科学の光に照らして見た聖書と創造
「知れエホバこそ神にますなれ,われらを造り給へるものはエホバにましませば我らはそのものなり」― 詩 100:3,文語。
1,2 なぜ多くの人は,科学が聖書の間違いを証明したと考えていますか。
月旅行をも含む宇宙開発の競争が進むにつれて,科学とその成果は万人の関心の的となりました。国々は科学の進歩を兵器の開発に応用して自衛力の増強に努め,低開発諸国は工業化を促進するため,科学の産物である色々な機械を導入します。医学の分野においても,医学の進歩が何時かは病気をなくすとさえ考えられています。ある分野における科学の進歩が非常にすばらしいため,他の多くの分野における色々な問題も,最後には科学によって解決されると考え,科学を信頼する人は少なくありません。
2 そのため,人間の起源についても,有名な科学者の説明が真実として受け入れられています。動物から人間への進化はたいていの科学者によって受け入れられ,また教えられているため,世界の人々の多くが,これを真実のことと考えています。科学を定義すれば,「知識の一分野,一団の事実を扱う研究,組織的に配列された真理および普遍的な法則の働きを示すこと」と言えます。そこで人々は,動物から人間への進化について語る科学者は事実を語っているものと考えます。この考えは,神が人間を創造したと教える聖書と矛盾します。そのため多くの人は科学が聖書の間違いを証明したと考え,聖書をもはや信じようとしません。
3 なにが事実ですか。
3 ところが科学によって聖書の間違っていることが証明されたことは,一度もないのです。聖書の中にたとえ1行でも,科学と矛盾するところはありません。むしろ科学は聖書の正しいことを裏づけています。聖書は科学の本ではありませんが,そこに書かれている事柄を科学的に見ると,聖書の述べていることは事実と矛盾していません。ただ聖書は,証明されていない一部の理論や,人間の臆測と矛盾します。現代の科学が明らかにした事実すなわち真理は,聖書と矛盾していません。聖書にしるされた人間の創造も,その例外ではないのです。単なる臆測と対比される事実すなわち科学の見出した真理は,「あなたの御言は真理であります」と述べたイエスの言葉の正しさを証明しています。―ヨハネ 17:17。
多くの人が信じない理由
4,5 聖書を信じない人があるのはなぜですか。
4 科学が聖書を裏づけているとすれば,今日多くの人はなぜ聖書を信ぜず,また生活の導きとなる神のことばとして,聖書を受け入れないのですか。科学が聖書の間違いを証明したからでないことは確かです。なかにはそのように思い込んでいるため,聖書を認めない場合もあることでしょう。しかし多くの人が聖書を信じない理由は,ほかにあります。クリスチャンはその理由を心に留めておかねばなりません。有名な科学者が述べたというだけで,どんな事も信じ込むのは早計であり,クリスチャンはそれを避けるからです。聖書に対する多くの人の不信の理由を心に留めておけば,次のことばを守る助けとなります。「あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして,俗悪なむだ話と,偽りの『知識』による反対論とを避けなさい。ある人々はそれに熱中して,信仰からそれてしまったのである」。―テモテ前 6:20,21。
5 ある人々は偏見のない心で聖書を学んだことがなく,聖書の内容を知らないために,聖書を信じません。またある人はキリスト教国で行なわれている聖書の説明,たとえば創世記にある創造の日はそれぞれ24時間であったという類の,ばかげた説明を聞かされて,聖書を調べることをやめてしまいます。ほかにも火の燃える地獄とか,悪に対する神の責任について聞かされて,人は聖書から遠ざかります。またキリスト教国が戦争を行ない,異端審問所を作り,政治に手を出してきたことを知るとき,人はキリスト教国と聖書を結びつけて考えているため,聖書をきらうようになります。このような人の多くは,真理の音信を聞くとき,キリスト教国の教義や悪行が聖書に教えられていないことを知るでしょう。
6-8 聖書を受け入れない理由には,どんな利己的な理由がありますか。
6 しかし公言しないまでも内心では聖書の清い律法に反対しているため,聖書を顧みない人もいます。このような人は自分の欲望をみたし,金銭,権力,名声,快楽あるいは不品行に対する欲求を満足させることを望んでいます。このような欲望を罪に定める聖書の清い原則は,このような行いにふける人にとって邪魔になります。それで自分の欲望を第一にする人は,正しいことをするよりも聖書を捨てるという結果になります。―テモテ後 3:1-4。ペテロ後 3:3。
7 聖書を受け入れると,自分が小さな者になってしまうため,聖書を信じない人もいます。これは世間からよく思われていたいと望む人です。聖書を受け入れると,けんそんになってエホバとみ子および神の組織に従わなければなりません。しかしある人はそれを望みません。今までのようにほめそやされることがなくなるからです。また今までの考えの多くが間違っていたことも,認めなければならないでしょう。彼らの誇りはそれを許しません。イエスの時代にも,有名人のなかにそのような人々がいました。ヨハネ伝 12章42,43節はそのことを述べています。「(彼らは)告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも,人のほまれを好んだからである」。
8 またある人は,聖書は活動を要求し過ぎると考えます。神のみ心を行なうこと,神の組織と交わること,伝道すること,霊的な円熟に進むための勉強が要求されるからです。これは余りにも大変だと,その人々は考え,安易な道を選んでもっと容易な宗教を求めたり,あるいは宗教を持つことをやめます。―ルカ 13:24。
9 このような不信があっても,クリスチャンはなぜ動揺すべきではありませんか。
9 これらの,あるいは類似の理由によって,多くの人は聖書を信じません。そこで進化論のような考えが述べられると,さっそく飛びついて,神とその正しい要求にそむいた心を少しでもいやそうとします。しかし多くの人が聖書を信じないからといって,私たちの心を乱されてはなりません。今がこの組織制度の終わりの時であってみれば,それは当然に期待されることです。イエスはそのことを預言されました。「また不法がはびこるので,多くの人の愛が冷えるであろう」。(マタイ 24:12)この組織制度の神サタン悪魔はその時が短いのを知り,すべての人を神から離反させようと必死に努めています。ゆえに人類の大多数が聖書に従うとはとうてい考えられません。聖書に従うのは少数者に過ぎないでしょう。「命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない」。(マタイ 7:14)生命に至る道がないわけではありません。ただ多くの人はそれを見出そうとしないのです。真剣に求めるならば,正しい道を見出せることを,イエスは保証されました。「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。すべて求める者は得,捜す者は見いだし,門をたたく者はあけてもらえるからである」。―マタイ 7:7,8。
神による創造
10 真理を求める人は何を確信できますか。
10 真理を求める人は,「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれた」ことを確信できます。(テモテ後 3:16)また科学が聖書をたしかに裏づけていることを知って,確信を持てます。この事は最も多く批評されてきた創世記のはじめの2,3章について言えるのです。聖書を攻撃する人は,聖書のこの部分が科学的に正しくないと考えています。科学は知識の一分野,また一団の事実あるいは真理の研究と定義されていることを心に留めて下さい。それで事実と空想とを区別することが必要です。
11 聖書の冒頭の句の正しさは,どのように証明されましたか。
11 かつて進化論者は,「はじめに神は天と地とを創造された」と述べる聖書の冒頭の句を笑いました。そして何世紀も前のギリシャの哲学者と同じく,物質は常に存在していたゆえに,宇宙にははじまりがないと主張しました。しかし原子エネルギーの時代になって地球のある元素から放射能の出ていることが発見されました。もし物質が常に存在していたとすれば,放射能物質の自然壊変はとうの昔に終わっていなければなりません。しかしそれはいまなおつづいています。そのため今では,宇宙に初めのあったことが認められており,その古さも何十億年という単位で推測されています。聖書から見ても,それは考えられる数字です。ある科学者のグループは次のように述べています。「宇宙にはじまりがあることを明言している聖書は,現代科学より何千年も先んじていたことになる」。a
12 生物の創造に関する創世記の記述の正しいことは,どのように証明されましたか。
12 生命の起源を説明することも,進化論者にとって問題でした。彼らは創世記の創造の記録を信ぜず,生命は生命のない物質から偶然に生じたと主張しました。それで次のことを書いた哲学者アリストテレスと余り変わらない考えを持っていたことになります。「乾いた物体が湿気をおび,あるいは湿気をおびた物体が乾くとき,動物の生命を生み出す」。ローマの詩人バージルは,家畜の内臓が腐敗すると,みつばちが発生すると述べています。ルイ14世時代の有名な医師は,「湿地の底からたちのぼる臭気が,蛙,なめくじ,ひる,草その他をつくり出す」と述べました。b その後フランスの化学者パスツールが出て,自然発生説の間違いを証明する実験を行ないました。その実験によって,微生物は自然に発生せず,すでに存在している他の微生物から生ずることが明らかになりました。これは地球上の生物が他の生物からのみ生ずることを示しています。
13,14 生命の自然発生はなぜ不可能ですか。
13 この証拠があるにも拘わらず,神を信じない進化論者は,生きた細胞が自然に発生したと考えています。しかしどんなに優秀な科学者も,実験室で生きた細胞を作ることに成功していません。進化論の一権威者は次のことを認めています。「大きな動物を形づくることのできる化学者はいない。また最も簡単な生物であるアミーバでさえも,人間がこれを作り出すことはできない」。(1964年3月号ハーパース・マガジン)実験的にいろいろな条件をととのえた上で試みても不可能ならば,これが自然に起こることはまず考えられません。聖書の詩篇 36篇9節は,生命の起源がどこにあるかを述べています。「いのちの泉はあなた〔エホバ〕のもとにあり」。
14 一つの細胞は簡単なものであり,従って無機物から自然に発生しても不思議ではないと考える人があるかも知れません。しかし一科学者が述べているように,一つの細胞は「きわめて複雑な組織であり,その働きはまだ研究しつくされていない」のです。「各細胞の働きは,精巧な時計もくらべものにならないほど正確」c です。別の人も述べています。細胞は,「天の星のように多く,かつ微小な自活の有機体から成る小宇宙である」。d 「細胞はニューヨーク市と同じぐらい複雑である」という言葉が,ある雑誌に出ていました。e
15 組織体が存在するには,組織する者の必要なことを説明しない。
15 ニューヨーク,ロンドン,モスクワ,パリー,東京などの都市がひとりでに出現したと考えるならば,それは正気のさたではありません。「いかなる物質もひとりでには生じない」と物理学者は述べています。一つの細胞でさえも,多くの部分から成り,それぞれが都市以上に複雑な働きを営んでいるのです。人間のからだは何兆に上る細胞からできています。これが自然に出現するでしょうか。組織体は決してひとりでには生じません。アップルパイをやくのに,りんごがひとりでに木から落ちて天火の中にころがり込み,小麦粉,卵などの材料が自然にまぜ合わされ,パイとなって出てくるのを待つ人がありますか。それはばかげたことです。しかしパイを作るのは生物をつくるよりも遙かに簡単なことです。簡単なものでもひとりでに生じないとすれば,比較にならないほど複雑なものが自然に生ずるはずはありません。
16 人体はどのように創造主の存在を物語っていますか。
16 人間のからだの一部分たとえば目のことを考えてごらんなさい。目の構造は精巧で複雑なため,科学者はその働きを理解するのに多くの年月をついやしました。カメラは原理的には目と同じものです。目とくらべればずっと簡単なカメラも,それが発明され,改良されるには学問と技術と年月が必要でした。はるかに複雑な人間の目は,目を作っている理知のない物質が見たいと思ったために,ひとりでに出来上ったのですか。見ることを知らないものが,どうして見たいと思うことがありますか。人間の目は偶然の産物ではなく,すでに見ることのできたかたによって造られた創造の驚異です。詩篇 94篇9節に,「耳を植えた者は聞くことをしないだろうか,目を造った者は見ることをしないだろうか」とある通りです。
17,18 科学の生み出したものは,宇宙にも創造主のあることをどのように物語っていますか。
17 数トンの人工衛星に乗って地球の周囲を飛んだ宇宙飛行士は,英雄としてたたえられます。人工衛星をつくりあげた科学者はほめられます。もし無数の部分がひとりでに集まってカプセルとなり,ロケットとなり,燃料となり,燃料がひとりでにタンクにおさまり,たまたま人間が乗っていたとき偶然に発射されて軌道に乗ったなどと言えば,どうですか。冗談を言っていると思われるか,さもなければ気ちがい扱いにされてしまうでしょう。しかしエホバは,無数の生物を乗せた,重さ6.5×10の21乗トンの地球を軌道に乗せました。しかも大気圏再突入の問題や,酸素の供給,食物の摂取,排泄物の処理などを心配する必要はありません。これが偶然のことと言えますか。
18 汽車や飛行機を予定通りに,また安全に運行するには,何千人の人が常時働かねばなりません。それでも事故は起きます。一方では,想像もできないほど大きな天体が驚くべき速度と正確さで運行をつづけています。この巨大な組織が意図する者なしに出来上ることは可能ですか。分別のある人ならば,イザヤの書いた次の言葉の真実を認めることでしょう。「目を高くあげて,だれが,これらのものを創造したかを見よ。主〔エホバ〕は数をしらべて万軍をひきいだし,おのおのその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより,またその力の強きがゆえに,一つも欠けることはない」。(イザヤ 40:26)ダビデも同じ感懐を述べています,「わたしは,あなたの指のわざなる天を見,あなた〔エホバ〕が設けられた月と星とを見て思います。人は何者なので,これをみ心にとめられるのですか」。(詩 8:3,4)今日においても同じく,心の正しい人は現代科学の発見と発明がくりかえし強調していること,すなわち「はじめに神は……創造された」と述べる創世記の言葉の真実を認めます。この事を信じない人について,詩篇は次のように述べています。「愚なるものは心のうちに神〔エホバ〕なしといへり」。―詩 14:1,文語。
間違っていた推測
19,20 進化論者はどんな説を次々に出しましたか。
19 前世紀の進化論者は,生物の形態の変化が漸進的な変化によって生じ,それが遂に別の種類を生み出したと考えました。それでキリンは木の高いところにある葉を食べるために首が長くなったと言う類の説明が行なわれました。また赤道近くに住む人々の皮膚が黒いのは,暑い太陽のためであると言われました。しかしオーストリアのメンデルが発見した遺伝の法則は,このような考えの間違いを明らかにしました。メンデルによれば,親から子供に形質が遺伝する現象には一定の法則があります。その法則は「類に従う」ことを述べた創世記のことばとも一致しています。この法則によれば,漸進的な変化によって一つの類の生物が他の類の生物に変化することは不可能です。色,大きさ,形にさまざまの変化があっても,それが別の類を生み出すことはありません。
20 ついで進化論者は漸進的な変化ではなく,遺伝子の急激な変化すなわち突然変異による生物の進化という説を唱えました。しかし突然変異に関して一科学者は最近次のことを述べています。「自然界にみられるものも,放射能などの人為的な手段によって発生したものも,突然変異の99パーセント以上は望ましくないものである。今日の研究はそのことを示している」。f 突然変異は奇型を生み出しますが,新しい種類を作り出すことはしません。
21 化石はどのように創造を裏づけていますか。
21 進化論者はその困難を解決するために,類と類との関連を示す化石を発見することに努めてきました。しかしひれが足や手に変化しかけ,あるいは後足が翼に変化しかけている生物の化石は一つも発見されていません。簡単に言えば,類と類の間には,何時でも大きな隔たりが存在しているのです。これは初めから相互に関連がなかったからにほかなりません。ロンドン・タイムス(1963年5月19日付)の記事は次のように述べています。「進化論を証明するのに,化石はほとんど役立たない。……一つの類が特定な変化を経て……子孫である今日の類になったと考えるには,よほど想像力を働かさねばならぬ」。
22 考古学上の発見は何を示していますか。
22 動物と同じく人間も創造されて突然に現われました。人間は動物の持たない理知を与えられています。科学はこれらの事を裏づけています。生命は泥の中から生じたのではありません。「バビロニアにおける創世記の新発見」には次のことが出ています。「時代をさかのぼればさかのぼる程,文明は原始的となり,遂には消滅して,原始人が出現するものと,発掘者は考えた。ところが人間の最古の居住地として知られるバビロニアおよびエジプトにおいて,そのことは見られなかった。文明はその現われたとき,すでに成熟している……これらの事実に照らしてみると,太古の人類が漸進的な進歩を遂げたとする考えは間違いである。また文明の現われるまでに長い時が経過したとの説も,根拠にとぼしいようだ」。
23,24 いわゆる先史時代の人間の存在は,どんな事実によって否定されますか。
23 しかしいわゆる先史時代の人間について聞くことがあります。この種の化石のあるものは人間のものではなくて動物の化石です。また他のものは,人類の一亜種に過ぎず,いわゆる現代型の人間が住んでいたとされる時代のものです。現在生存しているいろいろな人種にも,さまざまな体格や形態が見られるのとそれは同じことです。ネアンデルタール人はかって現代人の祖先であって,進化の過程に現われたものと考えられていました。しかし一百科事典には次のように出ています。「ネアンデルタール人を現代人の先祖と考えることはできない。ネアンデルタール人も現代型の人も,同じ先祖から出たものであろう」。g
24 いわゆる先史時代の人間と言われるものの多くは,決して「下等な」人ではありません。クロマニヨン人と呼ばれる人間について,一大学教授は次のように述べています。「クロマニヨン人は,知能と体格において現代の最も優秀な人種に匹敵する」。h 別の科学者も,「これらの人々は世界でも最優秀の人種に属する」と述べています。サイエンス・ダイジェスト(1961年4月号)は,進化論という臆測を信じている人を当惑させる次のことを述べています。「クロマニヨン人以来,人間の脳の大きさは小さくなっている」。人間創造,罪への堕落と退化を述べた創世記のことばは全く真実です。
25,26 いわゆる先史時代の人間の存在を否定するどんな事実が他にありますか。
25 進化論者はその論を裏づけるため,原始的言語を話す人種の存在を証明しようと努めてきました。「言語の奇跡」と題する本に次のことが出ています。「そのような人種は発見されなかった……〔オーストラリアの〕ブッシュマンおよび〔カルフォルニア半島〕のサリの言語は複雑であり,かつ退化の様相を示している……すべての言語は一つの普遍的な共通の言語から出たらしい」。サイエンス・ニュースレター(1955年9月3日)もこれを裏づけています。「原始的な言語というものは存在しない。原始的な人種の言語はうなり声であり,複雑な思想を伝えられないと考えるのは,間違っている……その言語構造はどの現代語よりも複雑である」。これは人間がはじめ一つの言語を持っていたこと,大洪水後,ことばが乱されて多くの言語となり,世界各地にひろまったという聖書の記述と一致しています。
26 いわゆる先史時代の人間は,事実を無視している人々の想像上の産物に過ぎません。進化論の推理を裏づける考古学上の証拠は一つもないからです。「人類の直接の先祖となった,理知ある類人猿の化石の発見は,今後にまたなければならぬ」と,ハーパース・マガジンは述べています。(1963年7月号)これは進化論を支持するための記事です。1世紀以上にもわたって,進化論を裏づける化石が求められてきたにもかかわらず,化石は神の創造を雄弁に物語っています。進化論者は,「人類の直接の先祖となった,理知ある類人猿の化石」を発見できません。ロンドン・タイムズの言葉を借りて言えば,それは「想像の産物」であって,実際には存在しないからです。
27 すべての証拠はどんな真理を確証していますか。
27 このような証拠を見るとき,心の正しい人は納得しますが,疑う人は決して納得しないでしょう。その人は間違いでもなんでも,自分に都合のよいものに執着するからです。「そこで神は,彼らが偽りを信ずるように,迷わす力を送り,こうして,真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を,さばくのである」。(テサロニケ後 2:11,12)神のことば聖書を軽んじ,それを空しくする悪魔的な考えは,生命をささえるために必要なものを備える創造主なる神の存在を不必要にし,また人間の罪への堕落と,あがないの必要を否定します。敬虔な人はこのような考えのとりこにされないでしょう。けんそんな人は,むかし詩篇を書いた人と同じように言います。「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います」。(詩 119:97)このような人は「エホバこそ神にますなれ,われらを造り給へるものはエホバにましませば我らはそのものなり」ということを,たしかに知っています。これは科学的な証拠の示すところとも一致しているのです。―詩 100:3,文語。
[脚注]
a W・E・フィルマー,「宇宙の起源と性質に関する最近の論文」32頁。(1953年12月7日,英国ウエストミンスターのキャクソン・ホールで開かれたビクトリヤ・インスティテュートの919回総会で発表された冊子)。
b M・プライス,「世界はどのように始まったか」35,36頁。
c 「拡大する宇宙に見られる神の証拠」122,124頁。
d B・C・ネルソン,「その類に従って」27頁。コンクリン,「遺伝と環境」第5版,210頁の引用。
e 1962年1月16日号ルック誌。「拡大する宇宙に見られる神の証拠」71頁。
f 1963年1月17日付ニュージーランド,ヘラルド,16頁。
g 大英百科事典,1946年版第14巻764頁。
h A・ベーカー,進化ではなくて創造,76頁。