あなたはほんとうに変化を見たいと思っておられますか
今日,生活の現状を直視する大ぜいの人びとは,その変化を見たいと思っています。
どんな見出しの記事が新聞に載せられるようになって欲しいと思うかと尋ねられると,世界平和,犯罪や汚染の除去,ガンの治癒を上げる人もいれば,自分たちの望む政治的な変改を指摘する人もいます。
税金や世界的な食糧不足の問題もうんぬんされます。
清浄な空気と水およびすべての人のための健全な食物に恵まれ,生態学的均衡を保ち,圧政の終わった平和で豊かな世界は確かに望ましいものです。
こうした望ましい状態がすべて同時に存在するためには,この世界は相当の変化を経なければなりません。そうした変化はどれほど広範に及ぶものでしょうか。それは日常生活の個人的な調整を要求しますか。もしそうであれば,今そうした調整をすることが自分にとってたとえひどく不都合であっても,喜んでそうしますか。
すでに指摘したとおり,世界のみじめな状態をもたらした責任はすべて支配者にあるわけではありません。もし個人個人が法律に服せば,犯罪の問題はありません。各人が隣人,職場の同僚,雇用者や従業員に思いやりを示し,正直かつ親切に人を扱うなら,偏見や憎しみはなく,ストライキのための業務停滞もありません。もし各自が喜んで,また真の興味と関心をいだいて働くなら,経済ははるかに安定し,税金は相当下がるでしょう。
とはいえ,これが今日の実情ですか。たとえば,普通の従業員は雇用者の所有物である資材・供給物・装備などをどう考えていますか。『これは小さな品物だから,取ったってかまうものか。それに,会社は余裕があるんだ』とか,『会社はたくさんもうけていながら,とにかく十分の給料をくれちゃいないんだ』などと考えますか。人びとは概して他人の所有物をぞんざいに扱いますか。公園・手洗い・街路・公共建造物など公共の施設の扱い方についてはどうですか。そうした施設に対するあなたの態度はいかがですか。こうした点での態度や習慣を改めるのは容易ではありません。しかし,そうした習慣は今日の社会の問題の基本的な原因の一つであり,義にのっとった社会とは全く相容れません。
さらに,もしおのおのが仲間の人間に対して愛をいだいているならば,もはや戦争はありません。また,もし進んで積極的に愛を表わし,人を助けるためにわざわざ努力を払い,自分自身に対するように隣人のことを気にかけるなら,真の平安と緊張からの解放がもたらされるでしょう。同胞に対してそうした深い関心をいつも示しておられますか。
望ましい世界に住む人たちはみな各自行動する,つまり各自自分の生活を大きく変えねばならないことは明らかです。そうした変化を遂げて,こうした点に沿って自分の生活を規制しないなら,他の人の迷惑となり,折り合ってなどゆけるものではありませんし,その世界の平和とのどけさにふさわしい人とはなれないでしょう。
神の約束による義の新秩序は,まさにそうした望ましいりっぱな取り決めを意味しており,さらに,完全な健康に恵まれた永遠の命の賞を伴います。聖書は,これまでに論じてきた良い状態を神のメシヤによる王国の支配下の地上で実現されるものとして描写しています。このすべてはあなたにどう訴えるものですか。
あなたは聞いて行なう人ですか
聖書の約束する,人間のための物質上の益にあずかりたくない人はまずいませんが,すべての人が自分の生き方を変えて,物質主義を退け,霊的な思いを持ちたいと願うわけではありません。そうした人びとは,神の預言者エゼキエルが次のように語りかけた,バビロン在住のユダヤ人に似ています。
「彼ら民の集会のごとくに汝に来り吾民のごとくに汝の前に坐し汝の言を聞ん然ども之を行はじ彼らは口に悦ばしきところの事をなし其心は利にしたがふなり彼等には汝悦ばしき歌 美しき声 美く奏る者のごとし彼ら汝の言を聞ん然ど之をおこなはじ」― エゼキエル 33:31,32。
事態が神の新秩序におけるすぐれた状態に変わるのを心から見たいと願う人は,使徒ペテロから,「この曲れる代より救ひ出されよ」と言われた人たちのようになります。彼らはまさに真摯な態度で,「兄弟たちよ,我ら何をなすべきか」と尋ねました。(使行 2:37,40)そうした願いをいだく人は,イエスの教えに耳を傾けるや,相当の費用がいるにもかかわらず,自分のあやまちを正して生活を変えるべく直ちに行動した収税吏ザアカイと同様の態度を取るようになります。(ルカ 19:2,8,9)また,言いわけをしたり,内心で差し控えたりしなかったために,『[エホバ]がその心をひらき謹みて使徒パウロの語る言をきかしめ』られた,テアテラの町のルデヤのようになるでしょう。―使行 16:14,15[新]。
広範にわたる有益な変化
前述の望ましい事がらすべてをもたらす変化を起こせる唯一のかたは創造者です。「なんぢ手をひらきてもろもろの生るものの願望をあかしめたまふ」と実際に言いうるのは創造者についてだけです。(詩 145:16)この変化は生きとし生けるものすべてに影響を及ぼします。地の象徴的な「基」が均衡を失うからです。エホバはご自分の契約の民イスラエルの支配者また審判者たちの不正に言及し,民の実情についてこう言われました。「かれらは知ることなく悟ることなくして暗中をゆきめぐりぬ 地のもろもろの基はうごきたり」。(詩 82:5)神はご自分の預言者イザヤを通して言われました。「地はうれへおとろへ世は萎おとろへ地のたふときものも萎はてたり 民はおきてにそむき法ををかし とこしへの契約をやぶりたるがゆえに地はその下にけがされたり」― イザヤ 24:4,5。
これらのことばは,神との契約関係にあると唱えるキリスト教世界にいっそう大規模な仕方であてはまります。しかしながら,詩篇作者は,本来そうあってしかるべき事態,また神の新秩序に見いだされる事態を描写しています。霊感の歌の中で,「獣もろもろの牲畜はふもの翼ある鳥」もろともにエホバを賛美するようにとの命令が,老若男女を問わず,あらゆる種類の人びとに差し伸べられています。(詩 148:10-13)こうして全創造物は調和を回復し,幸福と無限の益があらゆるものにもたらされるのです。
したがって,あらゆる人,すなわち神が最初に人間を作った時の状態のもとで生きたいと願う人すべての生活には,広範に及ぶ大規模な変化がぜひとも生じなければなりません。しかし,それは確かに価値ある変化であり,真の幸福をかち得る唯一の道です。どのようにしてそうした変化を遂げることができますか。「あなたは何を行ないたいと思いますか」と題する次の記事でこの問題を論ずることにいたします。