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読者からの質問ものみの塔 1965 | 12月1日
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いるに違いありません。彼がそうであれば,その時滅びた他のバビロニア人にも当然同じ事があてはまります。メシヤによる御国の下に神の力によって彼らが死から復活するまでにどれほど「ながい眠り」につくかは私たちにわかりません。彼らは自分で目をさますことはできません。―ヨブ 14:10-12,19-22と比較しなさい。
● テサロニケ後書 3章14,15節で使徒パウロは排斥を論じていますか。
そうではありません。パウロはここで,会衆から全く断たれなくても,交わるのに良くない自称クリスチャンをどう扱ったらよいかを論じているのです。このことはその文脈からわかります。
6節でパウロはこう言っています。「兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして,わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから,遠ざかりなさい」。その怠惰な生活とはなんでしたか。使徒パウロは彼らが「少しも働かないで,他人のことに干渉している」と述べました。彼らが会衆の一員として,物質的な必要物を他の人に供給してもらい,自分と関係のない事柄に干渉して時間を無駄にすることなく,むしろすすんで働き,自分の必要物をまかなうようにとパウロはすすめました。
それからテサロニケの忠実な者に彼はこう語りました。「兄弟たちよ。あなたがたは,たゆまずに良い働きをしなさい。もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば,そのような人には注意をして,交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。しかし,彼を敵のように思わないで,兄弟として訓戒しなさい」。(テサロニケ後 3:13-15)クリスチャンと自称しながら,クリスチャン会衆の教えに従わず,自分の考えを固執し,自分の利己的な目的をすすめるような振舞をする者がいれば,会衆の責任のある者はそのような人に「注意」しなければなりません。その人には会衆の前で教える者となる割当ては与えられず,また他の人が見ならう模範となるべきでもありません。
霊的な思いを持つ円熟したクリスチャンはそのような人を親しい仲間に選びません。そのような見解を持つ人に耳を傾けても建て起こされず,共に時間を過すなら,その人の考えに染まる結果になるかも知れません。使徒はそのような人との交際を避けるよう兄弟たちにすすめました。それは兄弟自身の保護のため,また忠実な者はそのような人の行為を認めないことを彼に悟らせるためです。
しかし,パウロは,クリスチャンの教えをすてた人に使徒ヨハネが言ったように,あいさつをしてもいけないとは言いませんでした。(ヨハネ第二 9-11)彼はまだ兄弟であり,神のことばに従って心を入れかえるように彼を「兄弟として訓戒」すべきでした。しかし,その人が自分の考えを会衆内に広め,分裂をもたらすなら,どうしますか。テトスへの手紙でパウロはこう助言しています。異端者は,一,二度訓戒を加えた上で退けなさい。たしかに,こういう人たちは,邪道に陥り,自ら悪と知りつつも,罪を犯しているからである」。―テトス 3:10,11。
それで会衆は決して人を排斥することを求めていません。会衆はそれらの人を助けるためできるだけ努力します。しかし聖書がとくに罪と定めている道を歩みつづけるなら,エホバ神への尊敬と,神の民の保護という見地から組織の清さを保つために責任を持つしもべは適切な処置を取ります。
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発表ものみの塔 1965 | 12月1日
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発表
野外奉仕
第1世紀のイエス・キリストの使徒たちは「解き明かされた神の奥義を恐れなく伝道」しました。そのようにしてマタイ伝 10章27,28節にあるイエスの言葉に従いました。今日,恐れなく伝道する事はなおいっそう必要です。その理由でいずこでもエホバの証人は,エホバ神の目的を他の人に語り,興味を持つ人に聖書の手引きを配布します。このわざに参加するエホバの証人は12月中,「御心が地に成るように」と「宗教は人類の為に何を成したか?」の2冊の本を2冊の小冊子と共に400円の寄付で配布します。あなたご自身,これらの本をお持ちでなければ,この雑誌の発行者に直接申し込むことができます。
「ものみの塔」の研究
12月26日: 生活の中で何を第一にしますか,712頁。
1月2日: 神の国を第一にすることはエホバに祝福される,718頁。
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