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神の子を見分けるものみの塔 1966 | 10月15日
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であったからである。彼はユダヤ人や異邦人の多くを自分のもとに集めた」。
イエスが予告どおり自分の民に退けられ,死刑に処せられたのは歴史の事実です。歴史家タシタスは,イエス・キリストの使徒のある者がまだ生きていた西暦54年に生まれた人ですが,次のようなことばを残しています。「キリストは……チベリウスの治世に,太守のひとりポンテオ・ピラトの手によって極刑を受けた」。―「年代記」15巻44。
最後に,イエス・キリストが殺されたのは,ダニエルの預言が示したとおり西暦33年です。そして彼が死んだのはニサンの14日,すなわち秋のチスリの月に始まる太陰年の半ばです。その3年半後に「七十週」目は終わりましたが,それをしるしづけたのは異邦人コルネリオが聖霊をそそがれたことです。「ユダヤ古事記」のウイストン訳の脚注はイエスが刑柱上で死んだ日を西暦33年4月3日(ユリウス暦)としています。これはヘブル暦ではその年のニサン14日にあたります。また,タルムッド論文(無削除版)「サンヘドリン」の4の2によれば,ユダヤ人の口伝の中でも,イエスが死んだのはニサンの14日すなわち春とされており,ダニエルの預言に合致します。
それゆえ,系図,誕生のしかたと場所,仕事の特徴,年代などに関する預言のすべにかなうのはイエス・キリストであり,識別の円錐はイエスが神の子であることを明示しています。神はみ子であるメシヤについてきわめて正確な予告をされたではありませんか。命を望む人々はイエスがメシヤであることに最大の注意を払うでしょう。なぜなら,メシヤは約束されたアブラハムの子孫であり,このモーセより偉大な預言者である全能の神のみ子を信じ,その戒めに従うなら,地上の全家族は祝福を得るからです。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 10月15日
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読者からの質問
● 列王紀上 7章23節と歴代志下 4章2節で,ソロモンの宮の庭にあった,円形の鋳物の海は,縁から縁まで10キュビトで,「その周囲は綱をもって測ると三十キュビトあった」と説明しています。この二つの数値で円がなりたつことはあり得ないのですが,正しいでしょうか。―アメリカの一読者より
ここで記述者が大きなまちがいをしていると考える理由はありません。列王紀上を記録したエレミヤも,歴代志下を書いたエズラも神の霊感のもとにこの説明を記録した,信頼のおける人々です。
今日,数学上の計算では,直径に対する円周の比を示す円周率のπ(パイ)を使っています。普通の計算によると,円周率の数値は3.1416です。しかし,昔は,小数点以下の計算はしませんでした。その点では,πは正確に3.1416ではありません。完全な正確さを要求する人で,聖書にしるされている鋳物の海の寸法はまちがっていると考える人は,より精密に計算をしようと思えば,3.1415926535という超越数でも使えますが,少なくとも円周率を少数点以下第8位まで計算して,3.14159265とするのが適当であるのに気づくべきでしょう。
聖書注釈者のクリストファー・ワーズワースは,鋳物の海の寸法に関して興味深い研究をしたレーニンという人のことばを引用しています。「アルキメデス〔紀元前3世紀〕の時代までは,円周は半径を使って直線に計った。ヒラムが海を測って,周囲が30キュビトと説明したのは当然である。彼は当時の習慣に従い,鋳物の海の半径5キュビトで周囲,すなわち「縁」を6回測って30キュビトと述べたのだ。このくだりでは,当時ヒラムのように熟練した職人がみな使っていた方法で円周をはかり,だれもがわかることばで,海の容積を示す以上のことは意図されていなかったようである。勿論ヒラムは,半径を一辺とする,円に内接した六角形の辺の長さが30キュビトであり,曲線の周囲は実際にはもっと長いということをよく知っていたにちがいない」。
列王記上 7章23節と歴代志下 4章2節によると鋳物の海は,さしわたし10キュビト,すなわち約4.57メートルであり,周囲は直線で測って30キュビトすなわち,約13.72メートルありました。これは,1対3の割合で,すぐにわかるようなおおざっぱな記録としてはまちがいとは言えないものでした。そういうわけでエレミヤとエズラは,およその数字を記録しました。思慮深い聖書研究者なら,もちろんそれで満足します。
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