無数の人々が犠牲になっても,そこなわれることなく立つ
「千人はあなたのすぐ傍らに,万人はあなたの右に倒れる。あなたにはそれは近づかない」― 詩 91:7,新。
1 エホバを強大な鳥に例えるに際し,詩篇作者は,モーセを通して言い表わされたような神の見地を有していたと言えるのはなぜですか。
霊感を受けて詩篇 91篇を書いた人は,エホバ神を,強大な翼の鳥になぞらえたとき,神ご自身の見地を有していました。神は,イスラエルの民をシナイ山に連れて来られたあと,彼らに次のように語るようモーセに言われました。『なんじらはエジプト人に我がなしたるところの事を見 我がわしの翼をのべてなんじらを負いて我にいたらしめしを見たり』。(出エジプト 19:4)それから40年後に,神はモーセに霊感を与えて,イスラエルの前で歌わせました。「わしがその巣をかきたて,その巣立ちびなの上を舞いかけり,その翼を広げて彼らを乗せ,その翼端に負ってそれを運ぶように,エホバはただひとりで彼を導き続けられ,異国の神は彼と共にはいなかった」― 申命 32:11,12,新。
2,3 (イ)啓示 12章の中の天の「女」に関連して,神と強大な鳥とがどのように比較されていますか。(ロ)それで,これから詩篇 91篇4節を読む際に,どんな鳥を念頭において読むことができますか。
2 啓示 12章6,14節の預言的描写によると,神の天の「女」がメシアの王国を産んだあと,離れた所にいるために「荒野」に逃げなければならなかったとき,神は速く飛ぶための手段を彼女に与えられました。「大きな鷲の二つの翼が女に与えられた。荒野の中の自分の場所に飛んでゆくためであった。そこは,一時と二時と半時のあいだ彼女がへびの顔から離れて養われるところである」。エホバ神と,鳥類の王,天の君主,空の王者なる「大きな鷲」との,なんと見事な比較でしょう。
3 それでわたしたちは,次に詩篇 91篇4節(新)に記されている霊感によることばを読む際に,この王者のような鳥を念頭に置いて読むことができます。「彼はその翼端であなたに近づくものを阻み,あなたは彼の翼の下に避難する。彼の真実は大盾,また堡塁である」。
4 (イ)鳥の翼端とは何ですか。親鳥はそれで何をすることができますか。(ロ)だれがわたしたちに近づくのを,わたしたちの上に広げられた神の「翼端」は阻みますか。
4 「翼端」とは,鳥の翼の末端の部分のことで,鳥はこの下にひなを覆い,自分のからだに近づけて彼らを保護します。このようにして鳥は,すべての猛禽をひなに近づかせないようにすることができます。わたしたちもまた,無力な巣立ちびなのように,保護を与える象徴的な鳥エホバ神の,広げられた翼端の下に隠れ,そこで霊的安全を享受することができます。詩篇作者ダビデがエホバに向かって述べたとおりです。「あなたのもとに避難する者はみな喜びを得ます。定めのない時まで彼らは喜びの叫びを上げます。そしてあなたは彼らに近づくものを阻み,あなたのみ名を愛する者はあなたにあって歓喜します」。(詩 5篇:表題,1,11,新)わたしたちに霊的な害を加えようとする者たちは,わたしたちに近づくのを阻まれるので,それができません。彼らはわたしたちを神の組織から奪い去ることはできません。大いなる「鳥を捕える者」悪魔サタンは近寄ることができません。
5 サタンの組織から安全な唯一の避難所はどこですか。このことは,ルツの場合にどのように美しく述べられていますか。
5 危険にさらされているひなのように,わたしたちには全能の神のところ以外に,安全を求めて逃れる場所はありません。「あなたは彼の翼の下に避難する」。(詩 91:4,新)神の組織とサタンの組織の二つの組織しかない以上,サタンの組織から安全なこの避難所を見つけるには,霊的に安全な神の組織に連れて来られることが必要です。このことは,モアブ人の女ルツの場合に,なんと美しく示されているのでしょう。ルツは,モアブの偽りの神々を捨て,やもめとなっていたしゅうとめナオミと共にイスラエルに行きました。後日ルツの夫になったボアズはそのことをほめて彼女に言いました。『ねがわくはエホバなんじの行為に報いたまえねがわくはイスラエルの神エホバすなわちなんじがその翼の下に身を寄せんとてきたれる者なんじに十分の報施をたまわんことを』。(ルツ 2:12)エホバは,彼女への報いとしてルツをボアズの妻に選ばれ,イエス・キリストの先祖のひとりとならせました。―マタイ 1:5-25。
6 エホバの崇拝者たちは,エホバの「翼」の下に霊的安全を見いだすと同時に,だれの「翼」の下にもそれを見いだしますか。
6 イエス・キリストご自身も,鳥とそのひなを引き合いに出して,メシアとしてのイエスを退けたエルサレムに対し,次のように言われました。「わたしは幾たびあなたの子どもたちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるがごとくに。しかし,あなたがたはそれを望みませんでした」。(マタイ 23:37)エレミヤ哀歌(4:20)は,エホバの油そそがれた者,すなわちメシアのことを,『我らが鼻の気息たる者エホバにあぶらそそがれたるもの……われらが異邦にありてもこの蔭に住まんとおもいたりし者なり』と語っています。ですから今日,霊的イスラエル人とその地上の仲間たちは,エホバの「翼」の下に避難すると同時に,めんどりの翼の下にいるひよこのように,エホバのメシア,主イエス・キリストのもとに隠れているのです。霊的安全を求めてそこに逃れる彼らの期待が裏切られることはありません。
霊的害に対する恐れからの自由がある理由
7,8 エホバのどんな特質は,わたしたちにとって大盾のようですか。それはエホバをどのように特徴づけますか。
7 詩篇作者は,霊的安全を守るための保護についてさらに説明するため,今度は鳥の世界から戦争の世界に目を向けます。至高の神にさらに言及して,詩篇作者はことばを加えます。「彼の真実は大盾,また堡塁である」― 詩 91:4,新。
8 神の真実は神の愛のこもった親切と結びついています。(詩 40:10,11; 57:3; 61:7; 86:15)神を崇拝し,神に信頼する者たちに対して誠実でなければならない責任がご自分にあることを,神は認められます。これこそ神の位を特徴づけるものです。(箴 20:28)神は常にわたしたちに対する約束を守られます。エホバというその名にたがわず,わたしたちのためにご自分がなる必要のあるものになられます。神のこの特質が,わたしたちの霊的保護となるのです。わたしたちにとってそれは大盾のようであり,神はわたしたちにとって盾を持つ者のようになられます。神の真実は,わたしたちのために行なわれる忠実で,忠節な行動により実証されます。このようにしてそれはわたしたちを保護します。
9 エホバの真実はどのように「大盾」の働きをしますか。わたしたちの側について言えば,それに何が伴わねばなりませんか。
9 神の真実というこの盾は,大敵対者の射る燃える矢,つまり火矢を防ぎ,敵の剣の襲撃をかわし,突き出される剣の勢いを弱めます。わたしたちは保護となる神の真実に頼ることができます。わたしたちはそれに頼り,それに信仰を持たねばなりません。それはわたしたちの信仰に伴うものです。信仰も,神がわたしたちに与えてくださる『完全にそろったよろい』のなかの「大盾」のようであるべきです。(エフェソス 6:11-16)盾のような「彼の」(神の)真実に対するわたしたちの信仰は,恐れからわたしたちを自由にします。―創世 15:1。詩 84:11。
10 堡塁とは,戦時のどんな設備のことですか。神の真実は,わたしたちにとってどのように堡塁に似ていますか。
10 堡塁は盾よりもずっと大きな防御物です。戦争における堡塁は,固守すべき地点の周囲に築かれる土塁です。それは,地の上を進軍する敵に対して,「そこまでは来てもよい。そこを越えてはならない」と言います。エホバの真実はそのようなものです。エホバの真実は,大いなるへびである悪魔サタンが,神の天の「女」の「裔」の残りの者に対して戦いをしかける時,と啓示の中で説明されている今の時代に極めて必要です。神の真実という堡塁の陰に隠れて,わたしたちはしっかりと立つことができ,わたしたちの霊の敵の突撃や攻撃を撃退することができます。この神の堡塁は攻略することも,乗り越えることもできないものです。ですからわたしたちはその陰に隠れていましょう。神は,その真実と忠節と忠実に従い,この霊的戦いの日に,わたしたちを見捨てるようなことはされません。神の「堡塁」は,わたしたちの勝利を確実なものにします。
11 どんな命令の精神が,詩篇 91篇5,6節で詩篇作者が論理的に述べていることの動機となっていますか。
11 詩篇作者は,次のように論理的にことばを続けますから,彼の動機を成すものは,「恐れてはいけない」,という神の命令の精神です。「あなたは,夜のどんな恐ろしいものも恐れることはない。昼に飛び来る矢も,また暗がりを歩く疫病も,真昼に奪い取る破滅も」― 詩 91:5,6,新。
12 何が夜の暗さを一層恐ろしいものにしますか。エホバが夜,夜の恐ろしいものに対する恐怖を取り除かれることについて述べなさい。
12 危険地区の中や,危険な時には,夜の暗さは人を一層恐ろしい気持ちにさせます。というのは,暗やみの中では,ひそんでいる敵や有害物を見ることができないからです。しかし,わたしたちは,地上の国家群が,道徳上の暗やみと厚い霊的なやみに包まれている時代にいますが,エホバは,ご自分の民を守る者として,まどろむことも寝入ることもありません。(イザヤ 60:2。詩 121:4)ですからエホバは,ご自分の敵が,暗やみにまぎれて行なうように,ひそかに行なおうとする悪事を見逃されることは決してありません。敵がわたしたちの霊性を損い破壊しようとして用いる,人目につかない恐ろしい事柄や恐怖をいだかせる事柄も恐れるに足りません。わたしたちは強い確信をもって,詩篇 64篇1,2節のダビデのことばを取り上げることができます。『神よわがなげくときわが声をききたまえ わが命をまもりて仇のおそれより脱かれしめたまへ ねがわくは汝われをかくして悪をなすものの陰かなる謀略よりまぬかれしめ 不義をおこなうものの喧嘩よりまぬかれしめたまへ』― 詩 64:1,2。
13 恐れを感じないとは言え,わたしたちは神に信頼しながら何をしなければなりませんか。
13 敵がひそかに話し合ってたくらんだ恐ろしい事柄が突如実行に移されても,彼らの目的が達成されないことは確かです。しかしわたしたちは,隠れたところから来るそのような事柄を恐れないとはいえ,神の真実に信頼しつづけながら,警戒を怠らないようにしなければなりません。
14 わたしたちが,「昼に飛び来る矢」を恐れないのはなぜですか。
14 しかしながら,脅かすものを見ることができる昼にも危険があります。わたしたちはそうしたものを予期し,そうしたものに気づいても,恐怖に腰を抜かすべきではありません。この霊的戦いの時代に,「あなたは,夜のどんな恐ろしいものも恐れることはない。昼に飛び来る矢も」。(詩 91:5,新)なぜですか。なぜなら,わたしたちは,飛び来る敵の矢を無力にしてしまう,エホバの真実,忠節,忠実という「大盾」の陰にいるからです。昼は,矢のねらいを正確につけることができる時です。
15 昼に飛び来る「矢」とは何ですか。射手とはどんな人たちのことですか。
15 わたしたちにしかけられる霊的戦いにおけるこれらの「矢」は,ことばによる不当な攻撃,まちがった非難,偽りの宣伝,悪意のある中傷,はなはだしく偽り伝えること,暴力による威嚇,法廷における法律の悪用,そうです,法律によって危害をたくらむこと,罪のない者を『定めによって苦しめることをたくらむ』ことです。(詩 94:20)油そそがれたダビデは,詩篇 64篇3節から5節〔新〕で,敵の射手を次のように描写しています。『かれらは剣のごとくおのが舌をとぎ その弓をはり矢をつがえるごとく苦言をはなち 隠れたるところにて全き者を射んとす にわかにこれを射ておそるることなし またたがいにあしきくわだてをはげまし共にはかりてひそかにわなをもうく かくていう誰か〔彼ら[わな]〕を見んと』。
16 敵の射るそのような「矢」にもかかわらず,エホバの証人たちは,エホバの「大盾」の陰でどのように過ごしましたか。
16 1919年以来,そのようなひゆ的な「矢」がすべて,エホバのクリスチャン証人めがけて昼に飛んで来ているにもかかわらず,彼らは生ける真の神を崇拝することも,神のメシアの王国の良いたよりを世界じゅうに宣べ伝えることも,やめませんでした。それは,エホバが,現在エホバの組織に属する者たちに言われたとおりです。『すべてなんじを攻めんとてつくられしうつわものは利あることなし 興起ちてなんじとあらそい訴うる舌はなんじに罪せらるべし』。(イザヤ 54:17)エホバの証人は,敵の「矢」を恐れることなく,エホバの「大盾」の陰でわざを続行してきました。そして敵の射手は偽り伝える者であることを明らかにされたのに反し,エホバの崇拝者たちは正しさを立証され,霊的に生きつづけています。
17,18 「暗がりを歩く疫病」の発生源は何ですか。とくにだれのためのものですか。そしてそれはどんな人々の間で,また何によっていやされることを阻まれていますか。
17 詩篇作者は再び暗やみと光を,そしてそれぞれに伴う危険を対照させ,こう言います。「あなたは……恐れることはない。……暗がりを歩く疫病も,真昼に奪い取る破滅も」― 詩 91:5,6,新。
18 ここで言われている疫病は,3節の疫病と同じく,エホバがご自分の地上の敵の上に,あるいはエホバに不従順な者たちの上に送られる疫病ではありません。それは,道徳的に,宗教的に病んでいる世界のその暗がりの中で発生する,この世の疫病です。これは,この世的な人々のみならず,とりわけエホバの崇拝者を感染させ,卑しくさせるためのものです。それは,破滅の差し迫った夜の時にあるこの世の道徳,社会,政治,宗教の「暗がり」に出没します。そして世の人々は,「その翼にいやす力」を持つ「義の太陽」が,直す力を持つその光が,疫病のはびこるその暗がりを消散させることを阻むのです。(マラキ 4:2,新)なおまた,コリント第二 4章4節では,「この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしているのです」と述べられています。
19,20 ここで言われている「疫病」は何ですか。何がそのまんえんを助けていますか。
19 その結果生ずる暗がりは,そのひゆ的な「疫病」のまんえんには好適です。暗がりの恐ろしさに加えて,この疫病はやみの中,すなわち真の神とそのご性質,またその目的と愛のこもった備えについて,人々の思いと心がくらまされるような状況の存在するときに襲います。そのような状況のもとでは,その疫病は,感染した人々の思いと心を,致命的な病気にかかったような状態にします。(テモテ第一 6:4)したがって,そのひゆ的な「疫病」が,人間の代理者を通して,エフェソス 6章12節が「このやみの世の支配者たち……天の場所にある邪悪な霊の勢力」と呼んでいるものから来る,悪霊の息のかかった道徳や宗教の教義であることは明らかです。
20 霊的に病気であるそれら悪霊の使いたちが,彼らの不健康な教えを自称クリスチャンたちの間に巧みに浸透させるということは,使徒パウロがテモテに書き送っています。「のちの時代にある者たちが信仰から離れ去り,人を惑わす霊感のことばや悪霊の教えに気を奪われるようにな(る)……それは,偽りを語(る)……者たちの偽善によるもので(す)」― テモテ第一 4:1,2。
21 暗がりで伝染するこの「疫病」はどれほど広く広がっていますか。
21 預言にたがわず,聖書に反する人間製の言い伝えを含め,悪霊の息のかかった道徳と宗教の教義のこの疫病は,異教世界の境を越えてキリスト教世界全体に広がりました。ですからキリスト教世界の教会に通う人々はそれに感染し,宗教の面で病気の状態になって,自らの救いを危うくしています。しかし神は,疫病を発生させる「暗がり」に対してわたしたちを啓発してくださいました。
22 「真昼に奪い取る破滅」については,何のように解釈するのが適当ですか。
22 しかし,真のクリスチャンが神の「真実」という「大盾」の陰にいて恐れることがない,「真昼に奪い取る破滅」はどうでしょうか。真昼,すなわち晴天の日の最も明るい時は,夜の暗がりの正反対です。(ヨブ 11:17)それでも,この「真昼」の明るさと暖かさに伴う『奪い取ること』,すなわち「破滅」があります。これは,「昼に飛び来る矢」と似ています。ここの「破滅」は,目に見えるもの,あるいは有形のものとして描かれてはいませんが,それにもかかわらず真昼に襲う略奪者たちのように奪い取ります。(エレミヤ 6:4; 15:8; 20:16)それは,多くの犠牲者を打ち倒し,その命を奪う,伝染性の強い疫病のような苦悩の種であると解釈するのが適当でしょう。
23 ここの「真昼」は何を意味しますか。真昼の間に「奪い取る破滅」とは何ですか。
23 ここの「真昼」は,この世的な意味で言われています。その明るい光は,この世の頭脳時代,核時代,宇宙時代のいわゆる「啓発された状態」のことです。その教義と宣伝は,人間の知性の行使を誇るものであり,物質主義的です。そのような教義を吹き込まれる人は霊的に破滅します。なぜならそれは,神のことば,神の崇拝,神のメシアの王国に反しているからです。ですからそれは疫病に似た影響を及ぼし,多数の人は,「誤って『知識』ととなえられているものによる反対論」のために混乱してしまい,信仰を失います。(テモテ第一 6:20,21)犠牲者は最後に,にがにがしい気持ちや失望感,ざせつ感を味わいます。今日の世界は,人間の知性を偏重したために,そのにがい実を食べています。明るく輝く科学者や,政治,教育,社会関係の学者たちは,この世的な社会の上に『暑さ』を増し加えてきたに過ぎません。彼らは神を認めないその教義によって,現代社会がその中に住む,知的,道徳的環境を汚染してきました。
24 「真昼に奪い取る破滅」が特に暴露されたのはいつでしたか。それと対照的にどんな霊的啓発が与えられるようになりましたか。
24 霊的な意味で致命傷を与える「真昼に奪い取る破滅」は特に,啓示 16章8,9節に述べられている「第四の災厄」によって暴露されました。この「災厄」の鉢は,1925年に,その夏開かれたエホバの証人のインディアナポリス(インディアナ州)大会で,人間の知性偏重という「太陽」の上に注がれ始めました。その同じ年に,啓示 12章1節から13節の預言的な描写に基づき,神の王国の誕生,サタンとその配下の悪霊たちが天から追放されたことなどが説明されました。このようにしてエホバの崇拝者たちは,命を与える霊的啓発を受け始めました。それは,「破滅」によって彼らの真昼に霊的命を奪われた人々の,現代主義的な,この世的に賢く啓発された状態とは対照的でした。
迫る危険のただなかで霊的に生き残る
25,26 「あなたのすぐ傍らに例れる」「千人」とはだれですか。彼らはどういう意味で倒れますか。なぜですか。
25 「至高者のもとなる隠れた所」,「まさに全能者の影のもと」にいる者たちは,前述のような霊的命を脅かすものを恐れません。一つの級としての彼らに語りかけられた次のことばの中で,詩篇作者はいまや信仰を鼓舞する次のような保証を与えます。「千人はあなたのすぐ傍らに,万人はあなたの右に倒れる。あなたにはそれは近づかない」― 詩 91:7,新。
26 エホバ神の献身した崇拝者たちの「すぐ傍ら」にいると言われている人々は,聖書の神を崇拝すると公言するキリスト教世界の人々とユダヤ民族でしょう。彼らは,エホバのもとにある霊的に安全な所にいないために「倒れ」霊的な意味で死にます。したがって彼らは,詩篇作者が描写している,霊的に致命傷を与えるもの,すなわち地の夜の恐ろしいもの,昼に飛び来る矢,暗がりで伝染する疫病,「真昼に奪い取る破滅」などにさらされています。彼らは神を本当に彼らの強力な「避難所」としてきませんでした。
27 「あなたの右」に倒れる「万人」はだれですか。
27 千人に一人という比較では小さすぎるかのように,詩篇作者は,「万人はあなたの右に」倒れると言います。全能の神の場合と同じく,「右」は,強いほうの手と側を表わします。(詩 98:1)ですから,より大きな宗教的力を持つがゆえに,わたしたちがより強い霊的抵抗をしなければならなかった人々も,犠牲になります。なぜなら,彼らは,この世的な考え,現代思想,反宗教宣伝,流行の神学,悪霊の息のかかった宗教教義や儀式に染まるからです。彼らは,神の霊の助けによって免疫性を与えられた状態にありません。
28 油そそがれた残りの者の右側に万人が倒れたわけですが,それはどのように全く事実となりましたか。そして神は,残りの者の友としてだれを起こされましたか。
28 今日,報告されている,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者の数は一万人前後ですが,これと,宗教の大いなるバビロンの幾億もの会員とを比較するなら,神の「女」の「裔」のこの残りの者の右に万人が倒れていることは,まったく事実であることがわかります。(啓示 12:17)しかしエホバ神は,この残りの者の右側に倒れて霊的に死んだ幾万もの人々の代わりに,りっぱな羊飼いイエス・キリストを通してエホバ神に自分の命をささげた羊のような信者の「大群衆」を起こされました。(啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16。マタイ 25:31-46)エホバが彼らを残りの者の仲間として,1935年以来起こして来られたことは注目に価します。今日では彼らの数は多数に上り,そのために神の王国を宣べ伝えるエホバのクリスチャン証人の数はいまやほとんど200万に達しています。
29 この世のいろいろなところから来る,破壊的な,信仰を損うものは,だれには近づきませんでしたか。しかしだれには近づきましたか。
29 霊的に倒れた人々には,この世のいろいろなところから来る破壊的な,信仰を損うものが近づきました。しかし神のもとにある霊的に安全な所に立っている人々には,「あなたにはそれに近づかない」。戦後の年西暦1919年以来,残りの者は,偉大な医師エホバ神が与えてくださる霊的いやしを受け入れてきました。(詩 103:1-3)しかし,キリスト教世界はそうではありません。イザヤ書 6章9節から12節,マタイ 13章14,15節に予告されていたとおりです。その結果,キリスト教世界の10億を越える会員は,この病める世界の,霊的な意味で破壊的な影響と圧力に屈しました。しかし神は,ご自身の残りの者と彼らのクリスチャンの仲間である「大群衆」を,免疫にさせられました。神は,彼らのいる霊的に免疫の所に,この世の病毒が近づくことを許されません。彼らは,神のもとなる「隠れた所」に従順にとどまるので安全に守られ,健康です。
30,31 (イ)「至高者のもとなる隠れた所」にいる人々は,だれが時を得た報いを受けるのをながめ,また見ていますか。(ロ)そのような人々にはどのように,またなぜ報いが臨みますか。
30 「至高者のもとなる隠れた所」に多年実際に住まって来た,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は,そして最近では彼らの仲間の証人である「大群衆」は,霊感を受けた詩篇作者が次に述べることの真実さを見てきました。「あなたはただ自分の目でながめ,邪悪な者たちの報いを見るだけである」― 詩 91:8,新。
31 ここで,至高の神が,ご自身の「隠れた所」にいる者たちと,「邪悪な」者,すなわち外にいる者,この邪悪な世の一部となっている者とを同じに見ておられないのは明らかです。滅びに定められているこの事物の体制が終わりに向かっている現在特に,この邪悪な世のならわしを楽しんできた人々は,その報いとして自分の行ないの実を食べています。政治,経済,道徳,社会,宗教などに関する問題が増加するにつれ,当然の報いがこの世的な人々の上に臨みつつあります。彼らは自分がまいたように,また刈り取っています。いわゆる「新しい道徳」,つまり「性の革命」に対して非常に寛大になった現代社会は,性欲倒錯者たちを,「彼らの誤りに対して当然なもの」である「十分な返報を身に受け」ることに免疫性を与えることはできません。―ローマ 1:27。ルカ 21:25,26。
32 「大患難」の前にすでに,「隠れた所」にいる人々は,だれの間の結果的なちがいを見ていますか。
32 この世的に賢い人々は,自分自身の企ての犠牲になりつつあります。神のことばの知恵を退けてサタンの悪だくみに身をさらした人々は,「滅びゆく者たちに対するあらゆる不義」のかもになりました。「真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです」。(テサロニケ第二 2:9,10)エホバの保護を受けている者たちは,「大患難」の近づく前にすでに,その目でながめ,「正しい者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との」結果的な違いを見ています。―マラキ 3:18,新。
[177ページの図版]
『彼の真実は大盾である』
[181ページの図版]
進化論
心霊術
麻薬の乱用
国家主義
物質主義
科学崇拝
“新しい”性道徳
聖書の「高等批評」