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読者よりの質問ものみの塔 1959 | 1月15日
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読者よりの質問
イスラエル人が紅海を通つたとき,紅海の水はどんな手段によつて引き留められましたか。『大水海の中にこる』と言う出エジプト記 15章8節は,水がこおつたと示していますか。―アメリカの一読者より
イスラエル人が紅海を通つたとき,ヱホバは紅海の水を分けて,水の壁となしイスラエル人の左右に立たせました。ヱホバがどのようにそうされたかは私たちに分りません。それは神の奇蹟でした。
質問の聖句,出エジプト記 15章8節は,次のように述べています,『なんじの鼻の息によりて水つみかさなり,浪かたく立ちて岸のごとくに成り,大水海の中に凝(こ)る。』『こる』という表現は,アメリカ標準訳(英文)や,欽定訳(英文)の中にも用いられており,ジエー・エヌ・ダービー,アイ・リーサー,アール・ノックス,そしてジェイ・ロザハムたちの翻訳の中でも用いられています。
『凝(こ)る』という言葉は,ウエブスターの国際辞典(英文)の定義によると,『寒さのために流動体が固体に変ること,つまり凍ること』『ねばついたものにすること,寒天のようなものにすること,凝結させること,固まらせる」という意味です。この聖句の中で『凝る』と訳されているヘブル語は,凝結した牛乳か凍結した水のように,ちぢまる又はかたくなる。つまり凝(こ)るという意味です。ヨブ記 10章10節では,その言葉は牛酪(ぎゅうらく)について用いられています。それですから,水壁が必ずしも凍結したかたいものであるという意味ではありません。もちろんヱホバはそのようなことを為し得ることができます。凝つたものの物質が寒天とか凝乳のようなものでもあり得るわけです。紅海の水はイスラエル人の両側に立てられていましたが,そのくずれ落ちるのをさし止めているものが何であるかは肉眼では見えなかつたのです。それで,凝(こ)つたもの,かたくなつたもの,凝結したもの,厚くなつたもののように見えて,両側の壁のように立つていたのです。そして,イスラエル人を水の下に没せず滅ぼすことをしなかつたのです。
冷い風が吹いて水を凍らせたのであるなら,その非常な寒さについて聖書の記録は述べたにちがいありません。そして又,そのような寒さであるなら,海の底は凍りついて旅行は危険なものになつたことでしよう。しかし,出エジプト記 14章21節は次のように述べています,『ヱホバ終夜つよき東風をもて海を退かしめ,海を陸地となしたまいて水ついに分れたり。』またイザヤ書 51章10節も同様にこう述べています,『海を乾かし,大なる淵の水をかわかし。』
モーセは,目撃した通りのことを書きしるしました。彼は強い東風に気づいて,また明らかに凝結した水の壁を見ることがでまきした。しかし,この出来事は神による奇蹟であつて,モーセは水の分けられた仕組みを説用しようとしませんでした。私たちも,そのことを説明しようとしません。
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発表ものみの塔 1959 | 1月15日
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発表
神の心を知る
神を知るには,神の心を知らなければなりません。神の御心は,神を知るようにと私たちに与えられた御言葉の中に表わされています。従つて,聖書を無視することは,宇宙で最も偉大な者の考えを無視することです。にもかかわらずある人々はそれを無視しています。彼らは,一生涯,生活に関する諸問題の解決策を他の人間の考えから得ようとします。緊迫した世界の状態は,そうした努力の空しさをよく示しています。それと同時に,自分の心を正しく導くことがいかに価値あるものかは,ヱホバの証者の一致の中によく見られます。急速に拡大しつつあるこのグループの人々の心は平和です。彼らは,現在の世界の状態は,神の御国が設立された一つのしるしにすぎないということをよく学んで知つているからです。何世紀も前に,前もつて知らされ予言されていたこの知識は,神から出たものであり人類の救いに重要なものですから,貴重なものです。御言葉を通して神の御心を探り求めることに献身している「ものみの塔」誌は,こうした事がらを定期的に掲載し,また研究した事がらをすべての善意者に発表します。1年間400円の御寄付で毎月2回この「ものみの塔」を受け取ることができます。ただちに注文されて3冊の無料の冊子をお受け取り下さい。
『ものみの塔』の研究
2月15日: 生命を守る為に物質主義と戦いなさい。23頁。
2月22日: 物質主義との戦いに肝要なものは自分を調べること。28頁。
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