葉によれば,鱗とじのよろい(「鎖かたびら」,欽定)は,エジプト人の武具の一つとなっていました。(エレミヤ 46:1-4)この同じ預言者を介して,バビロニア人は,滅びに定められた都市を守ろうとして,「だれも鱗とじのよろいを着て身を起こすな」と告げられました。―エレミヤ 51:3,4,新。
さらに古いエジプト人の鱗とじのよろいは,胸や背中や,腕の上部をも覆うものでした。後代のは主に,肩や胴を守るものでした。しかし,エジプト人の鱗とじのよろいは時には,ほとんどひざにまで達し,腰のところで帯で締め,肩に余り重く掛からないようにされました。戦車に乗り,盾を持って王を守った,アッシリアの戦士は,ニネベ出土の浅浮き彫りに,ひざや足首にまで達する鱗とじのよろいを着用した姿で描かれています。
聖書では,鱗とじのよろいは比喩的な意味でも用いられています。イザヤ(59章17節,新)によれば,エホバは,「義を鱗とじのよろいとして着け」ておられると言われています。
腰帯
古代の兵士の腰帯は,腰の周りに着ける革製のベルトでした。その幅は5ないし15センチと様々で,多くの場合,鉄や銀あるいは金の板金が飾りびょうで付けられていました。そして,戦士の剣が腰帯に掛けられ,その帯は時には,肩ひもでつり下げられていました。(サムエル前 18:4。サムエル後 20:8)短剣は大抵,腰帯に差し込まれました。今日でも,中東では短剣やピストルを同様な方法で携行する人がいます。また,胴よろい,もしくは鱗とじのよろいも同様にして腰のところで固定されたことでしょう。
モアブの王エグロンのもとに行く前に,エホデは剣を造り,「それを衣の下,右のももの上に帯び」ました。(士師 3:15-17,口)メシアなる王もまた,そのももの上に剣を帯びて,『真理と謙遜と義のために乗り進む』ことになっていました。―詩 45:3-6,新。
腰帯をゆるめることは,気楽にすることを意味し(列王上 20:11),腰に帯を締めるということは,行動あるいは戦いの備えをすることを意味しました。(出エジプト 12:11。列王上 18:46。ペテロ第一 1:13,1950年版,英文新世界訳,脚注C)使徒パウロが,神から与えられた霊的な武器を身に着けたクリスチャンに,「それゆえ,真理を帯として腰に巻き(なさい)」と訓戒したのもふさわしいことでした。―エフェソス 6:14。
盾
すべての古代民族が用いた,幅の広い防御用の武具。それには内側に取っ手が取り付けられており,戦闘の際,普通,戦士はそれを左腕に掛けたり,左手で持ったりして運びました。もっとも,進軍の際には,肩帯でつるされたと考えられます。イザヤ書 22章6節は,戦闘の際には取り外される覆いの付けられた盾があったことを示唆しています。平和の時には,盾は大抵,兵器庫に置かれていました。―雅歌 4:4。
昔,用いられた盾は,多くの場合,木製で,革で覆われていたので,そのような盾は燃やすことができました。(エゼキエル 39:9)盾には油が塗られましたが,それは盾を柔軟にし,湿気に侵されたり,さびたりしないように,あるいは盾を滑らかで,よくすべるようにしておくためでした。(サムエル後 1:21。イザヤ 21:5)革の盾は大抵,その中央部に金属製の堅い突起の飾りが付けられており,それが防御力を一層増すものとなりました。(ヨブ 15:26)近東の盾は普通,破壊されやすい物質で造られたので,実際の発掘物によってではなく,エジプトやアッシリアの数多くの浮き彫りから,その性質や様々の形状が知られています。
木製や革の盾は普通に用いられていましたが,金属製の盾は余り一般的ではなく,特に指導者や王の護衛兵によって用いられたり,恐らく儀式のためにも用いられたりしたようです。(サムエル後 8:7。列王上 14:27,28)ソロモンは大盾200個と,合金にした金の丸盾(小型の盾)300個を造り,これをレバノンの森の家に置きました。(列王上 10:16,17。歴代下 9:15,16)レハベアム王の第五年に,エジプトの王シシャクはエルサレムに攻めて来て,エホバの家と王の家の財宝を奪いました。その中には,ソロモンの金の盾も全部入っていたので,レハベアムはその代わりに銅の盾を備えなければならなくなりました。―列王上 14:25-28。
大盾(ヘブライ語,ツィンナーで,「保護する」という語根から来ている)は,重装歩兵が携えましたが(歴代下 14:8),時には盾持ちが運びました。(サムエル前 17:7,41)それは長円形か,さもなければ戸のような長方形でした。明らかに,エフェソス 6章16節では,ギリシャ語ティレオス(戸という意味のティラから来た)によって同様の大盾のことが指摘されています。ツィンナーは全身を覆うに足るほど大きなものでした。(詩 5:12)時には,これを用いて,槍を突き出し,堅固な戦闘最前線が作られました。大盾(ツィンナー)は一般的な武器のことを指す一種の表現として,槍あるいは長槍と共に指摘される場合があります。―歴代上 12:8,34。歴代下 11:12。
小盾あるいは丸盾(ヘブライ語はマゲンで,「防御する」もしくは「覆う」を意味する語根から来た)は習慣上,射手たちによって運ばれ,普通,弓などの軽量の武器と結び付けられています。例えば,これはユダの王アサの軍勢のベニヤミン人の射手によって運ばれました。(歴代下 14:8)小盾は普通,丸くて,大盾(ツィンナー)よりももっと一般的でした。これは恐らく,主に白兵戦で用いられていたからでしょう。ヘブライ語のツィンナーとマゲンが大きさの点でかなり異なっていたということは,ソロモンの造った金の盾,つまり大盾(ツィンナー)が小盾もしくは丸盾よりも4倍も多くの金をかぶせられていたことによって示唆されているようです。(列王上 10:16,17。歴代下 9:15,16)マゲンも,ツィンナーと同様,一式の武器の一つとして用いられたようです。―歴代下 14:8; 17:17; 32:5。
聖書はまた,特に円盾(ヘブライ語,シェレト)のことを指摘しています。そのような盾が,ヘブライ人,シリア人,メディア人その他の民族によって使用されました。―サムエル後 8:7。歴代上 18:7。列王下 11:10。歴代下 23:9。雅歌 4:4。エレミヤ 51:11。エゼキエル 27:11。
エジプト人の普通の盾は,木製のわくでできていたようで,獣皮で覆われ,毛は外に向いていました。それには一つか,または二つ以上の金属製の縁や飾りびょうが付いており,上端は円形で,下端は四角張っており,兵士の身長の半分位ありました。ラムセス二世の墳墓から出た浮き彫りに示されているように,使用されたもう一つの種類は円盾で,その浮き彫りには,護衛兵の一人がその種の盾を持っている様子が描かれています。
アッシリア人は様々な種類の盾を使用しました。古代アッシリアの浅浮き彫りには,円盾や長方形の盾が出て来ます。それらは大抵,枝編み細工でできており,獣皮で覆われていました。弓の射手はほとんど等身大の大盾で守られましたが,明らかにその盾は,編んで詰め物をしたこりやなぎの枝(柳その他同様の木の枝)の束を一緒にして造られました。このような盾は,その大きさのゆえに,盾持ちが運ばなければなりませんでした。この盾は上端が後方に曲がっていて,射手の頭上に天蓋のようになり,ほとんど垂直に落下して来る恐れのある敵のひょろひょろ矢や,高い城壁の上の敵から射手を守りました。青銅の円盾がニムルードで発見されましたが,そのうちの一つの盾は直径が約80センチありました。盾の内側には六つのほし,あるいはびょうくぎで鉄の取っ手が付けられており,その頭部は盾の外側の飾りとなっていました。ヨブ 15章26節はこれと同様の盾のことを言及しているのかもしれません。セナケリブ王のニネベの王宮から出た浮き彫りは,丸い盾を携えているアッシリア人の兵士を示していますが,その盾は中央部に向かって盛り上がり,中心部が突起点となっていて,敵の武器や飛び道具による打撃をそらす役目をしていたようです。
初期のギリシャ人やローマ人の大盾(ギリシャ語,アスピス; ラテン語,クリペウス)は,元来円形で,時にはこりやなぎを一緒に編み合わせたものでできていました。また,木製のわくで造られ,数枚の牛皮で覆われたものもあります。中心部の突起は,時には大くぎ状になっていて,それが一種の武器となりましたが,同時にその先端部は飛び道具を盾からそれさせる働きもしました。ローマ兵の場合,クリペウスはやがて用いられなくなり,代わってスクタムと呼ばれる長円形あるいは長方形の盾が使われました。それは湾曲していたので,部分的に体を取り固めました。各々のローマ兵の名(そして時には司令官の名)が各自の盾に刻まれていたので,武器を取り出すようにとの命令が出されるとき,早く見分けるのに役立ちました。使徒パウロがエフェソス 6章16節で,「信仰の大盾[ギリシャ語,ティレオン]」について指摘したとき,恐らくローマ人の大盾(スクタ ロンガ)のことを考えていたのでしょう。この種のローマ人の盾は,高さ約1メートル20センチ,幅約80センチであったと言われています。
聖書は,民の保護者としての貴人や支配者(詩 47:9),エホバの真実さ(詩 91:4),神の保護(創世 15:1。申命 33:29。サムエル後 22:3,31。詩 3:3; 18:2,30; 28:7; 33:20; 59:11; 84:11; 115:9-11; 144:2),それにエホバからの救い(サムエル後 22:36。詩 18:35)に関連して,盾のことを比喩的に用いています。クリスチャンにとって「邪悪な者の火矢をみな消す」のに必要な,エホバ神からの霊的な武具には,「信仰の大盾」が含まれています。―エフェソス 6:16。