第3章
秘義の巻き物の封印を破る
1,2 だれも開くことができないと考えて,ヨハネが泣かなければならないほどその巻き物が重要だったのはなぜですか。
19世紀前,エーゲ海の小島パトモスにいた一人の囚人は,全能のエホバ神の右手にある秘義の巻き物を開くことのできる者が,しばらくの間,天にも地にもだれひとりいそうもないのを見て泣きました。
2 巻き物は内側にも裏側にも何かが書き記されていましたが,それは巻き上げられており,神の公式の承認なしには破ることのできない,七つの封印がしてありました。巻き物の両側に書かれている内容は,将来起こる事柄,つまり,見えない天のみならず,わたしたちの住みかである地球にも関係のある事柄を告げていました。手で記されたその巻き物は,天と地にかかわる,神の不変の予知と目的とを表わしていたのです。その巻き物は,全能の神が将来に関して知っておられたこと,また,起こるよう決定しておられたこと,さらに,起こるのを許す事態についてご自分が何を意図されたかを明らかにしていました。ローマの罪人を収容する島にいた囚人,クリスチャン使徒ヨハネが,その七つの封印を破り,彼自身とわたしたちすべてに関する,巻き物の中に記されている奥義を啓示する被造物がだれもいないと考え,絶望のあまり泣いたのは無理からぬことでした。―啓示 5:4。
3 各の封印が開かれた後にヨハネが書き留めた事柄は,見えるようになった巻き物の各部分に関し,十分の理解を啓示することにはなりませんでした。なぜですか。
3 各封印が開かれ,巻き物のその部分が啓示されても,秘義は難解の度を深めるだけでした。それは象徴的な言語あるいは形象によって啓示されており,説明を要したのです。つまり,啓示された象徴的な事柄が,人類の実際の歴史の上で成就することが必要でした。そうしてのみ,それらは十分に理解され,わたしたちは,全能の神がどのように正確に物事を予知されたか,ご自分の愛ある目的をどのように忠実に遂行されたかを知ることができるのです。したがって,各の封印が破られた後に,ヨハネが自分の見たことを描写しようと書き留めたこと,それだけでは問題の解決にはなりませんでした。わたしたちの理解を可能にするためには,ヨハネの見聞きした象徴的な事柄に関し,正しい解釈が与えられねばならなかったのです。すなわち,神の見えない活動力である霊の助けを通して正しい解釈を得るため,宇宙の歴史の展開を待つことが必要だったのです。つまり,宇宙的な関心を引き,かつ宇宙的な重要性を帯びる出来事に満ちた驚くべき今世紀に,巻き物の封印がもう一度,補足的な意味で破られることが要求されました。
4,5 「ユダ族の者であるしし」は今日,わたしたちのためには補足的な意味で封印を破っています。どのようにですか。
4 わたしたちはこうして,今日,神からふさわしい者とされた子羊,すなわち「ユダ族の者であるしし」が封印を破り,預言的な巻き物の内容が明らかにされるのを見ていた時のクリスチャン使徒ヨハネと同じく,この秘義に強く魅せられます。使徒ヨハネは,個々の象徴および象徴的な出来事が明らかにされるのを期待しました。今日のわたしたちは,巻き物の封印があたかも初めて破られるかのように,それら象徴および象徴的な出来事に関する秘密の解明を期待し,また期待し続けるのです。ヨハネが見たのは幻においてであり,わたしたちは現実に,実際の人類の経験を通して見るのです。わたしたちは深い関心を抱いて,ヨハネの告げることに耳を傾けます。
5 「そして,子羊が七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』と言うのが聞こえた」― 啓示 6:1。
第一の封印を開く
6 (イ)「来なさい!」との招待は何を意味していますか。なぜそれを無視する口実はありませんか。(ロ)どの生き物が招待を差し伸べましたか。その者がそのとき話すのはなぜ適切でしたか。
6 第一の封印が開かれて後,わたしたちが現代目にする出来事や明らかになる事柄は,重要です。それを無視する口実はありません。それを見るよう,わたしたちは耳が張り裂けるような雷鳴によって招待されているからです。「来なさい!」つまり,見に来るようにとの招待は,「四つの生き物」の一つによって表わされている者から差し伸べられています。その者は「雷のような声で」話し,ヨハネに来るようにと招待しました。それは疑いなく,使徒ヨハネが見た四つの生き物のケルブの最初の者,つまり『ししに似ている』者であり,その者は神の公正を表わしていました。(啓示 4:7)それは神のみ座の前面の前中央に位置しており,エルサレムにあったソロモン王の王座に幾分似ていました。ソロモン王の王座の扶手のわきには二つのししの像があり,『其六の階級には十二の獅子がこなたかなたに立っていました』。(列王上 10:18-20)ししに似たこの生き物は,神の公正の成就における何かに注意を向けるだけでなく,自分に似ただれか,すなわち,ついに義の行動に移る天の王としての,「ユダ族の者であるしし」を指し示そうとしていたのです。
7,8 (イ)ヨハネは次に何を見ましたか。(ロ)この場景は,ヨハネの時代に存在していたローマ帝国に対する,パルチヤ人の侵入を予影していたのですか。
7 使徒ヨハネは,わたしたちが今日,霊的な識別の目をもって見るであろうものを象徴する,何を見たのでしょうか。彼はこう述べています。「そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」― 啓示 6:2。
8 この場景は,東方からパルチヤ人がローマ帝国へ侵入することを予影していたのではありません。確かにパルチヤ人は馬上から弓を操るのが巧みでした。退却すると見せかけておいて,ねらい定めた弓から後方に,いわゆる“最後の一矢”を射るのがその騎兵の戦術でした。こうしたことを思い出させるとはいえ,使徒ヨハネがここで見た場景は,それよりはるかに重大なことを予告していたのです。
9 詩篇 45篇は白い馬の騎士がだれであることを明らかにしていますか。
9 この白い馬に乗っているかたの実体は,ある王に関する霊感の詩,つまり詩篇 45篇から明らかになります。4-7節〔新〕は,その王に預言的に語りかけ,こう述べています。『なんぢ真理と柔和とただしきとのために威をたくましくし勝をえて乗すすめ なんぢの右手なんぢに畏るべきことををしへん なんぢの矢は鋭して王のあたの胸をつらぬき もろもろの民はなんぢの下にたふる 神〔こそ〕なんぢの宝座いやとほ永く なんぢの国のつえは公平のつえなり なんぢは義をいつくしみ悪をにくむこのゆえに神なんぢの神はよろこびの膏をなんぢの侶よりまさりて汝にそそぎたまへり』。この預言的な言葉は,その五百年余の後,ヘブライ人への手紙の筆者がその1章1,2,8,9節で,神の子であるイエス・キリストに当てはめました。この事実と調和して,ヨハネに与えられた幻の他の詳細は,白い馬に乗っているこのかたが,「ユダ族の者であるしし」,栄光を受けた,神の天のみ子であることを証明しています。したがって,巻き物の最初の封印が開かれた時,神の子羊はご自分が王として行動に移るところを見たことになります。
10 (イ)この騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている白い馬の騎士とどのように外見が違いますか。(ロ)それら二人の騎士の使命はどこが違いますか。
10 この予備的な幻における白い馬の騎士は,啓示 19章11-16節に描かれている騎士と外見が異なります。後者の場合,その騎士は,頭に「多くの王冠」を着け,そして,地の諸国民を打ち,彼らに神の裁きの執行を宣告する鋭くて長い剣を,自分の口から突き出しているかたとして描かれています。しかしこの後者の幻における騎士は,「ヘブライ語でハルマゲドン[アーマゲドン]と呼ばれる場所」で戦われる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」に馬を進めているのです。(啓示 16:14-16)その戦争において,予告されていた地の諸国民の「終わりの時」は終結します。(ダニエル 12:4,新)しかし,巻き物の最初の封印が開かれた後に白い馬の騎士が弓を携えて現われる時は,「終わりの時」の始まりに相当します。それは七つの異邦人の時が終わった時ですから,第一次世界大戦のぼっ発した年,つまり1914年の初秋です。それゆえ,白い馬の騎士は,平和の使命を帯びて出発するわけではありません。
11,12 馬,馬の色,騎士が手にしている弓は,それぞれ何を象徴していますか。
11 天の騎士が馬に乗っているということ自体,その使命が戦争にかかわるものであることを明らかにしています。昔の聖書時代において馬は,箴言 21章31節にあるとおり,戦いの象徴でした。「戦闘の日のために馬を備ふ」。(ヨブ 39:19-25もごらんください。)騎士の馬が白馬であることは,それが義にかなった戦争,神の公正と義を立証する戦争であることを確証します。この事実と調和して,白い馬の騎士は,同じく戦争の武器である,弓を持っています。聖書時代のイスラエルの王は,弓の名手でした。(サムエル後 1:22)しかし,油そそがれて間もないイスラエルのエヒウ王は,白い馬の騎士のように馬上からではなく,兵車から弓を使って敵を殺しました。―列王下 9:20-24。
12 聖書時代には,騎兵のある者は,よく槍を携えました。しかし,その場合には敵に近寄って,やりを相手に突き刺さねばなりませんでした。走る馬の上から正確に矢を射るのは一つの芸でしたが,それにより白い馬の騎士は遠くから,矢をもって敵の心臓を貫くことができるのです。―詩 7:11-13。
13 (イ)この点イエス・キリストは,どのように詩篇 110篇1,2節を成就しますか。(ロ)彼の矢は何を象徴しますか。
13 天におられる主なる神が詩篇 110篇1,2節を,エルサレムのダビデ王の子孫であり,主である,み子イエス・キリストに関して成就させる時が明らかに来ていたのです。「我なんぢの仇をなんぢの承足とするまではわが右にざすべし」。「エホバなんぢのちからの杖をシオンよりつきいださしめたまはん 汝はもろもろの仇のなかに王となるべし」。異邦人の時の終わりであった1914年には,目に見えない聖なる天においてさえ,神とキリストの敵がいました。そのため,神から権限を与えられた王イエス・キリストは,啓示の書の後の章に示されているように,まずそれら天の敵に対して行動を起こすのです。ゆえに彼は,いわば白い馬に乗って遣わされ,弓で武装しているのです。彼が軍馬の上から射る矢は,神と神の民に敵する者たちを的とする,『エホバよりの救いの矢,救いの矢』となります。(列王下 13:17)ねらいたがわずに放たれるその象徴的な矢は,敵が最終的に滅ぼし尽くされるまで,敵に対する神の裁きの表明となります。
14,15 (イ)弓の使用が秀でたことで有名な国はどの国でしたか。(ロ)白い馬の騎士が弓で武装していることは,彼がどんな預言的な役割を果たすことを示唆していますか。
14 ここで,古代ペルシャの地が馬の国であったこと,また,ペルシャ人が弓の名手であったことを思い起こすのは適切です。歴史によると,彼らは弓を武器として盛んに用いました。ペルシャ人がバビロニア人を倒して,今日に至るまで人類史に出現した七つの世界強国中,四番目の地位を築いたのは,弓の使用に大きく依存していました。
15 したがって,白い馬の騎士が弓で武装しているということは,そのかたが,西暦前539年,ユーフラテス川に位置するバビロンを攻略し,第三世界強国としてのその地位を覆した,古代ペルシャ帝国のクロス大王の果たした役割を演じることを示唆しています。ペルシャの王たちの乗った白い馬を思い起こしてください。また,ローマ人の勝者たちが首都への凱旋行列のさいに乗った馬については言うまでもありません。(エステル 6:8-11)これは,白い馬の騎士が,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンを覆し,次いで,その支配下からエホバの民を解放するため,大いなるクロスとしてエホバ神に用いられることを意味しています。神の民すべてがそのご命令に従って大いなるバビロンから出た後,この大いなるクロスは,バビロン的な偽りの宗教の,邪悪な世界帝国を滅亡させるのです。―イザヤ 13:17-19。啓示 16:12; 17:1-18。「『大いなるバビロンは倒れた!』神の王国は支配す」(英文)の197-199ページをごらんください。
16,17 (イ)白い馬の騎士はいつ馬を進め始めますか。彼に与えられる冠は何を表わしますか。(ロ)この冠が西暦前607年以来,彼のために取って置かれていたことを聖書から示しなさい。
16 それにしても,白い馬の騎手が馬に乗り始めるのはいつですか。まず,王として冠を授けられる後です。彼は王冠を着けて馬を進めるのです。啓示(6:2)は続けてこう述べているからです。「そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。これで時間について疑問の余地はありません。それは,西暦1914年の異邦人の時の終わりからです。その時こそ,エホバ神が,ダビデ王の永久相続者,すなわち「ユダ族の者であるしし」の頭上に冠を授ける時だったのです。執行力を有する王権の表象であるその冠は,王都エルサレムが異教徒のバビロニア人に滅ぼされた西暦前607年以降,ダビデ王の子孫のだれにも授けられませんでした。その冠を着けた最後の地上の王,ゼデキヤ王の時代に異邦人の時は始まりましたが,エホバ神は彼に向かってこう言われました。
17 『汝刺透さるる者罪人イスラエルの君主よ汝の罪その終を来たらしめて汝の罰せらるる日至る 主エホバかく言ふ かぶりものを去り冠を除り離せ是は是ならざるべし卑き者は高くせられ高き者は卑くせられん 我覆すことをなし覆すことをなし覆すことを為ん権威を持つべき者の来たる時まで是は有ることなし彼に我之を与ふ』― エゼキエル 21:25-27。
18 (イ)王権に対する法的権利を持つかたはだれでしたか。そのかたが西暦1914年に至るまで王権を取ることができなかったのはなぜですか。(ロ)ここで起こったことは,西暦前607年に生じたことの正反対です。どのようにですか。
18 冠によって表わされている,王国に対する法的権利を持たれるかたは,神の子羊,すなわち,ダビデ王の永久相続者であるイエス・キリストです。彼は,西暦1914年の異邦人の時の終わりが来るまでは,神のみ手にある王権の冠を頂くために到来することはできませんでした。しかしその終わりが来た時には,たしかに到来されたのです。それはダニエル書 7章13,14節の幻に示されているとおりです。日の老いたる者であるエホバ神は,冠と王権に対する彼の法的権利を認められました。そしてその時に,「我之を与ふ」との神の約束が成就したのです。(詩 21:1-3)それは目に見えない天で生じたことです。もはや,古代のダビデ王の家系は「卑き者」ではなく,逆に,地上の異邦人の王たちは「高き者」ではありませんでした。2,520年前,つまり西暦前607年とは正反対の行動が取られたのです。今や,神から王権を付与され,冠を頂いた「高き者」イエス・キリストは,白い馬の騎士として弓を帯び,すべての敵に立ち向かうことができます。彼は神の王国の敵を滅ぼさなければなりません。
19 (イ)キリストは西暦1914年,どのように『征服しに出て行った』のですか。彼はどのように「征服を完了する」のですか。(ロ)第一次世界大戦が始まった原因は何ですか。
19 冠を授けられ,義の戦いに携わる白い馬にまたがる王は,その時からずっと馬を進め,成功を収めておられます。彼は征服を開始し,完全な勝利をもって征服を終了されるのです。ご自分に最も近い敵,つまり,目に見えない天にいるサタンとその悪霊に注意を向けることにより,『彼は征服しに出て行き』,神の聖なるケルブ,セラピムまたみ使いたちと親しく接することのできる天から,彼らを完全に追放されました。使徒ヨハネは,秘義の巻き物の第七の封印が開かれた後に,このサタンの放逐についての幻を与えられたのです。(啓示 12:1-13)1914年7月28日,世界支配の問題に関し,異邦諸国の間に始まった第一次世界大戦は,キリストが始めたものではありません。悪魔サタンは,交戦する自分の諸国民のいるこの地に,悪霊たちと共に監禁されており,聖なる天に二度と再び入ることはできません。
20 (イ)白い馬の騎士は征服を完了しましたか。答えの理由を述べなさい。(ロ)征服が完了するのはいつですか。
20 今日の地上の状況から判断すると,冠を着けた,白い馬の騎士は,まだ征服を完了してはいません。敵の異邦諸国民は,今のところ宗教的な大いなるバビロンの支配下にあって依然存続しています。イエス・キリストは,第一次世界大戦が最高潮に達した時,彼らを容易に滅ぼすことができました。しかし,その時,またそのような方法で彼が征服を完了することは,神の時にかなっていなかったのです。使徒ヨハネに与えられた啓示が明らかにしているように,他の事柄がまず引き続き起こらねばなりませんでした。その時は,まだ「全能者なる神の大いなる日」ではなく,地上の異邦諸国民は戦場に,つまり,「ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる場所」にまだ行進していなかったのです。(啓示 16:14,16)冠を授けられた騎士は,その場その時において征服を完了するのです。彼は今や勝利の行進の終わりに近づいています。その時わたしたちはどちらの側にいるでしょうか。
21,22 聖書は白い馬の騎士が確かに征服を完了することをどのように示していますか。だれがそれを見ますか。
21 白い馬の騎士の目的がざ折することはありません。彼の目的は征服することであり,それゆえ,ギリシャ語原文のこの個所には目的節が使われています。「彼は征服しに,また征服するために出て行った」。(啓示 6:2,ロ,ヤ)ギリシャ語本文中,接続法の動詞の不定過去は,「ここでは究極的な勝利を指している」のです。(A・T・ロバートソン「新約聖書の語描写」〔英文〕第六巻,340ページ)騎士の目的は「征服を完了する」ことであり(新),彼は必ずやそうするでしょう。最終的に,彼は「王の王また主の主」と宣言されることになるからです。―啓示 19:16; 17:14。
22 この世代の人類の中のふさわしい者たちは,冠を頂く,白い馬の騎士が,全能のエホバ神の助けを借りて征服を完了するのを見ることでしょう。使徒ヨハネは,第一の封印が開かれた後に,この勝利を得る騎士の幻を見ました。それは,啓示が書かれたとされている西暦96年のことです。しかし,わたしたちのだれかがこの幻の現代の成就を見たのはいつだったのでしょうか。
23 「終了した秘義」と題する,啓示に関する協会の注解書は,騎士と弓の幻の成就を明らかにしましたか。
23 ヨハネの忠実な仲間のクリスチャンの残りの者は,冠を頂いた騎士とその弓の幻の成就を,西暦1914年の異邦人の時の終了後に識別しました。彼らがそれを識別したのは,1917年の夏ではありません。その年の七月,ものみの塔聖書冊子協会は,「聖書研究」の第七巻としても知られる,「終了した秘義」(英文)と題する本を出版しました。(1917年8月1日号の「ものみの塔およびキリストの臨在の告知者」〔英文〕,226ページ,第2欄をごらんください。)この本は啓示全体の注解を載せていましたが,啓示 6章1,2節を説明しようとする試みは時機的に少し早すぎました。
24 この幻に関する理解はいつ,どのように神の民に啓示されましたか。
24 しかしその13年後の1930年8月11日,ものみの塔協会は,2巻から成る「光」(英文)と題する本をブルックリン本部で発表しました。ついにこの本が,1914年の異邦人の時の終了後の出来事,胸を躍らせる数々の聖書預言の成就となった出来事に基づき,啓示 6章1,2節の説明を与えたのです。20世紀に住む,ヨハネの仲間のクリスチャンたちは,この出版物により,ヨハネの幻の意味を識別しました。彼らは,武装し,冠を頂いた,白い馬の騎士がだれか,また,彼が神の敵すべてに対する,だれもとどめることのできない勝利の行進をどのように始めたかを学びました。彼らは理解の眼前に展開される幻に魅せられ,だれも打ち負かすことのできない騎士が,近づく「全能者なる神の大いなる日の戦争」において,勝利に向かって突撃するのを見守るのです。