神のみことばにこたえてあなたの進歩を明らかにしなさい
「いずれにしても,自分がこれまで進んだところにしたがい,同じ手順にしたがって整然と歩み続けてゆこう」― ピリピ 3:16,新
1 クリスチャンの進歩は,信仰の仲間にどんな健全な影響を与えますか。
ひとりのクリスチャンの着実な進歩は,進歩している当人に深い満足感をもたらすだけでなく,仲間のクリスチャンにも励みを与え,喜びとなります。自分の援助している聖書研究生が,聖書の正確な理解を得るため,真理をつぎつぎに吸収して進歩すれば,それはほんとうに大きな喜びです。そして神に献身し,水のバプテスマを受けるまでに進歩したときには,彼らとわたしたちの喜びは最高点に達します。新しい人が,会衆の「ものみの塔」研究で,はじめて注解したり,神権宣教学校ではじめて研究生の話をしたりするとき,あなたの胸はおどらないでしょうか。若い兄弟が進歩し,公開講演者に要求されるクリスチャンとしての円熟性を身につけて,内容のよく練られた初めての公開講演を,いくぶん緊張して行なうとき,あなたはどう感じますか。わたしたちはみな,そうした進歩によって励まされないでしょうか。神のみことばにこたえて明らかにされる進歩は,人を命に導くものであることをわたしたちは知っています。また,もしわたしたちの進歩が他の人に励みを与えるのであれば,これはわたしたちが進歩すべきいまひとつの良い理由とはならないでしょうか。使徒パウロも,テモテ前書 4章15,16節(新)で,若いテモテにそのとおりのことを述べています。「自分と自分の教えとに絶えず注意を払いなさい。これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは自分と自分のことばを聞く者とを救うことになるからである」。
2 (イ)神のみことばが,進歩を促す強い力をもつことについて述べなさい。(ロ)わたしたちの耳は今日どんな方法で,わたしたちを導く『言葉をうしろに』聞きますか。
2 わたしたちの進歩を促す神からの強い力があります。ヘブル書 4章12節(新)はわたしたちにこう告げています。「神のことばは生きていて,力を出し,どんなもろ刃の剣よりも鋭く……心の思いと意向とを見分けることができるからである」。神のみことばはなんと大きな識別力と洞察力とを宿しているのでしょう。そこには,わたしたちを教え,正しくし,わたしたちの神エホバに奉仕したいという強い願いを心に抱かせるものがそろっています。神は,この不法の時代に日々直面する難問題の対処に必要な助言と指示とを与えずに,わたしたちを放置するようなことはされていません。神はわたしたちのそうした必要を見越しておられました。預言者イザヤは,神の真のしもべたちが「終わりの時」に楽しむ霊的な繁栄を霊感のもとに描写したあと,エホバがその民を導かれる独特の方法を予告しています。「あなたの師は再び隠れることはなく,あなたの目はあなたの師を見る。また,あなたが右に行き,あるいは左に行く時,そのうしろで『これが道だ,これに歩め』と言ふ言葉を耳に聞く」。(イザヤ 30:20,21,口語)このわたしたちの「うしろで……言う言葉」とは今日何を意味しますか。それはわたしたちの偉大な師エホバが,文字に書かれたそのみことばと,その組織とを通して,いまわたしたちに語りかけられることばにほかなりません。洞察力をもって耳を傾け,理解の目を開くならば,それは偉大な師と相対してそのことばを聞き,また師を見ているのと同じです。わたしたちがどこをどう歩むべきか迷わないように,偉大な師のみことばはわたしたちの道を明るく照らしています。それに注意を払えば,右にも左にも曲がることなく,命への道をまっすぐに進むことができます。
3 エホバは進歩という点でわたしたちに何を期待されますか。
3 エホバは,エホバを知るようになった人すべての着実な進歩を期待する権利をおもちです。エホバのみことばを勉強するとき,わたしたちはエホバが人類にさしのべられた過分の恵みと,人間の永遠の福祉のために設けられたご準備とを知ります。エホバはわたしたちがその中で霊的に成長するように,愛にみちた環境を備えてくださいます。エホバはわたしたちが知識を取りいれ,心を新たにし,エホバに献身し,クリスチャンとして円熟するための時間を与えてくださいます。エホバはこれが一日のうちに起こるとは期待しておられません。しかしわたしたちが霊的に着実に成長することはたしかに期待しておられます。進歩の段階においては,神のみことばをあますところなく生活に生かすために,ある生活様式や,考え方は,改めるか,完全に捨てる必要がしばしばあります。ヤコブ書 1章21,22節,〔新〕にはよい助言がしるされています。「さればすべての穢と溢るる悪とを捨て,柔和をもてその植えられたる所の〔魂〕を救ひ得る言を受けよ。ただ御言を聞くのみにして,己を欺く者とならず,これを行ふ者となれ」。
4 なぜある人は霊的にあまり,あるいはすこしも進歩しないのでしょうか。
4 今日,多くの人々は,御国の音信に接しても,神のみことばにこたえようとせず,命に通ずる狭い道を前進しません。最初それにこたえる人も,生活のわずらいその他の事柄のために進歩の速度をおとしてしまいます。(マタイ 7:13,14。ルカ 8:11-14。ヘブル 6:1)これは普通,真理を認めないとか,ある教理を信じないからではありません。多くの場合,個人または家庭の問題が生じていて,よく調べてみると,それらの問題も,聖書の原則を十分生活に生かさないために起こっていることが少なくありません。ある男がイエスに,「主よ,救はるる者は少きか」と尋ねました。イエスは,「力をつくして狭き門より入れ。我なんぢらに告ぐ,入らん事を求めて入り能はぬ者おほからん」と答えられました。(ルカ 13:23-25)生活の仕方にかんする聖書の助言に従って進歩しつづけることは容易ではありません。しかしそれでもエホバの「戒めはむずかしいものではない」のです。イエスがわたしたちに負うことをすすめられたくびきは確かに軽いものと,わたしたちは確信しています。―ヨハネ第一 5:3,4,口語。マタイ 11:28-30。
5 分別のない結婚を避けさせるため,神のみことばはどんな助言を与えていますか。
5 たとえば,ある人は結婚したいと思うでしょう。聖書には,「ただ主にある者とのみ」結婚すべきである,と教えられています。(コリント前 7:39,新。コリント後 6:15)それにもかかわらず,自分と違ってまだ献身したクリスチャンとなっていない異性に心を寄せる場合があります。そして感情に負けて,神のみことばに反する道を心の中で正当化しはじめます。不信者との結婚は,不必要な心配と,信者の信仰を危うくするような状態をもたらす結果になるおそれがあります。そのような関係を避け,もしくは断つことは,一時は苦痛かもしれません。しかし神のみことばに従い,正しい方向にむかって進歩すれば,後日たいへん感謝することになるでしょう。
6,7 (イ)クリスチャンの家族が正しく進歩するためには,どんな原則を導きとすべきですか。(ロ)子供たちが命の道を歩みつづけるには何が必要ですか。
6 かしらにかんする原則についても考えてごらんなさい。夫また父親を愛情あるかしらとし,母親と子供たちがそのかしらの権を重んずる家庭はなんと幸福な家庭でしょう。しかし,妻が家族を支配しようとしたり,夫がかしらの権を乱用して無慈悲な独裁者になる傾向があれば,どんなにいやなことでしょう。家庭は混乱に陥ります。そこにしあわせはありません。家族の心は病み,やがてみなわが道を行くことを考えるようになるでしょう。―エペソ 5:21-23。コロサイ 3:18,19。
7 神のみことばは子供のしつけについても多くのことを述べています。子供たちが歩む方向は,両親が神のみことばにもとづいて与える,愛のこもった,それでいて毅然とした訓練に負うところが大きいのです。必要なところでは懲らしめもさし控えません。若い人々が成長しても,この世に迷い出て飲みこまれることなく,真理と神の組織につき従うのを見るとき,クリスチャンの両親も,わたしたちほかの者も大きな満足をおぼえます。―エペソ 6:1-4。コロサイ 3:20,21。箴言 1:8; 13:24; 22:6。
8 ある人はどんな悪習のために進歩をはばまれていますか。
8 霊的な進歩は多くの事柄によってはばまれることがあります。世から出たあとでも,あなたはまだいくつかの悪いくせ,または習慣に支配されているかもしれません。たとえばある人は,健康に悪いことをだれもが知っている喫煙,または他の方法でたばこを使用する習慣にすっかりとらわれています。そして自制心とエホバに対する信仰が弱くて,その悪習の支配から脱することができないために,肉体的にも霊的にも徐々に弱くなり,良心の責めを感じています。この種の事柄において意志が弱ければ,他の重要な問題を扱うさいにもそれがしばしば反映します。また,感覚を鈍らす食べすぎや飲みすぎが,あなたの進歩の速度を遅くしているかもしれません。過度の快楽は肉の欲を満たしますが,しだいに時間と精力を奪い,人をして神よりも快楽を愛する者にしてしまいます。(テモテ後 3:4)聖書は肉と霊との間に大きな戦いがあることを教えています。どちらが勝つかは,わたしたちの考えかたによって決まります。―ロマ 8:12,13; 12:1,2。
9 わたしたちの考え方やことばはどれほど重要なものですか。
9 この世的な考えとことばは確かに進歩をはばみます。神のみことばはつぎのように戒めています。「聖徒たるに適ふごとく,淫行,もろもろの汚穢,また慳貪を汝らのうちにて称ふることだにすな。また恥づべきことば・愚なる話・戯言を言ふな,これよろしからぬ事なり,むしろ感謝せよ」。偉大な師のこの明確な助言に従うならば,わたしたちは,みだらな,あるいは汚れた考えを捨てて心を清め,まじめなこと,正しいこと,清いこと,愛すべきこと,良く言われること,徳とされること,賞賛に値することを考えなさい,というピリピ書 4章8節のよい助言を守ることができます。―エペソ 5:3,4; 4:29-31。テサロニケ前 4:3-8。
10 悪い交わりが進歩を遅らすことについて述べなさい。
10 では他の人たちとの交際はどうですか。それは正しい種類の交際ですか。「悪しき交際は善き風儀を害ふなり。」この世的な人たちと親しく交われば,彼らの態度,野心,生活様式の影響を受けないわけにはいきません。あなたを霊的に強めることができ,あなたがエホバのみ前でもつ希望と,霊性と,清い良心とをこぼつことのない人々と交わることを,あなたの目標にしてください。―コリント前 15:33。ヤコブ 4:4。
11 わたしたちは金銭や持ち物に対してどんな見方をすべきですか。
11 またこの世で暮らしをたてていれば,ここにも注意を要する事柄がたくさんあります。まず,深入りしすぎて,金と金がもたらす力とを愛しはじめてはいないでしょうか。多くの人がこれを愛して信仰から迷い出,多くの苦痛をもって自らを刺し通した,という聖書の忠告を忘れてはなりません。必要なものがあれば,それで満足し,信心があって足ることを知るのは大きな利得です。―テモテ前 6:6-10。
12 (イ)普通の職業はどのように進歩をはばむことがありますか。(ロ)どんな聖書の原則は,正しい見方を保つ助けになりますか。
12 つぎにわたしたちは,生活に必要な物を得るためにこの世で働くとき,正直で正しくなければならないと教えられています。わたしたちのしていることは法にかなっていますか。品位がありますか。クリスチャンが守るべき中立の原則と両立しますか。(エペソ 4:25,28。イザヤ 2:4)精神的にも肉体的にもそれが主要な仕事ではなく,むしろ御国奉仕に従事する自分と家族の生活とをささえるための単なる手段ですか。真のクリスチャンが,悪魔の支配する,獣のような政治組織と提携し,その激しい国家主義に共鳴している者と見られないような仕方で,生計を立てることはますます困難になってきていますが,わたしたちは中立を堅く保って,神に逆らうその目的達成のために自分たちの心と手を貸すことがないようにしなければなりません。(黙示 13:16,17)妥協してこれらの原則を曲げるなら,わたしたちの熱意はさめ,自分はエホバに対する清い奉仕にふさわしくない,と感じはじめます。そして進歩は遅くなり,結果として立ち止まってしまうか,わき道にそれることさえあります。コリント後書 7章1節のパウロの助言はまったく適切です。「されば愛する者よ,われらかかる約束を得たれば,肉と霊との汚穢より全く己を潔め,神を畏れてその清潔を成就すべし」。賢明にも彼は,進歩を願う人々につぎのようにすすめています。「すべての重荷とまとへる罪とを除け,忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはし……るべし」― ヘブル 12:1。
13 霊的な事柄を第一にするための態勢を整えるさい,何を必要とすることがありますか。
13 ハルマゲドンの戦いの直前にあって進歩し,歩みを早めようとするとき,わたしたちは,必要なことすべてを予定表に入れるのが少々むずかしいことに気づくかもしれません。集会,個人の勉強,宣教活動などは,みな第一の場所を占めねばなりません。もしこれらがうまく予定表にはまらなければ,その予定表は,時間をとる,たいして益にならない事柄が場所をとりすぎているか,または,大切なことを先にし,それからあまり重要でないことをするように物事を組織していないのかもしれません。わたしたちはエペソ書 5章15,16節でこう告げられています。「それであなたがたは,〔どのように前進するかに〕十分に注意して,賢くない者でなく,賢い者のように歩き,自分のために,よい時間を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからである」。神権的な仕事が多すぎると感じないように,わたしたちはつぎのような賢明な助言を与えられています。「然れば我が愛する兄弟よ,確くして揺くことなく,常にはげみて主の事を務めよ,汝等その労の,主にありて空しからぬを知ればなり」― コリント前 15:58。
進歩の例
14 (イ)ヨナダブとはだれですか。彼はエヒウの誘いにどのように応じましたか。(ロ)ヨナダブが直ちに応じたことは何を予表しましたか。
14 以前に書かれた事柄はわたしたちの教えのためであると聖書は述べています。それでわたしたちはこれからしばらく,神のみことばにこたえて,進歩を明らかにした昔の忠実なしもべたちの例をいくつか考えてみましょう。あなたはレカブの子ヨナタブをご存じかもしれません。彼は生まれながらのイスラエル人ではありませんでしたが,真の崇拝に熱心でした。列王紀略下 10章15,16節(口語)の告げるところによると,彼は,猛然と車を駆ってイスラエル内のバアル崇拝者を殺しに行く途中のエヒウ王を迎えに出ました。エヒウはヨナダブを見て,彼も一緒に行くかもしれないと考え,「あなたの心は,わたしがあなたに対するように真実ですか」と尋ねました。答えにはなんのためらいもありませんでした。「ヨナダブは『真実です』と答え」ました。彼は直ちに車にひき上げられ,ふたりは走り去りました。ヨナダブは,真の崇拝を率先して押し進めたエヒウや他の人々と公に交わることをすすめられて,積極的にそれに応じたのです。油そそがれた人たちの残れる者が,常にエヒウに見習わねばならないのと同じく,ヨナタブの予表した今日の「他の羊」は,ヨナダブと同じく,積極的に応ずる態度を保たねばなりません。そして,まもなく滅ぼされる悪魔とそのすべての支持者に対するエホバのさばきの宣明において,今日地上にいる主の油そそがれた人々とともに積極的に行動しなければなりません。ヨナダブはその非常によい模範です。
15 (イ)預言者ナタンは,ダビデが罪の道に陥った真の理由が何であると指摘しましたか。(ロ)ダビデが,懲らしめを必要とする人たちの模範であることについて述べなさい。
15 ではつぎに,すこし違った観点からひとつの例を考えてみましょう。ダビデはエホバに全き献身をしたことで知られていますが,彼が一度重罪を犯したことをわたしたちはおぼえています。聖書にしるされているこの事件から,わたしたちは自分の進歩に役だつどんなことを学びとりますか。まずサムエル後書 12章7-12節をごらんください。そうすれば預言者ナタンがダビデの罪をいかに勇敢に指摘しているかがおわかりでしょう。9節ではダビデが姦淫のみならず殺人まで犯したいきさつが述べられてはいませんか。「なんぞ汝エホバのことばをかろんじてその目のまへに悪をなせしや」。ダビデはあきらかに,殺人,姦淫,他人の妻をむさぼることにかんする第六,第七,第十の戒めを無視したのです。しかしダビデはどんな反応を示しましたか。預言者に向かい昂然と,よけいなせわだ,と言って,まちがった方向に歩みつづけたでしょうか。答えは13節にあります。「ダビデ,ナタンに言ふ 我エホバに罪を犯したり」。こうしてダビデは直ちに罪を認め,懲らしめに応じました。詩篇 51篇にある,許しと清めとを願う心からの神への祈りは,その結果でした。(この詩篇の表題をごらんください)そこで質問が生じます。わたしたちは助言されるときにどんな態度で応じますか。ふたたび正しく進歩できるように,謙そんに自分の非を認め,懲らしめを受けますか。一時はつらくても,『エホバは愛する者を懲らしめられる』ということを心にとめて,ダビデのように神のみことばにこたえ応じましょう。―ヘブル 12:4-11。
16 さらに多くの特権にあずかるようにというすゝめにこたえる点で,使徒たちは今日のわたしたちにどんなすぐれた模範を残しましたか。
16 神の指示を受け入れ,直ちに行なうという点で,わたしたちにりっぱな模範を示したのは使徒たちです。マタイ伝 4章18-22節の記録によると,イエスは公けの宣教をはじめられてまもないころ,ガリラヤの海で漁をして暮らしをたてていたシモンとその兄弟アンデレに近づき,「我に従ひきたれ,さらば汝らを人を漁る者となさん」と言われました。彼らはそれができない理由をならべたてましたか。そうではありません。彼らは「直ちに網をすてて従(ひ)」ました。そのすぐあとヤコブとヨハネも同様にこたえ応じ,「直ちに舟と父とを置きて従」っています。わたしたちも,生活の中で宣教を常に第一にするために,使徒のように進んで犠牲を払いますか。使徒たちが漁をやめたように,この世のよい職業を進んでやめ,開拓奉仕や,御国奉仕者の必要の大きなところでの奉仕のために,必要な物だけで満足しますか。「ものみの塔」誌や御国奉仕をとおして宣教を拡大するようすすめられるとき,わたしたちは偉大な師の声を認めますか。わたしたちは自分が進歩するなんとよい機会に恵まれているのでしょう。
17 神のことばは,正しい進歩を確実にするどんな助言をエホバの若い奉仕者たちに与えていますか。
17 若いエホバの奉仕者たちは,宣教において進歩したテモテの模範にしばしば注意をうながされてきました。テモテは神のみことばを信じた母親と祖母の語ることに耳を傾けました。またパウロのような古い兄弟たちの助言に従いました。パウロはこう書いています。「これらの事柄をよく考え,あなたの進歩がすべての人に明らかになるよう,これらのことに専念しなさい」。あなたがた若い人々は,テモテのように,あなたの若い日にあなたの偉大な師のことばにこたえ応じていますか。正しく進歩するため,母のようなエホバの組織に注意を払っていますか。両親に従順ですか。組織内の古い人の助言を受け入れますか。命に導くエホバのつぎの賢明な助言をよく考えてください。「我子よ汝の父の誡命を守り汝の母の法をすつるなかれ それ誡命は燈火なり法は光なり教訓の懲治は生命の道なり」― テモテ前 4:15。箴言 6:20,23。
18,19 円熟してゆく若い兄弟姉妹にはどんな特権が差しのべられていますか。
18 それからあなたは,エホバのこらしめと権威ある助言の中で成長するにつれ,さらに大きな奉仕の特権にあずかろうとして努力していますか。あなたはこの点でもテモテのようですか。その時若くしてすでに監督であったテモテは,パウロの慈愛に満ちたつぎの助言に応じました。「汝これらの事を命じ,かつ教えよ。なんぢ年若きをもて人に軽んぜらるな,反って言にも,行状にも,愛にも,信仰にも,潔にも,信者の模範となれ。わが到るまで,読むこと勧むること教ふる事に心を用ひよ……賜はりたる賜物を等閑にすな」― テモテ前 4:11-14。
19 開拓奉仕をしたり,ベテルで奉仕したり,ギレアデを出たあと宣教者になったりする,なんとすばらしい,報いのある特権が若い兄弟姉妹たちに開かれているのでしょう。テモテのようにあなたの進歩を明らかにしてください。使徒パウロのような人から,彼がテモテについて述べたようなことばで推薦されたら,あなたはどんな気持ちがしますか。「そは彼のほかに我と同じ心をもて真実に汝らのことを慮ぱかる者なければなり。人は皆イエス・キリストの事を求めず,ただおのれの事のみを求む。されどテモテの錬達なるは,汝らの知る所なり,すなはち子の父におけるごとく我とともに福音のために勤めたり」。なんというすばらしい推薦のことばでしょう。テモテはわたしたちのなんとすぐれた模範でしょう。―ピリピ 2:20-22。
20 進歩しつづけていることは,どんな実際的な面にあらわれますか。
20 若い人でも年を取った人でも,進歩できる面は非常にたくさんあります。それは家庭聖書研究を進んでひきうける態度に現われます。以前なら,自分には司会する力がないとか,それだけの時間がないと考えたかもしれません。またそれは,霊的に弱くなった兄弟あるいは姉妹を助ける機会のつくりかたにも現われます。特権は毎日わたしたちの前にあり,わたしたちがそれを捕えて,真の崇拝の発展に資するよう,わたしたちを招いています。もしわたしたちが神のみことばにこたえ応じて,愛の助けを与える機会を求めるなら,ひるむことはないでしょう。
21 神の組織と多年交わっていようと,あるいは最近交わりはじめたばかりであろうと,わたしたちには何が見られなければなりませんか。
21 そこでこういう質問が生じます。わたしたちは現在クリスチャンとしてどこまで進歩していますか。「その道」を歩み始めたばかりですか。年は若いですか,それともエホバに長く奉仕して年を取っていますか。霊的に成長していますか,それともまだ真理の初歩にとどまっていますか。どんな状態にあろうと,またはすでに大きな進歩をとげていようと,わたしたちは,自分の着実な霊的成長を自覚していますか。周囲の人々はわたしたちの進歩が明らかなのをみて,ほめるとかうらやましく思うのではなく,励まされ,鼓舞されて信仰を深め,よいわざを増し加えていますか。あなたの家族にも,書籍研究の群れにも,そうです,会衆のすべての人に,あなたの着実な進歩をみせてください。毎週毎週,特別の援助をしてもらうのではなく,むしろ他の人を助ける側になって円熟してゆくところをみせ,しもべたちの心を喜ばせてください。パウロはすすめています。「ともかく,わたしたちは,進歩したところに従って,規則正しく歩みつづけようではないか。兄弟たちよ,あなたがたはともにわたしにならう者となりなさい。そしてあなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩む人たちに,常に目をとめていなさい」― ピリピ3:16,17。ヘブル 6:1。
22 神のみことばに一致して進歩をつづける人にはどんなよい報いがありますか。
22 また進歩と言えば,わたしたちは,霊的な意味においても進歩していますが,時間の面でも前進していることを常に記憶しなければなりません。わたしたちは,神の新しい秩序にはいるまさに入口にいるのです。もし着実に進歩をつづけるなら,わたしたちはやがて,きたるべき大患難を通過し,悪魔の支配する邪悪で腐敗した事物の体制が,わたしたちの周囲からあとかたなくぬぐい去られるのを見る特権にあずかるでしょう。悪魔の事物の体制は,ハルマゲドンの高熱で溶け去ってしまうでしょう。神のみことばにこたえて進歩を明らかにした人以外には,生きていないでしょう。箴言 3章1,2節にある,「我が子よわが法を忘るるなかれ,汝の心にわが誡命をまもれさらばこのことは汝の日をながくしいのちの年を延べ平康をなんぢに加ふべし」というエホバの助言を日ごと心にとめていたことを,わたしたちはどんなにうれしく思うことでしょう。
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両親が神のことばにこたえるよう訓練すれば子どもたちは正しい方向に進む