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人間 ― 造られてからどうなったか目ざめよ! 1980 | 7月8日
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に成し遂げられ,完了し,目的が成就するのを見ると,満ち足りた気持ちになるものです。エホバはご自分の創造の業を非常に良いと宣言され,その成し遂げられた事柄によってさわやかな気分になられました。―創世 1:31。出エジプト 31:17。
何よりも,人は愛を必要としています。愛し,愛される必要があるのです。さもないと,心の中が干上がってしまいます。身体面では十分の世話を受けた子供でも,愛されないと,成長が止まり,死んでしまうことさえあります。大人も愛されないと,孤独を感じ,意気消沈し,落胆しきってしまいます。「人の霊はその人の病状に耐えることができる。しかしひしがれた霊については,だれがそれを忍ぶことができようか」。(箴 18:14,新)愛はすべての事に耐え,すべての事を忍耐します。愛がないと,生活の大半は耐えられない,忍耐できないものになります。(コリント第一 13:7)この多事多難な時代にはよく物不足のことを耳にしますが,地球上で一番不足しているのは愛です。精神科医の話では,今日の精神病のほとんどの背後に愛の不足がある,とのことです。
このことが分かったので,人間は何に動かされて行動するのか,という質問の答えを見いだす次の段階に進めます。人間の生来の必要が満たされないと,必ず問題が起こります。自動車は特定の必要を持つものとして設計されています。その必要が満たされないと車は走りません。必要が満たされるとしても,それが十分でないと,車は走っても,きちんと走りません。人間も同じです。最初の人間夫婦は満たされねばならない特定の必要を持つものとして造られましたが,今日の人間もその同じ属性を有しています。そうした必要が満たされなかったり,部分的にしか満たされなかったりすると,人間という信用のおけない機械も正しくその機能を果たしません。時として逆上し,信じがたいほど冷酷なことをやってのけます。
湾曲した鏡が人体を異様な姿に映し出すのと同じく,ゆがんだ人格は人間の特質を,ねじ曲げられ歪曲された形で明らかにします。公正・愛・知恵・力などの神の属性はいまだに人間に備わっています。しかし,不完全であるため,それらの特質が働く際に釣り合いが取れなくなっているのです。これらの特質に関して,人間は平衡を保てない者になってしまいました。
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人間 ― どうしてそのように行動するのか目ざめよ! 1980 | 7月8日
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人間 ― どうしてそのように行動するのか
遺伝のせいでしょうか。環境のためですか。選択の自由の問題ですか。それとも本当のことは分からないのでしょうか。
「遺伝のせいだ!」 自分の非行を弁解しようとして,一人の人はこう言います。確かに,遺伝によって,つまり遺伝子によって,人の行動は左右されます。聖書はこの点に同意して,次のように述べています。「ひとりの人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪を犯したがゆえにすべての人に広がった」― ローマ 5:12。
「環境のせいだ」と,別の悪行者は弁明します。それもやはり一つの要素です。「賢い者たちと歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちとかかわる者は悪い事態に陥る」と,聖書は述べています。
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