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覚えていますかものみの塔 1979 | 8月1日
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を取り去られたことを認めていました。夕方まで契約の櫃の前にとどまっていたことは,指導的な人々が,その問題に対する深い懸念と,神の不興を招いたことへの恐れを抱いている証拠となりました。こうして彼らは,その問題の原因を捜し出し,神の恵みを得られるように,エホバの助けを仰ぎ求めていたのです。―5月15日号,10ページ。
● イスラエル人は婚約した処女として,どのようにエホバに対する愛を示しましたか。―エレミヤ 2:2。
シナイ山でエホバの妻としての関係に入る前に,イスラエル人は至高者に対する最初の信頼を示しました。彼らは,エジプトを出,それからひとけのない荒野の難路を旅するという機会に答え応じました。―6月1日号,9ページ。
● どのような意味で『エホバへの恐れは永久に立つ』のでしょうか。―詩 19:9,新。
エホバの献身したしもべたちは,造り主に対する健全な恐れを永遠にわたって抱き続けるでしょう。それは神のご命令に従うことによって示されます。こうした畏怖の念が途絶えてしまうことは決してありません。―6月15日号,7ページ。
● イスラエル人は神の『言葉を自分の心に』収めなければならないと語ったモーセの言葉はどのように理解すべきですか。―申命 6:6。
神のご命令は単に頭や記憶の問題としてとどめるべきものではなく,心で認識すべきものでした。そのようにして始めて,イスラエル人は創造者に対する真実の愛を持つことや,そのような愛を子供たちに教え込むことができました。―7月15日号,4ページ。
● 「若い時も人生の盛りも空しい」のはなぜですか。―伝道 11:10,新。
人間は永久に若者でいられないため,若者の力と活気にあふれた時代は速やかに過ぎ去ります。人生の盛りの時でさえ,人は病気や死に見舞われることがあります。若い時についてのこの厳然たる事実を無視する人は,ともすれば,その体力や能力を賢明に用いることをせず,それらを浪費して,自分自ら大人の生活を困難なものにしてしまいがちです。―7月15日号,10ページ。
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読者からの質問ものみの塔 1979 | 8月1日
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読者からの質問
● 王や顧問官たちが「自分たちのために荒れ果てた所」を築くと述べているヨブ記 3章14節(新)は,どのように理解すべきでしょうか。
これらの言葉は死の眠りにふすことに関する文脈の中に現われています。(ヨブ 3:13)マソラ本文の訂正箇所によれば,「荒れ果てた所」という表現は「ピラミッド」に置き換えることのできるものでした。大きな墓としてのピラミッドは,確かに住む人も全くない「荒れ果てた所」でした。
● モーセの律法は,なぜ自分の両親を呪う者に死刑を定めたのでしょうか。
神の律法は次のように述べています。「自分の父また母の上に災いを呼び求めるような男がいる場合,その者は必ず死に処せられるべきである。自分の父また母の上に,その者は災いを呼び求めたのである。自らの血がその者の上にある」。(レビ 20:9,新)ある人が親を呪ったり,親に何らかの恐ろしい災いが降りかかることを望んだりした場合,それは憎むべき殺人者の徴候があるものとみなされました。それは両親から示された配慮や思いやりに対して,はなはだしく感謝の念に欠けたことでした。自分から武器を持って両親を倒すことはないとしても,このような者は,心の底では,他の方法で親が死ぬことを強く願っていました。このような邪悪な精神態度は,神の目に殺人も同然です。(マタイ 5:21,22。ヨハネ第一 3:15と比較してください。)そのため,イスラエルに対する律法の中で,至高者は両親をあしざまに言うことについて,実際の殺人の場合と同じ刑罰を課されたのです。
● ソロモンの統治中,神殿建設の仕事を助けるためヒラムが派遣した巧みな職人の家柄に関する記述は,列王紀略上と歴代志略下では異なっています。これはなぜでしょうか。
列王紀略上 7章14節(新)には次のように記されています。『彼はナフタリの部族のやもめ女の子であり,その父はティルスの人であった』。歴代志略下 2章14節(新)では,この職人について,『ダンの子らのひとりの女の子ですが,その父はティルスの人です』と書かれています。これらの記述を補い合うものとみなすなら,この表面的な食い違いも容易に説明がつきます。彼の母はその部族の人を夫に持っていたという意味で,「ナフタリの部族から出たやもめ」でした。しかしながら,彼女自身の部族はダンでした。夫の死後,彼女はティルスの人と結婚し,この結婚によって,巧みな職人となった息子が生まれました。
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