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人間の建てた一番奇妙な都市ものみの塔 1958 | 2月1日
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いう宗教的宮があつたのです。その中で一番大切にされていたものは,ローマの時代に,ナバタ人によつて切り除かれてしまつたようです。外から見ると印象的ですが,バークハートが見た神殿の内部はなさけないあばら屋で,洞穴以上のものではありませんでした。
都のまわりの外側には,ヱホバの予言者によつていく度となく非難された,多くの聖なる異教崇拝の場所や祭壇があるのをバークハートは気づきました。これらの祭壇で,むかしエサウの子孫は,エドムの神々を崇拝したのです。崇拝者たちが聖い場所へ行きやすくするために,山腹には階段がきざまれていました。
ペトラの最も大きな崇拝の犠牲を捧げる場所の発見は,後日の探検家の手に残されました。西暦1900年,G・L・ロビンソンによつて発見された,このペトラの一番大きな祭壇は,太陽の昇る方向に面しています。岩にきざまれた急な階段が祭壇まで続いています。ここにも高さ20フィートの同じような柱石が立つています。これらの柱石は,異教徒たちが柱になる部分だけ残して,山のいただきを全部けづり取つて作つたものです。ロビンソンはこの崇拝場所で今にも異教徒の祭司が犠牲を持つて急な石段を登つてくるのを待ちかまえてでもいるかのような,犠牲を捧げる台や長方形の祭壇を発見しました。
ここではまた何と言う異教の儀式が行われていたことでしよう。聖書の読者は,アマジヤ王がかつて,『セイル人の神々を携え来り之を安置して己の神となしその前に礼拝をなし之に香を焚』いたことをよく記憶していますから,ここでどのようなことが行われたかを良く想像することができるでしよう。しかし,エドムの神々はアマジヤ王に滅びをもたらしたのです。ヱホバの予言者は,彼に次のように,告げました,『われ知る,汝このことを行いてわが諫をききいれざるによりて神なんぢを滅さんと決め給うと』― 歴代下 25:14,16。
生ける真の神ヱホバが,アマジヤと巨大なペトラを亡ぼすことを決心された時,エドムの偽の神々は彼らを,ペトラさえも,救うことはできなかつたのです。今日では,ペトラは荒れすたれ,ひと一人住んでいません。廃墟を見学しに来る人も殆んどありません。エドムにかかわるヱホバの予言の縮図的な成就として,典型的なエドムはその存在を失い,その雄大な首都ペトラは,野獣の出没する地と化してしまいました。その廃墟は,神の御言葉は必ず成ることを如実に物語る石碑として残つています,『我汝を長に荒地となさん,汝の邑々には人の住むことあらじ,汝らすなわち我のヱホバなるを知らん』― エゼキエル 35:9。
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それはヤンキー野球場とポロ競技場です!ものみの塔 1958 | 2月1日
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それはヤンキー野球場とポロ競技場です!
1958年7月27日から8月3日にわたつて国際大会を開く場所として,ヱホバの証者はヤンキー野球場とポロ競技場の使用を取極めています。ニューヨークの「ものみの塔聖書冊子協会」は,これら二つの施設を同時に使用することをヤンキース及びニューヨーク・ジャイアンツ球団と契約しました。
ヱホバの証者は,1950年と1953年の夏にもヤンキー野球場で国際大会を開き,球場を埋めつくしました。ニューヨーク市でもう一つの国際大会が開かれることを知つて以来,十分に大きい場所はどれですかというのが,私たちの質問でした。
それで,ヤンキー野球場とポロ競技場のすばらしい施設を使用できること,この二つの施設は市の四区劃を隔てており,大会の出席者は楽に座つて,この期待された通りの大きな大会の出来事を見たり,聞いたりできることを,すべての皆さんにお知らせするのは大きな喜びです。読者の皆さんの多くは1953年の大会最後の日に16万5829人が出席したことを思い起されるでしよう。もちろんこの全部がヤンキー野球場に入つた訳ではありませんが,9万1562人がその内部の最上部までを埋めつくしました。大群衆の残りの人々は2万5240人を数え,野球場の周囲の天幕や駐車場に席を占めたのです。更に4万9027人が40マイル離れたニュー・ジャージーの住宅付自動車の町で聞きました。
今回の1958年には群衆の大部分が内部に入つて,プログラムの様子を見,また聞くことができるものと希望しています。ヤンキー野球場とポロ競技場は12万人を収容し,更に座席を入れることができます。
協会がプログラムを取極めた方法によると,ヤンキー野球場で午後早くに話した講演者は,同じ日の午後おそくポロ競技場で話します。また,その反対も行われます。これは晩のプログラムについても同じです。
ギレアデ学校の学生の卒業式のように,あるプログラムは1ヵ所だけで行われます。卒業式を2回行うことはできないからです。このことは最後の日曜日の公開講演についても同じですが,これらの場合,ヤンキー野球場で話されたことは直通電線でポロ競技場に送られますから,そのときヤンキー野球場に入れなかつた人々はポロ競技場で話の全部を聞くことができます。
私たちはヱホバの過分の御親切により,大きな期待を抱いて,私たちの国際大会のため,1958年の夏にニューヨーク市の最もよい二つの施設を使うことを待ち望んでいます。世界のどの場所からも,出席するようにすべての人を歓迎します。そして,何千人が地の隅々から来ることを私たちは既に知つています。
これは「ものみの塔協会」によつて取極められた大会のうちで,ハルマゲドン前の最大の大会となるかも知れません。自分の事柄を処理して出席できるヱホバの証者のすべては,このように偉大な大会に再び集まる時を熱心に待ち望んでいます。これはすべてヱホバの御名に誉と栄光を帰するためです。地上のヱホバの証者たちの来るべき国際大会のあらゆる準備の上に,ヱホバの祝福が必要なことを,私たちは確かに祈りの中に憶えましよう。すべての読者のために,詳しい知らせは時折,この雑誌に発表されます。
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