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覚えていますかものみの塔 1979 | 3月15日
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そのため,決して終わることも乏しくなることもないという意味で「愛は決して絶え(ない)」のです。―78年 12/15 25ページ。
● ネフィリムとはだれですか。
ネフィリムとは,ノアの時代に住んでいた,神の不従順な霊の子と人間の女との間に生まれた者でした。ネフィリムの名には他の人を倒れさせる人,“打ち倒す者”という意味があります。ノアの時代にはびこっていた暴力は専らこの強い力を持つ混血種によって引き起こされたものでした。―79年 1/1 5ページ。
● 義人が病気の際,エホバがそのふしどを変えられるということに関して詩篇 41篇3節に言い表わされている確信にはどんな意味がありますか。
エホバはご自分のしもべたちが病気に耐えるように強め,回復に不可欠な希望を人の内部に生じさせます。こうして至高者は病のふしどを回復の床に変えられるのです。―79年 1/15 6,7ページ。
● 個人的な観点からして,イエス・キリストの弟子たちが模範的な行状を保ち,公の証言や他の良い業に熱心であることはなぜ急を要するものでしたか。
現在の年齢がいくつであろうとも,死もしくは“大患難”はエホバ神に対する良い業の記録を築き上げる機会を閉ざしてしまうでしょう。それで人はクリスチャンの責務を果たすことにむとんちゃくであるはずがありません。それは創造者に対する記録に影響を及ぼし,神の祝福を失うことになりかねないからです。―79年 2/15 25ページ。
● ある人が長老として任命される前に,クリスチャンとしての年数に慎重な考慮を払うべきなのは特にどんな場合ですか。
それは会衆内にすでにクリスチャン生活の長い経験を持つ長老たちがいる場合です。このような会衆で最近バプテスマを受けた人が任命されるなら,その人は「誇りのために思い上が」るようになる恐れがあります。(テモテ第一 3:6)しかし会衆が新しい人たちで構成されている場合には,比較的新しいとはいえ,聖書の資格にかなっている人が任命されても,同様の霊的な危険を招くことはありません。このような人は自分が奉仕しているのは必要が生じたからであって,霊的な人として格別に際立っているからではないということを認識します。―79年 3/1 19,20ページ。
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読者からの質問ものみの塔 1979 | 3月15日
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読者からの質問
● 自分の目と契約を結んだので処女に注意を向けることはないと語ったヨブの言葉にはどんな意味がありますか。
このヨブ記 31章1節(新)は次のようになっています。「契約を,わたしは自分の目と結んだ。それゆえ,どうしてわたしは自分が処女に対して注意深いことを示すことができようか」。これは,神への忠誠を保つ決意を抱いたヨブが,自分の妻以外の女性を情欲の目で見ることさえすまいという気持ちを固めていたという意味です。
ヨブとその妻は幾人かの子供をもうけていました。長年連れ添った妻から,神を呪って死になさいと勧められた困難な時期にも,ヨブは妻に対して忠実でした。(ヨブ 2:9,10)ヨブが一夫一婦制から離れたとか,年若い女性,処女との性行為に思いふけったとかいう記録はありません。―ヨブ 19:17。
ヨブは,不道徳行為が多くの場合,異性を肉欲の目でながめることから始まり,それが心の中に不道徳な性行為に対する欲望をつのらせる結果になることを知っていました。そのためヨブは,自分の目といわば正式な契約を結びました。どんな目的のためにですか。ヨブは妻以外の女性を色情を抱いて見ることはしないと断固決意したのです。当然,ヨブは日々の生活の中で女性を見ることもあれば,助けを必要としている婦人たちに注意を向けることもありました。しかしうわ気や恋愛をする動機で注意を払うことに関しては,問題外でした。それはヨブにはできない相談でした。確かにヨブは,“目との契約”によって,不道徳行為を招きかねない,情欲をかき立てるように見つめることから守られました。―ヨブ 31:9,11; マタイ 5:28と比較してください。
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