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「私たちの神の家をなおざりにしない」ものみの塔 1966 | 2月15日
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32 彼らは「小羊」の血で自分の衣を洗って白くします。このことを説明しなさい。
32 それゆえ,この人々は「小羊」が流された血で自分の衣を洗います。みにくい罪の汚れを去るためです。これはイエス・キリストが神の大祭司であることを認め,この大祭司が罪のためにささげられた犠牲に信仰を持ち,ついで,もはや自分のものでも,この世のものでも,またサタン悪魔のものでもなく,神によって買われたエホバ神のものとして自らを完全に神にささげることによってなされます。
33 この者たちが神の霊の家に集まるのはなぜですか。夜奉仕することについてこの者たちはどんな態度を取りますか。
33 それゆえこの者たちが今,神に是認された立場にあるのも不思議ではありません。彼らはしゅろの枝を手に持つように,喜んで神をたたえます。この人々が,昼も夜もエホバ神に聖なる奉仕をささげるために,イエス・キリストを「隅のかしら石」とする神の霊の家に集まっているのも不思議ではありません。彼らは神の家の「霊的な祭司」に言います。「夜,〔エホバ〕の家に立って〔エホバ〕に仕えるすべてのしもべよ,〔エホバ〕をほめよ。聖所にむかってあなたがたの手をあげ,〔エホバ〕をほめよ」。霊的な祭司はこれに答えて言います。「どうぞ〔エホバ〕,天と地を造られた者,シオンからあなたを祝福されるように」。―詩 134:1-3,〔新世〕。
34 彼らは神の宮において目ざとくなにをつづけますか。1日24時間のいつ?
34 それゆえ,神の家に集合を続ける「大ぜいの群衆」は神の宮における集会に行く以上のことをします。すなわち,神への奉仕に活発に加わるのです。彼らは昼も夜も神の霊的な宮の「生ける石」のうちまだ地上に残っている人々に力を合わせます。総督ネヘミヤの時代のユダヤ人は神の崇拝のためのみつぎを怠り,宮で仕えたレビ人をしてやむなく宮を去らせ,生活のために自分の畑で働くことを余儀なくさせて,「わたしたちの神の家」をなおざりにしましたが,今日,これらの人々はこの昔の例にならおうとは思いません。(ネヘミヤ 13:10,11)それゆえ彼らは,神の「小羊」イエスによる救いを神に永遠に負っていることを認め,神の宮にあって,日夜目ざとく神に仕えます。
35 (イ)黙示録 7章9-15節の預言的な言葉が無意味なものでなかったことを説明しなさい。(ロ)大ぜいの群衆と霊的な祭司の残れる者はどんな決意を実行しますか。それはどんな結果をもたらしますか。
35 黙示録 7章9-15節の預言的な描写は無意味なものではありませんでした。そこに預言された事柄は今日,わたしたちの眼前で実現しているのです。それは地上で救われた人々の「大ぜいの群衆」が今日取るべき道を示しています。彼らは,「大きな患難」の「産みの苦しみ」の終わりが到来し,偽りの宗教とその人工の宮すべてに滅びがもたらされる前の今,これに実際に従います。神の霊の宮において,「大ぜいの群衆」と霊的な祭司の残れる者とは生きた,唯一まことの神に清い奉仕をささげます。彼らは,「わたしたちの神の家をなおざりにしない」との不変の決意を,昼も夜も実行します。その喜ばしい結果として,エホバ神の崇拝は続けられ,その活気は保たれ,従順な人々すべての祝福と永遠の命の源であられる方にいっそうの賛美がささげられるのです。
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創造者をたたえる少女ものみの塔 1966 | 2月15日
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創造者をたたえる少女
◆ オランダ領アンチル(キュラソー)の一女生徒は聖書の主題に基づく作文を書きました。受け持ちの先生は,むずかしい問題を非常によくまとめてあるこの作文が,彼女によって書かれたとは思いませんでした。しかし,創造に関する問題を話し合った結果,先生はその子が自分でそれを書いたことを確信しました。その生徒は自分の話すことをよく理解していたからです。それから先生は,どうして聖書のことをそんなによく知っているのかとその若い伝道者に尋ねました。その子が自分はエホバの証人であると話した時,先生は「それでわかった」と言いました。彼女は聖書,集会また神の組織の活動などについてくわしく話すことができました。そして先生を大会の映画に招待しました。その先生は,自分は神の道から迷い出ていたが彼女の作文と説明によって信仰がよみがえってきたとその若い伝道者に話しました。
― エホバの証人の年鑑から
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