偽りのものを倒し,真のものを建てなさい
「ヒゼキヤ……善事 正き事 忠実なる事をその神エホバの前に行へり」― 歴代下 31:20,文語。
1 (イ)紀元前1513年はどんな出来事のあった年ですか。(ロ)過ぎ越しの行事を守ることは,イスラエルにとってなぜ重要でしたか。
紀元前1513年は,イスラエルが,最初の世界強国エジプトの圧制から救われた年です。それはまた過ぎ越しが初めて行なわれた年でした。この時イスラエル人は,モーセをとおして与えられたエホバの教訓をことごとく守り,「みなこのようにし」ました。その時の過ぎ越しの行事は,イスラエルにおいて年毎に記念として行なわれるものとなりました。「是はエホバの夜にしてイスラエルの子孫が皆世々まもるべき者なり」。(出エジプト 12:50,42,文語)。彼らがこれを守ることは重要でした。そのようにして生来のイスラエルは,「天に登録されている長子たちの教会」,すなわち「世の罪を取り除く神の小羊」に信仰を働かせることによって,神の偉大な実体的過ぎ越しを守る会衆になることが約束されていたからです。―ヘブル 12:23。ヨハネ 1:29。
2 イスラエルは感謝することを知らない民であることを,どのように示しましたか。しかし紀元前745年以後,真の崇拝のどんな良い手本が見られましたか。
2 何世紀もたつうちにイスラエルは悪を行なうようになり,救い主エホバ神に感謝する心を失いました。エホバの宮が真の崇拝に人々を招いていたユダとエルサレムにおいてさえ,ユダの人々は異教のならわしに陥りました。しかし紀元前745年,エルサレムでエホバの位に上ったヒゼキヤは,ダビデの家系の王たちの中でも星のように輝きました。「彼がその神を求めるために神の宮の務につき,律法につき,戒めについて始めたわざは,ことごとく心をつくして行い,これをなし遂げた」。(歴代下 31:21)今日エホバを崇拝する人々にとって,これはすぐれた手本です。
3,4 (イ)宮が再開されてのち,次に行なわれるべきことはなんでしたか。(ロ)しかしひな型と成就の両方において,どんな事前のわざが必要でしたか。
3 ヒゼキヤは,過ぎ越しに関しモーセをとおして与えられたエホバのご命令に正しく注意を払いました。宮が再開されてのち,当然の順序として過ぎ越しの復活が計画されました。それはアッシリアが北のイスラエルを最終的に滅ぼす前です。「ヒゼキヤはイスラエルとユダにあまねく人をつかわし,[イスラエルの]エフライムとマナセに書き送り,エルサレムにある〔エホバ〕の宮に来て,イスラエルの神〔エホバ〕に過越の祭を行うように勧めた。王はすでにつかさたちおよびエルサレムにおる全会衆に計って,2月に過越の祭を行うことを定めた。―これは身を清めた祭司の数が足らず,民もまた,エルサレムに集まらなかったので,正月にこれを行うことができなかったからである」― 歴代下 30:1-3,文語。
4 その成就においても,事前のわざが必要でした。特に西暦1918年の春,地上の神の民すべてに火のような試練と粛正の時が臨みました。油そそがれて祭司の級に属する人々は清められ,恐れの気持ちを除き去ったのです。第一次世界大戦中に多少なりとも妥協したことを悔い改めた彼らは,エホバの崇拝のためにふたたび集められました。「恐れない者は幸いである」と題して1919年の「ものみの塔」誌上に出た記事に表明されているように,彼らは恐れずに主イエス・キリストの導きにいつも「すすんで熱心に従う用意ができて」いました。「神の小羊」の犠牲に基づいてふたたび賛美の犠牲をエホバにささげる機が熟したのです。
集まれとの召し
5,6 (イ)ヒゼキヤはどんな飛脚をつかわして,何を知らせましたか。(ロ)今日,クリスチャンの飛脚は,どんな同じ型にならっていますか。
5 エホバの崇拝に加わることを広くすすめなければなりません。エホバは天使の行なう奇跡的な宣明によって地上の人々を驚かせましたか。そうではなく,エホバは人間の使者を用いられました。「そこで飛脚たちは,王とそのつかさたちから受けた手紙をもって,イスラエルとユダをあまねく行き巡り,王の命を伝えて言った,『イスラエルの人々よ,あなたがたはアブラハム,イサク,イスラエルの神〔エホバ〕に立ち返りなさい。そうすれば〔エホバ〕は,アツスリヤの王たちの手からのがれた残りのあなたがたに,帰られるでしょう』」― 歴代下 30:6〔文語〕。
6 1919年以来,現代のクリスチャン会衆の飛脚たちがキリスト教国の領土を行きめぐり,エホバの崇拝に集まるようにとの喜ばしい知らせを伝えできました。「町々村々を巡回し」,益となることを「家々で」伝えたイエスや使徒の方法にならって,彼らはキリスト教国の宗教組織になおとらわれている人々の良心に訴え,「エホバに立ち返」るようにすすめました。―ルカ 8:1。使行 20:20。
7 その時そして今,どんな招待がさしのべられましたか。どんな応答が得られましたか。
7 だれがエホバの真の崇拝を支持しますか。ヒゼキヤの時代におけると同じく今日も,それは重大な質問です。真に正義を愛する人は,対立を促す国家主義,異教の宗教と哲学から離れ,強情にならず,創造者エホバを崇めなければなりません。「あなたがたの父たちのように強情にならないで,〔エホバ〕に帰服し,〔エホバ〕がとこしえに聖別された聖所に入り,あなたがたの神〔エホバ〕に仕えなさい。そうすれば,その激しい怒りがあなたがたを離れるでしょう……あなたがたの神〔エホバ〕は恵みあり,あわれみある方であられるゆえ,あなたがたが彼に立ち返るならば,顔をあなたがたにそむけられることはありません」。(歴代下 30:8,9,〔文語〕)しかしだれがエホバの前に謙遜になりますか。10部族の国のユダヤ人は,バアル崇拝につき従いました。今日,宮で一致してエホバを崇拝するようにとのすすめは,キリスト教国の僧職者に一蹴されました。
8 召しに応ずる者には何が要求されましたか。何をするために彼らは心を一つにしましたか。
8 「このように飛脚たちは,エフライムとマナセの国にはいって,町から町に行き巡り,ついに,ゼブルンまで行ったが,人々はこれをあざけり笑った」。エホバの召しに応じたのは,北の諸部族のうちわずかの人々,少数の残れる者にすぎませんでした。「ただしアセル,マナセ,ゼブルンのうちには身を低くして,エルサレムにきた人々もあった」。(歴代下 30:10,11)同じく1919年以来,清められた宮でエホバを崇拝するために集まった人々は,キリスト教を奉ずるととなえる人の中でわずかにすぎません。キリスト教国の大宗教組織は,偽りの宗教の世界帝国の一部として偶像崇拝の立場を高慢に維持しています。しかし精力的なエホバの崇拝者の間では,「神の手が人々に一つ心を与えて,王とつかさたちが〔エホバ〕の言葉によって命じたことを行わせた」のです。―歴代下 30:12,〔文語〕。
9 昔の記録は,唯一の救いの道をどのようにさし示していますか。
9 ヒゼキヤの時代より200年以上前,偶像崇拝に傾いた北のイスラエルの建国当初にイスラエルを捨て,エホバを崇拝するためエルサレムに来た祭司,レビ人,その他の人がいました。(歴代下 11:13-16)そして今アセル,マナセ,ゼブルンから出て来た人々も救いの道にはいりました。その多くは,アッシリアの国家主義がイスラエルを併呑するまで,神の選びの場所であるエルサレムの宮で崇拝を続けたことでしょう。こうして彼らは,「イスラエル(が)自分の国からアッスリヤに移され」た時,エホバの真の崇拝者とともに救いを得ました。(列王下 17:23)国家主義がふたたび勢力をたくましくしている今日,わたしたちも真の崇拝を守って救いを得なければなりません。
10 エルサレムにおいてどんな清めのわざがまだ残されていましたか。それは今日何を示すものですか。
10 深く根をおろした偽りの崇拝のならわしを一掃することは,即座には行なわれません。そこで過ぎ越しとそれに続く7日間の種入れぬパンの祝いをしたユダとイスラエルの人々は,悪霊崇拝の名残りをエルサレムから一掃することに注意を向ける必要がありました。「彼らは立ってエルサレムにあるもろもろの祭壇を取り除き,またすべての香をたく祭壇を取り除いてキデロン川に投げすてた」。(歴代下 30:14)それらをごみ捨て場に捨ててしまいなさい。このように清めるわざを行なってのち,彼らはふさわしく過ぎ越しを祝うことができました。これは,今日,およそ偽りの宗教とかかわりのあるものを一掃すべきことを,エホバの真の崇拝者に銘記させます。像,宗教的な表象,正しく描かれていない宗教画 ― そのすべてを家から,またクリスチャン,エホバの証人の新世社会から一掃し,そのようなものに対する愛着を捨てなければなりません。
11,12 (イ)7日間の祭りは何を予表していましたか。(ロ)エホバの証人は,現代における祭りの延長をどのように見るべきですか。
11 7日間にわたる種いれぬパンの祝いは何を予表していますか。それは,「神の小羊」の犠牲に信仰を働かせる神の民が,心を傾けて行なう時,絶えず享受する霊的な食物です。いまや神と正しく結ばれている彼らは,神の御名と御国をあかしして霊的な賛美の犠牲すなわち「くちびるの実」を神にささげます。―ヘブル 13:15。
12 嘲笑的な牧師が扇動し,国家主義的な政府が加える迫害にもかかわらず,エホバの証人は,建てられた神の国の福音を全世界にあかしとしてひきつづき宣べ伝えます。そして証言のわざは1960年代に至るまでますます拡大しています。(マタイ 24:14)そして奉仕を楽しむ期間が期待以上に延長されたならばどうですか。ヒゼキヤの時代に「全会衆は相はかって,さらに七日のあいだ祭を守ることを定め,喜びをもってまた七日のあいだ守った」。(歴代下 30:23)1968年の今日に至るまで全地においてエホバを賛美する特権にあずかっていることを,喜ばなければなりません。
13 異教の汚れに染まった人々に対して,エホバはあわれみ深いどんな備えを設けられましたか。それは最後にどんな結果をもたらしましたか。
13 北の10部族の中から来た人々は,ヒゼキヤの過ぎ越しのために身を清めるいとまがありませんでした。そこで王はその人々のために祈っています。「恵みふかき〔エホバ〕よ,彼らをゆるしてください。彼らは聖所の清めの規定どおりにしなかったけれども,その心を傾けて神を求め,その先祖の神〔エホバ〕を求めたのです。エホバはヒゼキヤに聞いて,民をいやされた」。(歴代下 30:18-20,〔文語〕)現代の成就において,異教に染まっていた多くの人がそのままエホバの組織に来ました。このような人々が心を変えて純粋な教義と崇拝を身につけるには時間がかかります。しかしエホバは彼らの心を見て猶予を与え,賛美の宴にあずからせました。エホバの宮から真理が次第に啓示されるにつれて,すべての者は「同じ心,同じ思いになって,堅く結」ばれ,偉大な王エホバ神の奉仕に力を合わせました。―コリント第一 1:10。
14,15 (イ)だれが喜びの宴にあずかりましたか。エホバはそれを是認されましたか。(ロ)現代のどんな集まりが思い起こされますか。
14 当時,イスラエル人の崇拝に加わった他の人々がいました。それはユダの内外にいた他国の人で,彼らはユダの神エホバに信仰をいだいたのです。その中には宮の奴隷ネテニ人がいました。「ユダの全会衆および祭司,レビびと,ならびにイスラエルからきた全会衆,およびイスラエルの地からきた他国人と,ユダに住む他国人は皆喜んだ。このようにエルサレムに大いなる喜びがあった……このとき祭司たちとレビ人とは立って,民を祝福したが,その声は聞かれ,その祈は主の聖なるすみかである天に達した」― 歴代下 30:25-27。
15 このすべては黙示録第7章に描かれた崇拝の別の集まりを想起させます。神の霊的イスラエルの成員14万4000人をまず示してのち,幻は「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が〔エホバ〕の御座と小羊との前に立」っているさまを見せます。彼らがエホバの御座の前に立っているのはなぜですか。「彼らは昼も夜もその聖所で神に仕えているのである」。それで今日,とくに1935年以来,霊的イスラエルと密接に交わる「他国人」の「大ぜいの群衆」が,地上のあらゆる国からエホバの崇拝に集められています。エホバは彼らのために祝福された備えを設けられ,小羊キリスト・イエスは彼らを「いのちの泉」に導かれます。そして遂に「神は,彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」― 黙示 7:9,10,15,17; 21:4。
16 「大ぜいの群衆」はどのようにして生命を得ることができますか。
16 国家主義におびやかされた今の時代に生き残って楽園の地に永遠の生命を得る「大ぜいの群衆」の一部になることを望まれていますか。ではエホバの真の崇拝を堅く守ってください。
偽りのものを倒す
17,18 (イ)過ぎ越しは人々に何を促しましたか。(ロ)その成就において,それは今日のエホバの証人のどんなわざと符合しますか。
17 ソロモンの時代以来,最大のものであった過ぎ越しの祝いは,人々にどんな行動を促しましたか。「この事がすべて終った時,そこにいたイスラエルびとは皆,ユダの町々に出て行って,石柱を砕き,アシラ像を切り倒し,ユダとベニヤミンの全地,およびエフイムとマナセにある高き所と祭壇とを取りわし,ついにこれをことごとく破壊した。そしてイスラエルの人々はおのおのその町々,その所領に帰った」。(歴代下 31:1)偽りの宗教がユダの国から一掃されたのです。
18 これは,エホバの証人が1919年以来,世界中で行なってきたわざの一つの面である論難するわざと符合します。「エホバに熱心なる」ゆえに,カトリック,新教,ユダヤ教あるいは全くの異教を問わず,偶像崇拝との妥協は一切,排されてきました。(列王下 10:16,文語)神のことば聖書の簡明な真理がキリスト教国や他の国々で宣べ伝えられ,戦争を挑発する国家主義的な,また偶像崇拝者の宗教家は,真の神エホバから捨てられていることが暴露されました。
19 (イ)論難するこのわざはどんな結果を生みましたか。(ロ)ヒゼキヤは偶像崇拝をどのように見ましたか。今日のわたしたちはどのように見るべきですか。
19 「われわれの神の報復の日」を告げるこの運動により,大ぜいの人が悪霊の宗教の束縛から解放され,エホバの「恵み」を得るようになりました。(イザヤ 61:2)背教の僧職者がどう考え,またなんと言っても,それはエホバの目に正しいことでした。ヒゼキヤの行ないと同じく,それはエホバに是認されています。ヒゼキヤは「高き所を除き,石柱をこわし,アシラ像を切り倒し,モーセの造った青銅のヘビを打ち砕いた」。(列王下 18:4)キリストとその犠牲を表わすこのへびは,その時までに偶像崇拝の対象になっていたからです。それは今日,キリスト教国において聖十字架が多くの人に崇拝されているのとよく似ています。昔も今も,神の真の民は偶像崇拝とは無縁です。―詩 106:35-40。コリント第一 10:6,11,14。
20 ヒゼキヤがアッシリアの王に背いたことは,何を予表していますか。
20 アッシリアの国家主義に隷属することを拒絶したヒゼキヤは,次にセナケリブ自身と対立しました。「彼はアッスリヤの王にそむいて,彼に仕えなかった」。(列王下 18:7)そのようにキリストは,油そそがれた残れる者を崇拝の霊的な宮に集めてのち,国家主義と異教へのとらわれから彼らを解放し,サタンとその組織が不義の「天」「地」もろとも滅び去ることを宣明する運動を始めさせました。1922年そしてその後連続7年間にエホバの証人の大会は,エホバの「天」においてまず宣明されたさばきの音信をとりあげ,それを全地に伝えました。黙示録 8章から11章に大要されているこれらの注目すべき宣言は,サタンが何千年の間に築きあげた悪鬼的,宗教的,国家主義的な強大な組織に対するエホバの義の宣告を述べたものです。
21 1928年のデトロイト大会において,サタンに何が告げられましたか。
21 その最高潮となったのは,1928年7月30日から8月6日までの8日間,アメリカ,ミシガン州デトロイトに開かれた大会で1万2000人の人が熱意をこめて採決した,特筆すべき決議でした。「サタンに敵対しエホバの側に立つ宣言」と題するこの決議は,「まもなく始まるハルマゲドンの戦いによって,サタンがつながれ,その悪の組織が完全に倒れること,エホバが新しい支配者によって地に正義を確立し,人類を悪から解放する」ことを知らせたものです。a こうして昔から世界を支配してきた国家主義的な諸政府の可酷な支配者は,神の国と,地上におけるその代表者たちとに敵対するその行為が必ず失敗に終わることを宣告されました。
ペリシテ人との戦い
22,23 (イ)ヒゼキヤはペリシテ人に対してどんな行動を起こしましたか。(ロ)この宿敵の特色はなんでしたか。
22 ヒゼキヤは,エルサレムの南西,ユダの領地の奥に要塞をかまえた宿敵をも打ち破りました。「彼はペリシテびとを撃ち敗って,ガザとその領域にまで達し,見張台から堅固な町にまで及んだ」。(列王下 18:8)これに相当することが現代にも起きていますか。
23 神のことばに示されているように,ペリシテ人は,イスラエル人が約束の地にはいった時から絶えずイスラエルに戦いをいどみました。彼らは高慢で,イスラエルに対するエホバの正義の律法たとえば血に関する律法をあたまから軽蔑していました。(ゼカリヤ 9:6,7。レビ 17:14)彼らは神の民に対して絶えずゲリラを差し向けました。アモス書 1章6節から8節によれば,彼らはイスラエルに反逆し,その多くを捕えてエドムに売りました。彼らの残酷な宗教の主神は魚の神ダゴンです。直立した魚の頭を頂きにつけたその像は,キリスト教国の諸宗派において司教がかぶる司教冠に一見似ています。
24 ペリシテ人は,とくに昔からのどんな敵を予表しているように思われますか。
24 ペリシテ人は地上における神の宿敵を表わしているようです。このような敵の一つとして特にあげられるのはローマ・カトリック教会です。その宗教制度にはバビロン的な異教の教えと行事がしみ込んでいます。真の崇拝を敢然と擁護した人々に敵対して,ローマ・カトリック教会は昔から必死の戦いをしてきました。そして1919年以来,全世界における「この御国の福音」の宣明に激しく反対しています。
25 現代のエホバの証人のどんな活動は,ペリシテ人に対するヒゼキヤの行動に相当しますか。
25 昔のペリシテ人の国に対するヒゼキヤの戦いは,キリストの追随者が特に1930年代に全世界で行なった運動を思いおこさせます。当時,キリスト教国の主要な宗派であるローマ・カトリック教会は,エホバの“賛美者”に当然に属する崇拝の領域に長いあいだ陣どっていました。そして堕落した昔のペリシテ人が世界強国アッシリアと結んで政治的な利益を図ったように,現代のローマ・カトリック教会も,1929年にムッソリーニとラテラン条約,1933年にヒトラーと政教条約を結ぶなど,国家主義的な独裁者と手を結びました。世界支配を目ざす自称キリスト“教会”の政治との結びつきを暴露するため,エホバの証人は肉の武器を使わず,力強い聖書の音信を用いました。
26 現代のペリシテ人はどのように反撃しましたか,それは成功しましたか。
26 ローマ・カトリック教会は反撃に出ました。カトリックが支配的な国々においてエホバの証人を一掃する運動に乗り出し,“教会の剣”となったのは,ナチスの指導者でした。ベルリンの一カトリック司祭は,1938年5月29日付ジャーマン・ウエイに載せられた記事の中でそのことを証言しています。「政権の座についたヒトラーに対して,ドイツの司教たちがその要請をくり返した時,ヒトラーはこう言った。『このいわゆる熱心な聖書研究生[エホバの証人]はやっかい者である…ドイツのカトリック教徒がこのように面目を失うのを傍観しているわけにはいかない…ドイツの〔エホバの証人〕を解散させよう』。これに対して司教は「ばんざい」を叫んでいます。しかしドイツあるいは他の国においてもエホバの証人を解散させる企ては成功しませんでした。ヒトラーも,その政教条約の相手方であるパセリ枢機卿(法王ピオ12世)もすでに故人となっていますが,ナチス-カトリック・アクションの強制収容所にも生き延びた8000人のエホバの証人は,現在,西ドイツおよびベルリンにおいて8万人以上に増加しており,東ドイツにも大ぜいいます。
27-30 エホバの証人は,“ペリシテ人”に対する霊的な戦いをどのようにつづけていますか。
27 カトリック教会は政府に働きかけ,牧師は大衆をそそのかしてエホバの証人を沈黙させようとする戦いを続けてきました。しかし崇拝の自由を侵害するカトリック教会に対し,エホバの証人は言論,法廷その他の合法手段を用いて霊的な戦いをつづけました。このクリスチャンの戦いは,心の正しい大ぜいのカトリック信徒や他の人々を目ざめさせ,その人々が真の崇拝の側に立つのを助ける結果となりました。そして今もなお現代のペリシテ人の迫害に耐えなければならない人々がいるとすればどうですか。
28 マラウィのことを考えてください。1967年9月17日,マラウィのバンダ大統領はこう語りました,「どの地方の人々でも,エホバの証人の退去を命令する権利がある。エホバの証人が退去しないならば,政府は彼らを逮捕して投獄する」。11月10日付シンヤンジャ語のマラウィ・ニュースによれば,マラウィ議会のJ・D・ガンダ議員は,「政府によって禁止されたエホバの証人の宗教を持つ人々に対し,今後もこの宗派のクリスチャンであるならば政府の手で厳しく処罰されるであろう」と警告しました。また「政府の目的はこの宗教を終わらせることである」と説明し,「彼らが真に悔い改めているならば,マラウィ(政)党のカードを買うべきである」と述べました。ものみの塔協会の宣教者は追放され,何千人ものエホバの証人が逮捕されました。ある地区では焼き打ちにあったエホバの証人の家が23戸にも及んでいます。
29 また1967年の記念式の時にエホバの証人が逮捕されたエジプト(アラブ連合)を見てごらんなさい。神の国を宣べ伝えたという理由で,彼らは何か月も投獄されていました。ものみの塔の宣教者はエジプトから追放され,土地の大ぜいの証人も残酷な仕打ちにあいました。ギリシャにある協会の印刷工場は政府の命令で閉鎖され,アラブ諸国の多くで神の国の宣明は妨げられてきました。またビルマからはものみの塔の宣教者全員が追放されました。
30 国家主義的な諸政府はこのような手段によって,クリスチャン,エホバの証人の福音伝道を阻止できますか。それは不可能です。彼らは,エホバが最終的なさばきを下されたこと,そしてまもなく異教の世界帝国の他の部分もろともこれらの上にさばきを執行されることを知るゆえに,強められています。エホバは偽りのものを倒して真の宗教を建てることを命じていられます。―エレミヤ 1:10。エゼキエル 25:15-17。
31,32 (イ)ヒゼキヤは,なぜわたしたちにとってすぐれた手本ですか。(ロ)ヒゼキヤより偉大な者の足跡にいまどのように従うことができますか。
31 ヒゼキヤが厄介なペリシテ人を首尾よく平定したのと同じく,エホバの証人はその霊的な戦いに成功を収めてきました。真の崇拝を擁護したヒゼキヤの正しい立場は,彼以前の王たちの背教また周囲の国々の異教と著しい対照をなしています。「ヒゼキヤはイスラエルの神〔エホバ〕に信頼した。そのために彼のあとにも彼の先にも,ユダのすべての王のうちに彼に及ぶ者はなかった。すなわち彼は固く〔エホバ〕に従って離れることなく,〔エホバ〕がモーセに命じられた命令を守った。〔エホバ〕が彼と共におられたので,すべて彼が出て戦うところで功をあらわした」― 列王下 18:5-7,〔文語〕。
32 わたしたちも,ヒゼキヤより偉大なキリスト・イエスの足跡に従う時,賢明に行動できますように。偽りの宗教や国家主義的な政府からおびやかされても恐れず,現存するサタンの事物の制度に対する神の報復を断固として宣明し,サタンの制度の不義に歎く人々を慰めることができますように。(イザヤ 61:1,2)熱心な崇拝をつづけ,神の御名の永遠の立証にあずかる時,エホバがわたしたちとともにいますことを確信して,エホバにかたくつき従うことができますように。国家主義に対する真の崇拝の勝利については,さらに追ってとりあげられます。
[脚注]
a 1928年9月15日号「ものみの塔」(英文)278頁
[371ページの図版]
偽りの崇拝の石柱を破壊するイスラエル人
現代のエホバの証人は聖書を用いて偶像崇拝を暴露する