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現代に対する賢明な言葉ものみの塔 1958 | 3月1日
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およびそれらの部分の互いの関係,そしてそれらが互いに働いてお互いに生ずる結果というものを知つておられ,また識別いたしました。それらが地上の被造物にどんな影響をもたらすか,ということも重要であり,ヱホバ神はそのことを識別して予じめに知つて居られました。彼は『知恵をもてもろもろの天をつくり給えるもの……地を水の上に布き給える者……大いなる光をつくり給える者……昼をつかさどらするために日をつくり給える者……夜をつかさどらするために月ともろもろの星とをつくり給える者』です。(詩 136:5-9)『ヱホバはその力をもて地をつくり,その知恵をもて世界を建て,そのさとりをもて天を伸べ給えり。』(エレミヤ 10:12)彼は,地上の下等動物とは異なる人間を創造しました。つまり,理解する能力と理解したいという欲望を人間に与えたのです。人間は生きつづけるためには,自分の創造主との関係を理解しなけばれなりませんでした。
21 理解を持つ人は,なぜ神の言葉に行きますか。なぜ彼は知恵と密接な接触を保つのですか。
21 理解する為には,私たちは明白なまぼろしを持つ心によつて,何を求めているかを知らねばなりません。『理解の心は,知識を求めるものである。しかし,愚か者の口は愚かさを強く切望する。』理解が知識を求めることは報われます,『理解を持つ者の心は,知識を得る。賢明な者の耳は,知識を探し求める。』理解を持つ心は,真の知識の源を見て,神と人間との関係および人間は万事において神に依存していることを認めます。それで,そのような心は肝要な知識を得る為に神の御言葉に頼ります。そして,神はそのような心に洞察を与えて,御自分の御言葉の意味を知らせます,『賢明な者に洞察を与えるならば,彼は知識を得る。』(シンゲン 15:14; 18:15; 21:11,新世)理解を持つ人は,神の言葉と業,およびこれらの背後にある目的に関連するすべての事の知識を切望します。しかし,それだけでなく知恵と密接な接触を保ちます。神と一致するその知識を用いる為の能力と叡知を得るためです。彼は知恵を自分の前に密接に保ちます。『理解ある者の前には,知恵がある。しかし,愚か者の目は,地の果にある。』(シンゲン 17:24,新世)愚か者がどんな分別を持つていようと,また示そうと,彼の目は地の果にあるものと同じようなものです。
22 愚か者は,理解を持つ人とどのように違いますか。ソロモン王は,知恵を持つていたにもかかわらず,どのように愚か者に転じましたか。
22 愚か者は,神を心に考えもせずまた念頭に置きません。しかし,理解を持つ人は神を念頭に置きます。彼は賢明にもヱホバを恐れるだけでなく,理解を有しています。彼はその敬虔な恐れと一致した行いをしています。神御自身も次のように言われました,『見よ! エホバを恐れることは知恵であり,悪から離れることは理解である。』(ヨブ 28:28,新世)理解を持つ人は,こらしめを拒絶して,それから嘲けるというようなことをしません,『あなたは嘲ける者を打たねばならない。未経験な者が物分りに早くなるためである。理解を持つ者を叱らねばならない。彼が知識を見分け得る為である。』(シンゲン 19:25,新世)理解を持つ人には,単なる叱責だけで十分です。強く打つことは必要でありません。彼は知恵を持つていますが,それにも拘らず無思慮な悪い行いをします。その理由の故に,時折りこらしめを与えて理解にひき戻すこがと必要です。老年になつてからこりかたまつたソロモン王は,こらしめに注意を払いませんでした。彼は神から知恵を頂いたにもかかわらず,愚か者に転じました。なぜ? なぜなら,彼は理解を棄てたからです。どのように? 彼はヱホバ神との間の関係についてのまぼろしと鋭い感覚を鈍くさせました,彼は獣のようになつたのです。『尊貴なかにありて悟らざる人は,ほろび失する獣のごとし。』― 詩 49:20。
23 それで,ソロモンは何をした時に理解を失いましたか。私たちは彼が離れた大きな知恵をどのように認識することができますか。
23 ソロモンは,ヱホバとの関係を棄てて他の神々,すなわち彼が結婚していた多数の異教の妻の神々と結びつくようになつたとき,理解を失いました。『ソロモンの心転りてイスラエルの神ヱホバを離れしによりてヱホバ彼を怒り給う。ヱホバかつて再び彼に現われ,このことについて彼に他の神に従うべからずと命じ給いけるに彼ヱホバの命じ給いし事を守らざりしなり。』(列王紀略上 11:9,10)ソロモンは大きな知恵を持つていましたが,その知恵から離れて神の不興の中に死んでしまいました。しかし,彼がヱホバの証者の一人として霊感の下に書いたソロモンの書を開くとき,私たちはその大きな知恵を認識することができます。
24 なぜ私たちは,神の事柄をけつして嘲つてはなりませんか。知識や,知恵や,理解を,なぜ私たちの一部にしようと努めますか。
24 神の事柄を嘲けるようなことは,決してあつてはなりません。真の神についての生命を与える知識は,そのようにしては決して得られないでしよう。神との創造的な結びつき,および神に全く依存していることを理解する人は,神を容易に知ります。『嘲ける者が知恵を見出そうと努めても,知恵は一つもない。しかし,理解のある人にとつては,知識は容易なものである。』(シンゲン 14:6,新世)知識や,知恵や,理解は互に保たれねばなりません,そしてそれら3つのものは生命と正しい行に必要なものです。そのことを悟る私たちは,それらのものを私たちから切り離すことのできないものにしようと努めます。私たちはそれらのものを私たちの親族,私たちの霊的な家族の一員にします,『知恵にむかつて,「あなたは私の姉妹」と言いなさい,そして,理解をば「近親」と呼びなさい。』― シングン 7:4,新世。
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知恵によつて心を守るものみの塔 1958 | 3月1日
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知恵によつて心を守る
1 この現代において,肉体的と霊的の両方で何を守ることが大切ですか。
現代の医学の研究や進歩にもかかわらず,心臓の病気は一番大ぜいの人を殺しています。正しい状態下にある心臓は,永久に鼓動しつづけて生命を支える血液を体内に送り出すことができます。肉体的な面だけでなく,むしろ霊的な面において心を守ることは遙かに重要です。そして,心の働きをなさせるために心を良い状態に保つことは重要です。
2 (イ)どのような面でソロモンは自分の心を守らず,神なるヱホバにその心を全く向けませんでしたか。(ロ)私たちは何をつくして神を愛するように忠告されますか。従つてこれに対して何をすることが要求されていますか。
2 ソロモンは,霊的な面と肉体的な面の両方における心について,シンゲンの中で多くのことを語つていました。実際のところ,31の章の中で心という言葉は94回も述べられているのです。ソロモン王は霊的に言つて,自分の心を守りませんでした。彼は自分自身の助言をないがしろにしたのです,『私の子よ,私の言葉に注意を払いなさい。私の語ることに耳を傾けなさい。それらをあなたの目から離してはならない。それらをあなたの心の中に保ちなさい。それらを見出す者には生命であり,その全身を健康にするのである。守るべきすべてのものにまさつて,あなたの心を守れ。生命の源はそこから流れ出るからである。』(シンゲン 4:20-23,新世)ソロモン王は,崇拝を受けるにふさわしい唯一つの神ヱホバに愛を保ちつづけなかつたのです。創造主は専心の献身を求める神であるという事実を彼は見失つたのです。それで,ソロモンは神なるヱホバに心を全く保ちつづけませんでした。心は愛情の中心です。それで私たちの愛情の対象は,極めて大切なものです。私たちは,すべての心を傾けて神なるヱホバを愛するように命ぜられています。彼は永遠から永遠までの唯一つの神であり,彼に対する被造物の愛で,いかなる敵対をも許さないからです。(出エジプト 20:4,5)私たちは,自分自身のごとく隣人を愛することができ,また愛さねばなりません。しかし,隣人の中からでも,または他のどんな者からでも,神をつくり出すようなことがあつては決してなりません。敵対の神または神性に愛を注ぐことは,魂なる私たちがヱホバの御手から死を受けることを意味します。ヱホバは生命の泉です。それですから,守るべき他のいかなるものにまして私たちの心を守ることは全く重要なものです!
3 (イ)私たちの魂を愛するとは,どういう意味ですか。(ロ)『心を得る』という表現は,何を意味しますか。それで,善を見出すために私たちは何を見定めねばなりませんか。
3 シンゲン 19章8節(新世)は,生命を魂として語つて,こう述べています,『心を得る者は,自分自身の魂を愛している。分別を守る人は,善を見出す。』自分自身の魂を愛するとは,幸福の中に永久に生きたいと欲することを意味します。現在の私たちの生命,そして特に神の新しい世における私たちの生命に対して,私たちの愛を示すという意味です。しかし,現在私たちの魂を生きつづけさせるために,私たちはすでに心を持つています。それでは,『心を得る』という表現は何を意味しますか。ここのところの『心』は,ヘブル語聖書新世訳(英文)の下欄にもあるごとく,『良い動機』という意味を持つています。心は愛情だけの中心ではなく,動機の中心だからです。愛情は人をして行為をなさしめます。『愚かなること子の心に結ばる』という格言もあります。それで,私たちは次のことを知ります,すなわち人間の心は若い時から悪に走る傾向があり,愛情を悪く置くことによつて悪い衝動を持つ傾向があるのです。それで,私たちの動機を清く
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