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「神よ,立ちあがって,その敵を散らしてください」ものみの塔 1968 | 2月1日
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26 (イ)「おとずれを携えた女たち」が「大いなる群れ」を成すことは,今日どのように真実ですか。(ロ)「軍勢」ということばは,これらの婦人にとってなぜ適切ですか。
26 神のこれら霊的な勝利は今に至るまで世界的に祝われてきました。神の「命令」はむなしくなりませんでした。神はその命令を遂行して勝利に導かれたので,「おとずれを携えた女たち」は「大いなる群れ」を成しています。(詩 68:11)それは報告された事実からも証明されています。1967年4月には全世界で115万4079人の人々が神の御国を知らせ,ハルマゲドンにむかう神の勝利の行進における神のみわざを宣明していました。祝う者は大ぜいです。それを構成する人々をしらべると,その大多数は婦人であることがわかるでしょう。ゆえにこれら115万4079人のうち,婦人は「大いなる群れ[軍勢,新世訳]」を成しています。「おとずれ」を宣べる婦人はヤハすなわちエホバの御名を持たれる神の下に戦う人々であるゆえに,適切にも「軍勢」と呼ばれています。その多くは母親,妻,娘として家を顧みなければならないことでしょう。それでも彼らは地上にいる御国の証人をとおしての神の勝利の獲物にあずかります。戸別訪問による伝道において,これらの婦人は全体として男子よりも多くを行なっています。
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神はあらゆる敵の上に高く上られるものみの塔 1968 | 2月1日
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神はあらゆる敵の上に高く上られる
1 人間は神の国に対してどの程度の関心を示していますか。人間は神の国に関して何をねたんでいますか。
ダビデの天的な子イエス・キリストの治める,すでに建てられた神の国を,大多数の男子が賛めないとしても,婦人の「大いなる群れ」はそうするでしょう。男子は一般に世の政治に関心を持ち,天のシオンの山から治める神の国よりも人間の政治とナショナリズムを好みます。(黙示 14:1-5。ヘブル 12:22-28)人類の政治国家は,神のことば聖書がダビデの子の天的な国に与えている地位をねたんでいます。それでその存在また全地を治めるその権利を無視しているのです。人間は自分たちの国家のほうが神の国よりも大きく,高いと考えています。また神から拒否されていることに怒りを感じています。しっとに燃えたその態度は,詩篇作者ダビデが詩的に表現しているバシャンの山々のそれにくらべられます。バシャンの山々はみずからをシオンの山にくらべました。シオンはエルサレムがあったところです。
2,3 バシャンの高さはどれだけでしたか。エホバは統治の座としてどの山を選ばれましたか。どのようにそのことを示されましたか。
2 「神の山,バシャンの山よ。峰かさなるもろもろの山よ,何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。まことに〔エホバ〕はとこしえにそこに住まわれる。〔エホバ〕は神のいくさ車幾千万をもって,シナイから聖所にこられた。あなたはとりこを率い,人々のうちから,またそむく者のうちから贈り物をうけて,高い山に登られた。〔ヤハ〕なる神がそこに住まわれるためである」― 詩 68:15-18〔新世訳〕。
3 バシャンの山地の峰はヘルモン山において9000フィート(2740メートル)以上に達すると言えるかもしれません。弟子ペテロ,ヤコブ,ヨハネの面前におけるイエスの変ぼうが起きた「高い山」は,ヘルモン山とされています。(マタイ 17:1,2)バシャンの山地の高さにもかかわらず,エホバ神はダビデ王の首都を建設し,またダビデの王宮近くに契約の聖なる箱を安置する高所としてシオンの山を選ばれました。(サムエル下 6:12-16)それで神はダビデ王がシオンの要塞を占領し,統治の座をヘブロンからシオンの山に移すことを可能にされたのです。(サムエル下 5:4-10)シオンの占領はエホバ神の勝利でした。契約の箱がダビデ王の手でそこに移された時,それはシオンにおいてエホバ神がイスラエル国民を治めはじめられたかのようでした。シオンの山でダビデ王はエホバの見える代表者として「エホバの位」に座したとしるされています。―歴代上 29:23,文語。
4 (イ)ダビデの時代にエホバはどのように高く上られましたか。(ロ)エホバはどのようにとりこを連れ去り,「人々の賜物」を得られましたか。
4 シオンの山は海抜2500フィート(760メートル余)にすぎません。エホバの臨在を表わす契約の箱がそこに移された時,エホバはあたかも何万の戦車をひきいたかのようにしてそこへ行かれました。シオンの山は神の地上の国のために戦いとられたからです。神から油そそがれたダビデ王は,約束の地において敵に対する勝利を与えられ,大ぜいの者を捕虜にしました。その多くは神の選民が土地を占領するに際して頑強に抵抗した者たちです。それはあたかもエホバご自身が捕虜をひきいてシオンの山に凱旋されたかのようでした。捕虜の多くは奴隷にすることのできる者であり,とくに神の崇拝の幕屋において下働きをする者としてレビ人に贈られる人々の賜物となりました。(エズラ 8:20)このようにしてエホバは「人々の賜物」を得られ,また頑強な敵を平定する必要があったにしても約束の地に住まうことを始められたのです。
5 (イ)エホバは王なる石としてイエス・キリストをどこにすえられましたか。どのように?(ロ)この王なる石に関して,キリスト教国の支配者はユダヤ人の支配者とどのようにくらべられますか。
5 地上のシオンの山はダビデ自身が統治を行なった場所です。エホバの独り子イエス・キリストは人間としてはダビデの子孫であり,したがって栄光を受けたこの御子をエホバが即位させた天の高みは,シオンの山にたとえられます。エホバは御子を死から復活させてのち,王なる石としてイエス・キリストを天のシオンの山にすえられました。そのすべてはイザヤ書 28章16節の成就です。(ペテロ第一 2:5-7)しかしダビデの子孫であるゆえにダビデの国の正当な相続者であるイエス・キリストを受け入れる段になると,19世紀前のユダヤ人の支配者は,皇帝テベリオ・カイザルに仕えた総督ポンテオ・ピラトにむかって「わたしたちには,カイザル以外に王はありません」と叫びました。(ヨハネ 19:15)しかし神の復活の力によりこのダビデの子は天のシオンの山で支配しはじめました。エホバは地上のシオンの山あるいはバシャンの山々ではなくこの象徴的な山を統治の座として選ばれたのです。しかしユダヤ人の支配者と同じくキリスト教国の王たちは自分たちを治める天からの支配を望みません。彼らは地にある山々つまり自分たちの政府のほうを望みます。
「人々の賜物」
6,7 エペソ人への手紙の中で使徒パウロは詩篇 68篇が預言であることをどのように示していますか。
6 このような見方は私たちの想像ではありません。それは預言の成就です。使徒パウロ
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