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神があなたの心に書かれんことを?ものみの塔 1957 | 5月1日
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勝を得るでしよう。そして,知性は心の命ずるままに従つて,心の指示した行をなしたことを正当化する言訳を考えるでしよう。感情に引き廻わされている時でも私たちは論理に従つていると考えたく思います。理性は事実を整理します。しかし,たいていの場合,感情が決定をします。私たちの心が事実によつて正しく刺激されるなら,理性と感情はたがいに正しい方向にむかつて,一緒となります。それで,書かれた諸規則によつては施行できない原則に,永続する従順を保つためには,私たちは何が正しいかを知ると共に,正しいことを行いたい,と欲しなければなりません。それでも,時折り私たちは失敗します。堕落した肉は,時折り私たちの欲せぬものをなさせるのです。しかし,そのような時折りの失敗は,常日頃に行われる,というものよりも例外なものです。そして,善がますます身について習慣のものとなるにつれ,それの回数は,だんだんすくなくなつて行くでしよう。しかし,この正しい方向に進歩するための唯一の道は,神の律法を私たちの心の深いところに書き記すことです。
13,14 (イ)私たちの心にあるヱホバの律法は,私たちを,どのように偽善や,罪や,しりさがることから守りますか。(ロ)良い心は,立派な頭脳よりも,なぜもつと大切ですか。
13 イエスは,ヱホバの律法を次のように要約しました,『あなた方は,すべての心をこめ,すべての魂をこめ,すべての思をこめ,そしてすべての力をこめて,あなた方の神なるヱホバを愛さねばならない。』そして『あなた方は自分自身のように隣人を愛さねばならない。』(マルコ 12:30,31,新世)動機と愛情の中心である心の中に,ヱホバへの愛と隣人への愛を得るなら,私たちは心からヱホバをよろこばすことを言い,かつ行うでしよう。しかし,私たちの心の中に愛がないなら,正しい言葉や業は神の御旨に適うものでなく,それは偽善のもの二心のものでしよう。(詩 12:2。ロマ 13:8-10。コリント前 13:1-3。コリント後 9:7)しかし,ヱホバの愛の律法が私たちの心の中に書かれるなら,それは私たちの一部,私たちの個性の一部,そして私たちの動機の中心から切り離すことのできない部分になります。それですから,それは私たちの動機や,私たちをして常に正しい行をさせる事柄の源になりましよう。
14 『彼が神の法は,その心にあり。その歩みは一歩だにすべることあらじ。』ヱホバの律法が記されている心の指示を受ける足取りは,しつかりした足場の上に注意深く,たしかに,かたく置かれています。それですから,すべることとか,しりさがるということもなく,また忠実の道から踏み落ちるということもありません。この世は,神の言葉を本の中だけに持つていて,その心の中に持つていないため,罪で充ち充ちています,『われ汝にむかいて罪を犯すまじき為に,なんじの言葉をわが心のうちに貯えたり。』(詩 37:31; 119:11)それで,ヱホバの律法で充ちる心は,罪を犯すことと,しりさがることに対して阻止するものです。この世は,知能のすばらしさを強調します。しかし,ヱホバは心を見ます。この世の智恵はいつたい何の役に立つのでしようか。この世は悪しき心から,その智恵を悪く用いて,ヱホバの目から見るときに愚かなものにしています。並の知能を良い心によつて,正しく使用する方が,すばらしい知能を悪い心によつて,有害な事に用いるよりも,ずつと良いではありませんか。是非改良して行かねばならぬものは,この世の頭脳よりもこの世の道徳である,と今日の世界の指導者も認めているではありませんか。しかし,この悪しき組織制度は,ヱホバのハルマゲドンの戦争を生き残るのに必要な心の変化を拒絶します。だが,多くの人々は,生き残るのに必要な心の変化をするために悪しき組織制度を棄てています,すなわち象徴的な心の悪い教えを消し去り,その代りにヱホバの律法を書き入れているのです。これは,どのようになされるのですか。その答を得る為,次の記事をどうぞ読んで下さい。
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1956年中の多量の証言ものみの塔 1957 | 5月1日
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1956年中の多量の証言
昨年中の毎日,ヱホバの証言は平均23万8000時間以上を他の人々への伝道に費し,興味を味つ人のところに7万5000以上の再訪問をなし,平均5万冊以上の書籍や冊子や聖書を配布し,そして15万2000部以上の『ものみの塔』誌や『目ざめよ!』誌を配布しました。これはすばらしい毎日の集計報告であって,証者の奉仕している神なる創造主の御名と尊厳に対しての多くの証言となりました。あなたは1957年中のこのクリスチャン活動の発展に参加していますか。
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