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誠意さえあれば神は喜びますかものみの塔 1964 | 3月1日
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た崇拝者たちの間に見られます。
しかし献身したクリスチャンたちの間にあっても,ひとりびとりは,ただ動作だけしていれば神に喜ばれる,という考え違いをしてはなりません。神に献身した人は全身全霊をささげ,心から従順でなければならないのです。また神のご命令を守らねばなりません。神のすべてのおきてを尊重する他のクリスチャンたちと交わっていても,それはひとりびとりが神を喜ばせている保証にはなりません。神に従うなら,彼らは神を喜ばせます。神に従わないなら,誠実な気持をもつと主張しても,他の献身したクリスチャンたちと交わっても,神を喜ばすまでには至りません。
神はあなどられるかたではありません。神の目的は変わりません。神は言われることを必ず成し遂げられます。必ず行なわれます。神が人間に一定の崇拝の仕方を命ぜられるなら,人間はそれに従うべきです。誠実であることに,神のみこころを実行することが伴ってこそ,神を喜ばすことができます。誠実なだけで神のみこころの実行が伴わなければ,神を喜ばすことはできません。
なぜ神を喜ばすのか
人が民法を破るなら,罪をこうむります。しかしそれを守るなら,その法律を作った社会から益を受けます。人が神のおきてを破るなら罪をこうむります。神のおきてを守るなら神からくる益を楽しみます。
いまの時代に神のおきてを破るならどんな罰を受けますか。私たちは終りの時代に,この悪い組織制度の終りが近い時に住んでいますから,詩篇記者の次のことばは深い意義をおびてきます。「しかし罪を犯す者どもは共に滅ぼされ,悪しき者の子孫は断たれる」。(詩 37:38,新口)神のおきてを犯す者は,たとえ誠実であっても,この世の終りの時に断ち滅ぼされるのです。
では心から神の命令に従う人々にはどんな益がありますか。詩篇 37篇(新世)は,「悪を離れて,善を行ないなさい。そうすれば何時までも住むことができる」と約束しています。神が善とされることを愛する人は,この組織制度の終りを生き残り,楽園が復興される新しい組織制度にはいり,そこでほんとうに「とこしえに住み」,この美しい地のしあわせを楽しみます。詩篇 37篇の29節は,この「何時までも」が,正しい事を愛する者にとってどのくらいの長さか理解する助けになります。「正しい者は国を継ぎ,とこしえにその中に住むことができる」。
神を愛し,心から神の道に従う人々が,復興された楽園で受ける報いは,平和と完全な命です。その楽園で生活するとき,彼らの正しい望みはすべてかなえられます。詩篇記者は神の約束について,「あなたはみ手を開いて,すべての生けるものの願いを飽かせられます」と述べています。―詩 145:16,新口。
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百倍を受けるものみの塔 1964 | 3月1日
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百倍を受ける
◆ 特別開拓者と勉強していた年配の夫婦は,自分の子供や友人たちから強い反対を受けていました。主人は病気になり,子供たちや近所の人々は宗教を変えたためだと言いました。病気は重く,息子は,安楽に死ぬように牧師を呼んで終油の秘跡をしてもらおうと主張しました。それでも妻は勇気を出して真理を守り,死とは何かについて聖書から説明しました。主人が死んだ時,子供や近所の人のうち助けに来た者はありませんでした。妻が特別開拓者に知らせると,近くの会衆からバスで来たかと思われるほど多数の兄弟や姉妹たちが棺と花束を持って集り,葬式に必要な一切の準備をしてゆきました。反対にあって自動車を借りられなかった兄弟たちは,雨の中で7キロもの道のりを歩き,棺を墓地まで運びました。その後はどうなったでしょうか。特別開拓者からの手紙は次の通りです。「兄弟たちが実際に示したクリスチャン同志の協力を見て周囲の人々の気持はやわらぎました。残った妻とその二人の娘および孫の一人は今では浸礼を受けています。強く反対していた息子たちも聖書の勉強をしています。このすべてはクリスチャンの行いとエホバの真の愛ある助けのおかげです」― マルコ 10:29,30
― 1964年度エホバの証者の年鑑フィリピンの項から
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