活動力に導かれる産出の多い奉仕者
『わが霊を汝らのうちに置き汝らをして我が法度に歩ましめわが律を守りてこれを行わしむべし。』― エゼキエル 36:27。
1 (イ)どのような道が,ヱホバに対する不敬であり個人にとつて致命的なものとしてここに示されていますか。(ロ)多くの人はどの点で欺かれていますか。
真のクリスチャンは,今こそ古い世と一致する時であるとあなたは感ぜられますか。それとも,真のクリスチャンは,ヱホバの与えられる増加と共に,今こそ以前にまして,神の祝福による更に大きな発展を目ざして業を押し進め一生懸命働く時だとあなたはお考えですか。たぶんあなたはヱホバの証者の一人であり,家から家に御国の音信を伝える業に従事し,またクリスチャン会衆の他の色々な活動に参加しておられるかも知れません。もしあなたの信仰の表現が単なる空しい形式的なものになるとしたら,それはあなたにとつて何という致命的なことであり,またヱホバ神に対して何という不敬でしよう。あなたは光栄ある奉仕の宝を捨てて,単なる『教会出席者』のように退歩していることになるのです! そのようなことは考えられないことです! しかし,危険はあります。これは人々の上に起ることです。実際のことを言うと,このことは,あらゆる型また種類の宗教を形式的に行つている,全世界の何億何万という人々の上に起つています。彼らは,ヱホバ神の正しい御要求を無視することができ,徹底した物質主義になり,利己的に古い世のものを追い求め,また古い世の標準,信念,行いに同調することができ,しかもある宗教を形式的に行つているとの理由で,神と人間に対する聖書的な責任を果していると考え,そのために,欺かれ,また自分自身を欺いてきました。
2 不安な良心はどのような利益を与えますか。
2 そのような人々の多くは,良心にくつろぎを得ていません。そして彼らの不安な良心は彼らをわずらわして正しい方向に動かします。このように神の御前に良き良心を探し求めている人々に神の御言葉である聖書の真理が,もたらされなければなりません。一方,ヱホバの証者であるあなたの場合,もしあなたがこれと同じ道を歩み古い世の空しい宗教的行いに従つたとしたら,あなたの良心は休みを得るでしようか。決してそうではありません。『決してそのような事があつてはなりません!』
3 (イ)誰が誰に対して何を考慮するようにここで提案されていますか。(ロ)提案されている手順とその目的を述べなさい。
3 あなたはたぶん,ここで熟考される聖書的訓戒から霊的な援助を得る献身した人をご存じかも知れません。そのような人は,伝道することはできても,もう野外奉仕の伝道に定期的に参加していないかも知れません。たぶんそのような人は,会衆の集会に定期的に出席しなかつたり,あるいは集会に全然出席しないかも知れません。そのような人は多分「ものみの塔」を受け取つていながらそれを研究しなかつたり,読まないかも知れません。多分その人は「ものみの塔」を定期的に受け取つてさえいないかも知れません。あなたは誰かそのような人をご存じですか。あなたの会衆にはそのような人が幾人かいますか。この問題をよく考慮して下さい。会衆の僕は会衆内の他の僕たちや,また円熟した活発な霊的に強い伝道者たちの援助を得て,この号の「ものみの塔」をそのような人々に持つて行きそれについてよく話し,彼らに読ませるか,または彼らと一緒に読みなさい。そして,伝道をやめたそのような人々を,霊的義務と責任と素晴しい新しい世の特権に目ざめさせるよう努力しなさい。なぜなら新世社会の人々は,ヱホバ神の律法を守らなければならないからです。
4 神の律法を守る点に関し,ヱホバはどのように言われていますか。
4 この点に関し,私たちは,拡大しつつある真のキリスト教,新世社会に話しかけられているヱホバの御言葉を読みます,『わが霊を汝らの裏に置き汝らをして我が法度に歩ましめわが律を守りてこれを行わしむべし。』(エゼキエル 36:27)これは,実を結ぶ奉仕者たちが,ヱホバの霊すなわち活動力によつて導かれなければならないこと,またヱホバの霊の指導の下に絶えまなく前進し,責任を果さなければならないことを示しています。またそれは,一つの組織制度としてまたその中の個人として,新世社会の人々が,神の律法の中に歩み,神の律を守り,彼らが行うために神が示される事柄を行わなければならないことを示しています。この古い世と一致したり,宣教の特権を放棄することによつては,これらの要求に応ずることはできません。今は古い世の事柄に没頭する時ではありません。今は,新しい世の事柄に進歩する時です。
5 現在と将来の増加は何にかかつていますか。
5 では,ヱホバが御言葉の中に示されているいくらかの聖書的要求もしくは命令,また,ヱホバの律法を考察して見ましよう。それを守ることは増加のために必要なことです。これらの要求を守つたがために,ヱホバは現在に至るまで祝福と増加をもたらされているのです。これらの要求を守る時に,神は将来続けて祝福と繁栄を与えられます。
6 増加に関する,第一の神権的原則は何ですか。
6 一番重要なものは,エホバこそ増加をもたらす方であつて,私たちは彼の僕として愛の中に従順に奉仕するにすぎないという,真理の神権的原則です,『わたしは植え,アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは,神である。だから,植える者も水をそそぐ者も,ともに取るに足りない。大事なのは,成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであつて,それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり,神の建物である。』― コリント前 3:6-9,新口。
7 クリスチャンの宣教を管理する指示に関して聖書的な例を述べなさい。
7 更に,地上のクリスチャン活動に関する真接の指示は,今日の初期的クリスチャン制度の模範であつた使徒の教会の場合のように,確立されている統治体を通して来ます。そして来つづけなけばなりません。第一世紀の教会に関して次のように述べられています,『それから彼ら(パウロとシラス)は通る町々で,エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと,人々にそれを渡した。こうして,諸教会はその信仰を強められ,日ごとに数を増していつた。』(使行 16:4,5,新口)今日の初期的クリスチャン制度について,イエスは予言されました,『主人がその家の僕たちの上に立てて,時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は,いつたい,だれであろう。主人が帰つてきたとき,そのようにつとめているのを見られる僕は,さいわいである。よく言つておくが,主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。』― マタイ 24:45-47,新口。
8 増加するために,会衆の監督たちが果さなければならない要求とは何ですか。
8 様々な宗教の会衆を託されている正統派の牧師たちには多くの宗派的標準があり,彼らがその標準にどの程度従うかもまちまちです。しかしながら真のクリスチャン会衆では,愛をもつて各会衆を監督する人々が守るべき要求と標準は,広範囲にわたつて聖書の中に大要されています。そしてこれらには,真理を尊重し,よく働き,主の『他の羊』を愛する責務などが含まれています。例えばパウロは次のように言いました,『わたしたちは,このために労し苦しんでいる。それは,すべての人の救主,特に信じる者たちの救主なる生ける神に,望みを置いてきたからである。』(テモテ前 4:10,新口)『監督たる者は……旅人をもてなし,善を愛し,慎み深く,正しく,信仰深く,自制する者であり,教えにかなつた信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは,彼が健全な教によつて人をさとし,また,反対者の誤りを指摘することができるためである。』― テトス 1:7-9,新口。
神の霊が必要
9 ヱホバの活動力はどの程度に必要ですか。
9 まえに引用されたエゼキエルの予言は,クリスチャンがヱホバの霊を必要とすることを示しています。そして使徒行伝 20章28節は,それぞれの会衆を監督するクリスチャンたちが聖霊によつて任命されることを明確に示しています,『どうか,あなたがた自身に気をつけ,また,すべての群に気をくばつていただきたい。聖霊は,神がご自身(御子)の血であがない取つた神の教会を牧させるために,あなたがたをその群の監督者にお立てになつたのである。』(使行 20:28,新口)この任命は,ヱホバの聖霊によつて書かれた神の御言葉の中に示されている要求に,すでに従つている,また従い続けるクリスチャンの男子に与えられます。ですから,人間でなくて神が規定されたこれらの要求に従うことによつて,僕または会衆の監督は,神の聖霊を通じて任命を受けます。更にゼカリヤ書 4章6節には,すべてのヱホバの僕たち,すなわち,ヱホバを崇拝し奉仕するすべての彼の僕たちの上に,ヱホバの聖霊が自由に働くことが予言的に示されています,『万軍のヱホバのたまう是は権勢に由ず我霊に由るなり。』
10,11 (イ)発展のためにヱホバが定められたもう一つの規定を述べなさい。(ロ)個人また会衆の宣教に関する詳細な点に注意をはらう事は聖書的に正しいですか。(ハ)イザヤ書 2章2-4節は平和な神権制度を確証していますか。
10 真のキリスト教の発展のために,ヱホバが定められたもう一つの規定があります。それは,神の僕たちの宣教活動は出まかせのものであつてはならず組織されたものでなければならないということです。ですから,ヱホバの証者が,彼らの宣教活動の詳細な点に至るまで非常な注意をはらうのは正しいことです。使徒パウロは,クリスチャン奉仕者として個人的にも,自分の努力や能力を浪費したり,無駄にすることを欲しませんでした。そして正しい手本を示しこう述べました,『わたしは目標のはつきりしないような走り方をせず,空を打つような拳闘はしない。』(コリント前 9:26,新口)中でも,イザヤ書 2章2-4節の胸を躍らせるような預言は,すべての国の人々の間に拡大されるヱホバの崇拝が,組織され,秩序正しく独特のものであることを示し,こう述べています,『すえの日にヱホバの家の山はもろもろの山のいただきに堅く立ち,もろもろの嶺よりもたかく挙り,すべての国は流のごとく之につかん。おおくの民ゆきて相語りいわん,いざわれらヱホバの山に登りヤコブの神の家にゆかん,神われらにその道をおしえ給わん,われらその路にあゆむべしと,そは法律はシオンよりいでヱホバの言はエルサレムより出べければなり。ヱホバはもろもろの国のあいだをさばきおおくの民をせめたまわん,斯てかれらはその剣をうちかえて鋤となし,その槍をうちかえて鎌となし,国は国にむかいて剣をあげず,戦闘のことを再びまなばざるべし。』
11 この予言は,有力な組織の存在を示し,諸国民がヱホバを崇拝するために,一つの組織に来ると述べています。その組織は神権的なクリスチャン組織以外にはありません。ヱホバの道を学び,神の道に歩もうと彼らは話しあいます。それは聖書の律法と要求に従うことを間違いなく意味しています。更に彼らは,戦争を追い求めるのでなく,平和を追い求めるために彼らの努力を捧げると示されています。これこそ,世界至るところにある新世社会の人々が現在行つていることです。
12 富める人に対してどのような命令が与えられていますか。信者に対しては?
12 私たちが一致しない古い世と相違して,私たちはクリスチャン活動において,ふとるのでなくてやせていなければならないこと,クリスチャン宣教において怠惰でなくて産出的でなければならないことを示す,使徒パウロの忠告がテモテ前書 6章17-19に述べられています。これはパウロのクリスチャン仲間にあてられたものです,『この世で富んでいる者たちに,命じなさい。高慢にならず,たよりにならない富に望みをおかず,むしろ,わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さるかたに,望みをおくように,また,良い行いをし,良いわざに富み,惜しみなく施し,人に分け与えることを喜び,こうして,真のいのちを得るために,未来に備えてよい土台を自分のために築き上げるように命じなさい。』前述の言葉は,非クリスチャンのみでなく,ヱホバ神の献身した僕にとつても,全く適切な助言です。このことは,パウロがテトスに言つた言葉の中に示されています。つまり,私たちはヱホバの証者の一人であつても,やはり正しい業を行い続けることに心を集中し,宣教をやめないようにとパウロは言つているのです,『この言葉は確実である。わたしは,あなたがそれらのことを主張するのを願つている。それは,神を信じている者たちが,努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであつて,人々の益となる。』― テトス 3:8,14,新口。
効果をおさめること
13 (イ)神の御要求に応ずるとどのような結果になるに違いありませんか。(ロ)効果的であるためには,どのような二つの事柄が必要ですか。
13 クリスチャン会衆を管理するために,聖書の中に述べられている,前述の要求また他の要求が,敬虔な献身したクリスチャンの間で適用されると,言うまでもなく,そこにはただ一つの結果として有力な奉仕社会が生れます。私たちが,神の御要求に従順に答え応ずる時に,神の祝福が与えられて,実際に効果をおさめることができます。ですから二つのものが必要となります。そしてこれらは相ともに働きます。まず,ヱホバを最も強く愛する人によつてなされる従順な努力です。次には,それにもまして,そのような努力の上にそそがれるヱホバ神の祝福です。これは,個人また組織の面からも見られます。世界的にあらわれている結果がその証明ですから,それを否定することはできません。そのようにして,神権的新世社会に,現在の霊的繁栄がもたらされました。同じく,新世社会とその中のすべての者が,霊的に進歩して,ヱホバに賛美を捧げるためには,私たちの努力とヱホバの祝福が引き続き必要です。神の要求に従うために生ずる良い結果は,人々の注目の的となり,度々書かれます。それはよいしるしです。例えばヱホバの証者でない一宗教著述家は,次のような面白い批評を宗教雑誌に掲載しました。
14 ヱホバの証者が持つ実力の秘訣について一宗教的著述者はどのような見方をしていますか。
14 『彼ら(ヱホバの証者)はまた,必要な金と精力と時間を費して,家も友だちもない神の子の,誰とでも研究する用意がある。そして人種,色,社会的地位,知的水準に関係なく彼を深い友好関係に導きいれる。この事には核心がある。彼らの熱心が彼らの秘訣である。すべての証者は奉仕者である。すべての奉仕者は,戸別訪問者である。すべての訪問者は訓練された僕である。他のどの宗教的グループも,ヱホバの証者がしている程,アメリカの各町,区,市,郡,州をくまなく図示しているグループはないと私はあえて言う。そのメンバーの奉仕者たちが何をしているか,どこでどのように奉仕しているかを間違いなくはつきりと知つている本部は他にはない。……彼らは,一部隊,一軍隊のように働く。事実,地方のグループは,以前会と呼ばれ,その責任者はキャプテンで,集会所は「御国会館」であり,今でもそうである。』― クリスチャン・センチュリー,1957年2月13日。
エホバは確かに増加を与える
15 それにもまして,事実は何を証明していますか。
15 それにもまして,ヱホバの証者の現代歴史の多くの事実が証明するように,私たちがヱホバに信頼を置いてきたことは正しいことでした。ヱホバは信頼できる方です。ヱホバは確かに増加を与える方でヱホバに動かない確信を置くのは正しいことです。これに関して,詩篇 115篇はこう続けます,『アロンの家よなんじらヱホバによりたのめ,ヱホバはかれらの助かれらの盾なり。ヱホバを畏るる者よヱホバに依頼め,ヱホバはかれらの助けかれらの盾なり。ヱホバはわれらをみこころに記めたまえり,われらを恵みイスラエルの家をめぐみアロンのいえをめぐみ,また小なるも大なるもヱホバを畏るる者を恵みたまわん。』― 詩 115:10-13。
16 (イ)増加の三つの要素をあげなさい。(ロ)ペテロ前書 1章13-16節を霊的繁栄の進歩にあてはめなさい。
16 ヱホバの祝福の下にいるとき常に期待できるように,彼がもたらされる増加は数の点だけではありません。すでに述べたように,数もたしかに増加したのは非常に喜ばしいことですが,新世社会のクリスチャン会衆の活動も増加し,効果的になりました。しかしそれが全部ではありません。同じように重要なのは第三番目の要素,すなわち円熟性の増加です。すべてこれらの増加すなわち,数,活動と円熟性においての増加は,私たち各人にとつて絶対必要なものです。特に後者に関して,ペテロ前書 1章13-16節は次のように述べています,『それだから,心の腰に帯を締め,身を慎み,イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを,いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。従順な子供として,無知であつた時代の欲情に従わず,むしろ,あなたがたを召して下さつた聖なるかたにならつて,あなたがた自身も,あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。聖書に,「わたしが聖なる者であるから,あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。」』これによつて,真のクリスチャンが命ぜられていることは,神の御言葉の研究を通じ御言葉に従い,また聖書に含まれている原則を個人生活に適用することによつて各自が霊的円熟に進歩することです。これこそ真のクリスチャンへの道です。
17 詩篇 115篇14-18節は,善意者が集められている組織の性質と,集める業がなされる場所についてどのように示していますか。
17 増加をもたらされるのがヱホバであるという事実を考えると,前述のことは当然です。なぜなら正直で善意な心を持つ人々が,堕落した不潔なこの世的宗教,信念,行為あるいは組織に導かれることを,神は望まれないからです。ヱホパがこの地上に増加をもたらされることは,次の賛美の詩篇の節によつて示されています,『願くはヱホバなんじらを増加え,なんぢらと汝等の子孫とをましくわえ給わんことを,なんじらは天地をつくりたまえるヱホバに恵まるる者なり,されど地は人の子にあたえたまえり。死人も幽寂ところに下れるものヤハを讃め称うることなし然れどわれらは今より永遠にいたるまでヱホバを讃めまつらむ,汝等ヱホバをほめたたえ。』(詩 115:14-18)ヱホバは今,キリスト・イエスを通じて,正直な心をもち,正義を愛する人々を,全世界のあらゆる人種から,地上にある新世社会に集められます。そして彼らが宣べ伝える御言葉である聖書の音信の伝道という手段を通して神はそうされます。
ヱホバの条件にかなうとき増加が得られる
18 (イ)人はどのような条件でクリスチャンになりますか。(ロ)いつまでもクリスチャンであるためには何が必要ですか。
18 前述の聖句から分るように,聖書の真理に答え応じた各人は,その結果としてヱホバの崇拝者になりました。また集める業と増加は,真理の力によるのです。すなわち,ヱホバが彼の御言葉の中に定められている条件にかなうとき,増加がもたらされるということです。言い換えれば,人がクリスチャンになり,新世社会の一員となつて,正義の新しい世で,ヱホバから永遠の生命の祝福を受ける者の列にはいるためには,各人がヱホバの御要求に応じ,彼の御命令に従う必要があります。ヱホバは,人々の愛と奉仕を得るために,御自身の要求を変えたり,手加減したり,軽減したり少なくしたりされません。正統派の宗教は,大衆の気にいるように,色々な罪深い事をしますが,ヱホバ神はそのようなことはされません。また神の御言葉である聖書もそのようではありません。真理に答え応じ,聖書に一致したからこそ,私たちはヱホバの証者になることができ,最初新世社会にはいることができました。この事実にかんがみて,この喜ばしい幸福な,祝福されたヱホバ神との関係を進歩継続させるために,彼の御言葉に服従しつづけなければならないのは当然です。私たちは,生活のあらゆる問題でこの事をしなければなりません。私たちは,自分の考えでなくヱホバの御言葉に従つて奉仕します。
19 エホバの崇拝に関して私たちが彼の条件に適合していることをどのような試みが証明しますか。
19 この事実を明確に示し,また聖書が現代のクリスチャン生活にとつていかに実際的であるかを示す例は沢山あります。ヱホバ神に奉仕し服従するため献身しており,彼の御言葉に一致する責任をもつているクリスチャンの生活や,またクリスチャンでない人々の生活の中にたえず起きる諸問題を私たちはかぞえあげることができます。そのような問題が起きた時,あなたはどのように処置しますか。その問題に関し神の御言葉の知識から助けを得て決定を下しますか。
20 ここに列挙されている生活の諸問題について述べなさい。
20 生活に関するありふれた問題は毎日起ります。ある人々にとつてある問題は毎日のことで,それに対処しなければなりません。例えば正直に関する問題があります。正直であるか不正直であるかを決定しなければならない時,あなたはどうしますか。品行と道徳の問題は常に起ります。道徳には性の道徳も含まれており,またそれ以上のものも含んでいます。道徳にはさまざまな標準がありますが,しかし,正しい標準は一つあるだけであつて,それは聖書の要求です。あなたは道徳の問題をどのように解決しますか。また品行の問題についてはいかがですか。また盗み,嘘を言う事,殺人などに関する問題もあります。これらの問題には誰もが一度や二度は直面します。真の崇拝は宇宙的な問題です。血液とそれの摂取に関する問題があります。離婚,子供の養育,政治などの問題があります。クリスチャンたちは,伝道奉仕に関する問題をもつています。献身はすべての人に問題をなげかけます。すなわち,人が彼自身あるいは彼女自身を献身して神に捧げるかどうかということです。地上にいるすべての人が,例外なくこの質問に答えなければならず,またこの問題に直面しなければなりません。
21 (イ)他にどのような問題がありますか。(ロ)私たちは何に関心を示すべきですか。
21 次には,忠実の問題,この世の争いに対する中立の問題,借金の支払い,健全で正直な事業を行う事,クリスチャンの集会に出席する事,愛を行うか利己主義にふるまうか,神の御言葉の研究に関する諸問題,娯楽を追い求めること,教育に関する問題その他があります。これらをかぞえあげれば限りがありません。私たちは,これら生活の諸問題に関して,聖書が助けになる忠告や,また戒めや命令を与えていることに感謝しなければなりません。聖書がこれらの事柄に関しどのように述べているか,あなたは関心をお持ちですか。聖書は生命を与える神の御言葉です。もし生命を受けたいならば,あなたは私たちの救主キリスト・イエスを通じて与えられる生命について,神が述べられている要求に関心を持たなければなりません。
22 現在ある機会と将来の見込みは何ですか。
22 正直に公正に全き誠実の中に,この人生の諸問題に立ち向おうと努力している新世社会の人々は,新世社会の要求に従つて生活するようはげんでいるのです。神を喜ばせ,神の承認を得る決定をしたと知つている彼らは,確信をもつてそのことをしています。真のキリスト教を実践することによつて,あなたもまた,新世社会の要求に一致した生活を今はじめることができます。この点で私たちが円熟に向つて大きく進歩する時,私たちの将来は,はかり知れない祝福と特権と喜びで,みたされます。すでに多くの人々はこの進歩を理解し味わい始めています。
23 (イ)イザヤ書 29章22-24節の光に照らし恥じることのない理解に関し,今何を言う事ができますか。(ロ)あやまりと,つぶやきを矯正するための戒めに関しては?
23 すでに述べられた諸問題に対処し,しかも聖書的にそれをなし得るために,ヱホバの証者は,古い世の人々を悩ませ当惑させている多くの疑問に対する解答を聖書から得ました。これは大きな祝福です。このことに関して,イザヤ書 29章は部分的に次のように予言しています,『この故にむかしアブラハムを贖いたまいしヱホバはヤコブの家につきて如此いいたまう,ヤコブは今より恥をこうむらず,その面はいまより色をうしなわず,かれの子孫はその中にわがおこなう手のわざをみん,その時わが名を聖としてイスラエルの神をおそるべし。心あやまれるものも知識をえ,つぶやけるものも教誨をまなばん。』(イザヤ 29:22-24)諸問題に対する正しい解答は非常に大きな祝福ですが,しかしそれ以上の意味があります。新世社会の人々は,むずかしい問題に対する正しい解答を得たばかりでなく,同時に,新世社会の人々のみに属する祝福をも受けます。彼らは,喜び,新しい世の喜び,特権,ヱホバに奉仕して神の関心事を地上で発展させる機会,そして責任を与えられました。彼らは神の御旨を行うための献身を通してそれらを引き受けたからです。また,神は彼らが従わなければならない要求を彼らの上におかれました。そして彼らは,救い主であり指導者であるキリスト・イエスを通して与えられる神の過分の御親切により,最善の力をつくしてこの要求を果しています。
24 エホバの活動力の活動範囲はどのくらいですか。また活動力が掲げるしるしはどの位続きますか。
24 今日における,真のクリスチャンの信仰と実践の発展はその規模において,発展しつつある新世社会と同様に大きなものです。すなわちそれは世界的です。ヱホバの至上権のために勇敢に戦う新世社会の素晴らしいしるしは永久のしるしであつて,決して切断されることなく,ヱホバの賛美のために存続することでしよう,『なんじらは喜びて出で来り平穏にみちびかれゆくべし,山と岡とは声をはなちて前に歌い野にある樹はみな手をうたん。松樹はいばらにかわりてはえ岡拈樹は棘にかわりてはゆべし,こはヱホバの頌美となり並とこしえの徴となりて絶ることなからん。』― イザヤ 55:12,13。