迫害はエホバの許しによってもたらされる ― なぜか
「エホバは,敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するか,一方,不義の人々……をどのようにさばきの日のために切断されるべく保留するかをご在じです」― ペテロ後 2:9,新。
1,2 真のクリスチャンを迫害する者たちは,どんな誤った結論を下すかもしれませんか。エホバはなぜ介入されないのですか。
アダムとエバの2番目のむすこアベルが,しっと深い兄カインに殺された日から,エホバの忠実な証人たちは憎まれ,またきびしく迫害されてきました。西暦1世紀,霊感を受けたひとりの著述家はヘブル人にあてた自分の手紙の中で,証人たちがどのように扱われたかを描写しており,誤導された反対者によって殺されたナザレのイエスご自身,その真の追随者たちに彼らも同様な迫害を受けるであろうと事前に警告しました。(ヘブル 11:4,36-38。ヨハネ 15:18-20)そうした虐待はすべて不当なものであり,主なる神エホバはそれを阻止することができたはずです。なぜそうなさらなかったのですか。―ハバクク 1:13をごらんください。
2 反逆の精神をもって人を扱う者たちは,偽りの安心感をいだくようになるかもしれません。聖書の詩篇作者はこう書いています。「なにゆえ邪悪な者は神を軽べつしたのですか。彼は心の中で言いました。『あなたは答弁することを要求されない』と」。(詩 10:13; 76:7,新)しかし,答弁を強要することを神が遅らせているのは,弱さからでも,圧迫されている者たちに対する思いやりの欠如からでもありません。イエスの使徒ペテロはわたしたちに次の保証を与えました。「エホバは,敬虔な専念をいだく人々をどのように試練から救出するか,一方,不義の人々…をどのようにさばきの日のために切断されるべく保留するかをご存じです」。(ペテロ後 2:9,新)ゆえに,邪悪な者によって正しい者が迫害されることは,神の目的を果たすものとなります。時には,ご自分を怒らせた民に対する懲らしめとして,神が迫害を許される場合のあることは事実ですが(イザヤ 12:1),迫害はたいていの場合,神の敵(申命 25:17-19),および神に好意的な態度を持つ者(マタイ 25:34-36)がだれかを明らかにする役割を果たしてきました。それは神ご自身の民の忠誠を試み,また彼らの救出によってエホバの名前を擁護する役割を果たしてきました。―ペテロ前 4:1,2。箴言 27:11。
3 預言的な劇とはなんですか。聖書の中にはその証拠となるどんなものがありますか。
3 神が過去においてご自分の民と民の敵とにどう対処されたかは,今日のわたしたちに神がどう対処されるかをしばしば象徴的にあるいは描画的に示しており,聖書の最も劇的な記述の一つはエステル書の中に見いだされます。(コリント前 10:11。ガラテヤ 4:24-26。ルカ 17:26-30)その書全体を読めば,大きな益が得られます。それから,詳細が頭の中で生き生きとしてきたところで,わたしたちの時代におけるその預言的な劇の意義を考えることにしましょう。
4 エステルの劇的事件における時の要素は,現代どのようにその実体を明らかにされていますか。何がアハシュエロス王によって表わされていますか。
4 話は,インドからエチオピアにまたがる,ペルシアとメデアの膨大な帝国を支配していたアハシュエロス王の王宮から始まります。「その治世の第三年にその牧伯等および臣僕等のために酒宴を設けたり」。(エステル 1:1-9)これは現代において何を示唆していますか。1914年,世界支配をめぐる「異邦人の時」の終わりに,ダビデ王の相続者,イエス・キリストが王としての権力と権限を用いて,自分の全臣民を支配し,敵を服従させ,自分の是認するものを高めるべく,王としての天の権限を執る時が到来しました。(ルカ 21:20-24,詩 110:1,2,コリント前 15:25,マタイ 24:45-47,欽定訳)そして,黙示録 12章10,12節〔新〕に記録されているとおり,使徒ヨハネに与えられた驚くべき予告においては,その後ほどなくして,聖書預言を理解した者たちに大いなる喜びの時が来ました。「我また天におほひなる声ありて『われらの神の救と能力と〔王国〕と神のキリスト[メシア]の権威とは,今すでに来れり。我らの兄弟を訴へ,夜昼われらの神の前に訴ふるもの落されたり。この故に天および天に住める者よ,よろこべ…』と言ふを聞けり」。ですから,少なくとも天の王宮においては非常な歓喜があったのです。したがって,威光のうちに自分の王座に着き,自分の膨大な帝国に関して無制限の権限をふるったアハシュエロス王は,この「終わりの時」にイエス・キリストの手中に置かれた王権をいみじくも表わし示していると言えましょう。―ダニエル 12:1-4,新。
5,6 (イ)后ワシテは何をするように求められましたか。その結果は。(ロ)それに対比される現代のできごとはどのように認められますか。
5 さらに,こうしたできごとを予期していた地上の聖書研究生たちは,その喜ばしい祝いに加わることを適切にも期待されていました。(詩 97:1; 96:8)これと同じことがアハシュエロス王の臣民の間でどのように起こりましたか。「第七日にアハシュエロス王酒のために心楽み…后ワシテをして后の冠冕をかぶりて王の前に来らしめよと言り是は彼観に美しければその美麗を民等と牧伯等に見さんとてなりき しかるに后ワシテ侍従が伝へし王の命に従ひて来ることを肯はざりしかば王おほいに憤ほりて震怒その衷に燃ゆ」。(エステル 1:10-12)それは当然のことでした。それが原因で王の威信が大いに傷つけられ,権威に対する侮辱の態度が帝国全土に広がるおそれがあったからです。王は知者から適法な意見を求め,次のような忠言を得ました。「王もし之を善としたまはゞワシテは此後ふたゝびアハシュエロス王の前に来るべからずといふ王命を下し之をペルシヤとメデアの律法の中に書いれて更ること無らしめ而してその后の位を彼に勝れる他の者に与へたまへ」。これは王の気に入るところとなり,彼はその執行を命じました。―エステル 1:13-22。
6 ワシテは王にとついだ后で,その名は「うるわしい」という意味でした。しかし,自分のものであったその優遇の地位にもかかわらず,喜ばしい祝宴の座に王とつらなるようにとの王の指令に応じなかったため,その地位から退けられました。1914年,メシヤなるイエス・キリストの天における即位にかかわるできごとにおいて,神の王国を待ち望んだ者すべてが王とともにその祝いに加わりましたか。聖書の預言は,現実に成就を見ている諸事実と関連して答えを提供してくれます。
忠節に関する試み
7 何が1918年に起こりましたか。「終わりの時」にかかわるエホバの目的は,「奴隷」級に関して何を要求していましたか。
7 1918年,メシヤなる使者イエスはエホバに伴って霊的な神殿に到来し,突然また不意に神の民に対するさばきを始められました。(ペテロ前 4:17。マラキ 3:1)メシヤなるイエスは,ご自分を求める人たちの中に純粋な動機をもたないでそうする者がいることを予知されました。さばきの一つの目的は,神のメシヤによる王国を求める者たちのこの心の態度を暴露し,そうした態度を示している者たちにそれにふさわしい処置を講ずることでした。(マタイ 24:48-51)主人の奴隷に対するがごとく,聖書によって「奴隷」級として語られている者たちに対処する際,メシヤが自分自身の意志,また自分の神エホバの意志にしたがって行動するのは彼の特権でした。この「終わりの時」に関するエホバの目的は遠い昔に定められていました。(イザヤ 46:8-11)当時,その目的の詳細すべてが地上の「奴隷」級に知られていなかったことは,特に重要な事柄ではありませんでした。彼らはエホバへの献身の誓いゆえに,ご自分のことばである聖書にしたがってエホバとそのメシヤなる王がするようにと命ずることは,それがなんであれことごとく行なう責任を負っていました。さて,エホバの敵が天で処分されるに及んで,メシヤとしての王,また,さばき主が,地に関するエホバの目的を成就しはじめる時が到来しました。彼は地上のこのしもべ級の前途に何があるかを知っており,また,彼らの隊伍に完全な一致が存在し神の目的を遂行するに当たってのひたむきな思いがあってはじめて,彼らは自分たちの分となるべき聖書的な責任を全うしうる,ということをご存じでした。以上の理由から,彼はご自分の指令に応じない者を除去するため,地上でご自分の足跡に従う油そそがれた追随者に非常にきびしい試みを課したと思われます。―マラキ 3:2,3。ペテロ前 2:4-8。イザヤ 8:13-15。
8 「花嫁」級であると主張する者たちはどのように試みられましたか。その結果は。
8 メシヤなる王であるイエスにその「花嫁」級としてとついでいる,と主張する各人すべての心の専念のほどを,その全き深みまでも探るある特定の状況がその宗教組織の中で展開することが許されました。(詩 45:10-14。ヨハネ 3:29)特に次の三つの面で彼らの服従はためされました。第一にご自分の伝達の経路を通して啓示される神のみことばの教理を信頼するかどうかについて。第二に,エホバの目的がこの「終わりの時」に完遂される前になされるべき,メシヤの王国の良いたよりの伝道にすすんで加わるかどうかに関して。そして第三に,まだこれから築き上げられ神権的に十全な構造を持つことになっていた ― それはこの「終わりの時」に成し遂げられねばならない ― エホバの地上の組織に完全な忠節を示すかどうかに関して。以上の事柄は,その民がさらに受けねばならないことをイエスが知っておられたきびしい迫害に彼らを立ち向かいうるようにさせるためばかりでなく,迫っている世界的な苦悩にさいして,現在の事物の体制が破壊された後に彼らに託される責任あるわざを同じ民が引き継げるようにさせるためにも肝要でした。1914年から1918年までの第一次世界大戦の期間中,神の民のだれひとりとして,その前途に置かれていた宗教的責任がいかばかりのものかを十分に悟った者はいませんでした。それでも,神を誠実に愛していた者たちは,動揺した組織内から自分たちに臨んだ試練と,預言者マラキによって予告されたとおり自分たちを清浄にするために課された火のような試みとを受けました。しかしながら,それに耐えずに反逆した者がおり,したがって敬虔の美しさとメシヤなる王に対する服従を示すようにとの召しが出された時,彼らはワシテと同様服従の態度を示しませんでした。a ―ルカ 14:17-21。
9 どんな集めるわざが「終わりの時」に行なわれることになっていましたか。それはどのように予告されていましたか。
9 さらに詳しい事柄が,畑についてのたとえ話の中でイエスによって語られました。ある人が小麦をまいたところ,敵がその畑にやってきて雑草をまき直しました。その報告を受けた主人はこう言いました。「収穫まで両方をいっしょに生長させなさい。収穫の季節にわたしは刈り手たちに告げます,まず雑草を集め,焼くためにそれを束に縛りなさい,それから小麦をわたしの倉に集め入れなさい」。(マタイ 13:30,新)ここで語られている集めるわざは神殿のさばきの後に行なわれるはずのものであり,キリストの「花嫁」に属する忠実な成員,彼とともに天で支配する油そそがれた追随者たちに適用されることになっていました。(ルカ 22:28,29。黙示 3:21)しかし,このグループだけを集め出すことが神の目的だったのではありません。(ルカ 12:32)油そそがれた者たちは当時気づいていませんでしたが,エホバはさらに別の目的を持っておられました。それは,メシヤによる王国のもとで地上に住むことになる者たち,つまり正義の人間社会の中核として用いようと神が意図されている大群衆をその後に集める,ということでした。(ヨハネ 10:16。ペテロ後 3:13)そのため,油そそがれた者たちには大規模なわざが要求され,しかもメシヤによる王国の伝道のわざは激しい反対のさなかに行なわれることになるので,彼らは一致していなければならなかったのです。(マタイ 10:16-18)この点も,展開してゆくエステルの劇の中に表わし示されていました。
服従しない者の代わりを立てる
10 アハシュエロス王はワシテの代わりを立てるためにどんな手段を取りましたか。モルデカイとエステルはどのようにそれにかかわりを持つようになりましたか。
10 しかしながらアハシュエロス王はまず,その地位を退けられた后の代わりを立てる必要を感じます。最も美しい若い処女たちを国全域からことごとく集めますから,その中からワシテの後継者として最も意にかなう者をお選びになっては,との忠言が王の相談役から出されます。若い女たちはだれでも王の前に連れ出される前に,王にまみえるためのしかるべき準備を整えねばなりません。それには,いろいろな種類の香油を用いてのマッサージを含め,一年にわたる美容法を受けねばならず,王に対する奉仕において信頼されている宦官ヘガイがその厳重な監視に当たりました。そうした女の中に,“天人花”という意味のエステルがおり,彼女はたちまちヘガイから好意を受け,彼は「すみやかに之に潔浄の物およびその分を与へまた王の家の中より七人の侍女を挙てこれに附そはしめ」ました。エステルは自分の民または親族については何も告げてはいませんでした。告げてはならないと,彼女のいとこであるモルデカイから直接命令されていたからです。モルデカイはエステルが境遇のさまざまな変化を経て,養育人である自分が教示した,彼女自身の民の律法から離れ去らせようとする圧力を経験することを知っていました。彼はエステルをそうした結末に至らせまいと決意していました。それでモルデカイは引き続き彼女の霊的な福祉をつぶさに監督したのです。「またモルデカイはエステルの模様およびその如何になれるかを知んため日々に婦人の局の庭の前をあゆめり」― エステル 2:1-11。
11 (イ)モルデカイ,(ロ)ヘガイによってだれが,あるいは何が表わし示されていますか。
11 したがって,「純粋の没薬のごとし,つぶした没薬」という意味の名前を持つモルデカイは,第一次世界大戦中の神殿のさばきに忠実に生き残り,ワシテ級の代わりに立てられる者たちが王に受け入れられるため,しかるべき準備を整えるのを見守ることに関心を示した油そそがれた残れる者を表わし示していました。現代,モルデカイ級の者たちが神から与えられた責任を忠実に果たしていることは明らかになっています。(マタイ 24:45-47)しかしこの件に関して,モルデカイ自らが個人的にエステルの直接の監督に当たったのでないことは注目すべき点です。それは王に奉仕していたヘガイを通して成し遂げられました。したがってヘガイはエステル級の者たちを王に正式に拝謁させるための,モルデカイ級の管轄下にある取り決めを表わし示しています。―エペソ 5:26,27。
12,13 エステルはだれのひな形ですか。彼らはどのように表われましたか。エステルと同様などんな態度を彼らは表わしていますか。
12 ついにエステルが王の前に出る日が来ました。王の命に応じるに際して自らの理解により頼んだワシテとは異なり,エステルは王の前に出るに当たって,ヘガイ自らが勧めたもの以外は携えようとはしませんでした。今日でも,エステル級の者たちは自分自身の評価において謙遜であり,王に対する奉仕に関して自分たちのために設けられた取り決めにすすんで従う態度を示しています。「王一切の婦人に超てエステルを愛しければエステルはすべての処女にまさりて王の前に恩寵と厚情を得たり王つひに后の冕をかれの首に戴かせ彼をしてワシテにかはりて后とならしむ」― エステル 2:12-18。
13 王座に着いた自分の前に,このうえなく美しいばかりか,謙遜で,自分との関係に正しい認識を示す女を得たのですから,その日は王にとってまさに喜ばしい時であったに違いありません。今日においても,第一次世界大戦以降,1919年から特に1931年に至る間,新しい信者になった人たち,水の浸礼によりイエス・キリストを通してエホバ神に献身を表わした新しい献身者を見るという大きな喜びがあります。それらはいってきた者たちは,天のメシヤとともに統治するという崇高な召しのとびらがまだ閉ざされていなかったゆえに「花嫁」級のより若い成員として神の霊により油をそそがれました。彼らは服従を欠いた態度のために退けられた者たちに取って代わる者とされたのです。しかし彼らはエステルと同様,新しい地位を得て思いあがるようなことはしませんでした。エステルがモルデカイの取り決めに従ったのと全く同様,彼らは引き続き神の取り決めに従いました。「エステルはモルデカイの言語にしたがふことその彼に養なひ育てられし時と異ならざりき」― エステル 2:19,20。
忠節の行為が報われないままになる
14 モルデカイはどのように王に対する忠節を示しましたか。それはどんな結果になりましたか。
14 さて,この劇的な記述の中で,その時点では話の上でさして重要ではなさそうでいて,実は,できごとが展開していくにつれて驚くべき役割を演ずるようになるあることが起こります。モルデカイは王に対する陰謀を暴露し,それをエステルに報告し,次いでエステルはそれを王に明らかにします。取り調べの結果,暗殺未遂者たちの有罪が判明し,彼らは絞首刑に処せられます。(エステル 2:21-23)王暗殺を未遂に終わらせたモルデカイのこの行為は,その時には報われませんでしたが,彼に有利な報告が記録の中に永久にとどめられることになります。それは現代の対比においても同じです。―ヘブル 6:10。
15 モルデカイ級は王に対する忠節をどのように示しますか。それはどのように王の知るところとなりますか。
15 モルデカイ級の者たちは王への奉仕において,組織のことを深く思いに留めています。神殿のさばきが始まって後,組織の構造がさらに神権的になるにつれ,彼らは,それまではエホバの目的の進展に一致しているように見えた,組織の中で顕著な存在であったある人たちが不満をいだくようになり,王国の関心事につながる福祉を危険にさらす行動を取って,王に対する謀反をもたらしている事態にすばやく気づきました。(ユダ 16-19)モルデカイ級はエステル級の注意をそうした事柄に向けさせました。後者は組織ということを学び,王に対する忠節という点で強められる必要があったのです。彼らは新参者であったので特にそうでした。(ロマ 16:17,18)キリストの「花嫁」級のそれら新しく選ばれた者たちが,メシヤなる王と組織に対する忠節を選んだ時に,その事実は彼らを通して王の知るところとなりました。しかしながら,その時,モルデカイ級に特に報いは与えられませんでした。
古代の敵の登場
16,17 (イ)ハマンはどのようにして顕著な存在となりましたか。彼の祖先の背景はどんなものですか。(ロ)ハマンはだれを表わし示していますか。どのようにですか。
16 実際,モルデカイの行為は感謝されないようにさえ見えます。記録は引き続き次のように述べているからです。「これらの事の後アハシュエロス王アガグ人ハンメダタの子ハマンを貴びこれを高くして己とともにある一切の牧伯の上にその席を定めしむ王の門にある王の諸臣みな跪づきてハマンを拝せりこれは王斯かれになすことを命じたればなり然れどもモルデカイは跪まずかずまたこれを拝せざりき」― エステル 3:1-4。
17 ハマンの名前は,ペルシア語に起源を持つなら,「壮大な,名高い」を意味しますが,ヘブル語との対比語に相当するなら,「騒音,騒動」,明らかに悪い仕方で,「準備をする者」を意味します。彼はアガグ人ハンメダタ(たぶん,「法を乱す者」の意)のむすこでしたから,エサウの孫アマレクの子孫でした。エサウは生得権を自分とふたごの弟ヤコブに売りましたが,モルデカイはそのヤコブの子孫でした。それでいてエサウは,ヤコブが正当に自分に属するものを取ったからという理由で彼にひどく反抗しました。(創世 25:29-34; 27:41)さらに,ヤコブに対するエサウのこの敵意と一致して,アマレクからの子孫は,神ご自身の民イスラエル人に対する憎しみを示しました。それも,エホバ自らがご自分の民をエジプトから救出しておられた時にです。去ってゆくイスラエル人の背後をアマレク人が襲ったため,ヨシュアはモーセの挙げた両手の助けを得て彼らと戦い,彼らを打ち破りました。イスラエル人に対するこのよこしまな攻撃のゆえに,神は彼らが神の王座に向かって手をあげたのだ,エホバはアマレクの子孫に対して永久に,つまりモルデカイとエステルの時代に至るまで戦うであろうと言われました。(出エジプト 17:8-16)現代においてハマンは,この世の王国の間で高められることを求め,それと引き替えに神の王国に関する自分たちの生得権を売り,昔のアマレク人と同様,神とその選ばれた民に激しく戦うキリスト教世界の僧職者をよく表わしていると言えましょう。―マタイ 23:5-7,13-15。ヨハネ 11:48-50,53。
18 イエス・キリストが全権力と全権限をもって天で支配しているこの「終わりの時」にあって,ハマン級が顕著な立場を与えられるというようなことがどのようにしてありうるのですか。
18 さて,ハマンはモルデカイの上に高められ,アハシュエロス王はすべての者が彼の前にひざまずき,ひれ伏すように命じました。では,アハシュエロスがイエス・キリストの手中にある王の権力を表わすと,どうして言いうるのですか。聖書は神が,ご自身の組織を明らかに害し,ご自身の民をしばらくの間傷つける特定の悪い事態が起こるのを許されることを述べています。その一例はテサロニケ後書 2章11節(新)に見いだされます。「このゆえに神は,彼らが偽りを信ずるようになるため偽りの働きを彼らのもとに行かせるのです[神は彼らに強力な惑わしを送られる(欽定訳)]」。神は誤りの創造者でも惑わしの源でもありませんが,神はその影響を受けさせることを自ら望んでおられる級に,惑わしが臨むのを許されます。したがって,預言的な劇の成就において,エホバは自らの民にご自分の宇宙主権を擁護することを実証させ,かつ,ご自分に対する真に神権的なクリスチャンの忠誠を証明させるために,彼らを特定の試みのもとに置くことを望まれます。エホバの右で,天と地の全権力をもって支配しておられる主イエス・キリストがこの事態を進展させます。彼は全キリスト教世界の僧職者にこの世において高い地位を得させます。そして,この世のただ中にモルデカイ級とエステル級の者たちは住んでおり,これは地上の主の民の状況に影響を与えます。それはメシヤなる王との彼ら自身の関係を破壊するものではありませんが,危難となり,彼らの命を脅かすことさえあります。―ヨハネ 16:2,3。
絶滅の危険が迫る
19 モルデカイはハマンに対してどんな態度を取りましたか。その成就を認識することが,近年のある人たちにとってそれほどむずかしくないのはなぜですか。
19 しかしながら,モルデカイはハマンに頭を下げることを拒否しました。エホバの証人は今日,キリスト教世界の僧職者に関して同様な立場を取っています。(詩 139:21,22)最近の世界情勢の動きからすればこれは理解しがたいことではないでしょう。ですが,預言的な劇の成就のこの面に関するできごとは,何年も前,すなわち反抗が一般の現象になってはおらず,教会の出席者数の割合が高く,宗教指導者が非常に尊敬されていた時に起こりはじめたことを覚えておかねばなりません。彼らは公務において高い地位を占めていました。そして,自分たちの安全を確保するためばかりでなく,世俗の指導者の関心事を押し進めるためにも世界の指導者たちと政教条約を結びました。モルデカイ級のエホバの証人が大胆に彼らを批判し,彼らが世と友好な関係にあり,そのために自らを神の敵としていることを暴露した時,それら神のしもべたちとキリスト教世界の僧職者との間に,緊張感と敵意がいかに助長されたかは理解しにくいことではありません。b (ヤコブ 4:4)しかしモルデカイ級による家から家の伝道のわざは続けられ,そして僧職者の敵意は増し,ついに彼らがモルデカイ級のわざを完全に打ち砕く決意でいることが明らかになりました。
20 (イ)ハマンはどう応じましたか。彼は何をすることに着手しましたか。(ロ)今日それに対比される事柄はなんですか。
20 モルデカイが自分に頭を下げようとしないことで自分の誇りを極度に傷つけられたハマンも,モルデカイだけにかぎらずユダヤ人全員を絶滅させようと決意します。そのためにハマンは,自分の神々から見てその謀略を遂行するのに最も幸運な時を定めるためにくじを引き,そのくじ,つまり「プル」は陰暦の12月アダルの13日を示します。次いで彼はその件を王に提出して,ユダヤ人が王の法に背いているとして訴え,彼らを滅ぼす権限を与える令状を帝国じゅうに告示するよう願い出ます。アハシュエロス王はそれに同意し,自らの認印つき指輪をハマンに与えてその文書になつ印をさせ,それを撤回不可能なメデアとペルシアの法とさせます。(エステル 3:5-15)これは,主イエス・キリストが現代において,ご自分の民を滅ぼそうとの目的を果たすためその敵があらゆる努力を傾注するのを許す,ということを示しています。しかしながら,その最終的な結果がどうなるかは,モルデカイとエステルの場合と同様,イエス・キリストの決めるところです。そうした劇的なできごとが次の記事の要旨となります。
[脚注]
a 「神の目的におけるエホバの証人」と題する本(英文)の64-73ページ(「ものみの塔」1961年3月1日号 3月15日号)をごらんください。
b 「神の目的におけるエホバの証人」と題する本(英文)の123-125,129ページ(「ものみの塔」1961年9月1日号,9月15日号,10月1日号)をごらんください。
[400ページの図版]
アハシュエロス王は,服従の態度を示さなかったワシテの代わりにエステルを后として立てる