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血についての神の律法に従って保護をうけるものみの塔 1961 | 8月15日
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の保護も与えられるのです。
生命が救われるのであるから,危険を冒すだけの価値はあるだろうと,医師は主張します。宗教指導者たちは医師たちの主張に同調し,生命か死かという場合では,神の律法は適用しないと言うかも知れません。両方ともまちがいです。死が近づいても,考えを変えて神に背を向けるべきではありません。その時こそ,生命の力を持っておられる御方に全くよりたのむときです。そのときこそ,医師や友人や,親族などすべての人が患者に対する誠実な愛を示し,また神を恐れていることを示すべきときです。彼らは患者に,恐れてはならず信仰をしっかり保つように,そして全能の神に信頼を置くように励ますべきです。
忠実なクリスチャンたちは,悪魔の語った非難の言葉を思いおこすでしょう。彼は次のように語りました,「皮をもて皮に換ふるなれば人はそのすべてのもちものをもて己の生命に換ふべし」。(ヨブ 2:4)生命が危険になれば,神に信仰を保ち,神の律法に従う人はひとりもいないと彼は主張しました。しかし,悪魔は偽り者です。そして,地上の全地にいる神を恐れるクリスチャンたちは,血を避けよと命ずる神の律法に従うことにより,悪魔が偽り者であると日々証明しています。忠実を示す彼らは神により保護されるでしょう。たとえ死んでも,彼らは神の正義の新しい世における永遠の生命によみがえされるでしょう。
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再訪問を喜ぶものみの塔 1961 | 8月15日
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再訪問を喜ぶ
エホバは,預言者イザヤを通して言われました,「またなんぢの子らは皆ヱホバに教をうけ,なんぢの子らのやすきは大ならん,なんぢ義をもて堅くたち…」。(イザヤ 54:13,14)反対の激しいモーリシャス島のエホバの証者の小さな群れにとって,このこのは確かに真実です。この群れは,エホバ神が自分たちの教師であることを認め,また神がご自身の御言葉と制度を通して教えておられること,神の御言葉を愛する者たちは義のうちに堅くされることを認識しています。
「見よ! 私は凡ての物を新しくする」という新しい冊子は,再訪問にたいへん役に立っています。クリスチャンでない人たちと研究を始めるのに非常によく,明確な例が使われているのでこの冊子から教えることに喜びを感じます。次に述べる経験は,興味を示す人を全部再訪問する必要を強調するものです。
昨年のはじめ,ある男の人と聖書研究が始まりました。この人はまえはカトリック教徒でした。アドベンテスト派とも勉強しましたが真理が得られませんでした。エホバの証者のことを耳にした彼は,自分のるすの間にもしだれか来たら,ぜひもう一度きてくれるように頼むよう奥さんに言いつけておきました。何週間かして確かにある伝道者がやってきて奥さんに話しました。彼女は本は求めませんでしたが,もう一度来るように頼みました。ところが再訪問は行なわれず,1年間だれも彼らのところに行きませんでした。ある日曜日の朝ひとりの伝道者がその人々を訪問しました。その男の人は伝道者を家の中に招き入れて聖書の話を聞きました。月の半ばだったので本を求めることはできませんでしたが,伝道者はその人が興味をもっていることを感じ取ったので,「御国のこの良いたより」という小冊子をあげ,再び訪問する約束をしました。昨年中に御主人も奥さんも奉仕を行ないはじめました。宣教学校にもはいり,次の大会で洗礼を受けたいと言っています。
ペルー
興味をもつを人をはやく再訪問することの重要さは,この宣教者の姉妹の経験がよく物語っています。戸別伝道の時,彼女はある外国人にあいました。その人はいくらか興味を示し,また午後くるように姉妹と姉妹の主人を招待しました。同じ日の午後,2時間をその家族と過ごし,さっそく翌日の晩から研究をはじめる取りきめをしました。この男の人は,真理に非常な関心を示し,すぐに他の人にそれを教えはじめました。熱心なカトリック教徒であった娘さんも,自分の信じているカトリックの教のどれひとつ,カトリックの聖書によって教えられていないのを間もなく発見し,彼女も聖書研究に活発に参加するようになりました。3ヵ月以内に,3人がみな,伝道者になり,この家族のすすめで5つ6つの家族が聖書研究を始めました。
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